August 28th, 2010 by Rion



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大変立派な法曹関係者も数多いが、これでは給費制への支持は得られない。
「国民の権利の守り手危うくする」 司法修習給費制廃止で緊急シンポ
日本弁護士連合会会長で、同会司法修習費用給費制維持緊急対策本部本部長として活動する宇都宮健児弁護士が「給費制の維持を!~若い人の夢や志を奪うな!~」と題し講演しました。
「若い人の夢や志」を問題にするなら、その対象を平均的に資力にも能力にも恵まれた司法修習生に限る必要はない。ましてや、その全員に給付する根拠にはならない。
宇都宮氏は、多重債務者の債務額を上回る奨学金を返済している弁護士が多くいる現状を紹介
多重債務者の債務額を上回るローン(※)を抱えている事自体は問題ではない。一般的な体重債務者と司法修習生の返済能力は大きく異なる。
(※)貸与なので奨学金と呼ぶのは不適切だ。
「弁護士になってからも貸与金返済のために仕事を選ばざるを得なくなる」と貸与制の問題点を指摘し
確かにお金で仕事を選ばないといけないのは悲しいことだ。しかし、選ばないでいいという権利は誰にも保証されていない。弁護士になる人だけが仕事を選べるべきという根拠はどこにあるのだろう。今の仕事を辞めてNPOでフルタイムの仕事をしたいという人と比べてどうだろうか。
「弁護士は基本的人権の擁護と社会正義の実現を自らに課していますが、その基盤を崩す貸与制は、社会的、経済的弱者の権利も奪うということ。若者の夢を奪うだけでなく、市民、国民の権利の守り手が危うくなる問題として運動を広げていきたい」
人権擁護や社会正義の実現(?)を目的とした職業は弁護士だけではないし、他にも社会的に意味のある目的はある。社会的・経済的弱者を守るのであれば弁護士ではなく彼ら自身を支援すればいいのではないだろうか。
「弟は大学生、妹は高校生で、父は休職していた。修習にどれだけのお金がかかるのか、自分が不安な状態で人の気持ちを考えられるかという不安がある」(同志社大学法科大学院修了生)
もっと不安な状態の人はいくらでもいるし、もっと大変な環境で遥かに不安定な研究キャリアに進む人も多い。人の気持ちを考えたいから、自分が安心するためもっとお金をくれという主張にどれほど説得力があるだろうか。
、「弁護士を目指していた友人は大学を首席で卒業したのに、父親がリストラされたので進学を断念した。そういう人たちをこれから出してほしくない」(立命館大学法科大学院3年生)
これも、悲しい事例ではあるものの弁護士だけを特別視する根拠にはならない(弁護士はむしろ金銭的リターンが高い)。優秀な学生には(返済義務のない)奨学金を与えて支援するの方が望ましいだろう。
ある業界の人たちが自分の業界内での社会問題を解決しようとするのは当然だという意見もあるだろうが、基本的人権の擁護・社会正義の実現を謳うのであれば自分たちの特権意識にもっと敏感であるべきだ。
August 24th, 2010 by Rion



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よくフリーミアムがどんな場合にうまくいくのかと聞かれるのでタイムリーな記事のご紹介:
Why Free Plans Don’t Work
None of these changes had a significant impact. The only thing that seemed to be consistent about my growth was that my revenue was relatively flat while my user base kept growing.
BidsketchというSaaSアプリケーションの開発者が自身のフリーミアム体験を語っている。フリーバージョンの提供によって当初多くのユーザーが有料サービスを購入したものの、すぐに有料の割合は1%に落ち込み、アップグレード率も0.8%に留まったそうだ。

有料のユーザーが増えなくても、サービス提供の費用やサポートの費用はかさむため利益は圧迫される。結局、無料版の提供を取りやめることで有料ユーザーを増やしたそうだ。


フリーミアムに対する揺り戻しは広がっている。上は37signalsが提供するBasecampの価格表だ。フリーバージョンは存在するものの非常に目立たない場所に移っている。
このような流れはフリーミアムが何故機能するのかを考えれば不思議なことではない。フリーミアムの効用は
- ユーザー数が増えることで製品の魅力が上がり(外部性)、有料アカウントにより多くチャージできる
- 製品の価値が分かっていない製品を使ってもらう
- 無料であることで製品が口コミで広まる
といったところにある。しかし、これら全てがフリーミアムに特有なものではない。2はトライアルバージョンで十分に対応できる。使ってみた結果としてサービスの価値を(費用以上だと)認識していないユーザーを引き止める理由はないからだ。上の例でトライアルが全面に押し出されているのはこれが理由だろう。3についても無料である必要はない。本当に価値があれば有料のものでも人に勧めることはありうるし、口コミを狙うならアフィリエイト・リファラルを用いるほうが効率的だ。Dropboxなどでは紹介で自分のサービスを追加することできる。フリーミアムが一般化しているなかで無料であることそれ自体のニュース性は皆無だ。
では1の外部性がうまくいくための条件は(外部性が存在すること以外に)何があるだろうか。次のようなものが考えられる。
- 追加的なサービス提供費用(限界費用)が小さい:ユーザーが増えることで費用が増えてしまっては外部効果が相殺されてしまう。
- 使い方が(想定ユーザーにとって)簡単である:1と重なるが、使い方が難しいソフトはサポートの費用がかかるのでフリーミアムに向かない。また習得が困難ということは製品自体が無料であってもユーザーにとっては労力という費用が発生する。使い方を覚えるのに百時間かかるソフトを使うかどうかを製品が無料かどうかで決める人は少ない(そういう人はどちらにしろ有料版を利用しない)。
- 機能がモジュラー形式になっている:無料版はそれ自体として有用でなければならない一方、有料版専用の機能を提供する必要がある。これは追加機能という形でなくても従量課金という形でもよい。
フリーミアムもプライシングの一種であり、需要のあり方=ユーザーの行動をよく読んだ上で設定する必要がある。なんとなくフリー版も提供してみたではうまくいかないのはしょうがないことだろう。
August 20th, 2010 by Rion



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下らないニュースだけどあまりにも酷いのでここでも突っ込み。
「電子教科書」巡りホットな論争 子どもの人格形成ゆがめるか
「学校教育のデジタル化 子どもの人格形成を阻害」
電子教科書を含む教育現場でのIT活用が人格形成を阻害するなどと言っている人がいるそうだ。もちろん意味不明だ。教科書をデジタルにすると人格が変わるなら、教科書をあまり使わないで説明する先生は生徒の人格を崩壊させているというところか。
「ついに学校でまで、かけがえのない人間形成期の子どもたちが多くの時間を電子機器とばかり向き合う時代になった時、ゲーム感覚そのままに、自己中心で勝ち抜くことばかりを考える人間を生み出すことにならないか、今こそ教育現場で議論すべきだ」
ちなみに現在は、子供たちは多くの時間をインクのついた紙とばかり向き合っているわけだがそっちは問題ないのだろうか。それ以前に、そんなに教科書を読む子供はいるのだろうか、若者の本離れはどうしたのだろう。また、電子機器=ゲーム感覚=自己中心という発想はなかなか面白い。ろくに触ったことがないことがありありと窺える。
電子端末が配布されることを「教育の公共事業化とさえいえる」などと指摘した上で
ともあるが、教育はもとからほぼ公共事業みたいなものだろう。完全に税金が入っていないところはほとんどないし、紙の教科書の流通が競争的だという話は聞いたことがない。
「教育とはコミュニケーション能力や想像力を高めることです。電子教科書は検索で答えを引き出す事が出来、自己完結型になってしまいます。今の教育のまま電子教科書を導入すると教育の欠陥が助長される事になってしまいます」
ジャーナリストの田原総一朗氏は上のように主張されているそうだが、これはよくあるあやしい論法だ。まず教育といった曖昧な概念について何となく合ってそうな定義を与える。そして、対象がその定義に照らしてマイナスの効果があるので問題だと論じる。多くの人は最初の概念の定義を深く考えないので、成程、となるわけだ。しかし、代わりに「教育とは一人で生きていく能力を高めることだ」と定義すれば、一人で答えを引き出せる素晴らしいツールだということになる。曖昧な概念について自説を通すには有用なテクニックだ。
August 18th, 2010 by Rion



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Androidが拡大していく中で問題点も指摘されている:
自由過ぎるAndroidがユーザーに敬遠され始めてる? 悲劇のガラケー化する懸念まで噴出中…
一言で表現するならば、いま市場で次々と発売されているAndroidケータイをめぐる共通の問題は、マルウェアならぬブロートウェア(Bloatware)の大量インストールにありますよ。
マルウェアとブロートウェアは全然違うとかいう突っ込みは置いておくとして(あと妙に訳が緩い?)、Android携帯の問題はプリインストールソフトウェアが増えていることだそうだ。
さまざまな音楽サービスやコミュニケーションソフトなんかを搭載して、かえって多くのユーザーが使わない機能ばかりで膨れ上がった携帯電話の新モデルが次から次へと販売される事態を招きました。
これは以前の携帯において専用ソフトウェアが大量に搭載されていたのを思い起こさせる。日本の多くの携帯にも該当する。
ここで判断を誤ると、かえって消費者がキャリアから離れていく逆効果になってしまうでしょうね。
しかし、この問題がAndroidに大きなダメージを与えるかというそういうことはないだろう。確かにブロートウェアを嫌う消費者はその携帯メーカーやキャリアから離れていくかもしれないが、必ずしもAndroidから離れていくとは限らない。
プリインストールソフトウェアの問題は過去Windows搭載マシンにおいても存在した。購入したマシーンに大量のソフトがインストールされていて、簡単に消去することすらできなかった。特に日本メーカーの製品に多かったように思われる。しかし、このことがMicrosoftにとって不都合であったかとそういうことはない。プリインストールを歓迎するユーザーが例えばVaioを買って、嫌うユーザーがDellを買ったとしてもOSを売る企業にとってはどちらでもよい。Windows用ソフトウェアを開発する企業にとっても関係ない。
もちろんプリインストールを嫌うユーザーの一部はiPhoneへと移るかもしれないが、そういうユーザーが多数存在するならプリインストールのないAndroid携帯を発売する企業が出てくるだろう。
ほとんど音声通話でも儲からない携帯電話キャリアにとっては、本当に売上げの確保が頭の痛い問題なんでしょうね…
プラットフォームを提供する企業にとって顧客は最終消費者だけではない。GoogleにとってAndroidの「顧客」は携帯の利用者、携帯の製造業者、携帯電話キャリア、Android向けの開発者全てだ。まずはオープンな環境で開発者を、無料提供で製造業者を、プリインストールによる高収益性でキャリアを寄せ付けていくというのは理にかなっている。ソフトウェアと搭載機が増えていくことで消費者にとっての価値が上がっていくのだ。
August 16th, 2010 by Rion



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世間を騒がした日航の破綻の責任はどこにあるのか。
日航破綻「歴代経営者の不作為が要因」 調査委が結論
日本航空の破綻(はたん)原因を調べている同社の独立機関「コンプライアンス(法令順守)調査委員会」(委員長・才口千晴元最高裁判事)が、「(重大な事態に対する)歴代経営者の不作為が要因で破綻した」との結論を出したことがわかった。ただ、刑事と民事の両面での法的責任を問うのは難しいと判断した。
日航の独立機関が破綻原因を調査したそうだ。コンプライアンスを謳い元最高裁判事を長に据えているということで単なる原因究明が目的ではなく、実際に責任を追求するのが目的だろう。その意味で法的責任を問うのが難しいという結論は失敗と言える。
調査委は報告書で、歴代経営陣の経営判断の欠如や危機意識のなさを厳しく指弾。…長年に及ぶ日航の問題が、外部専門家によって改めて浮き彫りにされる。
実際の報告書がどこまで詳細なものかは知らないが、こんな問題点は「外部専門家」でなくても分かる話だし、そもそもコンプライアンス委員会はそういった経営問題の専門家でもないだろう。
このような経営判断の間違い・不作為で法的責任を問うのが難しいのは自然だ。結果が出ないからといって一々責任を追求されるのではリスクのある行動は取れないし、それは株主にも都合が悪い。
また、テロや金融危機、新型肺炎のSARSなどで乗客が減って財政的な危機が生じたのに、緊急融資でその場をしのぐだけで、大胆なリストラなどをして財務体質を改善することを先送りした点も指摘。歴代の経営者が、こうした問題を抜本的に解決しようとしないまま放置し続けたことが経営破綻につながったと結論づけた。
また、テロや金融危機・SARSがあったのは昨日のことではない。株主はパフォーマンスの低い経営者の首を斬る人事権を持っているわけで、問題を抜本的に解決しようとしないまま放置し続けたのは株主も同じだろう。
もちろん少数意見は反映されないが、誰も日航の株主でなければいけないと強制しているわけではないので、それで被害を被ったとは言えない(最初から価格に織り込まれている)。
さらに、問題の背景として、「ナショナル・フラッグ・キャリア」(国家を代表する航空会社)という「おごり」があったと分析。「誰かが助けてくれる」といった無責任体質につながったとみている。
これもまた、経営者にだけ当てはまるものではない。従業員や株主を含めたほとんどのステークホルダーが大丈夫だろうと思い込んで行動した結果が日航破綻だ。それが実際に破綻した今、そのつけを誰が払うべきかという話で揉めてるという構図だろう。最大の被害者は物言わぬ一般納税者だ。
ではこのような「無責任体質」を作ったのは誰か。それは政治・行政だろう。航空会社同士が競争する環境を整えず、コントロールしようとしたことが「誰か(=政府)が助けてくれる」という期待を生んだのではないだろうか。