<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>rionaoki.net &#187; ブログ</title>
	<atom:link href="http://rionaoki.net/tag/blog/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://rionaoki.net</link>
	<description></description>
	<lastBuildDate>Fri, 09 Sep 2011 17:02:46 +0000</lastBuildDate>
	<language>en</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>http://wordpress.org/?v=3.3.2</generator>
		<item>
		<title>教養教育の終わり</title>
		<link>http://rionaoki.net/2010/01/2925</link>
		<comments>http://rionaoki.net/2010/01/2925#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 25 Jan 2010 06:37:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Rion</dc:creator>
				<category><![CDATA[Regular Posts]]></category>
		<category><![CDATA[キャリア]]></category>
		<category><![CDATA[シグナリング]]></category>
		<category><![CDATA[ソーシャルメディア]]></category>
		<category><![CDATA[ブログ]]></category>
		<category><![CDATA[教育]]></category>
		<category><![CDATA[教養]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://rionaoki.net/?p=2925</guid>
		<description><![CDATA[学位の価値は落ちる一方だ。授業料の高いアメリカでは、一足先に価格に見合う価値があるのかという疑いが広がっている。 How to manage a college education &#124; Penelope Trunk&#8 &#8230; <a href="http://rionaoki.net/2010/01/2925">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>学位の価値は落ちる一方だ。授業料の高いアメリカでは、一足先に価格に見合う価値があるのかという疑いが広がっている。</p>
<p><a href="http://blog.penelopetrunk.com/2010/01/21/how-to-manage-a-college-education/?utm_source=feedburner&amp;utm_medium=feed&amp;utm_campaign=Feed%3A+BrazenCareerist+%28Brazen+Careerist+-+by+Penelope+Trunk%29">How to manage a college education | Penelope Trunk&#8217;s Brazen Careerist</a></p>
<p>大学の機能は主に二つある。一つは実際の学習、もう一つは能力を示すという意味でのシグナリングだ。</p>
<blockquote><p>The idea of paying for a liberal arts education is over. It is elitist and a rip off and the Internet has democratized access to information and communication skills to the point that paying $30K a year to get them is insane.</p></blockquote>
<p>しかし、<strong>教養教育を受ける場所としての大学の機能は消滅の瀬戸際だ</strong>。いまや多くの学問分野は自学自習が可能だ。インターネットにはリソースが溢れているし、勉強したい者同士集まることも可能だろう（そういう場所をもっと作れればよいとは思う）。そもそも現在の大学生のどれだけが「教養」を身につけているかだって疑わしい。</p>
<p>経済学にしたって社会人として必要なレベルの学習に大学という（機会費用を含めた）莫大な投資が必要だとは到底思えない。本当の<strong>専門教育以外、大学で勉強する必要は見つからない</strong>。そして、それだけの教育が社会的に必要な人間の数は現在大学に通う学生の数より遥かに少ないのではないだろうか。</p>
<p>これは<strong>教養教育の価値を否定するものではない</strong>。私自身、教養学部に四年間も在籍したし、文理問わず色々なことを勉強した。しかし、<strong>大学がなければ出来ないことではなかったし、大学で他の専攻にいたとしても同時に勉強することは出来た</strong>だろう。しかも私は<strong>教育の真の社会的費用を負担していたわけではない</strong>。国立大学の費用の多くは税金によりカバーされている。本当の費用を負担してなお、教養教育に何年間もかけようという人はどれくらいいるのだろう。</p>
<p>しばらく前にWillyさんが<a href="http://wofwof.blog60.fc2.com/blog-entry-244.html">教養教育に関するポスト</a>を書かれていた。そこでは次のような一節がある。</p>
<blockquote><p>これに対するレスは様々だが「教養賛成派」からは、<br />
「意味がないからこそ面白い」<br />
「教養こそが人間の価値」<br />
といった、私からすれば驚愕の意見が並べられている。</p></blockquote>
<p>教養学部卒の私としては耳の痛い話だが、こういった反論は間違っている。「意味が無いからこそ面白い」、「教養こそが人間の価値」だとしても、それを大学でやらなければならない理由にはならないし、それほど価値があるなら政府の支援は必要ないはずだ。教養がある市民が多いことが社会にとってプラスだという議論は可能だろうが、それなら一部の人間に限られた大学教育ではなく、幅広い教育にお金をかけるべきだ。私は、<strong>教養教育の価値が下がっているのは事実であって、それに反対するのは自分の教育の価値が下がることに対する反感に過ぎない</strong>と思う。</p>
<blockquote><p>Ben Casnocha has one of the most thorough, self-examined discussions about the value of college on his blog. He went to college, probably, because so many people told him to.<br />
Ben left college. Early. And he’s fascinating, and he’s educating himself through experience, which is what the Internet does not provide. The Internet provides books and discussion, so why would you need to go to school for those things?</p></blockquote>
<p>それどころが大学に行くことの価値自体への疑いもある。これは大学へ通う人間のほとんどが「専門」教育を受けるつもりではないことからして明らかだろう。私は上に挙げられているBen Casnochaの本もブログも読んでいるが、非常に洞察に富んでいる。<strong>教養が不必要なのではなく、教養のための大学が必要なくなっているのだ</strong>。これは「教養学部」や「リベラルアーツ大学」のことだけを指しているのではない。本当の専門教育を受けている学生の少ない（ほぼ全ての）大学に当てはまる。</p>
<p>また、この例は<strong>大学のもう一つの機能であるシグナリングもまた崩壊しつつある</strong>ことを示している。大学入試に簡単になることによる<a href="http://agora-web.jp/archives/900497.html">学歴自体のインフレ</a>もあるが、もう一つの脅威は<strong>他のシグナリングデバイスの登場だ</strong>。今の時代、<strong>若者が自分の能力を示す方法はいい大学にいく以外にもいくらでもある</strong>。事業を自分で始めるのもそのひとつだろうし、様々な話題についてブログを書くこともそうだ。大学のシグナリング効果が一朝一夕になくなることはないだろうが、どれだけの費用・苦労を支払う価値があるかという観点で評価すれば大学の価値は薄らいでいる。</p>
<blockquote><p>Students today don’t need teachers who don’t know how to write a blog post to teach them how to persuade people. Because the bar for communication is high, and it’s in the blogosphere, and if you can write a blog post that gets a decent conversation started, then you already know how to write a persuasive, engaging argument.</p></blockquote>
<p>また<strong>教養教育の最も重要な要素の一つは論旨の一貫した説得力のある文章を書く能力だが、それはむしろブログを書いて人に読んでもらうことによって大学のクラスよりも効果的に身につく</strong>。先生からいい成績をもらう努力をするよりも、実際に読者になってもらう方が余程効率的だ。先生は仕事なのでどんな文章でも読んでくれるが、ネットで長い文章を読んでもらうためには事前にそれなりの価値があるという信用・評判を築く必要がある。どちらが難しいかは明らかだろう。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://rionaoki.net/2010/01/2925/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>30</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>Twitterでは「つぶやく」な</title>
		<link>http://rionaoki.net/2010/01/2789</link>
		<comments>http://rionaoki.net/2010/01/2789#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 20 Jan 2010 01:23:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Rion</dc:creator>
				<category><![CDATA[Regular Posts]]></category>
		<category><![CDATA[Facebook]]></category>
		<category><![CDATA[Mixi]]></category>
		<category><![CDATA[SNS]]></category>
		<category><![CDATA[Twitter]]></category>
		<category><![CDATA[ブログ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://rionaoki.net/?p=2789</guid>
		<description><![CDATA[注意：Twitterの仕組みに関する記事なので利用したことのない人には分かりにくいかもしれません。とても良くできた仕組みなので、ぜひ利用されることをお勧めします。よろしければフォローください。 最近、「Twitterを「 &#8230; <a href="http://rionaoki.net/2010/01/2789">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><em>注意：Twitterの仕組みに関する記事なので利用したことのない人には分かりにくいかもしれません。とても良くできた仕組みなので、ぜひ利用されることをお勧めします。<a href="http://twitter.com/rionaoki">よろしければフォローください</a>。</em></p>
<p>最近、「<a href="http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20100115/212210/">Twitterを「つぶやき」と翻訳した罪</a>」なんて記事を読んだ。記事中には次のように「つぶやき」という訳の問題が指摘されている：</p>
<blockquote><p>「140文字限定」、「つぶやき」、「フォロワーにのみ伝える」。こうしたキーワードだけで判断すると、いかにも閉じた空間の自己満足的なツールにしか見えない。</p></blockquote>
<p>これは確かに残念なことだ。何故なら<strong>TwitterがFacebookやMixiのようなSNSと異なる点がまさにその開放性にある</strong>からだ。Twitterも元々はFacebookにおけるステータス更新をSMSで行う仕組みだった（参考：<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Twitter">Wikipedia</a>）。Twitterのオフィシャルサイトでの質問が&#8221;What are You Doing?&#8221;だったことがそれを象徴している。</p>
<p>ではTwitterがFacebookのステータス更新やMixiの日記と違うのは何か。それは<strong>Twitterの仕組みの根底にある一方向性</strong>だ。従来のSNSでは友達になるためには相手の承認が必要だ。昔の友達を発見したり、最近会った人を見つけたりするのには役立つが、あくまで既存の人間関係を補完するものに過ぎない。見ず知らずの人間が友達リストにたくさんいる人は少ないだろう。それはまさに「友達」リストなのだ。</p>
<p>逆にTwitterにおける「フォロワー」は一方向的な概念だ。相互にフォローすれば「友達」と変わらない状況になるが、最初は常に一方通行で始まる。例え現実に友達同士だったとしてもどちらかがフォローを始めるのには変わりない。こ<strong>の一方的にフォローし始めるのがデフォルトという仕組みがTwitterの革新的なところだ</strong>。</p>
<p>まず私が誰かをフォローし始める場合を考えよう。これはFacebookやMixiではまずうまくいかないがTwitterではごく自然なことだ（だからTwitterがSNSと何が違うかを知りたければまず一方的にいろんな人をフォローしてみよう）。この状態ではフォローした相手のTweetが自分のタイムライン（TL）に表示されるだけでブログをブックマークしたりRSSで購読しているのと大差ない。しかし、ここから相手に@でメッセージを送ったり、Retweetで相手のTweetにコメントすることが可能だ。<strong>意味のあるコメントをすれば相手がフォローし返すこともあり、何の関係もなかった人間と「友達」になることができる</strong>。相手は決まっているのでこれは「つぶやき」でも「フォロワーにのみ伝える」でもない。しかし<strong>この特性を生かすためには、できるだけ有益なコメントをする必要がある</strong>。</p>
<p>逆に自分が誰かほかの人にフォローされるのはどんな場合か。それは自分のTweetに価値がある場合だ。現実の友達であれば朝何を食べたかにだって興味があるかもしれない。しかし、既に有名人でもなければ見ず知らずの人間があなたのごく普通の日常に興味を持っていることはない。<strong>他人にフォローしてもらうためには、なるべく有益な情報や興味深い議論を提供する必要がある</strong>。しかも、Twitterは多くのネット上のシステム同様にストリーム型のコンテンツであり、紙媒体とは異なりぱっとみて取捨選択するには一工夫（リスト・フィルター・ボットなど）が必要だ。<strong>ストリームの価値を上げるにはノイズ比を下げる必要があり、それは大した意味のない「つぶやき」をしないことを意味する</strong>。</p>
<p>これらの特徴はブログにもそのまま当てはまり、Twitterがミニブログ（microblogging）に区分されるのも頷ける。<strong>旧来のブログと異なるのは、情報の送り手・受け手という関係が固定的でないこととリアルタイムであることだ</strong>。ブログでもコメント欄などを通じて読者と交流することは可能だが、相手もブログを持っていない限りやりとりは限定的だし、常に非同期な形でしかない。<strong>Twitterはその交流を自然な形で拡げることができるという点で、ブログを書いている人にとってコメント欄を代替する必要不可欠なチャンネルになりつつある</strong>（TopsyのようなTwitterのアグリゲーターが役に立つ）。</p>
<p>先ほど、MixiやFacebookについて「既存の人間関係を補完するもの」と述べた。これは別の見方をすれば非常に不自然なシステムだ。<strong>現実の人間関係は常に新しい可能性へと開かれている</strong>。その意味で<strong>Twitterは「既存の人間関係の在り方をネット上で再現するもの」と言えるかもしれない</strong>。</p>
<p>ちなみに、相互にフォローしあっている、つまり「友達」状態の場合には@でやりとりすることで、両者をフォローしている人以外のTLにはTweetが表示されなくなる。これにより、そのやりとりに関係ない人に対しての自分のストリームの価値を下げないで済むし、既存の友達との間のインスタント・メッセンジャーとしての役割も果たせる。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://rionaoki.net/2010/01/2789/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>23</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>剽窃の検証</title>
		<link>http://rionaoki.net/2009/12/2382</link>
		<comments>http://rionaoki.net/2009/12/2382#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 24 Dec 2009 10:49:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Rion</dc:creator>
				<category><![CDATA[Regular Posts]]></category>
		<category><![CDATA[ブログ]]></category>
		<category><![CDATA[剽窃]]></category>
		<category><![CDATA[知的財産]]></category>
		<category><![CDATA[著作権]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://rionaoki.net/?p=2382</guid>
		<description><![CDATA[Tweetやはてなブックマークお願いします。 問題のエントリーは保存してありますが著作権の問題があるかもしれないので公開していません。以下に引用してあるほぼ丸写しの部分で元記事の八割以上です。 追記：現在までの経緯 剽窃 &#8230; <a href="http://rionaoki.net/2009/12/2382">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong><span style="color: #ff0000;">Tweetやはてなブックマークお願いします。</span></strong></p>
<p><strong>問題のエントリーは保存してありますが著作権の問題があるかもしれないので公開していません。以下に引用してあるほぼ丸写しの部分で元記事の八割以上です。</strong></p>
<h3>追記：現在までの経緯</h3>
<ol>
<li><strong>剽窃行為が行われる</strong></li>
<li><strong>アクセス解析で発覚、相手ブログのコメント欄で抗議、本検証記事の執筆</strong></li>
<li><strong>ご本人から<a href="http://rionaoki.net/2009/12/2382/comment-page-1#comment-1118">コメント</a>あり。参照先の訂正だけが行われるが、相変わらず盗作状態は続く</strong></li>
<li><strong>こちらは、記事の削除ではなく、適切な引用および剽窃行為があったのことの明示を求める（本ブログおよび相手ブログのコメント欄）</strong></li>
<li><strong>対応がなされないまま一日経過。その間にも相手ブログは更新される</strong></li>
<li><strong>誠意がみられないので、要求を当該ポストの削除および謝罪の掲示に切り替える</strong></li>
<li><strong>再びご本人からコメントがあり、当該ポストの削除のみが行われる</strong></li>
<li><strong>現在：事実関係の説明および謝罪ポストを要求中</strong></li>
</ol>
<p><strong>最初のコメントでは：</strong></p>
<blockquote><p>気を悪くされたみたいで申し訳ありませんでした。LINKについては即刻、訂正させていただきました。私は以下の信条でサイトを運営しております。</p>
<p><a rel="nofollow" href="http://d.hatena.ne.jp/keitaro2272/20091107/1257543330">http://d.hatena.ne.jp/keitaro2272/20091107/1257543330</a></p>
<p>お気に召さないようでしたら、即刻記事を削除いたします。</p>
<p>追伸：他記事において参考にさせていただいた様々なブログ主様とは記事のリライト等を通じて交流させていただいています。できれば、rionaoki様とも交流を継続していきたいと考えております。厚顔無恥を重ねてお許しください。</p></blockquote>
<p><strong>とあるが、剽窃行為を自分の信条として正当化、単なる盗作を記事のリライトを通じた交流（！）と称している。二回目のコメントでは、</strong></p>
<blockquote><p>手前の都合上、返信が遅れてしまいました。思想の違いは乗り越えられそうにありませんので、元記事は削除したいと思います。ご迷惑をおかけしました。そして、当ブログとは今後リンクを貼らないことを約束いたします。まことに申し訳ありませんでした、</p></blockquote>
<p><strong>剽窃行為の指摘をまたも思想の違いと主張している。剽窃行為は剽窃行為であって、他人の文章をあたかも自分が書いたように見せ掛けることは正当化できないことだ。当該エントリーは削除されているが、既にそれを読んで彼が執筆したと勘違いした読者は多数いると考えられ、引き続き事実関係の明示並びに謝罪の記事掲載を求めていく次第である。</strong></p>
<h3>検証<strong><br />
</strong></h3>
<p>まるで自分が書いたのでは錯覚するほどに、自分のエントリーとそっくりな文章を発見した。事実関係としては、</p>
<ul>
<li><a title="ビジネスをしてお金を稼いで社会のためになろう" href="http://rionaoki.net/2009/12/2130">ビジネスをしてお金を稼いで社会のためになろう</a>（12/11）に酷似した記事、<a href="http://d.hatena.ne.jp/keitaro2272/20091224/1261605027">「金儲け＝悪」という方程式は成り立つか</a>（12/24）が公開されている</li>
<li>記事中には参考記事の最後に<a title="「金儲け＝悪」の話を絵で説明してみる" href="http://rionaoki.net/2009/12/2169">「金儲け＝悪」の話を絵で説明してみる</a>へのリンクはあるが、<a title="ビジネスをしてお金を稼いで社会のためになろう" href="http://rionaoki.net/2009/12/2130">ビジネスをしてお金を稼いで社会のためになろう</a>へのリンクはない</li>
<li>これは本質的な問題ではないが、どちらの記事へもトラックバックはない（アクセスログのリファラーで気付いた）</li>
<li>当該記事（<a href="http://d.hatena.ne.jp/keitaro2272/20091224/1261605027">「金儲け＝悪」という方程式は成り立つか</a>）中で私の記事どちらからも引用はない</li>
<li>私の（参照されていない）記事と当該記事との類似性は結果として似たというレベルではない</li>
</ul>
<p>問題は以下だ：</p>
<ul>
<li>参照した文章を明示する必要がある（リンクが不適切）</li>
<li>引用であることを明示する必要がある（引用になってない）</li>
<li>改変して自分の文章とすることは許されない</li>
</ul>
<p>これは学術的には当たり前のことだし、著作権上も黒だろう。検証を行っても新しい文章がこの世に出るわけでもなく時間の無駄であるが剽窃と言わざるをえないのでここで明らかにしたい。悪気はないという可能性もあるが、この程度のことはレポートを一度でも書いたことがあれば分かることだ。</p>
<p>二つの文章を読めば明らかだが、以下、二つの記事がどれほど酷似しているかを順に検証する。当該記事からの引用と私の（リンクされていない）記事からの引用を対比していく。わかりやすいように後者はイタリックとする。</p>
<p><a href="http://d.hatena.ne.jp/keitaro2272/20091224/1261605027">「金儲け＝悪」という方程式は成り立つか &#8211; keitaro-news</a></p>
<blockquote><p><strong>そもそも『金儲け』するためにはいったいどうすればいいのでしょうか</strong>。簡単な金儲けの例を挙げますと『お客に商品やサービスを提供して代金を支払ってもらう』ことです。その商品やサービスが1000円だったとすれば、原価を除いた部分に利益がでます。これが儲けになります。<strong>別に強制しているわけではないので</strong>、これは<strong>お客様が望んだこと</strong>です。お客は商品を手にして満足する。売った方も儲けが出て満足します。誰も損していないのです。</p></blockquote>
<blockquote><p><em><strong>お金を稼ぐとはどういうことだろう</strong>。例えば、レストランであればお客さんに食事を提供することだ。客はお金を払って＝他の消費を犠牲にして食事を注文している。<strong>別に強制しているわけではないので</strong>これは<strong>客にとって望ましい</strong>ことなはずだ。その食事は1000円だっとする。レストランはそれを1000円で自分から提供しているのだからそれで利益がでるはずだ。二人が自発的に取引を行っているということはそれが二人にとって望ましいということだ。</em></p></blockquote>
<p>文章の構成及び内容は同一だ。1000円という数値例も一致している。強制の有無に関する指摘も同じだ。</p>
<blockquote><p>商売の本質は社会をうまく回すシステムにあります。商品を作ることが出来る人と商品が欲しい人を結びつけるのです。商売は価値を生みだし、それを交換することで成立します。<strong>ビジネスが基本的には価値を作り出す＝社会を豊かにすることは明らか</strong>です。</p></blockquote>
<blockquote><p><em>解消する非効率が全体のパイで、利益はその分け前だ。ないパイは分けられないので、<strong>ビジネスが基本的にはパイを作り出す＝社会をよくするものなのは明らか</strong>だろう。</em></p></blockquote>
<p>「パイ」が「価値」に、「よくする」が「豊かにする」になっているだけだ。</p>
<blockquote><p><strong>金儲けの一番簡単な方法は人々に望まれていることをすること</strong></p></blockquote>
<blockquote><p><em><strong>お金を稼ぐ一番簡単な方法は人々に望まれていることをすること </strong></em></p></blockquote>
<p>「お金を稼ぐ」が「金儲け」になっただけだ。</p>
<blockquote><p>相手を騙して利益を得るようなことがあれば、それは犯罪となります。<strong>取引を強制するようなことはほとんどの場合が犯罪となります</strong>。<strong>強制的に物品を奪い取るのは強盗であり、金をだまし取るのは詐欺です</strong>。<strong>これらの行為は何も生産しないどころか、その過程で暴力のような価値自体を破壊します</strong>。また、社会を崩壊させるような麻薬取引や武器の密売などの商売も同様です。</p></blockquote>
<blockquote><p><em>レストランの話は客が自発的に食事を注文していることが前提だ。もしレストランがぼったくりだったら、悪いことだろう。しかし、ぼったくりが犯罪であるように、<strong>取引を強制することはほとんどの場合に犯罪となる</strong>。これは偶然ではない。自発的でない取引は一般に望ましくないので、それを犯罪としているのだ。<strong>強制的に物品を奪い取るのは強盗であり、金をだまし取るのは詐欺だ</strong>。<strong>これらの行為は何も生産しないどころか、その過程で暴力のようなパイ自体を壊す行動を伴う</strong>。</em></p></blockquote>
<p>取引を強制することが犯罪になるという箇所や、強盗や詐欺への言及、まとめに至るまで「パイ」＝「価値」のような言い換えがある程度でほぼ同じだ。</p>
<blockquote><p><strong>社会的に望ましくない商売は、割に合わないように社会で設計されている</strong>（していく）のです。犯罪に至りませんが、社会的に公平を保てない商品やサービスには高い税金が課されています。タバコや酒などは完全に禁止して取り締まるコストを支払うよりも、<strong>税金で適当なバランスをとったほうが社会を回すのに効率が良い</strong>からです。</p></blockquote>
<blockquote><p><em>だからそれは違法とされており、<strong>社会的に望ましくないビジネスは割に合わないように社会は作られている</strong>。犯罪にするほどではない場合には税金が課される。例えばタバコを吸うことは本人にとってはプラスなので完全に禁止するよりも<strong>税金で適当なバランスをとったほうがいい</strong>からだ。</em></p></blockquote>
<p>最初の一文は「ビジネス」が「商売」に、「作られている」が「設計されている」になっているだけだ。タバコへの税金の箇所も同じだ。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://rionaoki.net/2009/12/2382/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>14</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>どうやって毎日ブログを更新するか</title>
		<link>http://rionaoki.net/2009/12/2225</link>
		<comments>http://rionaoki.net/2009/12/2225#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 15 Dec 2009 22:57:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Rion</dc:creator>
				<category><![CDATA[Regular Posts]]></category>
		<category><![CDATA[Twitter]]></category>
		<category><![CDATA[ブログ]]></category>
		<category><![CDATA[心理学]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://rionaoki.net/?p=2225</guid>
		<description><![CDATA[最近、TwitterやTumblrを使っていてブログの更新が止まったという人が多い（参考：Twitterとイノベーション）。どうやって毎日ブログを更新すればいいのか、という話もよく聞く。 この問いへの答えは実はとても簡単 &#8230; <a href="http://rionaoki.net/2009/12/2225">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>最近、TwitterやTumblrを使っていてブログの更新が止まったという人が多い（参考：<a href="../2009/11/1600">Twitterとイノベーション</a>）。どうやって毎日ブログを更新すればいいのか、という話もよく聞く。</p>
<p>この問いへの答えは実はとても簡単だ。ブログの更新を違う作業に置き換えてみればすぐに分かる。例えばこうだ：</p>
<blockquote><p>どうやって毎朝仕事に行けばいいか</p></blockquote>
<p>そんなことは世の中のほとんど人が毎日ちゃんと達成している。目覚ましを掛ければいいだけだ。毎日20km走るというなら物理制約もあり簡単ではないが、ブログを書くというのはそんなに難しいことではない。</p>
<p><strong>毎日ブログを書こうと思っているのにそれができないのは、目的意識が薄いという問題の一つの帰結に過ぎない</strong>。それを解決せずして、頑張って更新頻度を挙げてもろくなことにはならないだろう。全然仕事にやる気がない人が毎日二日酔いで家族に無理やり起こしてもらって仕事へ出かけても誰のためにならないのと同じだ。だから「毎日更新したいんだけど…」とか「書くことがなくて…」とか言っているブログはどれもつまらないのだ。</p>
<p><strong>思ったとおりに運営できていないブログはどれも目的意識がないから内容が薄い</strong>。もちろん、目的がはっきりしていればいいのだから毎日でなくても思い通りのペースで更新されているならそれでいい。しかしはっきりとした目標があれば毎日のように更新されていたとしても不思議はない。</p>
<p>逆に面白いポストを見つけると、そのブログは毎日のように更新されていることが多い。どうやってそんなポストを毎日書くのかと思ってしまいがちだが、それは偶然ではない。<strong>面白いブログはきちんとした目的を持っているブログで、それゆえに毎日更新されるだけだ</strong>。<strong>目的意識があるがゆえにその内容にも統一性がある</strong>。互いに関係のないポストが並んでいるブログは更新が途絶えがちのブログ同様に内容に乏しいことがほとんどだ（注）。</p>
<p>もちろんブログは仕事じゃないという人もいるだろう。</p>
<blockquote><p>どうやって毎回ヨガのクラスにいけばいいか</p></blockquote>
<p>この場合、本当の問題は毎回出席できるかどうかではなくて、そもそもそんなクラスに毎回行く必要があるのかということだ。<strong>目的がないのなら毎日更新できるか悩む必要はないし、目的があるのならそんなことで悩むこと自体ないはずだ</strong>。<strong>どっちつかずだからいけないのだ</strong>。</p>
<p>（注）芸能人などのブログは一見乱雑でも、目的が本人の生活をコアなファンにみせることなのであり、その点で一貫している。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://rionaoki.net/2009/12/2225/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>3</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>なぜ誰もあなたのブログを読んでくれないか</title>
		<link>http://rionaoki.net/2009/11/1734</link>
		<comments>http://rionaoki.net/2009/11/1734#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 21 Nov 2009 21:36:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Rion</dc:creator>
				<category><![CDATA[Regular Posts]]></category>
		<category><![CDATA[ジャーナリズム]]></category>
		<category><![CDATA[ブログ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://rionaoki.net/?p=1734</guid>
		<description><![CDATA[もしくはブログとジャーナリズムの違いについて。よくできた例えがあったので紹介しよう： Why Nobody Cares About Your Blog If I walked into a crowded mall, w &#8230; <a href="http://rionaoki.net/2009/11/1734">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>もしくはブログとジャーナリズムの違いについて。よくできた例えがあったので紹介しよう：</p>
<p><a href="http://www.problogger.net/archives/2009/11/22/why-nobody-cares-about-your-blog/?utm_source=feedburner&amp;utm_medium=feed&amp;utm_campaign=Feed%3A+ProbloggerHelpingBloggersEarnMoney+%28ProBlogger%3A+Helping+Bloggers+Earn+Money%29">Why Nobody Cares About Your Blog</a></p>
<blockquote><p>If I walked into a crowded mall, went into the food court, stood there in the middle of it and just started talking, what do you think would happen?</p></blockquote>
<p>混雑しているフードコートの真ん中に立ってしゃべり始める。どうなると思うか？</p>
<blockquote><p>Most people wouldn’t see me. Then, a few would and they would probably think I was crazy. At the end of the day, I’ll just be that crazy guy they saw at the mall.</p></blockquote>
<p><strong>誰も自分の方を見ようとはしないし、見たとしても頭のおかしい奴だと思うだけだ</strong>。こういう人は大学のキャンパスにもよくいる。東大にもいたしバークレーにはもっといる。何かしゃべってるんだけど誰も聞いていない。</p>
<blockquote><p>Now, imagine if 90% of the people in the food court did that. They just got up and started talking into space. It would be one big din of noise. Now, all of those people want to feel as if they are famous, so they start competing and trying to out-talk the other people. The volume increases, but few are being listened to. The ones who are listened to are the ones at least saying something useful.</p></blockquote>
<p>じゃあ、フードコートにいる人間の90%が同じことを始めたとしよう。それぞれが自分は有名だと感じたがっていて、他の人間を打ち負かそうとする。<strong>声は大きくなるが誰も耳を傾けはしない</strong>。そりゃそうだ。道の真ん中で大声で議論している人がいたら目を合わせずに通り過ぎるに決まってる。<strong>立ち止まって話を聞いている人がいるのは何かよっぽど役に立つことを言っているごく少数ぐらいだろう</strong>。</p>
<p>これは非常によい例えだ。<strong>誰もが発言できるということは誰も発言する権利を独占していないことだ</strong>。市場に例えれば、<strong>旧来のジャーナリズムは独占市場で、ブログは競争市場だ</strong>。なぜ新聞社がネットに対応できないのか。それは<strong>独占企業にとっての最適戦略は競争的な市場では機能しない</strong>からだ。</p>
<p>では独占企業にとっての戦略とは何か。それは値段を上げるために供給を減らすことだ。学生が授業にくるようにプリントには全ての授業内容を載せないことだ。他に聞きにいく場所のない学生はクラスにいくしかない。</p>
<p>しかし、競争がある市場で同じことをしたら自殺行為だ。競争相手が価格を下げてシェアを奪ってしまう。競争的な市場ではいかに必要とされている財を提示し、それに応じたプレミアムをチャージするかが重要だ。単に価格を上げたら客は逃げる。</p>
<p>では企業ならどうするか。市場調査を行い人々が欲しているを調べるだろう。ブログではそれは何に対応するか。</p>
<blockquote><p>Blogging is a communications platform. Personal human relations still apply. If you just talk to yourself on your blog and hope people listen, it won’t work very well. That’s not communication.</p></blockquote>
<p>ブログはコミュニケーションのプラットフォームだという指摘がそれだろう。企業がアンケートを実施して新製品への反応を見るように、読者が何を言ってるのかに耳を傾ける必要がある。</p>
<p><strong>旧来のジャーナリズムのように勝手にしゃべって、相手が聞くのを待っていてもだめだ</strong>。<strong>殿様商売は殿様が一人しかいないからうまくいくのだ</strong>。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://rionaoki.net/2009/11/1734/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>3</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>Twitterとイノベーション</title>
		<link>http://rionaoki.net/2009/11/1600</link>
		<comments>http://rionaoki.net/2009/11/1600#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 16 Nov 2009 06:13:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Rion</dc:creator>
				<category><![CDATA[Regular Posts]]></category>
		<category><![CDATA[Twitter]]></category>
		<category><![CDATA[はてな]]></category>
		<category><![CDATA[イノベーション]]></category>
		<category><![CDATA[フォーラム]]></category>
		<category><![CDATA[ブログ]]></category>
		<category><![CDATA[数学]]></category>
		<category><![CDATA[特許]]></category>
		<category><![CDATA[知的財産]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://rionaoki.net/?p=1600</guid>
		<description><![CDATA[はてなブックマークの人気エントリーページがリファラにあったので見に行ってみたら、最近書いた記事複数に関連するエントリーがあった： 小野和俊のブログ:Twitterの危険性 はてなの伊藤さんがTwitterを使っていない挙 &#8230; <a href="http://rionaoki.net/2009/11/1600">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>はてなブックマークの人気エントリーページがリファラにあったので見に行ってみたら、最近書いた記事複数に関連するエントリーがあった：</p>
<p><a href="http://blog.livedoor.jp/lalha/archives/50276465.html">小野和俊のブログ:Twitterの危険性</a></p>
<p>はてなの伊藤さんがTwitterを使っていない挙げた理由の一つが取り上げられている：</p>
<blockquote><p>私も含めて、Twitterを始めてからブログの更新頻度が激減した、という人はかなり多いのではないかと思うが、こうした現象がなぜ起こるのかを考える と、感情が蓄積し、ある程度の時間をかけてブログのエントリを起こそうというところまでたどり着く前に、Twitterで思ったことをポロッとつぶやい て、同調したり、同情したり、コメントをくれたりする人がポツポツと現れたりしている過程で、蓄積しつつあった感情が心の蛇口から漏れてしまう、というの が最大の原因であるように思える。</p></blockquote>
<p>これは先週書いた次の二つのポストと共通する問題だ：</p>
<ul>
<li><a title="知的財産権はうまくいかない？" href="http://rionaoki.net/2009/11/1464">知的財産権はうまくいかない？</a></li>
<li><a title="オンライン数学コラボレーション" href="http://rionaoki.net/2009/11/1530">オンライン数学コラボレーション</a></li>
</ul>
<p>前者は経済学者が特許制度に書いた学術論文が題材で、後者は数学者がウェブ上で協力して研究を行うことが題材だった。これとTwitterの危険性とがどうからむのか。</p>
<p>先の<a title="A Model of Discovery" href="http://dklevine.com/papers/aea_pp09.pdf">論文</a>においてBoldrinとLevineはこう述べている：</p>
<blockquote><p>In this model, that is unambiguously bad, as scientific resources  are misallocated to industrial applications when it would be better, from a social point of view, to use them in producing more original research that would, optimally, be brought to industrial fruition somewhat later.</p></blockquote>
<p>特許が存在するために、本当ならより深く掘り進めてから最終的な成果を発表すべき研究が早すぎる段階で公表されてしまうと言う。これは、うまく特許制度を設計することで累積的なイノベーションの各段階に適切なインセンティブを与えようという一般的な文献とは相反する考え方だ。そしてこの違いがどこからくるかについて以下のように書いた：</p>
<blockquote><p><strong>知的財産権に関する経済学の問題はアイデアの実現に対して適切なインセンティブを与えることだ</strong>。よって、<strong>まずアイデアがどのように社会で生成されるかという創造的環境に関する仮定が必要になる</strong>。一つは既知の課題への解を見つけるというモデル、もう一つはアイデア自体が希少な場合だ。もちろんはこれらは両極端で実際には様々な程度がある。</p></blockquote>
<p>これは経済的問題だけにとどまらない。根底にはアイデアがどのように生まれてくるかについての二つの考え方がある：</p>
<ul>
<li><strong>アイデアは希少で、いかにそれを公開させるかが課題</strong></li>
<li><strong>アイデアは豊富で、いかにそれを実現させるかが課題</strong></li>
</ul>
<p><strong>ブレインストーミングは前者を前提にしたテクニックだ</strong>。いいアイデアを思いついた人はその場でそれを口にする。そのアイデアがよければ瞬時にまわりの人間から同調や建設的発展という心理的報酬を得る。先に引用したTwitterでつぶやくことによる感情の蓄積からの開放はこれに近い。例えば、輸入品のネット販売をしている会社が新しい商品分野の開拓を考えているとしよう。この場合社員にブレインストーミングをさせるのは適切な方法だ。商品が決まればどういう風に輸入して売るかというのは決まってくる。アイデアを出す段階でそこまで考える必要はないし、売り方を知らない人がアイデアを出しても構わない。それよりも早く公開させることで他の人が別のアイデアを思いつく材料になるかもしれない。</p>
<p>逆に<strong>建築のコンペは後者に立脚したメカニズムだ</strong>（ビジネスに関するコンペでもよい）。例えば、家族のコミュニケーションの流れを壁のスリットを使って表現した建築というアイデアがあったとしてもそれ単独ではあまり価値はない。本当に難しいのはそのアイデアをどう実現するかであってアイデアそれ自体ではない。そもそもアイデアの価値自体がそれがどう具現化されるかによって決定されるといってもよい（スリット云々は私がたった今でっちあげたものだ）。このような状況では、早い段階から参加者に討論をさせても生産的ではないだろう。そこでいくら議論を深めても最終的な形＝価値が見えないからだ。もちろんある程度のやりとりは重要だろうがその場合でも言葉ではなく例えばデッサンによるものになるだろう。</p>
<p><strong>Twitterの危険性は本来後者が有効なタイプのイノベーションについて前者のような方法が取られてしまうことの問題点と理解できる</strong>。これはオンラインで共同研究をやるときの注意点と同じだ。研究の場合の課題は手間のかかる論文の生産を避けて遥かに簡単なブログ記事の執筆で終わってしまうことだが、ブログとTwitterの関係も程度の差こそあれ本質的には同じ問題だ。</p>
<p><strong>しかし、オンラインでの研究・Twitterと特許制度の問題との間に重要な質的な差が存在する</strong>ことには注意が必要だろう。<strong>特許制度においては前者が適切な場合に後者を適用したり、後者が適切な場合に前者を適用したりすることが問題となる</strong>。だが、どちらが適切かを考えて適用するのは制度設計者だ。<strong>後者が適当だと考えているのに前者を適用してしまったなどという問題は起きようがない</strong>。これは先のブレインストーミングやコンペの場合でも同じだ。ブレインストーミングをするか、企画書の提出を要求するかを決めるのは経営者だ。経営者はより適切な方法を選択する。同様にコンペにするか特定の設計事務所に相談にいくかを決めるのは建築主だ。つい間違った方法を選んでしまう人はいない。ではTwitterや研究の場合にはなぜ「危険」が存在するのか。</p>
<p>二つの原因がある。一つは<strong>Twitterや研究の場合にはアイデアを思いつき実行する主体が、そのアイデアによって長期的な利益をでる人間と一致する</strong>ことだ。上の輸入業者や設計事務所の例ではアイデアを出す人間は経営者や建築主によって雇われており、彼らが最適な方法を選択する。しかし、個人が思いついたことをTwitterに書くべきかブログに書くべきかを指示してくれる外部の人間は通常存在しない。もう一つの原因は<strong>技術進歩</strong>だ。Twitterが存在しなければTwitterとブログで迷うことなどありえない。インターネットがなければ研究についてブログに書くか、論文を完成させるかなどという問題は生じない。これはTwitterや研究に限らない。例えば、VoIP技術の発展は海を跨いだブレインストーミングを可能にした。しかし、企業はブレインストーミングが不適切な状況でビデオ会議はしない。<strong>「危険」は上の二つが同時に当てはまる場合にのみ顕在化する</strong>。</p>
<p>この問題への対策は二通りだ。一つはどういう風にアイデアを公開すべきかをよく考えて慎重になることだ。リンク先の、</p>
<blockquote><p>Twitterでもときどきやる気や意気込みを宣言している人を見かけるが、これはTwitter + やる気宣言のあわせ技で、相当量の感情がこぼれ出てしまっていると思われるので、よく注意しながら宣言することをお勧めしたい</p></blockquote>
<p>という助言がそれだ。<strong>ある目標を達成しようとする自分とアイデアを出し実行する自分とを分けて考えることによって一つ目の原因を解消する</strong>。それなりの地位にある人間であればネット上での発言を管理する人間を雇うのもよいだろう。</p>
<p>もう一つの方法は当然二つ目の原因を解消することだ。これははてなの伊藤さんがTwitterを利用していないというのに該当する。<strong>そもそも利用しないことで「技術進歩」をなかったことにする</strong>（一つ目の対策の極端な場合と捉えることもできる）。</p>
<p>どちらにせよ、技術進歩が生み出した新しい問題に自分の状況に合った対応をすることが必要だ。自分が書く題材はアイデアが重要なのか、実行することが重要なのかを判断し、その上で自分をどの程度コントロールできるかを考える必要があるだろう（もちろん人を雇える場合はそれでもよい）。アイデアが重要なのであればどんどん公開すればよい。実行が重要なのに自分をコントロールできないなら利用しないのも手だ。</p>
<p>P.S. 長期的な利益を得る人間と行動する人間とかが異なる場合ではなく、同じ場合にこそ問題が生じるというのは面白い現象だ。多くの人間は自分の長期的利害と短期的な利害を調整するよりも、他人の長期的利害を調整するほうが得意なようだ。これは経済学的には不思議だが実感には一致するように思う。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://rionaoki.net/2009/11/1600/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>1</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>オンライン数学コラボレーション</title>
		<link>http://rionaoki.net/2009/11/1530</link>
		<comments>http://rionaoki.net/2009/11/1530#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 14 Nov 2009 06:37:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Rion</dc:creator>
				<category><![CDATA[Regular Posts]]></category>
		<category><![CDATA[イノベーション]]></category>
		<category><![CDATA[フォーラム]]></category>
		<category><![CDATA[ブログ]]></category>
		<category><![CDATA[メディア]]></category>
		<category><![CDATA[数学]]></category>
		<category><![CDATA[特許]]></category>
		<category><![CDATA[知的財産]]></category>
		<category><![CDATA[研究]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://rionaoki.net/?p=1530</guid>
		<description><![CDATA[ブログでの議論が数学の論文が生まれたというニュースがUCLAの学生新聞The Daily Bruinから： The Daily Bruin &#124; UCLA mathematician Terence Tao&#8217;s &#8230; <a href="http://rionaoki.net/2009/11/1530">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ブログでの議論が数学の論文が生まれたというニュースがUCLAの学生新聞The Daily Bruinから：</p>
<p><a href="http://beta.dailybruin.com/articles/2009/11/13/ucla-math-professors-blog-facilitates-collaborativ/">The Daily Bruin | UCLA mathematician Terence Tao&#8217;s site has audience of 40,000</a> via <a title="Can Economists Learn from Tao's Example? Will Academic Economics Become Open Source? " href="http://greeneconomics.blogspot.com/2009/11/can-economists-learn-from-taos-example.html">Environmental and Urban Economics</a></p>
<p>取り上げられているのはフィールズ賞まで受賞しているスター数学者であるテレンス・タオ（<a title="Terence Tao" href="http://en.wikipedia.org/wiki/Terence_Tao">Terence Tao</a>）の<a title="What’s new" href="http://terrytao.wordpress.com/">ブログ</a>だ。</p>
<blockquote><p>After six months and more than 1,000 comments from more than 50 mathematicians, a paper titled “A new proof of the density Hales-Jewett theorem” is ready to be submitted under the pseudonym D.H.J. Polymath because of the difficulty in determining how much each person has contributed. The paper is one of the first to be collaborated through a blog.</p></blockquote>
<p>多くの数学者からのコメントをもとに<a title="A new proof of the density Hales-Jewett theorem" href="http://www.cs.cmu.edu/~odonnell/dhj-june-25.pdf">完成した論文</a>はD. H. J. Polymathという著者名のもとジャーナルに投稿されるそうだ。これは<a title="polymath projects" href="http://michaelnielsen.org/polymath1/index.php?title=Main_Page">Polymathプロジェクト</a>の一部だ（ポリマスとは博学なひとのことだ）。Polymathプロジェクトで扱われる問題は<a title="The polymath blog" href="http://polymathprojects.org/">プロジェクトのブログ</a>で公開されている。</p>
<p>プロジェクト自体の構想については<a title="Is massively collaborative mathematics possible?" href="http://gowers.wordpress.com/2009/01/27/is-massively-collaborative-mathematics-possible/">Tim Gowersのポスト</a>に詳しい。このプロジェクトの鍵は次の問いにある：</p>
<blockquote><p>What about the solving of a problem that does not naturally split up into a vast number of subtasks?</p></blockquote>
<p><strong>自然に分割できないような問題を解く場合に多くの人間が関わることの意味が何か</strong>ということだ。これは<strong>インターネットという複数の人間が同時に作業をする環境が出現したことで生じた問題だ</strong>。彼は、この問いに肯定的な回答をする：</p>
<blockquote><p>(i) Sometimes luck is needed to have the idea that solves a problem. If lots of people think about a problem, then just on probabilistic grounds there is more chance that one of them will have that bit of luck.</p></blockquote>
<p>まず運という要素があるなら多くの人間が関与した方が望ましい。これは特許制度の設計でも重要だ。ある発明の価値が決まっていて、発明を試みる度に決まった確率で成功するとしよう。すると発明を試みる人間が多ければ多いほうが発明できる確率は上がっていく。</p>
<p>これが社会的に望ましいとは限らないことに注意が必要だ。社会的に望ましいのは発明の確率をできるだけ上げることではなく（何人が参加しても発明確率は100%にはならない）、試行のコストが限界的な試行の価値＝発明の価値×発明確率のその試行による上昇分（marginal value）となった時だ。しかし、参加者は試行の費用が平均的な発明の価値＝発明の価値×発明確率÷参加人数（inframarginal value）となった場合だ。この時、社会余剰はゼロになり、当然人数が過剰になっている。但し、発明の価値と発明者にとって私的利益は一致しないため必ずしも過剰にはならない。過剰になるか過少になるかは私的利益の割合によるが最適な値になる理由はない。</p>
<blockquote><p>(ii) Furthermore, we don’t have to confine ourselves to a purely probabilistic argument: different people know different things, so the knowledge that a large group can bring to bear on a problem is significantly greater than the knowledge that one or two individuals will have.</p></blockquote>
<p>二つ目の利点は分業だ。これについては異論はないだろう。異なる知識や強みをもつ人間の協力は生産性を上昇させる。</p>
<blockquote><p>(iii) Different people have different characteristics when it comes to research. Some like to throw out ideas, others to criticize them, others to work out details, others to re-explain ideas in a different language, others to formulate different but related problems, others to step back from a big muddle of ideas and fashion some more coherent picture out of them, and so on.</p></blockquote>
<p>三つ目の利点もまた分業の一種だが、研究の仕方に関するものだ。アイデアを出すのがうまいひともいれば、それを反駁するのが得意な人もいる。</p>
<p>ここから、</p>
<blockquote><p>In short, if a large group of mathematicians could connect their brains efficiently, they could perhaps solve problems very efficiently as well.</p></blockquote>
<p>数学者がうまく協力できれば問題を効率的に解いていけると結論付ける。</p>
<blockquote><p>Why would anyone agree to share their ideas? Surely we work on problems in order to be able to publish solutions and get credit for them. And what if the big collaboration resulted in a very good idea? Isn’t there a danger that somebody would manage to use the idea to solve the problem and rush to (individual) publication?</p></blockquote>
<p>次の課題は、ではどうやってうまく協力させるかというインセンティブの問題だ。</p>
<blockquote><p>Here is where the beauty of blogs, wikis, forums etc. comes in: they are completely public, as is their entire history.</p></blockquote>
<p>ここでブログやWiki、フォーラムの利点が指摘される。それは完全な公開性であり、証拠が残るという特性だ。</p>
<blockquote><p>Instead of the usual reaction of being afraid to share it in case someone else beat you to the solution, you would be afraid <em>not</em> to share it in case someone beat you to that particular idea</p></blockquote>
<p><strong>アイデアを公開して他人に先に使われてしまうのを恐れるのではなく、早く共有することで誰かが先にそれを発表してしまうのを防げる</strong>という。</p>
<p>この問題も<strong>特許制度が抱えている問題と極めて類似している</strong>。特許は重要な発明が企業秘密にされてしまうことを防ぐという目的がある。特許があることで発明者は自分の発明を共有するインセンティブを持つ。インターネットは数学の問題を解く場合において部分的な貢献を公開・共有することを可能にした。これはジャーナルによる公開・共有が基本であった時代では不可能なことだ。</p>
<p>しかし、この方法がうまくいくかは数学におけるイノベーションの発生の方法に依存している。これは<a title="知的財産権はうまくいかない？" href="http://rionaoki.net/2009/11/1464">以前ふれた特許制度の問題</a>とまったく同じだ。よってその弊害も同様に存在する：</p>
<ul>
<li>研究の途中で公開できるようになると最適な状態にたどり着く前に公開して終わりにしてしまうインセンティブがある</li>
<li>細かい成果が公表されすぎると後続の研究がそれらを言及するための費用が増える</li>
</ul>
<p>前者は以前のポストにおけるBoldrinとLevineの指摘を数学に適用したものだ。<strong>アイデアを得た人が本当なら最後まで頑張って仕上げたものを途中で公開してしまう</strong>ということだ。これはいろんな学術分野に当てはまるだろう。</p>
<p>経済でいえばアイデアを出し、直感的な説明をするところはまでは楽しい。しかし、それを示す数理モデルを書いて、解いて、実証やシミュレーションを行うのは面倒だ。ジャーナルしか発表の場がなければそこまで頑張ってやるしかないが、ブログなどでさっさと世の中に公表できるなら最初のステップで終わりしてしまうかもしれない。誰かが後半をやっても前半部分は評価されるわけだ（前半のほうがセンスがいる）。Matthew Kahnは何故このような方法が経済でうまくいかないかと問いかけているがこれが答えだろう。経済学はアイデアと直感というセンスを要する部分が最も評価されるため後半を誰もやりたがらない。数学では重要な問題はいくらでもあって解くという後半のステップの比重が高い（そしてそれが好きな人が集まっている）。</p>
<p>後者は金銭支払いのない研究では大きな問題にはならないがそれでもややこしいことには変わらない。何かの定理を証明したとして既に誰かが発表している内容とかぶっていたらそれを引用する必要がある。もし、その定理に関する<strong>情報が学術ジャーナル以外の場所にも散在しているとなると、文献調査作業は非常に手間の掛かるものとなる</strong>。今までならその分野を研究している先生に聞いて、ジャーナルデータベースでも検索するだけだったが、そうもいかなくなるだろう。</p>
<p>ちなみにテレンス・タオは学術的に成功した天才児（Child Prodigy）としても有名だ。10歳で数学オリンピックに出場し銅メダル、13歳のときには現在に至るまでの最年少で金メダルをとっている。17歳で地元の大学（Flinders University）で修士号、20歳でプリンストン大学でPh.Dを取得し25歳には最年少でUCLAでテニュアを得ている。</p>
<div id="_mcePaste" style="overflow: hidden; position: absolute; left: -10000px; top: 1250px; width: 1px; height: 1px;">http://rionaoki.net/2009/11/1464</div>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://rionaoki.net/2009/11/1530/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>3</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>ペイウォールはうまくいかない</title>
		<link>http://rionaoki.net/2009/11/1287</link>
		<comments>http://rionaoki.net/2009/11/1287#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 03 Nov 2009 04:01:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Rion</dc:creator>
				<category><![CDATA[Regular Posts]]></category>
		<category><![CDATA[2SM]]></category>
		<category><![CDATA[ニュース]]></category>
		<category><![CDATA[ブログ]]></category>
		<category><![CDATA[メディア]]></category>
		<category><![CDATA[価格付け]]></category>
		<category><![CDATA[非営利]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://rionaoki.net/?p=1287</guid>
		<description><![CDATA[ペイウォール（paywall）とはウェブサイトが一部のコンテンツを有料にして、フィーを支払わない顧客からのアクセスをブロックすることである。 これについてSlashdotで的を得た意見が紹介されている： Slashdot &#8230; <a href="http://rionaoki.net/2009/11/1287">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ペイウォール（paywall）とはウェブサイトが一部のコンテンツを有料にして、フィーを支払わない顧客からのアクセスをブロックすることである。</p>
<p>これについてSlashdotで的を得た意見が紹介されている：</p>
<p><a href="http://news.slashdot.org/story/09/11/02/168232/Paywalls-To-Drive-Journalists-Away-In-Addition-To-Consumers?from=rss">Slashdot News Story | Paywalls To Drive Journalists Away In Addition To Consumers?</a></p>
<blockquote><p><em>&#8216;My column has been popular around the country, but now it was really going to be impossible for people outside Long Island to read it,&#8217; he says. Friedman, who is 80, said he would continue to write about older people for the site &#8216;<a href="http://ronnibennett.typepad.com/">Time Goes By</a>.&#8217;</em></p></blockquote>
<p>ペイウォールを導入するのに伴い、長年勤めてきた記者が新聞社を退職し、ブログで執筆するという話が紹介されている。</p>
<blockquote><p><em>&#8216;One of the reasons why the NY Times eventually did away with its old &#8220;paywall&#8221; was that its big name columnists started complaining that fewer and fewer people were reading them,&#8217; writes Mike Masnick at Techdirt</em></p></blockquote>
<p>TechdirtのMike Masnicはニューヨークタイムスがペイウォールを撤廃した理由として、コラムニストが読者の減少を懸念したからだと述べている。</p>
<p>この二つの事例は新聞業界がインターネットによってうまくいかなくなった一つの大きな原因を明らかにしている。</p>
<p><strong>もともと新聞というのはプラットフォームである</strong>。<strong>片方には読者、反対側には執筆者がいる</strong>。前者は良質なコラムを望み、後者はより多くの読者を望む。プラットフォーム運営者としての<strong>新聞社はこの二つの絡み合う市場をバランスさせていく必要がある</strong>。</p>
<p>購読料を上げすぎると読者はへり、コラムニストにとっての魅力はなくなる。またコラムニストへの報酬を減らすと読者にとっての新聞の価値は減ってしまう。</p>
<p>しかし旧来の新聞業界におけるバランスはインターネットの浸透によって完全に崩れた。その一つが最初の引用におけるブログの役割だ。新聞社が利益を挙げるためには読者の量を制限する必要がある（注）。だがこれはコラムニストにとってはマイナスだ。昔であればこんなことに文句を言う人間はいなかっただろうが、今は違う。コラムニストにとって読者を探す手段はいくらでもある。ブログがその一つだ。<strong>新聞が読者を見つける効率的手段でないなら自分で発表すればよい</strong>。もちろんブログで直接金銭収入を得るのは難しいだろうが、知名度があれば他で稼ぐことができる。</p>
<p>この場合であれば、記者は既に大きな注目を浴びており、彼の動きは成功だったと言えるだろう。</p>
<p>（注）これは効率的な価格差別ができないことを前提としている。<strong>価格差別が可能であれば、価格を限界費用に抑えたままでも利益をあげることは可能だ</strong>。メディア企業を非営利企業として再生しようという動きはこの点をついている。ちなみに、寄付収入の多い劇場などはこのビジネスモデルの典型だ（言うまでもなく、非営利であってもビジネスはビジネスだ）。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://rionaoki.net/2009/11/1287/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>ブログにおける広告の規制</title>
		<link>http://rionaoki.net/2009/10/838</link>
		<comments>http://rionaoki.net/2009/10/838#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 16 Oct 2009 18:11:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Rion</dc:creator>
				<category><![CDATA[Regular Posts]]></category>
		<category><![CDATA[ブログ]]></category>
		<category><![CDATA[メディア]]></category>
		<category><![CDATA[消費者]]></category>
		<category><![CDATA[規制]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://rionaoki.net/?p=838</guid>
		<description><![CDATA[連邦取引委員会（FTC）がブログにおける宣伝行動について発表した指針が波紋を読んでいる。 More transparency coming to blog reviews under new FTC rules &#82 &#8230; <a href="http://rionaoki.net/2009/10/838">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>連邦取引委員会（FTC）がブログにおける宣伝行動について発表した指針が波紋を読んでいる。</p>
<p><a href="http://arstechnica.com/tech-policy/news/2009/10/more-transparency-coming-to-blog-reviews-under-new-ftc-rules.ars">More transparency coming to blog reviews under new FTC rules &#8211; Ars Technica</a></p>
<p>指針の内容は以下の通りだ：</p>
<blockquote><p>&#8220;Consumer-generated media&#8221; outlets (e.g., bloggers) will now have to disclose if they are being compensated by a manufacturer, advertiser, or service provider when they review an item.</p></blockquote>
<p>ブロガーを一つとした消費者発信メディアにおいても、補償をうけて製品レビューについてはその情報を公開すべしというものだ。これには多くの問題が指摘されている。</p>
<ol>
<li>そもそも補償をうける（being compensated）が何を意味するのか不明確である（レビュー用サンプルを受け取ることは該当するのか。</li>
<li>ルールが作られる過程に消費者メディア側の意見が取り入れられていない。</li>
<li>オンラインとオフラインとの区別が恣意的である。</li>
<li>そもそも言論の自由を侵害するのではないか。</li>
</ol>
<p>2番目の問題が他の問題に深く関連している。消費者メディアにはわかりやすい代表団体がいない。参加者の数が膨大かつ利害が一致しないためだ。記事中では、Interactive Advertising Bureauという、ネット上での広告企業の団体がFTCを批判している。</p>
<p>さらにもう二点ほど重要な論点があるだろう。一つは規制をかけるとして誰に義務をおわせるのが適切かということだ。ブロガーが情報を適切に公開する義務を負うのと、製造者・広告主が義務を負うのとではどちらが効率的なのか。実際にエンフォースするための費用を考えるとブログの場合後者が適切なように思える。</p>
<p>二点目はそもそも情報開示を強制する必要はどこにあるのかということだ。お金をもらって製品レビューをすることがそれほど読者にとって望ましくないのであれば、それをしていない人がそれを明示するようだろう。これは財務諸表などの会計情報開示や会計監査がそもそも必要なのかどうかという問題と同じだ。実際オフラインでのこのような規制がない一因はこれだろう。例えばコンピュータ雑誌をみてそこのレビューを本気で信用するひとはいないだろう。雑誌には広告主がいるわけで信用する理由がない。逆にレビュー対象から一切広告を含めた収入を得ないことを売りにしている雑誌もある。別に言論の自由に触れるまでもなくこれで十分ではないかということだ。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://rionaoki.net/2009/10/838/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>ラウンドアップ</title>
		<link>http://rionaoki.net/2009/09/339</link>
		<comments>http://rionaoki.net/2009/09/339#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 19 Sep 2009 00:04:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Rion</dc:creator>
				<category><![CDATA[Regular Posts]]></category>
		<category><![CDATA[ブログ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://rionaoki.net/?p=339</guid>
		<description><![CDATA[このブログを始めて一ヶ月経ったので方向性についての総括でも： 主なエントリーは英文記事の紹介及びそれに対するコメント 紹介される記事は主に経済・ビジネスやメディア関連 個人的な話題は稀 書評はあまり書く気が起こらない 第 &#8230; <a href="http://rionaoki.net/2009/09/339">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>このブログを始めて一ヶ月経ったので方向性についての総括でも：</p>
<ol>
<li>主なエントリーは英文記事の紹介及びそれに対するコメント</li>
<li>紹介される記事は主に経済・ビジネスやメディア関連</li>
<li>個人的な話題は稀</li>
<li>書評はあまり書く気が起こらない</li>
</ol>
<p>第一点については予想通り。完全な個人用ブログを除けば、多くのブログは記事の紹介を主なコンテンツとしている。情報が大量にある世の中ではフィルター機能が重要となる。また私が毎日チェックするサイトの95%以上は英文なので紹介する記事が英語になるのは自然だ。</p>
<p>第二点も現在の興味のあり方からすれば妥当か。自分の強みから考えても望ましい。コンピュータ関係の内容がほとんど無かったのは新しい傾向だ。</p>
<p>第三点はバランスが難しい。ブログは一種のニュースサイトではあるが、通常書き手をキーにしてアグリゲイトされている。書き手の個性を出すことは必要であるが過剰になると普通の読者には読みにくくなる（実際チェックしている大量のブログの一つが旅行日記などを続けて掲載すると購読を外そうかと思うこともしばしばだ）。ヘビーユーザーについては、個人的な話題を省いたRSSを明示すればよいだろう。</p>
<p>第四点は意外だ。ブログを始めた時点では書評を書くのは主な目的な一つだった。八月・九月で七・八冊は読んでいるが一回しか書いていない。単に書評を書くのは普通の記事に比べ時間がかかるということもあるが、最大の理由は書評を書く程の本はあまりないことだろう。まあ気が向いたときだけ書評を書き、普段は本の名前を紹介するだけで十分だろうか。</p>
<p>今後の展開としてはこのまま経済・ビジネス・メディアについて記事の紹介及びコメントをつけるという形で構わないだろう。需要面においては、ビジネスやITに興味のある人は多い。またそのような人々にとって英語の記事は特に問題ではない乃至勉強になる程度のものだろう。供給面においては、これらのトピックについてきちんとした意見を述べている人は実は少ない。特に英文記事については翻訳などを行っている一部出版社を除けば非常に珍しいといってよい。これに書評や個性を出すための記事を混ぜていく形でよいだろう。あとはプロモーションだろうか。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://rionaoki.net/2009/09/339/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
	</channel>
</rss>

