食糧危機?

よく人口増加で世界的な食糧危機がなんて話を耳にするが、単なる煽りに過ぎないでしょというよく知られたお話:

What the Starvation Lobby Ignores

With presently available technology, humanity can feed an ever-growing population, with ever-better nutrition, for centuries.

人類は十億人単位で増えていく人口を食べさせていけるのか。答えはイエスだ。現在の技術水準で増加する人口によりよい栄養を数世紀に渡って提供できる。

Happily, such terrible scenarios have not materialized. Instead, people around the world have been increasingly better fed, and are living longer and healthier lives. Recent decades have seen an unmistakable increase in world food production per person […]

世界的な食糧不足という危機を訴える人もいるが、現実にはだんだんと食べる量は増え、健康で長生きするようになっている。

The greatest starvation disasters-the deaths of seven million Ukrainians and other Soviet citizens in the early 1930s and of 30 million Chinese between 1958 and 1961-were caused by deliberate government policies: Stalin purposely murdered his people, and the Chinese communist leaders practiced tragically wrong-headed economics.

前世紀最大の飢餓はソ連と中国で起きたが、その原因は意図的な虐殺と共産主義に基づく間違った経済政策だった。

The market price of wheat adjusted for inflation has fallen over the past two centuries despite a growing world population and rising incomes.

ある財が足りないのか余っているのかを知りたければ市場価格を見るのが早い。インフレ調整された小麦の価格は二十年間下がり続けている。人口が増え、所得が上がっているにも関わらずだ。

Even more startling, the piece of wheat relative to wages in the U.S. has fallen to perhaps 1/20th of its level two centuries ago.

所得に対する小麦価格を見ると、アメリカではこの二世紀の間に1/20になっている。

摂取カロリー、肉類の消費量はともに上がってし、平均身長は上がり初潮年齢は下がっている。生産性の上昇に伴ない農業に従事する人の割り合いも激減している。どんな数字をとってみても食糧供給が悪化しているというデータは見当たらないわけだ。

Productivity per worker and per acre have improved thanks to power machinery and biological innovations induced by increased demand, the improved ability of farmers to get their produce to market on better transportation systems, and, most importantly, expanding economic freedom.

生産性が上がっているのは耕作機械の導入や農学の発展、輸送手段の進歩、そして市場経済の拡大によるものだ。これは現在食糧不足という現象が存在しないことを意味しないが、状況は世紀単位で徐々に改善していっている。

イノベーションのコスト

研究開発費に関するグラフが幾つか。大まかな数字をつかんでおくのは重要。

Paying for Innovation – Economix Blog – NYTimes.com

国立科学財団(National Science Foundation; NSF)によるレポート(Science and Engineering Indicators: 2010)からグラフが引用されている。

まずは研究開発費の内訳だ。現在企業による投資が70%近くで、連邦政府のシェアは戦後下がり続け30%を切っている。これは1930年代の水準に迫るものだ。とはいえ、この数字がすなわち研究開発における政府の役割の低下を示すものではない。

Academic performers are estimated to account for 55% of U.S. basic research ($69 billion), 31% of total (basic plus applied) research ($157 billion), and 13% of all R&D ($395 billion) estimated to have been conducted in the United States in 2008.

大学は研究開発費の13%しか占めていないが、基礎研究の55%を占めている。

ちなみに日本はというと、やはり企業に研究開発の割合は近年70%前後で安定している。上のグラフは科学技術研究調査から作った。NSFのグラフの連邦政府は大学や企業への補助金を含むので直接の比較はできないが、研究開発費の大部分を民間企業が請け負っているのは共通している。

研究開発費そのものは世界中で上昇している。国ごとの相対的な量では中国が急激に伸びている以外、比較的安定している。

GDP比でみると日本は非常に高い水準を保っているが近年韓国に追い抜かれている。アメリカ・EUは安定しているが、中国はここでも急上昇を見せている。採集データは2007年となっており、現在では絶対量で中国に負けているようだ

但し、本来はイノベーションのアウトプットを比較するべきだが、測定が極めて困難なため費用を比べざるをえない点には注意が必要だ。使った金額だけにとらわれずどれだけ効率に使うかという視点は忘れてはならない。

現代版ハリソン・クロノメーター

ジョン・ハリソンは18世紀に英国議会の賞金に応じ、海洋での正確な経度測定を可能にするクロノメーターを発明した。この時に天文学者で構成される緯度委員会が賞金の支払いに二の足を踏んだことはDava Sobel(デーヴァ・ソーベル)のLongitude(経度への挑戦—一秒にかけた四百年)に詳しい。

簡単に説明しよう。緯度の測定は北極星を使って比較的簡単に可能だが、経度の計算は難しい。太陽の位置と正確な時計があれば時差から計算できることは分かっていたが、時計の精度や信頼性の問題があった。緯度委員会はこれを天文学的に解決する方法を求めて、誤差のない緯度測定方法に賞金をかけた。

しかしジョン・ハリソンは時計職人で、この問題を実際に精度が高く、悪辣な環境でも動作しつづける時計を作ることで解決した。これに対し、緯度委員会は賞金の全額支払いを拒んだ。彼らが望んだ解決方法ではなかったからだ。最終的には国王が介入し、ハリソンは現在の特許制度のように再現可能な設計図とサンプルを提供し全ての賞金を受け取った。

ハリソンと緯度委員会との問題は賞金を用いたイノベーション促進の欠点として取り上げられるが、現代においても同じ種類の問題は起こっている:

DARPA Pays MIT to Pay Someone Who Recruited Someone Who Recruited Someone Who Recruited Someone Who Found a Red Balloon

もちろん緯度委員会はもう存在しない。代わりを務めるのはのは通称DARPA、米国防高等研究計画局だ。先端技術の軍事転用のための組織であるDARPAは30億ドル以上の研究予算を持ち、インターネットの前身であるARPANETを開発したことで特に有名だ。

DARPA, the Defense Department’s research arm, recently sponsored a “Network Challenge” in which groups competed to find ten big red weather balloons that were positioned in public places around the U.S. The first team to discover where all the balloons were would win $40,000.

今回DARPAは10個の観測バルーンをアメリカ国内に設置しそれを最初に全て見つけたチームに$40,000ドルの賞金をかけた。

On DARPA’s side, this was inspired by the famous Grand Challenge and Urban Challenge, in which teams built autonomous cars that had to drive themselves safely through a desert landscape and then a city.

規模は違うが、自動走行型のロボット開発を促すための他のプロジェクトから発想を受けたのではないかと指摘されている。

MIT let anyone join their team, and they paid money to the members who found balloons, as well as the people who recruited the balloon-finders, and the people who recruited the balloon-finder-finders.

しかし、結局賞金を手にしたMITのチームは工学的な解決策をとらなかった。バルーンを見つけた人と、その人を紹介した人、その紹介した人を紹介した人、というように発見者と紹介者全てに賞金を分配すると宣言したのだ。これにより大量の人々がバルーン探しに加わって最初に全てのバルーンを発見するに至った。

賞金が少ないこと、そもそも宣伝目的ではないか、など色々な事情はあるが、賞金によってイノベーションを促進するのは実は難しい。近年非難されることの多い特許制度では、イノベーションの対価はそのイノベーションが市場で生み出す価値にリンクされているのでこのような問題は軽微だ。

Twitterとイノベーション

はてなブックマークの人気エントリーページがリファラにあったので見に行ってみたら、最近書いた記事複数に関連するエントリーがあった:

小野和俊のブログ:Twitterの危険性

はてなの伊藤さんがTwitterを使っていない挙げた理由の一つが取り上げられている:

私も含めて、Twitterを始めてからブログの更新頻度が激減した、という人はかなり多いのではないかと思うが、こうした現象がなぜ起こるのかを考える と、感情が蓄積し、ある程度の時間をかけてブログのエントリを起こそうというところまでたどり着く前に、Twitterで思ったことをポロッとつぶやい て、同調したり、同情したり、コメントをくれたりする人がポツポツと現れたりしている過程で、蓄積しつつあった感情が心の蛇口から漏れてしまう、というの が最大の原因であるように思える。

これは先週書いた次の二つのポストと共通する問題だ:

前者は経済学者が特許制度に書いた学術論文が題材で、後者は数学者がウェブ上で協力して研究を行うことが題材だった。これとTwitterの危険性とがどうからむのか。

先の論文においてBoldrinとLevineはこう述べている:

In this model, that is unambiguously bad, as scientific resources  are misallocated to industrial applications when it would be better, from a social point of view, to use them in producing more original research that would, optimally, be brought to industrial fruition somewhat later.

特許が存在するために、本当ならより深く掘り進めてから最終的な成果を発表すべき研究が早すぎる段階で公表されてしまうと言う。これは、うまく特許制度を設計することで累積的なイノベーションの各段階に適切なインセンティブを与えようという一般的な文献とは相反する考え方だ。そしてこの違いがどこからくるかについて以下のように書いた:

知的財産権に関する経済学の問題はアイデアの実現に対して適切なインセンティブを与えることだ。よって、まずアイデアがどのように社会で生成されるかという創造的環境に関する仮定が必要になる。一つは既知の課題への解を見つけるというモデル、もう一つはアイデア自体が希少な場合だ。もちろんはこれらは両極端で実際には様々な程度がある。

これは経済的問題だけにとどまらない。根底にはアイデアがどのように生まれてくるかについての二つの考え方がある:

  • アイデアは希少で、いかにそれを公開させるかが課題
  • アイデアは豊富で、いかにそれを実現させるかが課題

ブレインストーミングは前者を前提にしたテクニックだ。いいアイデアを思いついた人はその場でそれを口にする。そのアイデアがよければ瞬時にまわりの人間から同調や建設的発展という心理的報酬を得る。先に引用したTwitterでつぶやくことによる感情の蓄積からの開放はこれに近い。例えば、輸入品のネット販売をしている会社が新しい商品分野の開拓を考えているとしよう。この場合社員にブレインストーミングをさせるのは適切な方法だ。商品が決まればどういう風に輸入して売るかというのは決まってくる。アイデアを出す段階でそこまで考える必要はないし、売り方を知らない人がアイデアを出しても構わない。それよりも早く公開させることで他の人が別のアイデアを思いつく材料になるかもしれない。

逆に建築のコンペは後者に立脚したメカニズムだ(ビジネスに関するコンペでもよい)。例えば、家族のコミュニケーションの流れを壁のスリットを使って表現した建築というアイデアがあったとしてもそれ単独ではあまり価値はない。本当に難しいのはそのアイデアをどう実現するかであってアイデアそれ自体ではない。そもそもアイデアの価値自体がそれがどう具現化されるかによって決定されるといってもよい(スリット云々は私がたった今でっちあげたものだ)。このような状況では、早い段階から参加者に討論をさせても生産的ではないだろう。そこでいくら議論を深めても最終的な形=価値が見えないからだ。もちろんある程度のやりとりは重要だろうがその場合でも言葉ではなく例えばデッサンによるものになるだろう。

Twitterの危険性は本来後者が有効なタイプのイノベーションについて前者のような方法が取られてしまうことの問題点と理解できる。これはオンラインで共同研究をやるときの注意点と同じだ。研究の場合の課題は手間のかかる論文の生産を避けて遥かに簡単なブログ記事の執筆で終わってしまうことだが、ブログとTwitterの関係も程度の差こそあれ本質的には同じ問題だ。

しかし、オンラインでの研究・Twitterと特許制度の問題との間に重要な質的な差が存在することには注意が必要だろう。特許制度においては前者が適切な場合に後者を適用したり、後者が適切な場合に前者を適用したりすることが問題となる。だが、どちらが適切かを考えて適用するのは制度設計者だ。後者が適当だと考えているのに前者を適用してしまったなどという問題は起きようがない。これは先のブレインストーミングやコンペの場合でも同じだ。ブレインストーミングをするか、企画書の提出を要求するかを決めるのは経営者だ。経営者はより適切な方法を選択する。同様にコンペにするか特定の設計事務所に相談にいくかを決めるのは建築主だ。つい間違った方法を選んでしまう人はいない。ではTwitterや研究の場合にはなぜ「危険」が存在するのか。

二つの原因がある。一つはTwitterや研究の場合にはアイデアを思いつき実行する主体が、そのアイデアによって長期的な利益をでる人間と一致することだ。上の輸入業者や設計事務所の例ではアイデアを出す人間は経営者や建築主によって雇われており、彼らが最適な方法を選択する。しかし、個人が思いついたことをTwitterに書くべきかブログに書くべきかを指示してくれる外部の人間は通常存在しない。もう一つの原因は技術進歩だ。Twitterが存在しなければTwitterとブログで迷うことなどありえない。インターネットがなければ研究についてブログに書くか、論文を完成させるかなどという問題は生じない。これはTwitterや研究に限らない。例えば、VoIP技術の発展は海を跨いだブレインストーミングを可能にした。しかし、企業はブレインストーミングが不適切な状況でビデオ会議はしない。「危険」は上の二つが同時に当てはまる場合にのみ顕在化する

この問題への対策は二通りだ。一つはどういう風にアイデアを公開すべきかをよく考えて慎重になることだ。リンク先の、

Twitterでもときどきやる気や意気込みを宣言している人を見かけるが、これはTwitter + やる気宣言のあわせ技で、相当量の感情がこぼれ出てしまっていると思われるので、よく注意しながら宣言することをお勧めしたい

という助言がそれだ。ある目標を達成しようとする自分とアイデアを出し実行する自分とを分けて考えることによって一つ目の原因を解消する。それなりの地位にある人間であればネット上での発言を管理する人間を雇うのもよいだろう。

もう一つの方法は当然二つ目の原因を解消することだ。これははてなの伊藤さんがTwitterを利用していないというのに該当する。そもそも利用しないことで「技術進歩」をなかったことにする(一つ目の対策の極端な場合と捉えることもできる)。

どちらにせよ、技術進歩が生み出した新しい問題に自分の状況に合った対応をすることが必要だ。自分が書く題材はアイデアが重要なのか、実行することが重要なのかを判断し、その上で自分をどの程度コントロールできるかを考える必要があるだろう(もちろん人を雇える場合はそれでもよい)。アイデアが重要なのであればどんどん公開すればよい。実行が重要なのに自分をコントロールできないなら利用しないのも手だ。

P.S. 長期的な利益を得る人間と行動する人間とかが異なる場合ではなく、同じ場合にこそ問題が生じるというのは面白い現象だ。多くの人間は自分の長期的利害と短期的な利害を調整するよりも、他人の長期的利害を調整するほうが得意なようだ。これは経済学的には不思議だが実感には一致するように思う。

オンライン数学コラボレーション

ブログでの議論が数学の論文が生まれたというニュースがUCLAの学生新聞The Daily Bruinから:

The Daily Bruin | UCLA mathematician Terence Tao’s site has audience of 40,000 via Environmental and Urban Economics

取り上げられているのはフィールズ賞まで受賞しているスター数学者であるテレンス・タオ(Terence Tao)のブログだ。

After six months and more than 1,000 comments from more than 50 mathematicians, a paper titled “A new proof of the density Hales-Jewett theorem” is ready to be submitted under the pseudonym D.H.J. Polymath because of the difficulty in determining how much each person has contributed. The paper is one of the first to be collaborated through a blog.

多くの数学者からのコメントをもとに完成した論文はD. H. J. Polymathという著者名のもとジャーナルに投稿されるそうだ。これはPolymathプロジェクトの一部だ(ポリマスとは博学なひとのことだ)。Polymathプロジェクトで扱われる問題はプロジェクトのブログで公開されている。

プロジェクト自体の構想についてはTim Gowersのポストに詳しい。このプロジェクトの鍵は次の問いにある:

What about the solving of a problem that does not naturally split up into a vast number of subtasks?

自然に分割できないような問題を解く場合に多くの人間が関わることの意味が何かということだ。これはインターネットという複数の人間が同時に作業をする環境が出現したことで生じた問題だ。彼は、この問いに肯定的な回答をする:

(i) Sometimes luck is needed to have the idea that solves a problem. If lots of people think about a problem, then just on probabilistic grounds there is more chance that one of them will have that bit of luck.

まず運という要素があるなら多くの人間が関与した方が望ましい。これは特許制度の設計でも重要だ。ある発明の価値が決まっていて、発明を試みる度に決まった確率で成功するとしよう。すると発明を試みる人間が多ければ多いほうが発明できる確率は上がっていく。

これが社会的に望ましいとは限らないことに注意が必要だ。社会的に望ましいのは発明の確率をできるだけ上げることではなく(何人が参加しても発明確率は100%にはならない)、試行のコストが限界的な試行の価値=発明の価値×発明確率のその試行による上昇分(marginal value)となった時だ。しかし、参加者は試行の費用が平均的な発明の価値=発明の価値×発明確率÷参加人数(inframarginal value)となった場合だ。この時、社会余剰はゼロになり、当然人数が過剰になっている。但し、発明の価値と発明者にとって私的利益は一致しないため必ずしも過剰にはならない。過剰になるか過少になるかは私的利益の割合によるが最適な値になる理由はない。

(ii) Furthermore, we don’t have to confine ourselves to a purely probabilistic argument: different people know different things, so the knowledge that a large group can bring to bear on a problem is significantly greater than the knowledge that one or two individuals will have.

二つ目の利点は分業だ。これについては異論はないだろう。異なる知識や強みをもつ人間の協力は生産性を上昇させる。

(iii) Different people have different characteristics when it comes to research. Some like to throw out ideas, others to criticize them, others to work out details, others to re-explain ideas in a different language, others to formulate different but related problems, others to step back from a big muddle of ideas and fashion some more coherent picture out of them, and so on.

三つ目の利点もまた分業の一種だが、研究の仕方に関するものだ。アイデアを出すのがうまいひともいれば、それを反駁するのが得意な人もいる。

ここから、

In short, if a large group of mathematicians could connect their brains efficiently, they could perhaps solve problems very efficiently as well.

数学者がうまく協力できれば問題を効率的に解いていけると結論付ける。

Why would anyone agree to share their ideas? Surely we work on problems in order to be able to publish solutions and get credit for them. And what if the big collaboration resulted in a very good idea? Isn’t there a danger that somebody would manage to use the idea to solve the problem and rush to (individual) publication?

次の課題は、ではどうやってうまく協力させるかというインセンティブの問題だ。

Here is where the beauty of blogs, wikis, forums etc. comes in: they are completely public, as is their entire history.

ここでブログやWiki、フォーラムの利点が指摘される。それは完全な公開性であり、証拠が残るという特性だ。

Instead of the usual reaction of being afraid to share it in case someone else beat you to the solution, you would be afraid not to share it in case someone beat you to that particular idea

アイデアを公開して他人に先に使われてしまうのを恐れるのではなく、早く共有することで誰かが先にそれを発表してしまうのを防げるという。

この問題も特許制度が抱えている問題と極めて類似している。特許は重要な発明が企業秘密にされてしまうことを防ぐという目的がある。特許があることで発明者は自分の発明を共有するインセンティブを持つ。インターネットは数学の問題を解く場合において部分的な貢献を公開・共有することを可能にした。これはジャーナルによる公開・共有が基本であった時代では不可能なことだ。

しかし、この方法がうまくいくかは数学におけるイノベーションの発生の方法に依存している。これは以前ふれた特許制度の問題とまったく同じだ。よってその弊害も同様に存在する:

  • 研究の途中で公開できるようになると最適な状態にたどり着く前に公開して終わりにしてしまうインセンティブがある
  • 細かい成果が公表されすぎると後続の研究がそれらを言及するための費用が増える

前者は以前のポストにおけるBoldrinとLevineの指摘を数学に適用したものだ。アイデアを得た人が本当なら最後まで頑張って仕上げたものを途中で公開してしまうということだ。これはいろんな学術分野に当てはまるだろう。

経済でいえばアイデアを出し、直感的な説明をするところはまでは楽しい。しかし、それを示す数理モデルを書いて、解いて、実証やシミュレーションを行うのは面倒だ。ジャーナルしか発表の場がなければそこまで頑張ってやるしかないが、ブログなどでさっさと世の中に公表できるなら最初のステップで終わりしてしまうかもしれない。誰かが後半をやっても前半部分は評価されるわけだ(前半のほうがセンスがいる)。Matthew Kahnは何故このような方法が経済でうまくいかないかと問いかけているがこれが答えだろう。経済学はアイデアと直感というセンスを要する部分が最も評価されるため後半を誰もやりたがらない。数学では重要な問題はいくらでもあって解くという後半のステップの比重が高い(そしてそれが好きな人が集まっている)。

後者は金銭支払いのない研究では大きな問題にはならないがそれでもややこしいことには変わらない。何かの定理を証明したとして既に誰かが発表している内容とかぶっていたらそれを引用する必要がある。もし、その定理に関する情報が学術ジャーナル以外の場所にも散在しているとなると、文献調査作業は非常に手間の掛かるものとなる。今までならその分野を研究している先生に聞いて、ジャーナルデータベースでも検索するだけだったが、そうもいかなくなるだろう。

ちなみにテレンス・タオは学術的に成功した天才児(Child Prodigy)としても有名だ。10歳で数学オリンピックに出場し銅メダル、13歳のときには現在に至るまでの最年少で金メダルをとっている。17歳で地元の大学(Flinders University)で修士号、20歳でプリンストン大学でPh.Dを取得し25歳には最年少でUCLAでテニュアを得ている。

http://rionaoki.net/2009/11/1464