RIETI(独立行政法人経済産業研究所)の経済論文を紹介シリーズに知的財産権が取り上げられている。特許や著作権に関する日本語の解説は珍しい:
第12回「知的財産権の強化は、知識の創造や蓄積を阻害する??」 小林慶一郎のちょっと気になる経済論文 RIETI 経済産業研究所
とりあえげらているのは、特許制度自体の廃止を訴えているMichele BoldrinとDavid Levineの次の論文だ:
内容についてはリンク先の解説を読めば分かる。いくつかポイントを挙げる。
しかし、筆者らによると、現実のデータに基づくこれまでの実証研究からは、知的財産権の強化は、ほとんどまったく知的革新を促していない、という結果が得 られるのだそうです。この実証結果は、知的財産権保護に関する通念的な理論と相反しているという意味で、大きなパズル(なぞ)です。
この説明は若干不正確だろう。原文では以下のようになっている。
It is true that standard models of capital ladders such as Scotchmer [1991], Boldrin and Levine [2004], and Llanes and Trento [2007] allow for the possibility of patent discouraging innovation. However this can only be a long-run consequence: innovation is discouraged when so many patents have been created that additional innovation becomes dependent on them.
知的財産に関する現在のモデルでも知的財産権の強化がイノベーションに貢献しないこと自体は説明されている。違うのは、現在のモデルは、新しい特許が既存の特許の上に成り立つ場合の問題に焦点を当てていることだ。この場合には既存の特許に関する独占権が新しい発明を妨げてしまう。しかし、新しい発明ばかりを重視すると基礎となる発明へ十分なインセンティブを与えることができない。
BoldrinとLevineは、通念的理論が採用しているのは、発明者・発見者が 「ユーレカ(分かった)」と言った瞬間に完全な形の新知識が生み出されるという仮説だ、と批判しています。現実の知的発見や発明の作業は、もっと連続的な 努力によって徐々に知識が「形成される」ものだ、というのがBoldrinたちの考えです。
知的財産権に関する経済学の問題はアイデアの実現に対して適切なインセンティブを与えることだ。よって、まずアイデアがどのように社会で生成されるかという創造的環境に関する仮定が必要になる。一つは既知の課題への解を見つけるというモデル、もう一つはアイデア自体が希少な場合だ。もちろんはこれらは両極端で実際には様々な程度がある。
ここで通念的理論とされているのは後者だ。アイデアが希少なモデルでは通常ここのアイデアを社会的価値と費用の組であらわす。知的財産権の目的は、社会的価値が費用よりも高いアイデア全てを実行させることとなる。このようなモデルにおいては累積的なイノベーションが起こる場合、新しい段階のイノベーションは前の段階とは異なる主体によってなされるため、知的財産権の設定は微妙なバランスが要求される。
それに対し、ここで提案されているのはアイデア自体は豊富にありどうやってそれを推進するかという創造的環境だ。こちらのパターンでは知識は一定の投入によって生産される(知識の生産関数モデル)。アイデアは希少ではなく、投入資源が希少なのでコーディネーションの問題は発生しない(そもそも仮定からどんなイノベーションも資源を投入しさえすれば発明されるという問題がある)。知的財産権の目的は最適なイノベーション速度を選択することになる。
どちらが正しいかは、どちらの創造的環境がよりよく現実を説明するかだ。彼らが最初に挙げたパラドックスを取り上げているのはそのためだ。生産関数モデルがパラドックスを説明するのであればアイデアが豊富なモデルの方が適切なだという根拠になる。
ただ、創造的環境というのは全てのイノベーションに同じように当てはまるわけではない。ある分野のイノベーションはアイデアが希少な環境にあり、ある分野ではそうではないという方が自然だろう。
また、(非常に読みにくい)当該論文を流し読みしたが、方法論的な問題があるように思う。ベースラインモデルは、代表的消費者の効用の現在割引価値[latex]\int_{0}^{\infty}e^{-\rho t}\left[u\left(x_{t}\right)-w\ell_{t}\right]dt[/latex]を知識生産関数に基づく運動方程式[latex]\dot{k}_{t}=A\left(k_{ot}^{\alpha}+\eta\right)\ell_{t}^{\beta}+B\left(k_{t}-x_{t}-k_{ot}\right)[/latex]と適当な制約のもとで最大化しているようだ。しかし、知的財産権がなければ発明家個人と消費者全体の利害は一致しないので、効用が最大化されるというのは不思議な仮定だろう(自分で発明して自分で使うなら分かる)。知的財産権をモデルに加える際には消費者の効用の代わりに独占権を持つ主体が自分の利潤を最大化するとしている。モデル上では単純に効用関数[latex]u\left(x_{t}\right)[/latex]を独占利潤[latex]u’\left(x_{t}\right)x_{t}[/latex]に入れ替えるだけだ。目的関数を消費者余剰から独占利潤に変えたわけだからこれが厚生にマイナスの影響を与えるのは当たり前だ。
One way to think of this is in terms of the “public-private partnership” under which universities are encouraged to patent ideas developed using government funding. By awarding a monopoly we would expect less actual research to be done at universities, but the results of the research that did take place would be made available to industry sooner. It is claimed that the “public-private partnership” has been a great success because of the latter. In this model, that is unambiguously bad, as scientific resources ([latex]k_t[/latex]) are misallocated to industrial applications when it would be better, from a social point of view, to use them in producing more original research that would, optimally, be brought to industrial fruition somewhat later.
彼らの議論が当てはまる例として産学連携(public-private partnership)が挙げられている。産学連携によって大学での研究成果で特許を取得することが奨励されると、実際の研究成果は減るが成果が産業界へ公開されるのは早くなる。そのような特許政策をやめれば研究成果が中途半端に応用されることがなくなり社会的に望ましいとされている。
しかしこの説明はむしろ彼らのモデルの問題を示しているだろう。知的財産権がなければ大学の研究がより効率的になると言えるのは研究予算が国から支給されているからだ。これが民間企業であれば知的財産権がなくなるとそもそも研究開発投資を行えなくなる(自社で製品化して利益を出すことはできるが)。
では何故、大学での研究に国家予算が当てられるか。それは政府が大学で研究される既に確立された学術分野の価値を理解しているからだ。しかしこの方法では例えばiPhoneは発明されない。政府はそもそもiPhoneのようなデバイスの社会的価値を事前に把握できない。
そもそも特許制度の目的はこのような政府にとってその価値が事前に把握できないような発明にインセンティブを与えることなのだから、アイデア自体は豊富にありどうやってそれを推進するかという創造的環境において特許制度が望ましくないといったところであまり意味はないだろう。
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