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日本版フェアユース

January 18th, 2010

アメリカでは著作権侵害の申し立てに対し、フェアユースが抗弁として用いられる。フェアユースが認められるかどうかは以下の四点(17 U.S.C. § 107)にしたがって総合的に判断される(balancing test):

(1) the purpose and character of the use, including whether such use is of a commercial nature or is for nonprofit educational purposes;
(2) the nature of the copyrighted work;
(3) the amount and substantiality of the portion used in relation to the copyrighted work as a whole; and
(4) the effect of the use upon the potential market for or value of the copyrighted work.

(1)使用目的(2)著作物の性質(3)利用の程度(4)市場への影響である。日本でもフェアユースを導入しようという議論が進んでいるが、Copy & Copyright Diaryさんでその内容が紹介されている。

日本版フェアユースの範囲 – Copy & Copyright Diary

日経の記事では、フェアユースとして認められるものとして

1. 広告で利用する写真にたまたま美術品などが写り込んでいるケース
2. 合法的な利用に必要なケース(CDをインターネット配信する場合のサーバーでの楽曲複製など)
3. 本来の利用でない複製(言語分析のために小説を複写するなど)

があげられている。

これらは技術的理由・取引費用の観点で正当化できる。配信のための複製は著作権者にとっても必要だし、一部に入り込んでしまう程度の二次利用は取引費用がなければ簡単に合意できるはずだが、現実には交渉費用・裁判費用・支払いに伴う費用などにより難しい。よって、当該著作物の市場価値への影響がなければ(=取引費用がなかったとしても極めて少額の使用料になる)、最初から利用可能としておくことが望ましい

朝日の記事では、フェアユースとして認められないものとして

* 社内会議で配るために書籍の一部をコピーすること
* 他人の著作物を利用して新たな創作をするパロディー

の2つが例としてあげられている。

逆にフェアユースにならない例として社内利用やパロディーが挙げられている。おそらく商用利用は基本的にアウトということだろうが、いずれも程度によるだろう。小規模の企業内利用で元の作品の収益が悪化するとは考えられない。逆に商用目的のパロディであれば交渉費用は複製の規模に対して比較的小さいのでフェアユースにならないのも妥当に思える。

ただし、アメリカにおけるフェアユースは一般規定であり認めらるもの・認められないものを列挙するというのは趣旨が異なることには注意する必要がある。あくまで個別ケースについて四つの観点からチェックするという構造だ。日本版フェアユースという言葉遣いは(同様の構成をとらないのなら)誤解を招くように思う。

本題とは関係ないがちょっと気になった部分がある:

法制問題小委員会では日本版フェアユースの導入について検討を行っているが、秋より具体的な検討は権利制限の一般規定ワーキングチームで行われていた。ワーキングチームは非公開で行われていたので、そこでの議論は全く分からなかった。

フェアユースに関する議論は非公開のようだ。朝日新聞と日経新聞がその内容を報じているが、それもインターネット上には存在しない。著作権に関する議論がこれほど閉鎖的でいいのだろうか。

フェアユースについてはこれからも注目していきたい。

出版社・芸能事務所・フリー編集者

January 13th, 2010

電子書籍化が国内出版社同士の協力を促しているというニュース。気になったのは電子書籍の出版権についての記述だ。

asahi.com(朝日新聞社):電子書籍化へ出版社が大同団結 国内市場の主導権狙い – 文化

著作権法ではデジタル化の許諾権は著作者にある。大手出版社幹部は「アマゾンが著作者に直接交渉して電子書籍市場の出版権を得れば、その作品を最初に本として刊行した出版社は何もできない」と語る。

現状では出版社は電子書籍の出版権を持っていない。よってアマゾンのような第三者がその権利を著作権者から直接取得してしまう可能性がある。

日米の「綱引き」で作家の取り分(印税)が紙の本より上がる可能性は高い。出版社から見れば、作品を獲得するためにアマゾンとの競争を迫られることになる。

作家の取り分が紙の本より上がることは社会的にみれば望ましい。ある書籍のがもつ潜在的な市場規模のうち、著作権による独占で得られる著者の取り分はかなり少ない。よって本来社会的には価値のある著作も、著者の個人的見返りに見合わないために執筆されない。作家の取り分が増えればより多くの著作が世に出回る

講談社の野間省伸(よしのぶ)副社長は「経済産業省などと話し合い、デジタル化で出版社が作品の二次利用ができる権利を、著作者とともに法的に持てるよ うにしたい」との考えだ。新潮社の佐藤隆信社長は「出版社の考えが反映できる場を持つことで国内市場をきちんと運営できる」と語る。

そうすると、電子書籍の権利の話は出版社が自分の取り分を維持したいだけのようにも聞こえるがそうでもない。何故なら電子書籍の売上と紙媒体での売上には外部性があるからだ。出版社にとっては営業努力をして紙媒体で売った作品を電子書籍でばらまかれては努力が無駄になってしまう。逆に、新規の著作では電子書籍が紙媒体のプロモーションのために使われるだろう。

このような問題を解決する簡単な方法は二つの販売経路を一つの主体が管理することだ(内部化)。そうすれば、紙媒体の売上への影響も計算にいれた上で電子書籍のプロモーションを行うことが出来る。

出版社も新しい出版契約についてはデジタル化の権利まで含むものにするだろうが、過去の契約については作家と再交渉が必要、つまり作家への見返りが必要であり、これを政策的になんとかしてほしいというのが上の発言だろう。

ただ、この流れが電子書籍の権利までに止まるかは疑わしい。音楽市場においてデジタル化は音楽の販売によって利益を上げるというビジネスモデル難しくした。アーティストはライブパフォーマンスで稼ぐようになっており、既に有名アーティストがコンサートプロモーターであるLiveNationのような企業と契約している。これは上の理屈と全く同じで、ライブと音楽販売との間の外部性を内部化するビジネスモデルだ。前者の重要性が増せば、ライブを本業とする企業がレコードレーベルに優位に立つのも頷ける。

書籍でも執筆者にとって著作の売上自体の重要性は減っていっている。収益化の難しいデジタル化はその流れを加速させるものだ。本を出版することで知名度・ネットワークを築き、別の経路でその金銭的リターンを享受しようとする人が増えれば、出版は個人のプロモーションの一部でしかなくなる

そうなったときに出版社が競争優位を持っているとは限らない。個人レベルのプロモーションでは例えば芸能事務所に分がある。今ならソーシャルメディアのコンサルタントがプローモーターとなることもありうるだろう。プロモーションを一手に引き受けるものが出版も手がける。

また利益の回収方法が多様化すればそれを適切にカバーするビジネスがなくなるかもしれない。そうなれば、将来稼ぐことを見越して出版社が作家を囲い込むことはできなくなる。有名になったとして出版で稼いでくれないなら投資を回収できないからだ。結果、著者自身がリスクを負った上で必要に応じて外部と契約することが多くなるだろう。これはフリーの編集者という職業を生む。

現在の出版社が生き残ろうと思うなら、音楽業界がたどった道を分析し、それに抗うのではなくうまく乗っていくべきだ。

追記:

紙の本の出版権とデジタル化権の抱き合わせには反対」に実際の業界の慣習を交えた興味深いエントリーがある。これについても後ほど考察したい。

剽窃の検証

December 24th, 2009

Tweetやはてなブックマークお願いします。

問題のエントリーは保存してありますが著作権の問題があるかもしれないので公開していません。以下に引用してあるほぼ丸写しの部分で元記事の八割以上です。

追記:現在までの経緯

  1. 剽窃行為が行われる
  2. アクセス解析で発覚、相手ブログのコメント欄で抗議、本検証記事の執筆
  3. ご本人からコメントあり。参照先の訂正だけが行われるが、相変わらず盗作状態は続く
  4. こちらは、記事の削除ではなく、適切な引用および剽窃行為があったのことの明示を求める(本ブログおよび相手ブログのコメント欄)
  5. 対応がなされないまま一日経過。その間にも相手ブログは更新される
  6. 誠意がみられないので、要求を当該ポストの削除および謝罪の掲示に切り替える
  7. 再びご本人からコメントがあり、当該ポストの削除のみが行われる
  8. 現在:事実関係の説明および謝罪ポストを要求中

最初のコメントでは:

気を悪くされたみたいで申し訳ありませんでした。LINKについては即刻、訂正させていただきました。私は以下の信条でサイトを運営しております。

http://d.hatena.ne.jp/keitaro2272/20091107/1257543330

お気に召さないようでしたら、即刻記事を削除いたします。

追伸:他記事において参考にさせていただいた様々なブログ主様とは記事のリライト等を通じて交流させていただいています。できれば、rionaoki様とも交流を継続していきたいと考えております。厚顔無恥を重ねてお許しください。

とあるが、剽窃行為を自分の信条として正当化、単なる盗作を記事のリライトを通じた交流(!)と称している。二回目のコメントでは、

手前の都合上、返信が遅れてしまいました。思想の違いは乗り越えられそうにありませんので、元記事は削除したいと思います。ご迷惑をおかけしました。そして、当ブログとは今後リンクを貼らないことを約束いたします。まことに申し訳ありませんでした、

剽窃行為の指摘をまたも思想の違いと主張している。剽窃行為は剽窃行為であって、他人の文章をあたかも自分が書いたように見せ掛けることは正当化できないことだ。当該エントリーは削除されているが、既にそれを読んで彼が執筆したと勘違いした読者は多数いると考えられ、引き続き事実関係の明示並びに謝罪の記事掲載を求めていく次第である。

検証

まるで自分が書いたのでは錯覚するほどに、自分のエントリーとそっくりな文章を発見した。事実関係としては、

問題は以下だ:

  • 参照した文章を明示する必要がある(リンクが不適切)
  • 引用であることを明示する必要がある(引用になってない)
  • 改変して自分の文章とすることは許されない

これは学術的には当たり前のことだし、著作権上も黒だろう。検証を行っても新しい文章がこの世に出るわけでもなく時間の無駄であるが剽窃と言わざるをえないのでここで明らかにしたい。悪気はないという可能性もあるが、この程度のことはレポートを一度でも書いたことがあれば分かることだ。

二つの文章を読めば明らかだが、以下、二つの記事がどれほど酷似しているかを順に検証する。当該記事からの引用と私の(リンクされていない)記事からの引用を対比していく。わかりやすいように後者はイタリックとする。

「金儲け=悪」という方程式は成り立つか – keitaro-news

そもそも『金儲け』するためにはいったいどうすればいいのでしょうか。簡単な金儲けの例を挙げますと『お客に商品やサービスを提供して代金を支払ってもらう』ことです。その商品やサービスが1000円だったとすれば、原価を除いた部分に利益がでます。これが儲けになります。別に強制しているわけではないので、これはお客様が望んだことです。お客は商品を手にして満足する。売った方も儲けが出て満足します。誰も損していないのです。

お金を稼ぐとはどういうことだろう。例えば、レストランであればお客さんに食事を提供することだ。客はお金を払って=他の消費を犠牲にして食事を注文している。別に強制しているわけではないのでこれは客にとって望ましいことなはずだ。その食事は1000円だっとする。レストランはそれを1000円で自分から提供しているのだからそれで利益がでるはずだ。二人が自発的に取引を行っているということはそれが二人にとって望ましいということだ。

文章の構成及び内容は同一だ。1000円という数値例も一致している。強制の有無に関する指摘も同じだ。

商売の本質は社会をうまく回すシステムにあります。商品を作ることが出来る人と商品が欲しい人を結びつけるのです。商売は価値を生みだし、それを交換することで成立します。ビジネスが基本的には価値を作り出す=社会を豊かにすることは明らかです。

解消する非効率が全体のパイで、利益はその分け前だ。ないパイは分けられないので、ビジネスが基本的にはパイを作り出す=社会をよくするものなのは明らかだろう。

「パイ」が「価値」に、「よくする」が「豊かにする」になっているだけだ。

金儲けの一番簡単な方法は人々に望まれていることをすること

お金を稼ぐ一番簡単な方法は人々に望まれていることをすること

「お金を稼ぐ」が「金儲け」になっただけだ。

相手を騙して利益を得るようなことがあれば、それは犯罪となります。取引を強制するようなことはほとんどの場合が犯罪となります強制的に物品を奪い取るのは強盗であり、金をだまし取るのは詐欺ですこれらの行為は何も生産しないどころか、その過程で暴力のような価値自体を破壊します。また、社会を崩壊させるような麻薬取引や武器の密売などの商売も同様です。

レストランの話は客が自発的に食事を注文していることが前提だ。もしレストランがぼったくりだったら、悪いことだろう。しかし、ぼったくりが犯罪であるように、取引を強制することはほとんどの場合に犯罪となる。これは偶然ではない。自発的でない取引は一般に望ましくないので、それを犯罪としているのだ。強制的に物品を奪い取るのは強盗であり、金をだまし取るのは詐欺だこれらの行為は何も生産しないどころか、その過程で暴力のようなパイ自体を壊す行動を伴う

取引を強制することが犯罪になるという箇所や、強盗や詐欺への言及、まとめに至るまで「パイ」=「価値」のような言い換えがある程度でほぼ同じだ。

社会的に望ましくない商売は、割に合わないように社会で設計されている(していく)のです。犯罪に至りませんが、社会的に公平を保てない商品やサービスには高い税金が課されています。タバコや酒などは完全に禁止して取り締まるコストを支払うよりも、税金で適当なバランスをとったほうが社会を回すのに効率が良いからです。

だからそれは違法とされており、社会的に望ましくないビジネスは割に合わないように社会は作られている。犯罪にするほどではない場合には税金が課される。例えばタバコを吸うことは本人にとってはプラスなので完全に禁止するよりも税金で適当なバランスをとったほうがいいからだ。

最初の一文は「ビジネス」が「商売」に、「作られている」が「設計されている」になっているだけだ。タバコへの税金の箇所も同じだ。

何故雑誌は新聞よりうまくいくか

December 9th, 2009

デジタル化した市場で雑誌の未来は新聞のそれよりも明るいという話:

雑誌の未来、新聞よりは明るい? 光沢は失えど先行きに希望 JBpress(日本ビジネスプレス)

データベースのメディアファインダー・ドット・コムの試算では、北米では今年1~9月期に383誌が廃刊になった。だが、ここ数カ月、生き残った雑誌は意 外な自信を見せ始めている。紙媒体についてもデジタル版についても、雑誌の命運は必ずしも一緒にスタンドに並ぶ新聞と同じではないと考えるようになったの だ。

新聞より雑誌がうまくデジタル化に対応できるのはその通りだろう。しかし、元記事で挙げられているその理由はあまり正確なように思えない:

  • 時間に敏感でないのでアグリゲーターの影響を受けない
  • E-bookリーダーが雑誌なみに画質を再現

私は雑誌の未来が明るい理由は次のようなものだと考える:

  1. デジタル化は市場を広げるためニッチなセグメントで雑誌が活動するのを容易にする
  2. 新聞はもともと様々な情報を集めるアグリゲーターなのでGoogle Newsのようなアグリゲーターと競争になるが、雑誌は直接競争にはならない
  3. 雑誌の内容はニュースではなく著作物であり知的財産として保護される

1はネットがない時代を考えるとわかりやすい。紙媒体がカバーできる面積には限界がある。大都市でニッチな産業が発展するように、ネットは情報面での人々の距離を縮めニッチなビジネスを可能にする。

2は見落とされがちな点だ。新聞各社はGoogle Newsを批判する。それは単に彼らがGoogle Newsと同じ土俵で戦っており負けているからだ。もともと新聞というビジネスの本質は、情報の生産者というよりもアグリゲーターだ新聞社が記者やコラムニストを囲っていたのは単なる垂直統合に過ぎない。垂直統合を有利にしていた技術・経済的背景が変化し、記者やコラムニストがデジタル時代に新聞社から分離していくのはその帰結だ。もともとアグリゲーターとしての機能が小さい雑誌はGoogle Newsのようなサービスとの競争を心配する必要がない。

3は何度か述べているが、ニュースという事実を保護するのは技術的に難しい。雑誌の内容は普通の著作物なので単純にコピーされる心配はないだろう。

追記:はてなブックマークで

Google Newsには新聞は勝てないが雑誌は著作権というアドバンテージで勝てるという話。いまひとつ腑に落ちない。

とあるが著作権の話がメインではない。最大のポイントはGoogle Newsと新聞は競争相手だが、雑誌は勝てる・勝てない以前に同じ土俵にはいないってこと。もちろんそれゆえに雑誌は成功するっていうわけでもない。ニッチを狙うビジネスとメインストリームを狙うビジネスとでは最適な戦略が全然違う。

現代版ハリソン・クロノメーター

December 9th, 2009

ジョン・ハリソンは18世紀に英国議会の賞金に応じ、海洋での正確な経度測定を可能にするクロノメーターを発明した。この時に天文学者で構成される緯度委員会が賞金の支払いに二の足を踏んだことはDava Sobel(デーヴァ・ソーベル)のLongitude(経度への挑戦—一秒にかけた四百年)に詳しい。

簡単に説明しよう。緯度の測定は北極星を使って比較的簡単に可能だが、経度の計算は難しい。太陽の位置と正確な時計があれば時差から計算できることは分かっていたが、時計の精度や信頼性の問題があった。緯度委員会はこれを天文学的に解決する方法を求めて、誤差のない緯度測定方法に賞金をかけた。

しかしジョン・ハリソンは時計職人で、この問題を実際に精度が高く、悪辣な環境でも動作しつづける時計を作ることで解決した。これに対し、緯度委員会は賞金の全額支払いを拒んだ。彼らが望んだ解決方法ではなかったからだ。最終的には国王が介入し、ハリソンは現在の特許制度のように再現可能な設計図とサンプルを提供し全ての賞金を受け取った。

ハリソンと緯度委員会との問題は賞金を用いたイノベーション促進の欠点として取り上げられるが、現代においても同じ種類の問題は起こっている:

DARPA Pays MIT to Pay Someone Who Recruited Someone Who Recruited Someone Who Recruited Someone Who Found a Red Balloon

もちろん緯度委員会はもう存在しない。代わりを務めるのはのは通称DARPA、米国防高等研究計画局だ。先端技術の軍事転用のための組織であるDARPAは30億ドル以上の研究予算を持ち、インターネットの前身であるARPANETを開発したことで特に有名だ。

DARPA, the Defense Department’s research arm, recently sponsored a “Network Challenge” in which groups competed to find ten big red weather balloons that were positioned in public places around the U.S. The first team to discover where all the balloons were would win $40,000.

今回DARPAは10個の観測バルーンをアメリカ国内に設置しそれを最初に全て見つけたチームに$40,000ドルの賞金をかけた。

On DARPA’s side, this was inspired by the famous Grand Challenge and Urban Challenge, in which teams built autonomous cars that had to drive themselves safely through a desert landscape and then a city.

規模は違うが、自動走行型のロボット開発を促すための他のプロジェクトから発想を受けたのではないかと指摘されている。

MIT let anyone join their team, and they paid money to the members who found balloons, as well as the people who recruited the balloon-finders, and the people who recruited the balloon-finder-finders.

しかし、結局賞金を手にしたMITのチームは工学的な解決策をとらなかった。バルーンを見つけた人と、その人を紹介した人、その紹介した人を紹介した人、というように発見者と紹介者全てに賞金を分配すると宣言したのだ。これにより大量の人々がバルーン探しに加わって最初に全てのバルーンを発見するに至った。

賞金が少ないこと、そもそも宣伝目的ではないか、など色々な事情はあるが、賞金によってイノベーションを促進するのは実は難しい。近年非難されることの多い特許制度では、イノベーションの対価はそのイノベーションが市場で生み出す価値にリンクされているのでこのような問題は軽微だ。