テレビはオンデマンドに

民放連がCM飛ばし機能に対抗策ということだが、一番の問題はテレビ局が消費者の動きについていってないことだろう。

民放連、機器のCM飛ばし機能「看過できない」  :日本経済新聞

民放各局の収入はテレビ広告が大部分を占めており、広瀬会長は「メーカーが同種の機器を発売するのは民放の経営を危うくするので困る」と強調した。

広告収入が大事なのは分かるが、CM飛ばし機能が出現するのは技術的な必然であり、これを無理やり押しとどめようというのは難しい。テレビ視聴のありかたは、ストリーミングやダウンロードで提供されるオンデマンドと、録画を通じてのタイムシフト・デバイスシフトに移っていっている

CM飛ばしが問題となるのは後者だが、こうした動きが世界中で広がっている以上、日本のテレビ局が家電メーカーに圧力をかけたところでうまくいかないか、取り残されるかのどちらかだろう。

むしろNetflixやiTunesのようにストリーミングやダウンロードに力を注ぐ方がいい。携帯端末でもストリーミングが可能になっており、オンラインで(妥当な価格で)十分なコンテンツが提供されるのなら、自分でわざわざ録画して後で見たり、携帯に移して見たりする必要はない。

ストリーミングであれば広告を飛ばすという問題は生じないし、広告をなくすためにお金を払ってもいいという消費者に対しては広告を非表示にしたり、ダウンロードで対応したりすれば利益になる。インタラクションのあるオンライン上では視聴者を均質な存在と考えるよりも、複数のメニューを提供した方が収益性は高い。

とはいえトップが「看過するつもりはない」などという物言いをしているようでは大した期待はできなさそうではあるが。

Bloombergのオンライン戦略

Bloomberg(ブルームバーグ)といえば、金融機関向けの端末をリースする会社だが一般向けのニュース配信にも乗り出そうとしているそうだ。

Bloomberg’s move into consumer media

Said Doctoroff, “We want to gain a greater audience for Bloomberg News, which translates into greater influence, which translates into more market-moving news, which enables us to sell more terminals.”

CEOによるとBloombergがニュースを一般に公開することでより大きな影響力を持ち、それが端末のさらなる販売につながるとのこと。

Those professionals really don’t care if the news is on a Bloomberg website or not; as far as the market is concerned, the information is public as soon as it hits the terminal in any case.

これは妥当な戦略だ。まず、ニュースは一度公開されてしまえば、それに従って市場取引が行われる。そもそもニュース自体には著作権の保護はほぼ(※)ないわけだから、例えネットに公開しなくても誰かがそうするのを止めることはできない。よってそうするのがBloomberg自身であってもいい。

(※)一応、Hot News Doctrineなんかはあるが…。

The web is simply too big: no matter how much beefed-up Bloomberg content is “dumped” onto it, that’s never going to suddenly make it a much more attractive alternative to a purpose-built news and information terminal designed very specifically for financial professionals.

Bloomberg自身がニュースをウェブに公開することでウェブ全体の情報が優位に増えるわけではなく、自社の情報端末の売上がそれによって左右されることはない。ネットに情報があるなら端末を買わないという客はすでに客であるはずはないわけだ。

The point is that Bloomberg can profit from an asymmetry: if a Capitol Hill staffer reads B Gov a lot, she’ll be more likely to talk to the Bloomberg commodities reporter calling from New York or Sao Paulo.

逆に、Bloombergが金融以外の分野で影響力を上げることは、端末を利用するユーザーにとって重要な情報を手に入れる上でプラスに働く

Bloombergは本業である金融機関・専門家という市場への外部性を狙って一般的なニュース配信市場に参入するという形だ。端末が扱う情報は極めて時間にセンシティブなのでこれが可能となる。新聞社や放送局が情報流通経路へのコントロールを失うなかで、それ自体で利益を生むことの難しいニュースを誰が担うのかに注目したい

中国の翻訳サイト

コラボレーションに基づく中国の翻訳サイトが紹介されている。

The Wikipedia of news translation: Yeeyan.org’s volunteer community

Aside from reading stories, users can perform two basic actions: recommend a story or a URL for translation, or translate a recommended story.

Yeeyan.orgは英語のサイトを中国語に翻訳して公開するサイトだ。読者は訳して欲しいページを送ったり、逆にそういったページを翻訳することができる。

The site’s design encourages participation in a number of different ways. The front page prominently displays a staff-curated selection of recommended but as-yet-untranslated articles.

もちろん翻訳者を集める方が難しいので、そのために一通りの工夫がしてある。ユーザーごとに翻訳したストーリーのリストやコメントの数、バッジを表示するなど、大抵のフォーラムにあるサイトへの貢献を促す仕組みを備えている。

Beginning translators tend to produce rough texts and make many mistakes, says Kitty, but “it is cruel if we don’t even provide a chance.”

さらに、翻訳の質にはこだわっていない。厳しい管理をすると翻訳を始めようとするひとを遠ざけてしまう。これはQ&Aベースのフォーラムなどで重要な視点で、初心者を上手く取り込むための試みだ。フォーラムであれば初心者向けの専用ページを作るのもその一つだ。

Under international law, permission from the copyright holder is generally required to create or publish a translation. By publishing user-supplied translations of arbitrary news material, Yeeyan creates a public good in a legally dubious fashion.

しかし、勝手に翻訳を公開するのは、翻訳権の侵害である。これは日本でも英語サイトを全訳する場合に問題となる(例えばこのブログでは全訳は避け、常に自分の意見が主になるように心がけている)。

Even so, Yeeyan is actively seeking agreements with copyright holders to create and publish translations of their work.

そのため、Yeeyanは著作権者に対して翻訳を作成・公開する合意を取り付けるべく努力していて、既に有名サイトであるReadWriteWebの中国版を公開している。

But there’s money to be made offline if you have access to a huge pool of translation talent, and connections to publishers on both sides of the language divide.

Yeeyan自身は著作権の問題もありあまり広告収入を上げていないが、翻訳家のプラットフォームとして機能することで収益をあげているようだ。翻訳で稼ぎたい人が集まりYeeyan上でニュースなどを翻訳、そこで認知され、実際の仕事を受注する。仕事を手に入れる評判作りとスキルアップのために、公共財を提供するというのは(仕事につながらない)Wikipediaよりもオープンソース開発に近いだろう。

ブックスキャン

スキャニング代行合法化には賛成だが、理由はちょっと違う。

本のスキャニング代行サービスはもうそろそろ合法としようか

だって、代わりにやって欲しいもの(笑)。

スキャン代行合法化のメリットは個々の人間が合法とされている個人複製を外注、分業できることだけではない。本当のメリットは、もし代行が合法でならスキャンされる書籍の権利者・出版社がデジタルデータを提供するということだ。スキャン代行を合法にすることでスキャン代行自体必要なくなる。

理由は簡単でスキャン代行というのは社会的にみて異常に非効率だからだ。既に印刷されおそらく劣化した紙媒体を裁断した上でスキャン、OCRという作業には費用がかかる。だからこそ今回低価格を売りにする業者の登場が話題になった。しかし、代行業者が幾ら費用を切り詰めようと出版社には勝てない。元のデータを持っているのだからそれを販売すればいいだけだ。但し幾つかクリアすべき壁がある。

一つの問題は、単にデジタルデータを販売するだけでは、書籍を購入した人ととそうでないひととの間に価格差をつけられないことだ。紙媒体所有者は再び全額を払いたくないので低価格を望むが、市場のなかで既に紙媒体を所有していてかつ電子化を望む人の割合が小さければ、出版社にとっては単に彼らを無視しているほうが利益になる(均一価格かそもそも電子版を出さない)。しかしこの問題は単に紙媒体を出版社に提出させれば解決する。スキャン代行でも原本は商品価値を失う程度に破壊されるので消費者としても問題はないだろう。

もう一つは、出版社が原本をデータとして保有していない場合だ。実際にそのような例がどれくらいあるのかは知らないが、そういうケースでは出版社自身がスキャンする必要があるかもしれない。しかしこの場合でも、出版社ないし出版社が委託した業者(Googleでもいい)が行えば一度電子化するだけで終わりなので、紙媒体一つずつをスキャンするという膨大な無駄は回避できる

著作権制度は、コンテンツを作成するために私的独占を通じてインセンティブを与える制度だ。どの程度の権利を著作者に与えるかはインセンティブと独占の弊害とのバランスによって決まる

今、本のスキャニング代行という極めて非効率なサービスが注目を浴びているというのはそこに需要があるということであり、それを妨げる制度の弊害が大きくなっているということだ。独占の弊害というコストが増大しているのであれば、ベネフィットが変わっていなくてもそのバランスは再調整される必要がある

引用と剽窃

久しぶりにリファラを覗いたところ名指しされていたので(釣られている気もするが)取り上げてみよう。

どうせならパクられて喜ぶ人の記事をパクってほしい

以前、「剽窃の検証」で説明したが、「ビジネスをしてお金を稼いで社会のためになろう」という記事がkeitaro-newsというサイトにほぼ丸々コピーされたことがあった。こちらから連絡を入れたものの、開き直りとしか取れない発言を連発するばかりで最終的には記事が削除されただけで音信不通となった。

先日、同じサイトが再び他のサイトの文章をほぼ丸写ししたということが話題になった。今回リンクしているのはそれに対する反応だ。

keitaro2272さんの特徴は、参照した記事を大幅にリライトすることだ。元の記事を自分のブログのフォーマットに変換し、わかりにくいと思った部分は大胆に書き換えたり、バッサリ削ぎ落としたりする。

著者の徳保さんは上のようにコピーを行っているサイトの運営者を特徴付けている。私の記事の場合には正直わかりにくくなっているだけだった。

原典へのリンクがあれば、fromdusktildawnさんや青木さんは、こうした記事の書き換えを認めただろうか。fromdusktildawnさんはどうかわからないが、青木さんは「引用」という形式を守ることを求めていたので、おそらく認めなかったろう。

私の考えが推測されているので答えておくと、「書き換え」は「引用」とは異なるので認めない。「書き換え」であるなら少なくとも「書き換え」だと明示するべきだ。別に難しいことではないだろう。これは「書き換え」自体を否定しているわけではない。時折記事の掲載を依頼されるが、その際には「書き換え」は了承している。ちなみに細かな修正以外はその旨表記されるし、実際の掲載前には確認の連絡が入るのが普通だ。

いまのウェブには、編集者が欠けている。カウンター文化が後退し、自分の文章が読まれる場所はRSSリーダーでもtumblrでもいいよ、という感覚が広まってはきたが、一見してパクリだとわかるような「書き換え」まで許容されるようになっただろうか。まだ、そこまでは進んでいないだろう。

編集者が欠けているのはその通りだ。自分の文章が読まれる場所はどこでもいいよという感覚も広がっている。しかし、その延長に自分の文章がパクられてもいいは含まれていないだろう。「進む」という表現はおかしい。

タイトルを変え、本文に手を入れることで、原典のままではリーチし得なかった層に届くようになる、というケースは少なくないと思う。それを「もったいない」と思う感覚は、私の中にもある。が、記事のリライトはハードルが高い。まず認められない。だからゲリラ的にやっていくんだ……しかし当然、それでは叩き潰されることになる。

「タイトルを変え、本文に手を入れ」るというのは編集者の仕事だろうが、その後に自分の名前をつけて売る編集者はいない。どうして「タイトルを変え、本文に手を入れ」た後にその旨を表示して編集者として掲載するという穏当な中間地点は考慮されないのだろうか

keitaro2272さんは、過去の多くの同種の事例とは異なり、剽窃を指摘されてもブログを畳んでこなかった。私はここにひとつの希望を見る。

私は、剽窃を指摘されてもブログを畳まないのはそれが(主に金銭的な)利益になるからだと考えるがどうだろう。法的手段に訴える人はほぼいない。

keitaro2272さんとしては非常に厳しい制約になるが、その自由に使える記事だけをネタ元として、半年くらい更新を頑張ってみてはもらえないか。もし、keitaro2272さんのリライトによって、全く注目されなかった記事が世間で大受けするといった事例が相次ぐならば、「盗用でもいいからネタ元に加えてほしい」というブロガーが少しずつ増えていくのではないかと思う。

この提案には二つの問題がある。一つは「著作者名の詐称もOK」というサイトだけでは同じような運営はできないことだ。多くの人にとって記事を書くために時間を投じるのは何らかのリターンを期待しているからだ。ブログ自体が無料であるかとは関係ない。知名度を上げるでもいいし、広告収入を見込むでもいい。前者であれば少なくとも誰の文章かすら明示されない剽窃はマイナスでしかないし、後者では(将来を含め)トラフィックが発生しなければ意味がない。

もちろん、単に自分の文章を読んでもらえれば満足という人もいるだろう。しかし、それだけの理由でまとまった費用を支払う人はあまりいない。とにかく読んでもらいたくてしょうがないか、機会費用が低いか、時間をかけずに書いている、という状況が多くなるだろうが、そうやって出来た記事をどれだけ読みたいだろうか。

文中で挙げられている2chのまとめ系ブログは確かにとても面白い記事が多い。しかし、署名なしで書き込まれた文章の(リンクなし)転載と、署名のあるブログの記事の盗用を同列に比べるのはどう考えても無理がある。

二つ目は「盗用でもいいからネタ元に加えてほしい」のであればそれはもはや盗用ではないということだ。

どうせならパクられて喜ぶ人の記事をパクってほしい

というタイトルになっているが、それなら確かに誰も文句は言わない。

パクられてもOKな人が世の中には何人もいるのだ。両者をうまくつなぐ仕組みの不在こそが問題なのである。

しかし問題は「パクられてもOKな人」とパクリたい人をつなぐ仕組みの不在ではない「パクられてもOKな人」な人の文章をパクリたいひとがいない(ないし非常に少ない)のだ。著作権に限らず知的財産権は、簡単にパクることができるものを保護する制度だ。それによってパクられることをあまり心配せずに、コンテンツを生産することができる。コンテンツからの利益とそれが配布されることの社会的便益とのバランスをとっているわけだ。一定のバランスを強制するわけでもない。ただ広まって欲しいのであれば転載・改変を許可すればよいだけの話だ。

ウェブの発達は、無料のコンテンツを増やした。これは無料でも広まってくれた方が著者にとってプラスであることが多いからだが、そのコンテンツから著者というタグを取り外してしまうというのは全く別次元の問題だ。自分の作った文章がぱくられてでも流通して欲しいというのは自由だし、現行制度・文化的にも問題なくできる。しかし、全ての文章がそうでなければならないなら世の中に流通するコンテンツは大幅に減ってしまうだろう。