引用と剽窃

久しぶりにリファラを覗いたところ名指しされていたので(釣られている気もするが)取り上げてみよう。

どうせならパクられて喜ぶ人の記事をパクってほしい

以前、「剽窃の検証」で説明したが、「ビジネスをしてお金を稼いで社会のためになろう」という記事がkeitaro-newsというサイトにほぼ丸々コピーされたことがあった。こちらから連絡を入れたものの、開き直りとしか取れない発言を連発するばかりで最終的には記事が削除されただけで音信不通となった。

先日、同じサイトが再び他のサイトの文章をほぼ丸写ししたということが話題になった。今回リンクしているのはそれに対する反応だ。

keitaro2272さんの特徴は、参照した記事を大幅にリライトすることだ。元の記事を自分のブログのフォーマットに変換し、わかりにくいと思った部分は大胆に書き換えたり、バッサリ削ぎ落としたりする。

著者の徳保さんは上のようにコピーを行っているサイトの運営者を特徴付けている。私の記事の場合には正直わかりにくくなっているだけだった。

原典へのリンクがあれば、fromdusktildawnさんや青木さんは、こうした記事の書き換えを認めただろうか。fromdusktildawnさんはどうかわからないが、青木さんは「引用」という形式を守ることを求めていたので、おそらく認めなかったろう。

私の考えが推測されているので答えておくと、「書き換え」は「引用」とは異なるので認めない。「書き換え」であるなら少なくとも「書き換え」だと明示するべきだ。別に難しいことではないだろう。これは「書き換え」自体を否定しているわけではない。時折記事の掲載を依頼されるが、その際には「書き換え」は了承している。ちなみに細かな修正以外はその旨表記されるし、実際の掲載前には確認の連絡が入るのが普通だ。

いまのウェブには、編集者が欠けている。カウンター文化が後退し、自分の文章が読まれる場所はRSSリーダーでもtumblrでもいいよ、という感覚が広まってはきたが、一見してパクリだとわかるような「書き換え」まで許容されるようになっただろうか。まだ、そこまでは進んでいないだろう。

編集者が欠けているのはその通りだ。自分の文章が読まれる場所はどこでもいいよという感覚も広がっている。しかし、その延長に自分の文章がパクられてもいいは含まれていないだろう。「進む」という表現はおかしい。

タイトルを変え、本文に手を入れることで、原典のままではリーチし得なかった層に届くようになる、というケースは少なくないと思う。それを「もったいない」と思う感覚は、私の中にもある。が、記事のリライトはハードルが高い。まず認められない。だからゲリラ的にやっていくんだ……しかし当然、それでは叩き潰されることになる。

「タイトルを変え、本文に手を入れ」るというのは編集者の仕事だろうが、その後に自分の名前をつけて売る編集者はいない。どうして「タイトルを変え、本文に手を入れ」た後にその旨を表示して編集者として掲載するという穏当な中間地点は考慮されないのだろうか

keitaro2272さんは、過去の多くの同種の事例とは異なり、剽窃を指摘されてもブログを畳んでこなかった。私はここにひとつの希望を見る。

私は、剽窃を指摘されてもブログを畳まないのはそれが(主に金銭的な)利益になるからだと考えるがどうだろう。法的手段に訴える人はほぼいない。

keitaro2272さんとしては非常に厳しい制約になるが、その自由に使える記事だけをネタ元として、半年くらい更新を頑張ってみてはもらえないか。もし、keitaro2272さんのリライトによって、全く注目されなかった記事が世間で大受けするといった事例が相次ぐならば、「盗用でもいいからネタ元に加えてほしい」というブロガーが少しずつ増えていくのではないかと思う。

この提案には二つの問題がある。一つは「著作者名の詐称もOK」というサイトだけでは同じような運営はできないことだ。多くの人にとって記事を書くために時間を投じるのは何らかのリターンを期待しているからだ。ブログ自体が無料であるかとは関係ない。知名度を上げるでもいいし、広告収入を見込むでもいい。前者であれば少なくとも誰の文章かすら明示されない剽窃はマイナスでしかないし、後者では(将来を含め)トラフィックが発生しなければ意味がない。

もちろん、単に自分の文章を読んでもらえれば満足という人もいるだろう。しかし、それだけの理由でまとまった費用を支払う人はあまりいない。とにかく読んでもらいたくてしょうがないか、機会費用が低いか、時間をかけずに書いている、という状況が多くなるだろうが、そうやって出来た記事をどれだけ読みたいだろうか。

文中で挙げられている2chのまとめ系ブログは確かにとても面白い記事が多い。しかし、署名なしで書き込まれた文章の(リンクなし)転載と、署名のあるブログの記事の盗用を同列に比べるのはどう考えても無理がある。

二つ目は「盗用でもいいからネタ元に加えてほしい」のであればそれはもはや盗用ではないということだ。

どうせならパクられて喜ぶ人の記事をパクってほしい

というタイトルになっているが、それなら確かに誰も文句は言わない。

パクられてもOKな人が世の中には何人もいるのだ。両者をうまくつなぐ仕組みの不在こそが問題なのである。

しかし問題は「パクられてもOKな人」とパクリたい人をつなぐ仕組みの不在ではない「パクられてもOKな人」な人の文章をパクリたいひとがいない(ないし非常に少ない)のだ。著作権に限らず知的財産権は、簡単にパクることができるものを保護する制度だ。それによってパクられることをあまり心配せずに、コンテンツを生産することができる。コンテンツからの利益とそれが配布されることの社会的便益とのバランスをとっているわけだ。一定のバランスを強制するわけでもない。ただ広まって欲しいのであれば転載・改変を許可すればよいだけの話だ。

ウェブの発達は、無料のコンテンツを増やした。これは無料でも広まってくれた方が著者にとってプラスであることが多いからだが、そのコンテンツから著者というタグを取り外してしまうというのは全く別次元の問題だ。自分の作った文章がぱくられてでも流通して欲しいというのは自由だし、現行制度・文化的にも問題なくできる。しかし、全ての文章がそうでなければならないなら世の中に流通するコンテンツは大幅に減ってしまうだろう。

コピペからペーパーミルへ

アメリカではかなり普及しているコピペ発見ソフト(Anti-Plagiarism Software)が日本でも登場した模様:

コピペ見破るソフト実用化 「学生らの悪癖なくす」 – 47NEWS(よんななニュース)

ソフト名は「コピペをするな」をもじって「コピペルナー」。論文の中にネット上に同じ文章がないか検索。完全に一致する部分は赤く表示され、単語を置き換えたり、語尾を変えた文章も度合いによって、該当部分がオレンジ色や黄色に表示される。コピペした部分が占める割合や転用した元の文献も割り出せるという。

大学での成績が重視されるアメリカでは、この問題は遥かに深刻だ。単なるコピペでは、同じ場所からコピーする人が多いので有料でレポートを販売するサイトも多い。日本でもハッピーキャンパスのようなサイトがある(よく検索で引っかかる)。

アメリカではさらに進化して、カスタムでレポートを作成してくれるペーパーミルが多い。例えば、Perfect Term Papersでは納期別に価格が設定されている:

5 Days & above

$7.95 per page

3-4 Days

$14.95 per page

2 Days

$19.95 per page

24 Hours

$26.95 per page

Next Morning

$34.95 per page

もはや一つの産業と化している。意図的に完成度を下げるサービスも存在し、こうなると発見は非常に困難だ。これは英語の場合ゴーストライターの確保が簡単であることが一因だろう。大学での成績を重視しない日本でこの手の商売はどの程度はやるだろうか。

剽窃の検証

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問題のエントリーは保存してありますが著作権の問題があるかもしれないので公開していません。以下に引用してあるほぼ丸写しの部分で元記事の八割以上です。

追記:現在までの経緯

  1. 剽窃行為が行われる
  2. アクセス解析で発覚、相手ブログのコメント欄で抗議、本検証記事の執筆
  3. ご本人からコメントあり。参照先の訂正だけが行われるが、相変わらず盗作状態は続く
  4. こちらは、記事の削除ではなく、適切な引用および剽窃行為があったのことの明示を求める(本ブログおよび相手ブログのコメント欄)
  5. 対応がなされないまま一日経過。その間にも相手ブログは更新される
  6. 誠意がみられないので、要求を当該ポストの削除および謝罪の掲示に切り替える
  7. 再びご本人からコメントがあり、当該ポストの削除のみが行われる
  8. 現在:事実関係の説明および謝罪ポストを要求中

最初のコメントでは:

気を悪くされたみたいで申し訳ありませんでした。LINKについては即刻、訂正させていただきました。私は以下の信条でサイトを運営しております。

http://d.hatena.ne.jp/keitaro2272/20091107/1257543330

お気に召さないようでしたら、即刻記事を削除いたします。

追伸:他記事において参考にさせていただいた様々なブログ主様とは記事のリライト等を通じて交流させていただいています。できれば、rionaoki様とも交流を継続していきたいと考えております。厚顔無恥を重ねてお許しください。

とあるが、剽窃行為を自分の信条として正当化、単なる盗作を記事のリライトを通じた交流(!)と称している。二回目のコメントでは、

手前の都合上、返信が遅れてしまいました。思想の違いは乗り越えられそうにありませんので、元記事は削除したいと思います。ご迷惑をおかけしました。そして、当ブログとは今後リンクを貼らないことを約束いたします。まことに申し訳ありませんでした、

剽窃行為の指摘をまたも思想の違いと主張している。剽窃行為は剽窃行為であって、他人の文章をあたかも自分が書いたように見せ掛けることは正当化できないことだ。当該エントリーは削除されているが、既にそれを読んで彼が執筆したと勘違いした読者は多数いると考えられ、引き続き事実関係の明示並びに謝罪の記事掲載を求めていく次第である。

検証

まるで自分が書いたのでは錯覚するほどに、自分のエントリーとそっくりな文章を発見した。事実関係としては、

問題は以下だ:

  • 参照した文章を明示する必要がある(リンクが不適切)
  • 引用であることを明示する必要がある(引用になってない)
  • 改変して自分の文章とすることは許されない

これは学術的には当たり前のことだし、著作権上も黒だろう。検証を行っても新しい文章がこの世に出るわけでもなく時間の無駄であるが剽窃と言わざるをえないのでここで明らかにしたい。悪気はないという可能性もあるが、この程度のことはレポートを一度でも書いたことがあれば分かることだ。

二つの文章を読めば明らかだが、以下、二つの記事がどれほど酷似しているかを順に検証する。当該記事からの引用と私の(リンクされていない)記事からの引用を対比していく。わかりやすいように後者はイタリックとする。

「金儲け=悪」という方程式は成り立つか – keitaro-news

そもそも『金儲け』するためにはいったいどうすればいいのでしょうか。簡単な金儲けの例を挙げますと『お客に商品やサービスを提供して代金を支払ってもらう』ことです。その商品やサービスが1000円だったとすれば、原価を除いた部分に利益がでます。これが儲けになります。別に強制しているわけではないので、これはお客様が望んだことです。お客は商品を手にして満足する。売った方も儲けが出て満足します。誰も損していないのです。

お金を稼ぐとはどういうことだろう。例えば、レストランであればお客さんに食事を提供することだ。客はお金を払って=他の消費を犠牲にして食事を注文している。別に強制しているわけではないのでこれは客にとって望ましいことなはずだ。その食事は1000円だっとする。レストランはそれを1000円で自分から提供しているのだからそれで利益がでるはずだ。二人が自発的に取引を行っているということはそれが二人にとって望ましいということだ。

文章の構成及び内容は同一だ。1000円という数値例も一致している。強制の有無に関する指摘も同じだ。

商売の本質は社会をうまく回すシステムにあります。商品を作ることが出来る人と商品が欲しい人を結びつけるのです。商売は価値を生みだし、それを交換することで成立します。ビジネスが基本的には価値を作り出す=社会を豊かにすることは明らかです。

解消する非効率が全体のパイで、利益はその分け前だ。ないパイは分けられないので、ビジネスが基本的にはパイを作り出す=社会をよくするものなのは明らかだろう。

「パイ」が「価値」に、「よくする」が「豊かにする」になっているだけだ。

金儲けの一番簡単な方法は人々に望まれていることをすること

お金を稼ぐ一番簡単な方法は人々に望まれていることをすること

「お金を稼ぐ」が「金儲け」になっただけだ。

相手を騙して利益を得るようなことがあれば、それは犯罪となります。取引を強制するようなことはほとんどの場合が犯罪となります強制的に物品を奪い取るのは強盗であり、金をだまし取るのは詐欺ですこれらの行為は何も生産しないどころか、その過程で暴力のような価値自体を破壊します。また、社会を崩壊させるような麻薬取引や武器の密売などの商売も同様です。

レストランの話は客が自発的に食事を注文していることが前提だ。もしレストランがぼったくりだったら、悪いことだろう。しかし、ぼったくりが犯罪であるように、取引を強制することはほとんどの場合に犯罪となる。これは偶然ではない。自発的でない取引は一般に望ましくないので、それを犯罪としているのだ。強制的に物品を奪い取るのは強盗であり、金をだまし取るのは詐欺だこれらの行為は何も生産しないどころか、その過程で暴力のようなパイ自体を壊す行動を伴う

取引を強制することが犯罪になるという箇所や、強盗や詐欺への言及、まとめに至るまで「パイ」=「価値」のような言い換えがある程度でほぼ同じだ。

社会的に望ましくない商売は、割に合わないように社会で設計されている(していく)のです。犯罪に至りませんが、社会的に公平を保てない商品やサービスには高い税金が課されています。タバコや酒などは完全に禁止して取り締まるコストを支払うよりも、税金で適当なバランスをとったほうが社会を回すのに効率が良いからです。

だからそれは違法とされており、社会的に望ましくないビジネスは割に合わないように社会は作られている。犯罪にするほどではない場合には税金が課される。例えばタバコを吸うことは本人にとってはプラスなので完全に禁止するよりも税金で適当なバランスをとったほうがいいからだ。

最初の一文は「ビジネス」が「商売」に、「作られている」が「設計されている」になっているだけだ。タバコへの税金の箇所も同じだ。