無償投稿カルチャー?

ユーザーの参加を促すことは多くのウェブサービスで非常に重要だ(例えばキャス・サンスティーンのInfotopiaなどに詳しい)。その中でWikipediaに関わるユーザーが減っているという記事。

ウィキを支えた無償投稿カルチャーの落日

「共通の善」のために無償で奉仕するという発想はやや色あせて見え、ネット上の活動に参加することが退屈に感じられるようになった。

その理由を、Wikipediaが新しいサービス(Facebook, Flickr, YouTube, Yelp, etc.)などに比べて、明確な恩恵がなく全体への無償の奉仕だからとしている。しかし、この区別にどれ程の意味があるのだろうか。

競合する多くのサービスもまたユーザーに金銭的な利得を提供するわけではない。例えばレストランのレビューや動画を公開したからといってすぐに直接なメリットがあるわけではない。質の高いコンテンツを公開することで自分のブランドを築くことはできるだろうが、それはWikipediaでも変わらない。頻繁に価値のある貢献を行うユーザーはそのコミュニティーで自分の地位を築く。

オープンソースソフトウェアの開発なんかも同様だ。無償奉仕という特別なカルチャーが原因であるなら、これほどのソフトウェアが公開されることはなかっただろう(例えばこのブログはオープンソースソフトウェアであるWordpressで運営されている)。開発者はスキルを身につけたり、自分の能力を潜在的な雇用主へとアピールしたりするためにオープンソースのプロジェクトを利用している。企業もまた、自社のサービスで利益を出す手段としてオープンソースソフトウェアに投資を行う。

Wikipediaで起きていることは無償投稿カルチャーの衰退ではなく、単にユーザー参加という限られたリソースを巡る競争が激しくなっているだけのことだ(もちろんWikipediaの完成度が上がったこともあるだろう)。そしてユーザー参加を理解することの重要性は一段と増している。