「炎上」日記につっこむのは大人気ないが、非常に典型的なので取り上げてみる。
炎上日記再び:AKB48にはついていけない – 金子勝ブログ
全てはお金で決まるという市場原理――これほど分かりやすい組織原理はありませんね。
メンバーがファンの選挙で決まり、投票数もCDの枚数で決まるAKB48は「全てはお金で決まるという市場原理」とのことです。「1人1票ではありません」というが、国民投票で選ぶアイドルなんて誰の得になるのだろう。1人1票で決まる政治家を見れば同じ仕組みを社会全体に広げるというのが、いかにしょうもないアイデアであることぐらい分かろう。
このランキングで競わせる手法は、会社や塾、あるいはえげつない学校で行われている「成果主義」そのものです。
アイドルになるための競争を会社・塾・学校での競争へと繋げるのは無理がある。そんなえげつない成果主義の学校がどこにあるのだろう。多少成績が悪くても親は学校を辞めさせたりしないし、学校だって授業料が払われていれば退学にしたりはしない。
それは現実の会社と同じように「裏」があります。AKB48は正規メンバー(正社員)になりたい予備軍(まるで派遣労働者みたい)がいっぱいおり、賃金がとても低くてすむのです。
別にそんなこと「裏」でも何でもない。アイドルでもアーティストでも人気のあるスーパースター産業では、下積みが長く、賃金面で恵まれないのは世界中どこでもごく普通のことだ。
そして気づいてみると、秋元康だけがガッポリ儲かるようになっているのです。
この仕組みを作り出したプロデューサーがガッポリ儲かるのは悪いことなのだろうか。仕組みがなければアイドルになれる人もそれを支持する人もいなかったわけだから、何かを搾取したわけではないし、彼だけがプロデューサーになれる資格があったわけではない。仕組みを作ることが一番難しいことだからこそうまく行った場合の利益が大きいわけだ。
店員たちはどんどん入れ替えられていく仕組みなのです。もちろん、安売りを標榜しているくらいですから、社員の給料も高くはありません。
安売りを標榜しているから社員の給料が高くないというのは間違っている。むしろ価格が高くて売れないんじゃ高い給料は出せない。自分の給料より高くないという意味だろうか。
ユニクロは、お客様に選ばれることを大義(経済学では消費者主権と言います)にして、従業員の人件費を切り詰め、そして安い給料で買える商品をそろえてはデフレ経済を定着させていく、デフレのマッチポンプなのです。
突っ込むのも面倒だがある財の価格低下はデフレとは言わない。
主流経済学によれば、インセンティブを刺激する制度設計によって、人を転落の恐怖に追い込めば、みんな一所懸命働いて効率性が高まるということになります。
リスクをとらせてうまくいくときもあれば、うまくいかないときもあり、それは市場で決まるというのが普通の経済学だ。そして世の中のほとんどの仕事は月給・時給であり、それほどインセンティブを与える制度にはなっていない。大抵の人はリスク回避的で、例えインセンティブを刺激したほうが業績が上がってもリスクをとらせるための補償の方が高くつくので完全なコミッション制にはしないからだ。。
実際、失業などを理由とした20代30代の自殺が増えて、ついに13年連続で自殺者(全体)は3万人を超えました。
13年連続で3万以上というのは、増加傾向とは関係ない。
それどころか、自殺者数が顕著に増加しているわけですらない。五十代の自殺者は明らかに減少傾向にあるがどう説明するのだろう。
個別のメンバーしか見ていないファンたちは、ランキング競争に勝たせることに夢中で、声もあげられずに消えていくAKB48最後列のメンバーを想像することはないんでしょうね。
競争が嫌いなのはわかるが、じゃあAKB48,000とかならいいのだろうか。別にアイドルにならないといけないわけでも、誰もがなれるわけでもないのだから、さっさと見切りをつけてキャリアを転換するのが本人にもいい。
誰もがアイドルになれるわけではないのは別に競争のせいではない。誰もがなれないからこそ誰かを選ぶ必要があり、その選択方法として競争が通常もっとも効率的で公平なやり方だということだ。競争が全くないとどうなるかは一部の大学教授を見れば明らかだろう。
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こういう人が慶応大学の教授をできることが凄いです。
大学にこそもっと市場原理を取り入れた方が良いと思います。
最近は若手の採用から競争的になりつつありますが、テニュアつきの場合は限界がありますね。しかしこの方は相当です…。
横槍失礼します。 元SEさんへ
大学に取り入れるべき市場原理とはどのような仕組みを想定していらっしゃるのでしょうか。
役立たずの教授、有害な(言説を振り撒く)教授が世の中に存在しているであろうという認識は共有しますが、そうした教授を排除するうまい仕組みについてなかなか思いつかないからです。
Rionさんが前半で指摘するように、講師・准教授レベルに関しては、テニュアの要件を厳しくする等の方法があろうかと思います(尤も厳しくしすぎれば研究者市場における供給不足を招来する可能性もある…潜在的研究者志望者が弁護士や会計士などに流れすぎる…かもしれません。経済学はどうか知りませんが、法学ですと特定の専門に関しては供給不足が今でも問題です)。
しかし金子勝教授ほどの大物(?)になった人を排除する有効な制度があるのだろうか(そもそも慶應大学経済学部が金子教授を不要と思っているかどうか、分かりませんが)ということです。
テニュアをなくせばよい(更に大学教員に関しては労働法の保護も否定する特別立法もすればよい)、とおっしゃるかもしれませんが、テニュアをなくしても金子教授ほどの大物については形骸化する可能性がある(テニュアが制度としてなくとも事実上テニュアがあるのと似た状態になる)のではないかと危惧するのです。五年更新制などを導入しても大物教授に関しては事実上フリーパス状態になる可能性もあるのではないかと危惧します。
また、有力教授を他大学から引き抜こうとする際に「うちの大学は五年更新制をとっています」と言ったら「そんな面倒な大学には行かない」と断られるかもしれません。(そして40歳位の有力教授に事実上のテニュアを認めて引き抜いたら、50歳位から有害化するかもしれません)
もちろん、全ての大学でテニュアが制度上も事実上もない状態(均衡とまでよべるかはともかく)になれば私の危惧は杞憂なのですが、そういう状態になるルートが私には思い浮かばないので、元SEさんに何かアイデアがあるのでしたら、と伺う次第です。
法学の場合は国際的な労働の流動性がなさそうなので、自由化は難しいかもしれません。
MY news japan の記事によると
http://www.mynewsjapan.com/reports/1002
ユニクロの給料は「アパレルではあり得ない高さ」とレポートされています。
金子氏はきちんと数字を拾っているのだろうか?
それにAKBだって、彼女たちにとってはスタートで、ゴールではないはず。実力と名前を売って、ランクアップするためのフレームに過ぎない。
お互いの利害が一致しているのだから、何が問題なのなろう?
持株会社のファーストリテイリング単体の数字かなと思い言及しませんでしたが、成長企業の給与が業界標準より低いことはありえないと思います。きちんと数字を広っていないことだけは確かでしょう。
AKBについていえば、48人もアイドルをサポートできる体制って凄いと思います。
怒りも呆れも通り越した「何か」を言葉の所々に感じながら拝読させていただきました。競争が嫌いな経済学者っているんですね。少し驚きました。
金子さんのように社会を語ってボロを出す経済学者を何故か最近よく見かけます。身近にもいます。そのたびに「普通の」経済学って一体何なのだろうかという戸惑いを深めてしまいます。もっとも、この戸惑い自体が学問的にはナンセンスなのかもしれませんけれども。
こういう言説の「経済学者」と実際に遭遇したことはないので、目立つだけで相当少数派のはずです。
目立つ人がおかしな人ばかりなので、まともな人々がなるべく目立たないようにする強い傾向があります。
首肯できるところもありますが、AKBの投票原理の蛇足のところは、ちょっと気になります。
AKBの投票原理が肯定されるのは、売れるアイドルを発掘するという目的に沿っているからです。市場原理によってお金持ちが生まれるのは、それが市場に良いものを供給した見返りだからです。けっして、それ以外に何かその人間に優れたところがあるために、お金持ちに成ったのではありません(別に、お金儲けとともに人格涵養に励むのは否定しませんが)。そこを勘違いして、お金持ちが優秀な指導者になれると思っているなら、経済に通じた同志指導者なら大丈夫と思い込んでいたマル経と大差ありません。
今の政治が情けないのは承知していますが、それでも現状を変えるほどの合理性がある選択肢は無いように思います。
>そこを勘違いして、お金持ちが優秀な指導者になれると思っているなら、
いや全くそんなことは考えていませんし、主張してもおりません。政治という一人一票に強い正当性がある分野ですら、その結果には問題があるのだからアイドルにそれを拡張するのは難しいという主旨です。
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ある意味では、彼のような主張が市場原理の中で「売り」になってしまう現状こそが、日本の最も大きな問題点なのかも知れませんね。
アカデミックな領域で、ましてや「経済学者」として食べている人間であるということが、よりいっそう救いがたい問題であると感じさせられてしまいます。
どうみても経済学のトレーニングを受けたようには思えないのですが、学生さんはどう思っているのでしょうかね。