NYUのWilliam Easterlyによる医療を受ける権利に関する記事:
FT.com / Comment / Opinion – Human rights are the wrong basis for healthcare
The notion of a “right to health” has its origins in the United Nations’ Universal Declaration of Human Rights in 1948
医療を受けることを人権として確立しようとする運動自体はもう半世紀以上に渡って存在しているが、
President Barack Obama recently held a conference call with religious leaders in which he called healthcare “a core ethical and moral obligation”.
最近アメリカでの医療制度改革議論に伴い注目されている。
This moral turn echoes an international debate about the “right to health”. Yet the global campaign to equalise access to healthcare has had a surprising result: it has made global healthcare more unequal.
しかし、医療政策にモラルを持ち込むことは成功しているとは言い難く、むしろ不平等を拡大している。その理由が次の段落で説明されている。
So what is the problem? It is impossible for everyone immediately to attain the “highest attainable standard” of health (as the health rights declaration puts it). So which “rights to health” are realised is a political battle. Political reality is that such a “right” is a trump card to get more resources – and it is rarely the poor who play it most effectively.
端的に言って、最新の治療を社会の構成員全員に提供することは不可能である。よって医療に対する権利の議論は限られた資源を如何に分配するかというよくある政治の問題になってしまう。そして、貧困層は一般にいって政治力がない。
The WHO 2004 report that emphasised the “right to health” did so on behalf of only one specific effort – Aids treatment.
Saving lives in this way is a great cause – except to the extent that it takes resources away from other diseases.
具体例としてWHOによるAIDS対策が上げらている。AIDS対策は最も大きな効果を挙げたが、同時に他の疾病に対する予算を食いつぶした。結論としては、
The lesson is that, while we can never be certain, the “right to health” may have cost more lives than it saved. The pragmatic approach – directing public resources to where they have the most health benefits for a given cost – historically achieved far more than the moral approach.
医療政策を権利の問題と処理するのではなく、一般的な公共政策として単に便益な分野に資源を集中すべきだとされている。
医療政策に関してはこの考えは妥当なように思える。しかしこの議論には弱点がある。一つは、この議論がありとあらゆる政策分野に適用できてしまうことだ。どんな場合には権利の設定が適切で、どんな場合に行政的対応が望ましいかという判断基準が必要だ。例えば、一般的な財の配分は権利による対応が効率的なことは社会主義がうまくいかないことから明らかだ。
二つめは、権利と政策との間には明確な区別がないことだ。例えばプライバシーを権利として認めるか否かは主に取引費用の問題だろう。取引費用がなければコース的な意味で最適なプライバシーが成立するはずだ。しかし、完全なプライバシーへの権利がある場合と全くない場合以外にも特定の条件でプライバシーへの権利を設定することもできる(有名人ならプライバシーへの権利が狭くなるなど)。
個人的にはある程度の医療を権利として保障することは、再配分政策として意味があるように思う。例えば日本では生活保護法で医療扶助が規程されている。生活保護受給者は国民保険から外れるが国民保険同様の治療を無料で受けられる。これは再配分政策の現物支給として捉える事ができる。再配分政策を行う際に、本当に困っている人が誰なのかを特定することは難しい。支給を何にでも使える現金ではなく、医療という現物にすることで不正受給を減らすことができる。