Posts Tagged ‘Ethics’

悪い評判も企業戦略

February 6th, 2010

低価格キャリアのRyanairについての面白い話が紹介されている:

Shafting Your Customer As a Reputational Strategy — Crooked Timber

元になっているのがこちらの「Ryanair near bottom of ‘ethical ranking’ list」という記事だ。

RYANAIR HAS appeared in the bottom 10 of an “ethical ranking” of 581 companies, based on environmental performance, corporate social responsibility and information provided to consumers.

Ryanairは企業の倫理的な指標において下から十番目に入ったという。この指標は環境への影響や企業の社会的責任、消費者への情報公開などから作成されるという。ここまでは別に真新しいことは何もない。

I imagine that Ryanair will respond to this with a press release that marries bluster and belligerence with a certain sense of accomplishment.

The company prides itself not only on being perceived as having no social conscience, but as having a reputation for screwing its customers as systematically and mercilessly as possible.

面白いのはRyanairがこういったランキングで下位に入ることを歓迎するような企業という指摘だ。

But why (if they are right) would a reputation for shafting your customers be a commercial asset for a consumer-oriented business in a relatively competitive sector?

どうして顧客を食い物(?)にするという評判が競争的な市場においてプラスに働くのだろうかと締めくくられている。これは最近よく耳にする社会起業家と対照的だ。どちらも事業としての利益を得る必要があることには違いないが、全く逆のイメージを作り出している。

社会貢献を掲げる企業には何か疑問を覚える一消費者としては次のような理由が思い浮かぶ:

  • 私的な価格が重要な側面では、不必要な経費を使っていないシグナルになる
  • 低価格を実現するために何をやっているかが明らかになることは(例:従来無料であったサービスにチャージする)、逆に低価格化が「不正」な手段の結果ではないと示すことにもなる
  • (これは個人的にはどうでもいいが)他にもbadass的な雰囲気がいいと思う人もいるかもしれない

特に最初の点が重要だろう。企業は基本的に財・サービスの提供で社会に貢献するのであって、消費者が例えば寄付をしたいのであれば直接寄付をしたほうが効率的だ。自分で寄付する先や使用用途を特定できるのだから当然だろう。

例えばStarbucksは今Global Sing-alongというキャンペーンをやっているそうだ:

It’s a love fest!

If you spend $15 at Starbucks, they’ll give you a CD with above song on it (supplies limited!), and donate a dollar to the Global Fund.  It gets more convoluted from there: Go online to the Starbucks love website and draw a cutesy love card to trigger another donation from Starbucks to the Global Fund, this time of 5 cents. Finally, if you upload a video facing your computer camera and singing goofily along to the Beatles classic, Starbucks will toss the GF another nickel.

その内容はというと、スターバックスでCDを買うと$1の寄付が行われるというものだ。さらにサイト上で絵を書いたり、映像をアップロードすれば5¢寄付されるという。

It’s almost enough to make you forget that if you bypassed Starbucks all together and just donated your $15 bucks to the Global Fund you’d be helping…15 times more.

しかし、言うまでもないが、$15最初から寄付すれば$15丸々、援助団体に渡すことができる。CDは手に入らないが、音楽・映像自体はアップロードされている。企業がそのブランドネームを使って援助をPRしているという解釈はできるが、それはビジネスであって慈善活動とは思えない。

皆様はどうお考えでしょうか?

安楽死の経済学

December 21st, 2009

安楽死の違法性についてのポストだがどうも主張がはっきりしない:

アゴラ : 安楽死に殺人罪を適用すべきか – 岡田克敏

この種の事件があるたびに「殺人罪」という罪名に対して違和感を覚えます。死期を控えた患者の苦しみを見かねた遺族が医師に懇願したケースが、強盗殺人な どの利己的な動機のための殺人と同じ殺人罪で処断されるということに対する違和感です。両者はかなり異質なものに思えます。

「違和感を感じる」というのは、安楽死を合法化する根拠として薄弱に過ぎる(注)。何故違和感が生じるかが問題だ。では何故安楽死と強盗殺人が違うのか。死をもたらした人間の動機が利己的か否かというのはあまりよい切り口ではない。安楽死を行った医師もまた自分の意志で行動しておりそれが利己的なのかというのは哲学的問題だ。

一番大きな差は死んだ人間に合意があったかだ安楽死においては当事者間に合意があり、強盗殺人においてはない合意があったということは当事者全員にとって安楽死がプラスということであり、重要な利害関係を持つ人が当事者に含まれている限りそれは社会的にもプラスということだ

自殺もまた死亡する本人の意志に沿っているという点で安楽死と同じだが、本人以外の利害関係者(家族など)の合意の有無でことなる。この意味で安楽死は自殺よりも強い正当性を持つ。

さらに、安楽死を選択するのは終末医療においてだが、その費用の大部分は健康保険によって賄われている。延命を続けるための費用に補助がでているのにも関わらず延命を止めることをことを選択しているのだから、安楽死の方が延命を続けるよりも大幅に望ましいということだ。意思決定者には考慮されていない終末医療のための保険支払い額まで含めれば費用便益の観点から言って安楽死が社会的にプラスなのは明らかだろう。

では安楽死を認めることの問題は何か。それは当事者全員に合意があるという前提だ。当たり前だが家族であってもそれぞれの利害は一致しない家族の意見が一致してもそれが本人の意志と一致しているとは限らない。これが特に大きな問題となるのは、既に本人の意志確認が難しくなっている場合だ。

現実的な提案としてはいくつかのパターン分けが望ましいだろう。例えば次のようなものだ:

  • 本人の意志確認が可能で家族の合意があれば合法
  • 本人が意志を事前に残しており家族の合意があれば合法
  • 本人の意志確認ができなくとも第三者が一定の基準で判断したうえで家族の合意があれば合法
  • 本人が拒否の意志を示している場合には状況によらず違法
  • 強い利害関係の対立がある場合には調査
  • 家族に限らず強い反対を表明するものがいる場合には調査

詳細はそれぞれのパターンの生じる確率やルールの執行にかかるコストによって決めるべきだろう。ポイントは本当に全員の合意がとれているか、その確率はどのくらいか、判断が間違ってる場合の費用はどの程度かということだ(理論的には全員の合意がなくとも社会的に差し引きプラスということもあるが、その計算に必要な情報を集めるのは不可能だろう)。安楽死が行われた場合にはそれを取り消すことはできない(これは死刑の是非の問題と似ている)。

また、生命は今後数十年間生きられる命もあれば、あと数時間、数分の場合があります。残り数分の命を縮めても殺人となります。

費用を考えるうえでは生命の価値についての議論も避けて通ることはできないだろう。生命の統計的価値が高齢・不健康になるにつれ減少するのは事実であり、そのことを社会がどのように扱うかを考える必要がある。

(注)当該ポストには「疑問を覚える」「異質なものに思える」「乱暴だと思う」「問題にならないと思う」といったような曖昧な表現が多く言論としては望ましくない。これはこのブログがである調になっている理由の一つだ。

どうして開発援助がうまくいかないか

December 16th, 2009

開発援助についてのいい例えがあったのでご紹介:

Beneath the appeal: modestly saving lives | openDemocracy via Chris Blattman

The economist Jeff Sachs compares the current situation in Africa to a forest fire: if we try to put out the fire with one hose, and the fire continues to rage, do we conclude that fighting fires is hopeless? Do we conclude that water is not effective at putting out fires?  Or do we conclude that we have not yet applied enough water and that we do not have enough firefighters and hoses?

援助は山火事と戦う消防士のようなものだという。ホース一本で山火事に立ち向かっているときに火の勢いが衰えなかったらどう思うか。水を掛けるので火事を消せないと考えるか、水が足りないと考えるかという選択肢がある。

しかし、本当の問題はこれを見て「水を掛けるのは無駄」と考える人が多いことではなく、みんな「そんなのどっちでもいい」と思っていることだろう。山火事の例でいえばこの山火事はLAで起きているのではなく、アフリカで起きているのだ。

アフリカで貧困問題が深まっても、先進国への影響は軽微だ。海・砂漠・イスラム圏で隔離されていて難民の心配も比較的小さいし、もとから貧しすぎるので市場としての価値はほとんどない。さらにはみな陸続きなので部分的な改善があっても人の流入で打ち消されるし、HIVが猛威をふるっている。

もちろんこれが問題なのかどうかもよく分からない。人間が自分に近い人間を優先するのは倫理的にも責められることではない。結局のところ倫理は社会に属しているので、現在の枠組みで海外支援が劇的に増加することはありえない。個人的には(限界)費用のかからない知識の伝播ぐらいしか解決策はないように感じる。

社会起業家に関する論争

December 15th, 2009

数時間ぶりにTwitterを開いたら盛り上がっていた。この論争は「金儲け=悪」の話を絵で説明してみるで描いた絵で説明できそうなのでやってみる。

Days like thankful monologue病児保育のNPO法人フローレンス代表 駒崎弘樹のblog: 東洋経済でサイバーエージェント社長らに社会起業家がおおいに叩かれている件について

いわゆるビジネスエリートな方々が、昨今のアラサー世代の「事業に社会性を求める」ことに対してこんなことを仰っているのが目に飛び込んできました。

このあとに藤田晋、成毛眞、松本大さんの発言が引用されている。

サイバーエージェント社長 藤田晋 氏
「この世代は社会起業家が増えているというが、その前にすべきことがあると思う。ビル・ゲイツのように死ぬほど稼いで社会に貢献するというなら分かるし、自分もいずれそうありたいと考えるが、経営者として事業を大きくすることが今の目標だ。長く経営者として責任とプレッシャーと闘っている私からすれば、社会起業家はそうしたものから逃げているように見えてしまう。」

元マイクロソフト社長 成毛眞 氏
「もし仮に景気がよければ、社会起業家にはならず、今も外資金融やベンチャーに在籍しているはず。本人たちは、社会起業家としての社会的意義や使命について何ら疑うところはないし、心の底からそれを信じているのだろうが、私に言わせれば経済で先行きが見えないから、別の方面に関心が向かっているだけなのだ。」

マネックスグループCEO 松本大 氏
「厳しいことを言えば、自己の満足という点で、それ(マッキンゼー→ボランティアなキャリアの人)は長続きしないと思う。私は有限なリソースを集中して掘っていくべきだという考えで、自分が決めた仕事や業種に徹底的にこだわって、そこで成果を出そうとする。」

それに対し、元記事では:

若きリーダー達は、後輩たちが日本社会のために何とか頑張ろう、と挑戦している姿に対して、「逃げている」とダメだしの言葉を投げかけるようになってしまいました。

とコメントしている。私にはどちらも妥当な発言と思える。ではこの対立はどこから来ているのか。もう飽き飽きしている方には申し訳ないがまた赤い円と青い円で説明してみる。

社会運動家

1

昔の社会運動家は、社会にマイナスなのに儲かることへ規制をかけたり、プラスなのに商売にならないことへ補助金を出したりすることを目指した。儲かる=悪といった考えのもと、悪に立ち向かったのだ。

ベンチャー起業家

2

ここ十年ほどのベンチャー起業家(便宜上そう呼ばせて頂く)の興隆はそうした旧来型の社会運動が一段落してから始まった。そうした運動の結果として、金儲けは悪いことではなくなったのだ。例えば、

ビル・ゲイツのように死ぬほど稼いで社会に貢献するというなら分かるし、自分もいずれそうありたいと考える

という発言には金儲け=社会貢献という前提がある。金儲けは悪という古い思想を捨てて、社会のために事業を起こすという姿勢がある。これは、図で言えば内側への回帰だ。

社会起業家

3

社会起業家という新しい流れは、上の展開への揺り戻しと捉えられる。ベンチャーが社会の表舞台に立つ環境の中で育った新しい経営者が、その手法をまだ解決されていない社会問題へ適用しようとしているのだ。これは上の絵で言えば外側への矢印だ。

社会起業家はそうしたものから逃げているように見えてしまう。

しかし、そうした行動は円の重なった部分でビジネスをすることを是とするベンチャー起業家には矢印通り逃げているように写る。

私は有限なリソースを集中して掘っていくべきだという考えで、自分が決めた仕事や業種に徹底的にこだわって、そこで成果を出そうとする。

これも同じ趣旨だろう。ベンチャー起業家のテーゼは上の赤い円と青い円が重なる部分が重要だというものであり、外側に出て行く動きは前時代的なものに見える

私に言わせれば経済で先行きが見えないから、別の方面に関心が向かっているだけなのだ。

この発言は面白い。社会起業家が外側に向かっていく理由の一つは、内側での競争が激しいからだろう。ベンチャー起業家により内側でのビジネスの重要性が認識されると多くのビジネスがひしめき合うようになる。利益を上げるのは難しくなるし新しい企業が入っていくことの限界的な社会的価値も逓減する。既に何十社もプレーヤーがいる市場に新しい起業がはいっても実質的な競争促進効果はほとんどない。社会貢献を目指す起業家が、内側ではなく外側に目を向けるのも頷ける

しかしこれは悪いことではない。新しい社会起業家は旧来の社会運動家とは異なり、市場の仕組みとインセンティブの重要性を理解している(してないひともいるだろうが)。新しい手法を社会問題に適応することで円の重なりを大きくできる。

またベンチャー起業家は社会起業家をこの点で批判することはできない。彼らもまた、外側を目指した社会運動が進みその限界的な効果が薄れたときに内側に戻ってきたのだ。旧来の社会運動をしていた人間にとっては彼らは同じような批判の的だろう。

社会としてはどちらの運動も必要であり、論争に足を取られることなく、それぞれの事業に邁進してもらいたいところだ。

追記

最初の社会起業家の図の前にはやはり内側に向かう動きがあって、それは今の財閥系起業を興した起業家の人々によって支えられていたのではないか。

自閉症患者が活躍する会社

December 14th, 2009

追記:Twitterを通じてMarkovianさんから

自閉症教育やってる妹に確認取りましたが、「自閉症患者」とは言わないそうです。「自閉症児」「自閉症者」と言うらしい。自閉症は病気ではないというのが基本概念とのことです。

というご指摘をいただきました。「病気」の定義に関わる問題ですが、ごもっともな指摘だと思います。単に修正するよりも多くの方にこの話を知っていただくほうがいいと思うので、本文中の表現は変更しないことにします。

最近、ビジネスをして利益を出すことの意義について書いたが、ちょうどよい具体例があったので取り上げたい:

自閉症患者をソフトウェアのテスターとして育成する試み – スラッシュドット・ジャパン本家/.記事

米国シカゴの非営利企業Aspiritechが、高機能自閉症をソフトウェアのテスターとして育成するプログラムを立ち上げたそうだ。

紹介されているのはAspiritechという企業で、自閉症患者をソフトウェアテスターとし雇用するそうだ。非営利とは言え、単なる慈善事業ではない:

Aspiritechによると自閉症患者は不完全さや欠陥を見つける才能があり、予測可能で変化の少ない仕事を好むという。デンマークの Specialisterneも自閉症患者の就労プログラムを組んでいる企業の一つだそうだ。データ入力や組み立て作業など、他の人であれば退屈に感じる 反復作業などに派遣しているとのことで、データ入力に関しては8倍の正確さであるという。

あくまで自閉症患者の長所をいかして利益を挙げるためのビジネスだ。これがビジネスと成立しており、社会的にも望ましいことは明らかだ。自閉症患者はこの仕事を他の人よりもうまくこなせるのでより多くの賃金を得られる。顧客は相対的に安いサービスを受けられ、これは消費者にもプラスとなる。そしてもちろん企業は利益をあげる。これらのプラスがどのように配分されるかは競争相手の数などによって変わるが、みんな何かしら得をする

ところで何故この企業は非営利企業なのだろうか。非営利企業が慈善団体と異なることについは以前「非営利と営利との違い」で述べた:

どんな場合に非営利団体という形態をとるのか。それは特定の目的を達成する上でそうすることが効果的な場合だ

ではこのケースではどうか。それは障害者を使う=搾取するという世間の嫌悪感(repugnance)を避けるためだろう。障害者の人権が保障されていない状況では、障害者を使うことはしばしば彼らからの搾取を意味したと考えられ、これに対する反感が社会に醸成されるのは不思議ではない。ここでも道徳は社会の変化についていっていない

非営利であれば、搾取により利益を出してもそれを社外に出すのが難しくなる。搾取するインセンティブが減れば、搾取は行われないと考える人が増え、このビジネスはよりスムーズに進むだろう。もちろん非営利であれば政府の支援を受けやすいこともある。

このビジネスが動き始めているのはアメリカだけではない。このストーリーはTwitter経由で見つけたが、それに対して徐勝徹さんからご自身が経営に参加しているKaienという会社を紹介して頂いた

Kaienは3つのことが重ならなければ、私にはとても考えもつかないことでした。

1つ目は、息子が、自閉症と診断されたこと。

2つ目は、起業精神が旺盛なアメリカのビジネススクールで学べたこと。

3つ目は、スペシャリステルネというデンマークの企業を「発見」できたことです。

これは代表者である鈴木慶太さんのメッセージだ。Kaienは株式会社だが、その目的は単純な利益目的ではないことが分かる。こういう言い方はしたくないが、この点を強調することは上記の反感を防ぐ上で重要なことであり、ビジネスとしてうまくいくかを大きく左右する。障害者から搾取を防ぐ道徳感情は、障害者に直接関係する人であればあまり働かないからだ。

社会のためになるビジネスの足を引っ張るような道徳は早くなくなるべきであり、こういったビジネスがちゃんと成功するかどうかは社会の試金石となるだろう。障害者が活躍するビジネスを誰でも堂々と運営できる世の中になってほしい。

コメントについての追記

おたきちさんから次のようなコメントを頂きました:

神戸にある社会福祉法人 プロップステーション が以前からそういう事業をやっていますよ。

こういった事業を手がけている団体が既にあるのは素晴らしいことだと思います。ここに新しい会社が入ってくるのは、競争を通じて消費者も雇用される自閉症者もより大きな利益をあげることにつながります。

また、KaienのようにアメリカのトップMBAプログラムでビジネスを学んだ人々が加わることで、この事業分野のさらなる発展が見込まれます。企業と社会福祉法人との対立という見方ではなく、競争でより社会のためになるという視点が必要です。普通の財・サービスの世界では当たり前のことですが、その当たり前の見方が障害に関する事業においても適用されるようになることが重要でしょう。