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フェアトレード・コーヒー

追記:このポストに関する議論をTogetterにまとめていただきました。

フェアトレードと聞くとどこか胡散臭いと思ってしまうが、その理由が分かりやすく説明されている。

Libertarians and Fair Trade coffee

The simplest reason to object to Fair Trade coffee is that it’s just a stupid name. It suggests that all other coffee is unfair and exploitative.

これは今まで聞いた理由で最も説得力がある。「フェアトレード」という言葉が指し示す経済活動の是非以前に、「フェアトレード」という表現に抵抗を感じる。自由な取引が当事者双方にとって基本的にプラスであるという見方からすれば、ある取引がフェアである取引はフェアでないという議論は、新しい価値観を導入することだ

もちろん取引によって生じる余剰の殆どを一方が享受するような取引よりも、山分けする方が「フェア」だとはいえるかもしれない。しかし、それではこからどこまでがフェアなのかは定義できないし、例え一割であっても本人に利益がある取引を「アンフェア」だといって否定してしまうことになりかねない

This could have been avoided if we labeled Fair Trade as something like “Charity Coffee” instead, which would be more accurate and avoid disparaging any economic theories.

これを解決する一番いい方法は「フェアトレード」という名前を変えることだ。生産者のためにプレミアムを払うのだから「チャリティー・コーヒー」なんていうのもいい(プレミアムだと品質が違うことをサジェストするので不正確だろう)。これなら名前が内容をきちんと表し、経済を勉強していても違和感なく使えるだろう。

But then it might not have caught on as well because buying it wouldn’t let people signal their opposition to globalization, which brings us back to why so many libertarians dislike Fair Trade in the first place.

もちろん「チャリティー・コーヒー」ではなくて、「フェアトレード・コーヒー」なのには理由がある。「フェア」という単語を使うことで、自由貿易=グローバリゼーションを否定するコノテーションがあるのだ。だからこそ、自由貿易を支持する人(ここではリバタリアンが特に挙げられているがそれには限らない)にとっては疑わしいものに映る。しかしそれでいて、実際に批判しようとするとフェアトレードが単に価格が高いだけの自由取引の一種であるが故に捉えどころが無い

But if you’re actually into coffee, you know that some of the smartest critiques of Fair Trade are coming from good-hearted liberals working in the industry.

しかし、フェアトレード・コーヒーを批判するのは何もリバタリアンばかりではなくて、コーヒー好きのリベラルもまたフェアトレードに批判的だ。

Even worse, by mandating a co-op model of production, Fair Trade can reduce incentives for individual farmers to improve their crops.

その理由は簡単で、フェアトレード・コーヒーは価格に見合って質が上がるようにはできていない。むしろ組合方式での生産は個々の生産者が質を高めるインセンティブを弱める

The Fair Trade minimum of $1.26 per green pound is often higher than commodity coffee prices but well below what premium coffee roasters will pay.

洗練された消費者はコーヒーに高い品質を求めており、もはや生産者にとってもフェアトレードが一番いい売り手というわけでもない。ごく普通のコーヒーよりは高い買取価格も、プレミアムコーヒーの価格に比べるとかなり低い。

Sometimes I could engage them and explain that what we were offering was better than Fair Trade, that farmers got more money for the beans and the quality of the coffee was outstanding.

生産者が努力し、コーヒーの品質を高め、結果としてフェアトレードよりも高い収益を上げるのであればそれが誰にとってもフェアトレードより望ましいのは明らかだろう。しかし、フェアトレードのコーヒーを飲むことが「フェア」であると考える消費者は「フェアトレード」でない故に高品質のコーヒーを避けてしまうこともあるそうだ。これは高品質のコーヒーの需要を下げることに繋がる。

However if you want to pass the maximum of your purchase price onto coffee farmers, your best bet is to buy the highest quality coffee you can from roasters like Counter Culture, Intelligentsia, or Stumptown (to name the usual three, though there are many others).

フェアトレードのコーヒーを飲むことがそれ自体としてマイナスというケースはないとしても、一番よいのは自分が払っていいと思う金額で買える一番質の高いコーヒーを買うことだろう。高いコーヒーを買えば多くのお金が生産者に流れるし、質の高いコーヒーを作るための努力がなされる。中間業者の存在を懸念する声もあるだろうが、それは市場が拡大し参入がおきることによって解決される。特定の業者や特定の生産者組合が善意で行動することを信じるよりも生産的に思えるがどうだろう(もちろん組織を非営利で運営するといった努力はなされている)。

Walmartの新しい方向性

Walmartと言えば何かと悪者扱いされる世界最大のスーパーマーケットチェーンだが、そこでの新しい取り組みが取り上げられている。

The Great Grocery Smackdown – The Atlantic (March 2010)

Walmart’s move into organics was then getting under way, but it just seemed cynical—a way to grab market share while driving small stores and farmers out of business.

そのWalmartは今オーガニック食品の販売に取り組んでいる。もちろんこれはシェアを広げるためだ。いつも通り小さな焦点や農家を市場から追い出すという話なるかと思えば、今回はそうでもない。

Then, last year, the market for organic milk started to go down along with the economy, and dairy farmers in Vermont and other states, who had made big investments in organic certification, began losing contracts and selling their farms. A guaranteed large buyer of organic milk began to look more attractive.

有機牛乳の生産のために多大な投資をした企業が苦境に立つなか、安定した大口買い手としてWalmartが注目されてきている。このブログでは何度も強調していることだが、特別な事情がなければ、金儲けのための努力は全体として社会のためになる。もちろん負ける側は損をするが、消費者の損得まで計算に入れればネットでプラスだ。不景気で経済全体が縮小する中でパイを広げることはさらに重要になっている。

The program, which Walmart calls Heritage Agriculture, will encourage farms within a day’s drive of one of its warehouses to grow crops that now take days to arrive in trucks from states like Florida and California.

これはWalmartのHeritage Agricultureというプログラムの一貫だそうだ。今まで数日かけてトラックで運ばれていた作物をローカルで調達しようとしている。

The obstacles for both small farm and big store are many: how much a relatively small farmer can grow and how reliably, given short growing seasons; how to charge a competitive price when the farmer’s expenses are so much higher than those of industrial farms; and how to get produce from farm to warehouse.

ただし、ローカルでの調達は多くの難題がある。ここでは供給量・安定性・シーズンから小規模農家の高価格体質、物流体制が挙げられている。

Walmart knows all this, and knows that various nonprofit agricultural and university networks are trying to solve the same problems.

これはオーガニック・ローカルを推し進める多くのNPOが直面している問題と全く同じであり、Walmartもまたそれを解決しようとしている。営利目的か非営利目的かは関係ない。

a ruthlessly well-run mechanism can bring fruits and vegetables back to land where they once flourished, and deliver them to the people who need them most.

全てがオーガニック・ローカルになればいいというわけではないが、消費者が求めている限りにおいてそれが供給されることは望ましいことだ。これがWalmartというビジネスとして非常に成功している企業によって取り組まれることでよりよい解決策が見つかる可能性がある。

記事では、オーガニックな食材を扱うWhole Foodsとの商品の比較が詳細に行われていて面白い。そのWhole Foodsはつい先日、非常にグレーな有機栽培表示方針を報道されている。消費者としてはWalmartであればWhole FoodsであれNPOやファーマーズマーケットであれ多くの供給者が競争することは大歓迎だろう。

効率的な寄付のしかた

タイトルが過激なために結構批判が多い記事だが、内容はまともな次の記事:

Don’t give money to Haiti | Analysis & Opinion | Reuters

For one thing, right now there’s very little that can be done with the money. There are myriad bottlenecks and obstacles involved in getting help to the Haitians who need it, but lack of funds is not one of them.

目下、援助のボトルネックは資金ではないという。これはハイチの政府機能がほぼ停止状態であることを考えれば頷ける(参考:Haiti: Rescue, Recovery, and Effective Development Aid)。資金があってもそれが救済相手までのチャンネルがなければ届かない。

What’s more, charities raising money for Haiti right now are going to have to earmark that money to be spent in Haiti and in Haiti only.

もちろん援助資金が増えて困ることはないのだが、その寄付の使用目的が限定されている(earmark)というのは問題だ。しかし、寄付の目的が固定されているのは偶然ではない。寄付というのは、お金を支払う人とその対価を受け取る人が異なる取引だこういう取引においては対価が正当であることを信頼出来る形で示せなければ取引が成立しない

災害援助の場合には両者には面識もないため寄付する側が自分でそれを確認できる方法がないので、援助団体への信頼が極めて重要になる。それを助けるのが、目的の限定であり、非営利団体の設立だ(参考:非営利と営利との違い)。目的が限定されていればどれだけ非効率だったとしても一応狙った相手には届くし、非営利であれば無駄が多くとも経営者にそのまま巻き上げられることはなくなる

But as The Smoking Gun shows, Yele is not the soundest of charitable institutions […]

信頼が揺らいでいる支援団体もあり、最近The Smoking Gunでも話題になったYeleが上げられている。この団体はハイチ専門の支援団体だが不明瞭な会計が疑われている。

It will therefore earmark that money for Haiti, and try to spend it there over the coming years, even as other missions, elsewhere in the world, are still in desperate need of resources.

極めて信頼性の高い団体とされる国境なき医師団(MSF)の例が挙げられている。MSFもまたここ数日の寄付をハイチへ向けられたものとして用途を限定しているそうだ。これは彼らが自ら信頼性を高めるための試みであるが、他の地域で資金が必要な場合でも転用できないことを意味する

Do give money to MSF, then, but if you do, make sure that your donation is unrestricted. The charity will do its very best in Haiti either way, but by allowing your money to be spent anywhere, you will help people in dire need all over the world, not just in Haiti. Here’s the message on MSF’s website:

できるだけ効果的な援助を行うためには、寄付を使用目的を限定しない形で行うのがよい。もちろん、そのためには寄付先が非常に信頼できる必要がある。非営利団体は出来る限り寄付者への信頼を高める努力をする必要があるし、その信頼を担保できるような第三者機関や政府の取り組みが必要だろう

社会起業家に関する論争

数時間ぶりにTwitterを開いたら盛り上がっていた。この論争は「金儲け=悪」の話を絵で説明してみるで描いた絵で説明できそうなのでやってみる。

Days like thankful monologue病児保育のNPO法人フローレンス代表 駒崎弘樹のblog: 東洋経済でサイバーエージェント社長らに社会起業家がおおいに叩かれている件について

いわゆるビジネスエリートな方々が、昨今のアラサー世代の「事業に社会性を求める」ことに対してこんなことを仰っているのが目に飛び込んできました。

このあとに藤田晋、成毛眞、松本大さんの発言が引用されている。

サイバーエージェント社長 藤田晋 氏
「この世代は社会起業家が増えているというが、その前にすべきことがあると思う。ビル・ゲイツのように死ぬほど稼いで社会に貢献するというなら分かるし、自分もいずれそうありたいと考えるが、経営者として事業を大きくすることが今の目標だ。長く経営者として責任とプレッシャーと闘っている私からすれば、社会起業家はそうしたものから逃げているように見えてしまう。」

元マイクロソフト社長 成毛眞 氏
「もし仮に景気がよければ、社会起業家にはならず、今も外資金融やベンチャーに在籍しているはず。本人たちは、社会起業家としての社会的意義や使命について何ら疑うところはないし、心の底からそれを信じているのだろうが、私に言わせれば経済で先行きが見えないから、別の方面に関心が向かっているだけなのだ。」

マネックスグループCEO 松本大 氏
「厳しいことを言えば、自己の満足という点で、それ(マッキンゼー→ボランティアなキャリアの人)は長続きしないと思う。私は有限なリソースを集中して掘っていくべきだという考えで、自分が決めた仕事や業種に徹底的にこだわって、そこで成果を出そうとする。」

それに対し、元記事では:

若きリーダー達は、後輩たちが日本社会のために何とか頑張ろう、と挑戦している姿に対して、「逃げている」とダメだしの言葉を投げかけるようになってしまいました。

とコメントしている。私にはどちらも妥当な発言と思える。ではこの対立はどこから来ているのか。もう飽き飽きしている方には申し訳ないがまた赤い円と青い円で説明してみる。

社会運動家

1

昔の社会運動家は、社会にマイナスなのに儲かることへ規制をかけたり、プラスなのに商売にならないことへ補助金を出したりすることを目指した。儲かる=悪といった考えのもと、悪に立ち向かったのだ。

ベンチャー起業家

2

ここ十年ほどのベンチャー起業家(便宜上そう呼ばせて頂く)の興隆はそうした旧来型の社会運動が一段落してから始まった。そうした運動の結果として、金儲けは悪いことではなくなったのだ。例えば、

ビル・ゲイツのように死ぬほど稼いで社会に貢献するというなら分かるし、自分もいずれそうありたいと考える

という発言には金儲け=社会貢献という前提がある。金儲けは悪という古い思想を捨てて、社会のために事業を起こすという姿勢がある。これは、図で言えば内側への回帰だ。

社会起業家

3

社会起業家という新しい流れは、上の展開への揺り戻しと捉えられる。ベンチャーが社会の表舞台に立つ環境の中で育った新しい経営者が、その手法をまだ解決されていない社会問題へ適用しようとしているのだ。これは上の絵で言えば外側への矢印だ。

社会起業家はそうしたものから逃げているように見えてしまう。

しかし、そうした行動は円の重なった部分でビジネスをすることを是とするベンチャー起業家には矢印通り逃げているように写る。

私は有限なリソースを集中して掘っていくべきだという考えで、自分が決めた仕事や業種に徹底的にこだわって、そこで成果を出そうとする。

これも同じ趣旨だろう。ベンチャー起業家のテーゼは上の赤い円と青い円が重なる部分が重要だというものであり、外側に出て行く動きは前時代的なものに見える

私に言わせれば経済で先行きが見えないから、別の方面に関心が向かっているだけなのだ。

この発言は面白い。社会起業家が外側に向かっていく理由の一つは、内側での競争が激しいからだろう。ベンチャー起業家により内側でのビジネスの重要性が認識されると多くのビジネスがひしめき合うようになる。利益を上げるのは難しくなるし新しい企業が入っていくことの限界的な社会的価値も逓減する。既に何十社もプレーヤーがいる市場に新しい起業がはいっても実質的な競争促進効果はほとんどない。社会貢献を目指す起業家が、内側ではなく外側に目を向けるのも頷ける

しかしこれは悪いことではない。新しい社会起業家は旧来の社会運動家とは異なり、市場の仕組みとインセンティブの重要性を理解している(してないひともいるだろうが)。新しい手法を社会問題に適応することで円の重なりを大きくできる。

またベンチャー起業家は社会起業家をこの点で批判することはできない。彼らもまた、外側を目指した社会運動が進みその限界的な効果が薄れたときに内側に戻ってきたのだ。旧来の社会運動をしていた人間にとっては彼らは同じような批判の的だろう。

社会としてはどちらの運動も必要であり、論争に足を取られることなく、それぞれの事業に邁進してもらいたいところだ。

追記

最初の社会起業家の図の前にはやはり内側に向かう動きがあって、それは今の財閥系起業を興した起業家の人々によって支えられていたのではないか。

自閉症患者が活躍する会社

追記:Twitterを通じてMarkovianさんから

自閉症教育やってる妹に確認取りましたが、「自閉症患者」とは言わないそうです。「自閉症児」「自閉症者」と言うらしい。自閉症は病気ではないというのが基本概念とのことです。

というご指摘をいただきました。「病気」の定義に関わる問題ですが、ごもっともな指摘だと思います。単に修正するよりも多くの方にこの話を知っていただくほうがいいと思うので、本文中の表現は変更しないことにします。

最近、ビジネスをして利益を出すことの意義について書いたが、ちょうどよい具体例があったので取り上げたい:

自閉症患者をソフトウェアのテスターとして育成する試み – スラッシュドット・ジャパン本家/.記事

米国シカゴの非営利企業Aspiritechが、高機能自閉症をソフトウェアのテスターとして育成するプログラムを立ち上げたそうだ。

紹介されているのはAspiritechという企業で、自閉症患者をソフトウェアテスターとし雇用するそうだ。非営利とは言え、単なる慈善事業ではない:

Aspiritechによると自閉症患者は不完全さや欠陥を見つける才能があり、予測可能で変化の少ない仕事を好むという。デンマークの Specialisterneも自閉症患者の就労プログラムを組んでいる企業の一つだそうだ。データ入力や組み立て作業など、他の人であれば退屈に感じる 反復作業などに派遣しているとのことで、データ入力に関しては8倍の正確さであるという。

あくまで自閉症患者の長所をいかして利益を挙げるためのビジネスだ。これがビジネスと成立しており、社会的にも望ましいことは明らかだ。自閉症患者はこの仕事を他の人よりもうまくこなせるのでより多くの賃金を得られる。顧客は相対的に安いサービスを受けられ、これは消費者にもプラスとなる。そしてもちろん企業は利益をあげる。これらのプラスがどのように配分されるかは競争相手の数などによって変わるが、みんな何かしら得をする

ところで何故この企業は非営利企業なのだろうか。非営利企業が慈善団体と異なることについは以前「非営利と営利との違い」で述べた:

どんな場合に非営利団体という形態をとるのか。それは特定の目的を達成する上でそうすることが効果的な場合だ

ではこのケースではどうか。それは障害者を使う=搾取するという世間の嫌悪感(repugnance)を避けるためだろう。障害者の人権が保障されていない状況では、障害者を使うことはしばしば彼らからの搾取を意味したと考えられ、これに対する反感が社会に醸成されるのは不思議ではない。ここでも道徳は社会の変化についていっていない

非営利であれば、搾取により利益を出してもそれを社外に出すのが難しくなる。搾取するインセンティブが減れば、搾取は行われないと考える人が増え、このビジネスはよりスムーズに進むだろう。もちろん非営利であれば政府の支援を受けやすいこともある。

このビジネスが動き始めているのはアメリカだけではない。このストーリーはTwitter経由で見つけたが、それに対して徐勝徹さんからご自身が経営に参加しているKaienという会社を紹介して頂いた

Kaienは3つのことが重ならなければ、私にはとても考えもつかないことでした。

1つ目は、息子が、自閉症と診断されたこと。

2つ目は、起業精神が旺盛なアメリカのビジネススクールで学べたこと。

3つ目は、スペシャリステルネというデンマークの企業を「発見」できたことです。

これは代表者である鈴木慶太さんのメッセージだ。Kaienは株式会社だが、その目的は単純な利益目的ではないことが分かる。こういう言い方はしたくないが、この点を強調することは上記の反感を防ぐ上で重要なことであり、ビジネスとしてうまくいくかを大きく左右する。障害者から搾取を防ぐ道徳感情は、障害者に直接関係する人であればあまり働かないからだ。

社会のためになるビジネスの足を引っ張るような道徳は早くなくなるべきであり、こういったビジネスがちゃんと成功するかどうかは社会の試金石となるだろう。障害者が活躍するビジネスを誰でも堂々と運営できる世の中になってほしい。

コメントについての追記

おたきちさんから次のようなコメントを頂きました:

神戸にある社会福祉法人 プロップステーション が以前からそういう事業をやっていますよ。

こういった事業を手がけている団体が既にあるのは素晴らしいことだと思います。ここに新しい会社が入ってくるのは、競争を通じて消費者も雇用される自閉症者もより大きな利益をあげることにつながります。

また、KaienのようにアメリカのトップMBAプログラムでビジネスを学んだ人々が加わることで、この事業分野のさらなる発展が見込まれます。企業と社会福祉法人との対立という見方ではなく、競争でより社会のためになるという視点が必要です。普通の財・サービスの世界では当たり前のことですが、その当たり前の見方が障害に関する事業においても適用されるようになることが重要でしょう。