調査報道の行方

調査報道(investigative journalism)が非営利団体に及ぼす影響:

Carnegie Reporter, Vol. 6, No. 1 | Why Nonprofits Need Newspapers via Nieman Journalism Lab

Nonprofits have been increasingly sensitive to the watchful eyes of newspapers analyzing their budgets, compensation policies, potential conflicts of interest and governance practices. While difficult to measure, these watchdog efforts have made a real difference in preventing undesirable practices and causing institutional changes in behavior.

メディアの存在は非営利団体に規律を与える。これは非営利団体が抱えている最大の問題に対する一つの答えだ。以前、非営利団体の経済学については「非営利と営利との違い」で説明した。

非営利団体とは、残余請求者が存在することが事業の推進に支障をきたすような組織だ。典型的な例は寄付によって成り立 つ途上国支援団体だ。これを営利形態で行うことも原理的には可能だ。単に人を雇って寄付を募り、それを支援に使い、寄付者に報告すればいい。しかしこのビ ジネスはうまくいかない。何故ならば寄付をした人々=顧客は支援が適切に実行されたかを確認する手段を持たないからだ。支援額を減らせば簡単に利益を上げ られる。

非営利団体とは、組織が挙げた利益に対する最終的な権利者が存在しない組織だ。そしてそういう形態を取る主な理由は「寄付をした人々=顧客は支援が適切に実行されたかを確認する手段を持たない」ことだ。

残余請求者がいないということは企業が会計上の利益を上げたとしてもそれを組織の外に出すことができないということだ。よって留保金はいつか定款の定める事業目的に使われるし、そもそも過剰に留保を出すインセンティブがない。よって非営利団体は同じ事業を行う営利団体よりも多くの顧客=寄付を集め、よりよく目的を達成できる。

利益を手にできる人間が存在しないことが、寄付された資金が組織の目的どおりに使われることを担保し、寄付を促す。

しかしこれれは最低限の保証に過ぎない。例え利益が会計上留保されようと、高額の給与や過度の福利厚生で外部に流されることはありうる。

利益を上げてもそれを受け取れる人間が存在しないということは、事業を効率的に推進するもっとも簡単なインセンティブを持つ人間が組織に存在しないということだ。

また、利益を自分の手にできない以上、効率化のインセンティブは低い。

調査報道はこういった点を暴露することにより非営利団体の助けになりうる

The decline in daily newspapers and the reduction in newsroom staff, especially investigative reporters, is a worrisome development.

しかし、新聞業界の縮小により調査報道に携わる人間の数は減っていっている。現在の新聞業界のありかたには問題があるし、デジタル時代に紙の新聞が現象するのは自然なことだ。しかし、現状の新聞社が必要ないことと、新聞が担ってきた役割が必要ないこととは別のことだ

ある不正を調査するには費用がかかり、それが回収できる見込みがなければ報道は行われない。数が減れば回収できるようになるはずという意見もあるだろうが、報道が寡占化すればそもそも調査報道を行うインセンティブが減るだろう(日本の大手新聞社を見れば分かる)。

非営利団体の数は増えてるばかりだ。新聞社が衰退していくのを歓迎するだけではなく、社会的に必要な報道が行われるようなスキームを社会として考えて始める時期に来ている。

非営利と営利との違い

最近、日本語の経済ブログを探して歩いている。今回はついさっきみつけたMediaSaborというサイトから:

「非営利が営利より上」なんて誰が決めた | 専門家や海外ジャーナリストのブログネットワーク【MediaSabor メディアサボール 】

タイトルに関してはよく分からない。「非営利が営利より上」だと主張している人に(幸い)会ったことはない。

就職についての希望を聞くと、「ボランティア団体」と答える学生がいる。[…]人の役に立ちたいという真摯な願いは尊いと思う。ただ、どうもこうした学生の少なからぬ一部が、「非営利団体で働くことは営利企業で働くことよりも価値がある」と考えているように思われて、懸念している。

しかし、大学の先生がそういっているのだからそういう大学生は多数いるのだろう。私が大学の面接官だったら非営利団体と営利団体どちらで働きたいか是非聞いてみたい。「非営利です」と答えたら不合格。「営利です」と答えたら不合格だ。そんな頭のネジの外れた学生はいらない。

なぜこの二つの回答、よって質問が、不適当なのか(*)。それは非営利・営利の区別は単に組織が計上した利益を出資者に分配するかという差だからだ(**)。その組織が何を目的として活動しているかとは直接関係しない。もちろん政府が非営利団体を優遇する関係上、非営利団体の活動内容が何らかの視点からみて公益に適うものであることが多いがそれは本質的ではない。創業者・出資者・社員がみな社会のためを目指して活動しながらそれが効率的であるという理由で営利形態を取ることは可能だ(それどころか利益を出せば多くの税金を収める)。正しい返答は、「非営利であっても営利であっても、世の中を変えてみたい」といったものだ。

ではどんな場合に非営利団体という形態をとるのか。それは特定の目的を達成する上でそうすることが効果的な場合だ。特定の目的が社会的に望ましい場合にはそれを推奨するために税金上の優遇もあるかもしれないが、個人・一組織の立場としてはそれを考慮したうえで最善の組織(法人)形態を取ればよい(法人を設立する必要さえないこともある)。

非営利団体は利益を分配しないという所有者=残余請求者(residual claimant)の存在しない特殊な組織形態だ。通常の組織においては意思決定を行うものと、最終的な利益を受け取る人間が多くの場合一致することが望ましい。自分の利益が掛かっていれば望ましい意思決定を行うと考えられるからだ(個人事業主など)。しかし、複数の出資者が存在する場合にはその誰かが全員を代表するのは困難になる。複数の人間が意思決定に関わることも可能だ(パートナーシップ)。しかし、これは出資者の数が比較的少なく、出資者同士の利害対立がない場合にしかうまくいかない。よって大規模な組織では出資者は経営にあまり口出しをせず、専門の経営者を労働契約でコントロールする(株式会社)。

では何故非営利団体なんてものが存在するのか。それを説明する前に生活協同組合の構造を見るとわかりやすい。生協は実態はともあれ、市民=顧客が組織の意思決定ならびに出資を行う。これは別にそれほど驚くべきことではない。株式会社では外部の専門家が意思決定を行うわけで、組織の事業と大きな関係を持つ顧客が組織を所有するのは自然だ。これが通常行われないのは、顧客という集団の利害はあまり一致しておらず、しかも人数が多くなりがちなためだ。民主主義的な制度で意思決定を行うことの非効率は政治をみれば明らかだろう。

残余請求者のいない非営利団体はこの延長で理解できる。非営利団体とは、残余請求者が存在することが事業の推進に支障をきたすような組織だ。典型的な例は寄付によって成り立つ途上国支援団体だ。これを営利形態で行うことも原理的には可能だ。単に人を雇って寄付を募り、それを支援に使い、寄付者に報告すればいい。しかしこのビジネスはうまくいかない。何故ならば寄付をした人々=顧客は支援が適切に実行されたかを確認する手段を持たないからだ。支援額を減らせば簡単に利益を上げられる。

非営利という法律上の制度を使えばこの問題を解決できる。残余請求者がいないということは企業が会計上の利益を上げたとしてもそれを組織の外に出すことができないということだ。よって留保金はいつか定款の定める事業目的に使われるし、そもそも過剰に留保を出すインセンティブがない。よって非営利団体は同じ事業を行う営利団体よりも多くの顧客=寄付を集め、よりよく目的を達成できる。この結果には非営利団体が営利団体よりも崇高な目的を持っているという仮定は必要はない。営利団体の運営者・出資者が横領紛いの行動を全くする気がなくても結果は同じだ。

では何故もっと多くの組織が非営利ではないか。それは議論の流れから簡単に分かるだろう。利益を上げてもそれを受け取れる人間が存在しないということは、事業を効率的に推進するもっとも簡単なインセンティブを持つ人間が組織に存在しないということだ。非営利が有利なのは上に述べたようなメカニズムの有用性がデメリットを上回るほどに高い場合だけだ。多くの営利企業はこのような問題が存在しない分野=非営利であるメリットのほとんどない分野で社会のためになる事業を効率的に推進して莫大な貢献をしている。絶対的な貢献ではこちらの遥に大きい。非営利を選ぶのは、それが優位であるごく限られた分野・事業での貢献をしたい場合だけだ。

より詳細な説明・具体例についてはHenry Hansmannの著作などを参照されたい。

(*)もともと利害が対立する人間同士のやりとりは明確な答えのないものばかりだろう。

(**)非営利団体を狭義のNPOとして解釈すれば、特定非営利活動促進法における特定非営利活動法人と捉えることもできるが、非営利・営利と対比されている以上その解釈は当たらないのは明らかだろう。

ペイウォールはうまくいかない

ペイウォール(paywall)とはウェブサイトが一部のコンテンツを有料にして、フィーを支払わない顧客からのアクセスをブロックすることである。

これについてSlashdotで的を得た意見が紹介されている:

Slashdot News Story | Paywalls To Drive Journalists Away In Addition To Consumers?

‘My column has been popular around the country, but now it was really going to be impossible for people outside Long Island to read it,’ he says. Friedman, who is 80, said he would continue to write about older people for the site ‘Time Goes By.’

ペイウォールを導入するのに伴い、長年勤めてきた記者が新聞社を退職し、ブログで執筆するという話が紹介されている。

‘One of the reasons why the NY Times eventually did away with its old “paywall” was that its big name columnists started complaining that fewer and fewer people were reading them,’ writes Mike Masnick at Techdirt

TechdirtのMike Masnicはニューヨークタイムスがペイウォールを撤廃した理由として、コラムニストが読者の減少を懸念したからだと述べている。

この二つの事例は新聞業界がインターネットによってうまくいかなくなった一つの大きな原因を明らかにしている。

もともと新聞というのはプラットフォームである片方には読者、反対側には執筆者がいる。前者は良質なコラムを望み、後者はより多くの読者を望む。プラットフォーム運営者としての新聞社はこの二つの絡み合う市場をバランスさせていく必要がある

購読料を上げすぎると読者はへり、コラムニストにとっての魅力はなくなる。またコラムニストへの報酬を減らすと読者にとっての新聞の価値は減ってしまう。

しかし旧来の新聞業界におけるバランスはインターネットの浸透によって完全に崩れた。その一つが最初の引用におけるブログの役割だ。新聞社が利益を挙げるためには読者の量を制限する必要がある(注)。だがこれはコラムニストにとってはマイナスだ。昔であればこんなことに文句を言う人間はいなかっただろうが、今は違う。コラムニストにとって読者を探す手段はいくらでもある。ブログがその一つだ。新聞が読者を見つける効率的手段でないなら自分で発表すればよい。もちろんブログで直接金銭収入を得るのは難しいだろうが、知名度があれば他で稼ぐことができる。

この場合であれば、記者は既に大きな注目を浴びており、彼の動きは成功だったと言えるだろう。

(注)これは効率的な価格差別ができないことを前提としている。価格差別が可能であれば、価格を限界費用に抑えたままでも利益をあげることは可能だ。メディア企業を非営利企業として再生しようという動きはこの点をついている。ちなみに、寄付収入の多い劇場などはこのビジネスモデルの典型だ(言うまでもなく、非営利であってもビジネスはビジネスだ)。