株主至上主義って?

Lilacさんのページからお越し頂いた方:返答ポストがあるのでご覧ください。

今日は民主党の藤末健三議員の発言がTwitterで大きな話題になった。元となったのは次のブログへの投稿だ:

民主党参議院議員 ふじすえ健三: 公開会社法 本格議論進む

2.最近のあまりにも株主を重視しすぎた風潮に喝を入れたいです。今回の公開会社法にて、被雇用者をガバナンスに反映させることにより、労働分配率を上げる効果も期待できます。

被雇用者をガバナンスに反映させるというのは、従業員の代表を監査役に入れることだ。このこと自体の是非やそもそも監査役会の有効性など論点はあるが(参考:民主党政権の試金石「公開会社法」を斬る)、「あまりにも株主を重視しすぎた風潮」とは何のことだろうか。そして日本にそんな風潮があるのだろうか。

そこで、「株主至上主義」で検索してみたところ、藤末議員が以前に書いた記事がトップに出てきた:

日経トップリーダーonline: 「株主至上主義ではない」からグーグルは強い

株主が会社の持ち主であるという株主至上主義の資本主義

これが「株主至上主義」という単語の定義であり、「あまりにも株主を重視しすぎた風潮」というのはこれのことを指しているのだろう。しかし、この定義には大きな問題が二つある。

  1. 株主が会社の持ち主であるというのは株式会社の定義である
  2. 株式会社を組織形態として強制しているわけではない

企業は株式会社という形態をとる必要はないが、それが資金調達に有利なので株主を会社の持ち主にしているのだ。それを抑制するということは、資金調達が困難になり企業の拡大が阻害されることであって、現状のまま従業員への利益配分が増える(=労働分配率が上がる)という意味ではない。

こうした日本企業の株主重視の姿勢は米国企業の追従といえます。

これがアメリカの追従だというが、企業が本当にそんな理由で財務戦略を変更するだろうか。株主を重視することが資本市場から資金を調達する上で重要だからそうしているだけだろう。そうできない企業は高い調達費用を払うことになり市場で不利な立場に置かれる。

グーグルは特殊な株式を導入しています。それはなんと「株式公開前の株主が1株10議決権を持つ」というものです。グーグルには2種類の株式と2階級の議 決権があります。クラスAの株主は1株あたり1票の議決権しか持ちません。一方、クラスBの株主は1株あたり10票分の議決権を行使できるのです。

グーグルが、創設者に議決権を集中させていることを指摘しているが、これは「株主至上主義」と矛盾するわけではない。まず、これは創設者という特別な株主に権利を集中しているだけであり、株主が会社の持ち主という枠組みから外れているわけではない。また、ここでいうクラスBの株主は議決権が少ないことを承知で株式を購入しているため、既に存在する企業とその株主に対して、新しいルールを導入することとは全く異なる(注)。

グーグルは株主への配当がないようです。実際に最新の会計報告(2007年)を見ると配当は見当たりません。このようなグーグルの株主至上主義をある意味否定するようなスタイルですが、急激な成長を実現していますので、許されているようです。どこまでこのスタイルを貫き通せるかが注目されます。ある意味、「株価は上げるから…」という経営のやり方ですね。

配当がないことも挙げられているが、これは成長産業では当たり前の戦略だ。市場で資金を調達するより内部留保を再投資する方が調達費用は少ないし、既存株主の持分割合も減らない企業にとっても株主にとって都合がいいのであり、「許されている」わけではない。例えば、マイクロソフトは創業(1986年)以来長年無配当を続けていたが2003年に配当を始めた(参考:ついに配当決めたマイクロソフト)。これは大量の資金を効率的に再投資する対象がなくなったというだけで、「株主至上主義」を辞めたわけではない。マイクロソフトが相変わらず莫大な利益を出していることは言うまでもない。

要するに創業者に議決権を集中しつつ配当もしないでいるからグーグルが強いのではなく、グーグルが創業者の元で成長しているから議決権を確保したまま無配当を続けても誰も困らないのだ

わが国の株式市場の三分の一が外資に占められ、流通している株式の7割近くを外資系がコントロールする状況です。株価は外資に決められ、そして外資の要求 に経営陣が応えていくことが求められています。この状況を打破し、雇用を作り、社会に貢献する企業に資金が集まるような仕組みを作れたときこそ、わが国の 産業の競争力がいっそう強化されるのではないでしょうか。

これが結論部だ。しかし、株式市場が外資に占められていること自体は悪いことではない。それだけ資金が集まるおかげで企業は安く資本を調達できる。また、株主が外資でなくとも、投資家としてリターンを要求するのは当たり前のことだ。でなければ誰もリスクをおって投資などしない。

「雇用を作り、社会に貢献する企業に資金が集まる仕組み」を作るのは素晴らしいことで、それこそが資本市場の存在意義だが株主重視や外資の存在でそれが妨げられているのではない。外資を含めより多くの資金が入ってくる魅力的な市場を作り、安価な資本が成長する企業(=これから社会に貢献する企業)へと配分されていくようにすることが必要だ

むしろ心配すべきは、資本市場が魅力をなくし、外資が逃げだし、企業が拡大のための資本を集められなくなることだろう。この最悪のシナリオの現実性は増すばかりだ。

(注)この辺はTwitterでのmoraimonさん、katozumiさんとのやりとりから書きました。

P.S. 藤末議員は立派な経歴をお持ちかつ、ブログ・Twitterで情報を発信されている貴重な政治家なので、こういったネット上での議論を役立てていい方向に持っていってほしい。

追記

  • 上場時点でGoogleは強かったので「株主至上主義のアメリカだから強いGoogle”も”誕生した」というのは言い過ぎだろう。もちろん彼らが上場して大量の資金を手に入れ更なる発展を遂げているのは「株主至上主義」のおかげでもある。
  • 「企業の利益の分け前が欲しければ株を買って株主になればよい」というのはその通り。企業と労働者を二つに分けるのは間違っている。リスクや統治上の是非はともかく持株会などを通じて自社株を保有する従業員は多いはず。

非営利と営利との違い

最近、日本語の経済ブログを探して歩いている。今回はついさっきみつけたMediaSaborというサイトから:

「非営利が営利より上」なんて誰が決めた | 専門家や海外ジャーナリストのブログネットワーク【MediaSabor メディアサボール 】

タイトルに関してはよく分からない。「非営利が営利より上」だと主張している人に(幸い)会ったことはない。

就職についての希望を聞くと、「ボランティア団体」と答える学生がいる。[…]人の役に立ちたいという真摯な願いは尊いと思う。ただ、どうもこうした学生の少なからぬ一部が、「非営利団体で働くことは営利企業で働くことよりも価値がある」と考えているように思われて、懸念している。

しかし、大学の先生がそういっているのだからそういう大学生は多数いるのだろう。私が大学の面接官だったら非営利団体と営利団体どちらで働きたいか是非聞いてみたい。「非営利です」と答えたら不合格。「営利です」と答えたら不合格だ。そんな頭のネジの外れた学生はいらない。

なぜこの二つの回答、よって質問が、不適当なのか(*)。それは非営利・営利の区別は単に組織が計上した利益を出資者に分配するかという差だからだ(**)。その組織が何を目的として活動しているかとは直接関係しない。もちろん政府が非営利団体を優遇する関係上、非営利団体の活動内容が何らかの視点からみて公益に適うものであることが多いがそれは本質的ではない。創業者・出資者・社員がみな社会のためを目指して活動しながらそれが効率的であるという理由で営利形態を取ることは可能だ(それどころか利益を出せば多くの税金を収める)。正しい返答は、「非営利であっても営利であっても、世の中を変えてみたい」といったものだ。

ではどんな場合に非営利団体という形態をとるのか。それは特定の目的を達成する上でそうすることが効果的な場合だ。特定の目的が社会的に望ましい場合にはそれを推奨するために税金上の優遇もあるかもしれないが、個人・一組織の立場としてはそれを考慮したうえで最善の組織(法人)形態を取ればよい(法人を設立する必要さえないこともある)。

非営利団体は利益を分配しないという所有者=残余請求者(residual claimant)の存在しない特殊な組織形態だ。通常の組織においては意思決定を行うものと、最終的な利益を受け取る人間が多くの場合一致することが望ましい。自分の利益が掛かっていれば望ましい意思決定を行うと考えられるからだ(個人事業主など)。しかし、複数の出資者が存在する場合にはその誰かが全員を代表するのは困難になる。複数の人間が意思決定に関わることも可能だ(パートナーシップ)。しかし、これは出資者の数が比較的少なく、出資者同士の利害対立がない場合にしかうまくいかない。よって大規模な組織では出資者は経営にあまり口出しをせず、専門の経営者を労働契約でコントロールする(株式会社)。

では何故非営利団体なんてものが存在するのか。それを説明する前に生活協同組合の構造を見るとわかりやすい。生協は実態はともあれ、市民=顧客が組織の意思決定ならびに出資を行う。これは別にそれほど驚くべきことではない。株式会社では外部の専門家が意思決定を行うわけで、組織の事業と大きな関係を持つ顧客が組織を所有するのは自然だ。これが通常行われないのは、顧客という集団の利害はあまり一致しておらず、しかも人数が多くなりがちなためだ。民主主義的な制度で意思決定を行うことの非効率は政治をみれば明らかだろう。

残余請求者のいない非営利団体はこの延長で理解できる。非営利団体とは、残余請求者が存在することが事業の推進に支障をきたすような組織だ。典型的な例は寄付によって成り立つ途上国支援団体だ。これを営利形態で行うことも原理的には可能だ。単に人を雇って寄付を募り、それを支援に使い、寄付者に報告すればいい。しかしこのビジネスはうまくいかない。何故ならば寄付をした人々=顧客は支援が適切に実行されたかを確認する手段を持たないからだ。支援額を減らせば簡単に利益を上げられる。

非営利という法律上の制度を使えばこの問題を解決できる。残余請求者がいないということは企業が会計上の利益を上げたとしてもそれを組織の外に出すことができないということだ。よって留保金はいつか定款の定める事業目的に使われるし、そもそも過剰に留保を出すインセンティブがない。よって非営利団体は同じ事業を行う営利団体よりも多くの顧客=寄付を集め、よりよく目的を達成できる。この結果には非営利団体が営利団体よりも崇高な目的を持っているという仮定は必要はない。営利団体の運営者・出資者が横領紛いの行動を全くする気がなくても結果は同じだ。

では何故もっと多くの組織が非営利ではないか。それは議論の流れから簡単に分かるだろう。利益を上げてもそれを受け取れる人間が存在しないということは、事業を効率的に推進するもっとも簡単なインセンティブを持つ人間が組織に存在しないということだ。非営利が有利なのは上に述べたようなメカニズムの有用性がデメリットを上回るほどに高い場合だけだ。多くの営利企業はこのような問題が存在しない分野=非営利であるメリットのほとんどない分野で社会のためになる事業を効率的に推進して莫大な貢献をしている。絶対的な貢献ではこちらの遥に大きい。非営利を選ぶのは、それが優位であるごく限られた分野・事業での貢献をしたい場合だけだ。

より詳細な説明・具体例についてはHenry Hansmannの著作などを参照されたい。

(*)もともと利害が対立する人間同士のやりとりは明確な答えのないものばかりだろう。

(**)非営利団体を狭義のNPOとして解釈すれば、特定非営利活動促進法における特定非営利活動法人と捉えることもできるが、非営利・営利と対比されている以上その解釈は当たらないのは明らかだろう。