年金は経済問題じゃない

年金・社会保障の負担が大きな話題になっているが、それは経済問題なのだろうか。

Overcoming Bias : Old Are Lazy, But Fit

Scienceからの表で各国の高齢化の様子を三つの指標で表している。一番左側は65歳以上、すなわち高齢者が15-64歳の生産年齢人口に対してどれくらいいるのかを示している。小学校なんかでも習う、大人一人あたりが担う高齢者の数だ(しばしば逆数をとって、高齢者一人あたりを何人で支えるか、という形で紹介される数字だ)。

グラフにしてみるとこんな感じだ。高齢化が進んでいく様子がよくわかる。日本は既にここに登場する国の中では最も高齢者が多く、今後も伸び続けると予測されている。2045-2050年には15-64歳一人につき0.8人近くの高齢者がいる計算だ。高齢化が問題だと言われるのはこのせいだろう。

何故65歳以上を高齢者と呼ぶのだろう。統計上はそう定義されているし、年金の受給や定年も65歳を目安に設定されている。しかし、寿命が伸びているのだから65歳以上の割合が伸びるのは当たり前だ。では65歳以上ではなく、期待余命15年以下の人を高齢者と考えるとどうだろう。それが上のグラフだ(表の真ん中)。こうすると「高齢者」の割合は長期的に見ても2,3割で落ち着く。つまり、引退し年金で生活するのを(平均)最後の十五年とすれば、その負担が爆発することはない。

余命があっても健康でなければ働けないし、他人の助けが必要だ。そう考えると余命ベースで考えるのは恣意的だし、そもそも高齢だけを社会からサポートを受ける条件とする必要はない。年齢とは関係なく、(年齢によるものも当然に含まれる)障害を持つ人の割合を見てみるとどうだろう。それが上のグラフだ(表の右)。割合は一割前後で半世紀ほとんど変動しないと予測されているのが分かる。平均年齢が上がるため緩やかな上昇傾向にあるものの、上の二つグラフに比べると驚くほど安定している。

There is no basic economic problem; we have plenty of capable workers. We instead have a political problem – old folks feeling entitled to more leisure at the expense of their juniors.

ここから見えるのは、高齢化・年金問題が基本的に経済の問題ではないということだ。働ける人はたくさんいて、助けが必要な人の割合はあまり変わっていない。歳を取って働けない人を養うことは難しいことではないはずだ。では何故それが社会問題になるのか。それは65歳を過ぎたら働かずに年金=若い世代の稼ぎで暮らすのが当然という人が大勢いるためだ。しかしこの状況を打破するのが極めて困難であることは一番最初のグラフを見れば明らかだろう。

新成長戦略?

産業政策は未だに根強い支持を集めているようだ。

政府が国内産業をリードしていく それが成長のポイントだ/経済産業省の近藤洋介政務官に聞く

今回の新成長戦略が、以前のものとは違う点をひとつだけ挙げて下さい。

具体的な数値目標を出したという点です。

新成長戦略が以前の成長戦略と違うのは具体的数値目標があることだという。しかし、例えば第五世代コンピュータ達成すべき数値目標があったら成功したのだろうか「当初の目標を達成した」と主張することはできなくなるが、うまくいかない事自体は変わらないだろう。日の丸検索エンジンでも同じことだ。

そもそも産業政策が支持されなくなったのは、過去の事例を事後的に評価した結果としてその有効性が否定されたからだ。数値目標があるだけで結果が変わるというモデルでもあるのだろうか。

産業政策(特定産業分野へ予算を重点配分する等)については、そもそも「時代遅れ」「不要だ」との指摘もあります。政府は、教育分野での人材育成や規制緩和に力を注ぐべきだ、という主張です。

むしろ、そうした批判の方が時代遅れだと思います。政府は産業政策に関与せず、規制緩和だけを進めていれば後は自由市場がうまくやってくれる、というのは小泉政権時代の発想です。それは結果として失敗し、今の日本の厳しい状況があるわけです。

だから、産業政策が支持されなくなったのは過去の事例の分析によるものであって、「時代遅れ」とか「小泉政権時代の発想」とかではない。自由市場はうまくいくかいかないかというのは間違った切り口で、単にうまくいく場合とうまく行かない場合があり、データからすると産業政策はうまく行かないということだ(小泉政権下の規制緩和が失敗したとも思わないが)。

局面によっては政府が産業をリードしていく、という姿勢の方が、力がある企業が集まる国々の間ではスタンダードになっています。

例えば韓国では、サムスン電子が凄まじい高収益を上げるなどしています。為替の影響もありますが、背景としては1997年のアジア通貨危機を機に政府主導で分野ごとに企業を集約した、ということがあります。こうした政府関与の結果、サムスン電子などが強くなり韓国経済を引っ張っています。アメリカでも、オバマ政権がグリーン・ニューディール政策で環境・エネルギー分野での産業政策を進めています。また、フランス政府は原発などの海外商談で企業と力を合わせています。

これは単なる印象論と権威主義だろう。サムスン電子が凄まじい高収益を上げるのは、市場を人為的に独占させたのだから当然だ。例えば電話市場を再びNTTだけにすればNTTの収益は爆発的に上がるが、それが日本経済を引っ張るだろうか。引っ張るとしたら方向は下だ。オバマ政権のグリーン・ニューディール政策を産業政策と考えるのは難しい(「ニューディール」という名前から明らかだろう)し、フランス政府が民間企業に口を出すのは昔からだ(そしてそれがフランス経済にネットで貢献しているという話は聞かない)。

結局のところ、どうして終身雇用で安定した給与を貰う公務員が、身銭を切る民間の企業・投資家よりも将来の産業の行末をうまく予想できるのかという問題に答えない限り、産業政策が支持を集めることはないだろう(市場の失敗が明白な場合を除く)。

司法修習給費制の根拠

大変立派な法曹関係者も数多いが、これでは給費制への支持は得られない。

「国民の権利の守り手危うくする」 司法修習給費制廃止で緊急シンポ

日本弁護士連合会会長で、同会司法修習費用給費制維持緊急対策本部本部長として活動する宇都宮健児弁護士が「給費制の維持を!~若い人の夢や志を奪うな!~」と題し講演しました。

「若い人の夢や志」を問題にするなら、その対象を平均的に資力にも能力にも恵まれた司法修習生に限る必要はない。ましてや、その全員に給付する根拠にはならない。

宇都宮氏は、多重債務者の債務額を上回る奨学金を返済している弁護士が多くいる現状を紹介

多重債務者の債務額を上回るローン(※)を抱えている事自体は問題ではない。一般的な体重債務者と司法修習生の返済能力は大きく異なる。

(※)貸与なので奨学金と呼ぶのは不適切だ。

「弁護士になってからも貸与金返済のために仕事を選ばざるを得なくなる」と貸与制の問題点を指摘し

確かにお金で仕事を選ばないといけないのは悲しいことだ。しかし、選ばないでいいという権利は誰にも保証されていない。弁護士になる人だけが仕事を選べるべきという根拠はどこにあるのだろう。今の仕事を辞めてNPOでフルタイムの仕事をしたいという人と比べてどうだろうか。

「弁護士は基本的人権の擁護と社会正義の実現を自らに課していますが、その基盤を崩す貸与制は、社会的、経済的弱者の権利も奪うということ。若者の夢を奪うだけでなく、市民、国民の権利の守り手が危うくなる問題として運動を広げていきたい」

人権擁護や社会正義の実現(?)を目的とした職業は弁護士だけではないし、他にも社会的に意味のある目的はある。社会的・経済的弱者を守るのであれば弁護士ではなく彼ら自身を支援すればいいのではないだろうか。

「弟は大学生、妹は高校生で、父は休職していた。修習にどれだけのお金がかかるのか、自分が不安な状態で人の気持ちを考えられるかという不安がある」(同志社大学法科大学院修了生)

もっと不安な状態の人はいくらでもいるし、もっと大変な環境で遥かに不安定な研究キャリアに進む人も多い。人の気持ちを考えたいから、自分が安心するためもっとお金をくれという主張にどれほど説得力があるだろうか。

、「弁護士を目指していた友人は大学を首席で卒業したのに、父親がリストラされたので進学を断念した。そういう人たちをこれから出してほしくない」(立命館大学法科大学院3年生)

これも、悲しい事例ではあるものの弁護士だけを特別視する根拠にはならない(弁護士はむしろ金銭的リターンが高い)。優秀な学生には(返済義務のない)奨学金を与えて支援するの方が望ましいだろう。

ある業界の人たちが自分の業界内での社会問題を解決しようとするのは当然だという意見もあるだろうが、基本的人権の擁護・社会正義の実現を謳うのであれば自分たちの特権意識にもっと敏感であるべきだ。

日航責任追及の不思議

世間を騒がした日航の破綻の責任はどこにあるのか。

日航破綻「歴代経営者の不作為が要因」 調査委が結論

日本航空の破綻(はたん)原因を調べている同社の独立機関「コンプライアンス(法令順守)調査委員会」(委員長・才口千晴元最高裁判事)が、「(重大な事態に対する)歴代経営者の不作為が要因で破綻した」との結論を出したことがわかった。ただ、刑事と民事の両面での法的責任を問うのは難しいと判断した。

日航の独立機関が破綻原因を調査したそうだ。コンプライアンスを謳い元最高裁判事を長に据えているということで単なる原因究明が目的ではなく、実際に責任を追求するのが目的だろう。その意味で法的責任を問うのが難しいという結論は失敗と言える。

調査委は報告書で、歴代経営陣の経営判断の欠如や危機意識のなさを厳しく指弾。…長年に及ぶ日航の問題が、外部専門家によって改めて浮き彫りにされる。

実際の報告書がどこまで詳細なものかは知らないが、こんな問題点は「外部専門家」でなくても分かる話だし、そもそもコンプライアンス委員会はそういった経営問題の専門家でもないだろう。

このような経営判断の間違い・不作為で法的責任を問うのが難しいのは自然だ。結果が出ないからといって一々責任を追求されるのではリスクのある行動は取れないし、それは株主にも都合が悪い。

また、テロや金融危機、新型肺炎のSARSなどで乗客が減って財政的な危機が生じたのに、緊急融資でその場をしのぐだけで、大胆なリストラなどをして財務体質を改善することを先送りした点も指摘。歴代の経営者が、こうした問題を抜本的に解決しようとしないまま放置し続けたことが経営破綻につながったと結論づけた。

また、テロや金融危機・SARSがあったのは昨日のことではない。株主はパフォーマンスの低い経営者の首を斬る人事権を持っているわけで、問題を抜本的に解決しようとしないまま放置し続けたのは株主も同じだろう

もちろん少数意見は反映されないが、誰も日航の株主でなければいけないと強制しているわけではないので、それで被害を被ったとは言えない(最初から価格に織り込まれている)。

さらに、問題の背景として、「ナショナル・フラッグ・キャリア」(国家を代表する航空会社)という「おごり」があったと分析。「誰かが助けてくれる」といった無責任体質につながったとみている。

これもまた、経営者にだけ当てはまるものではない。従業員や株主を含めたほとんどのステークホルダーが大丈夫だろうと思い込んで行動した結果が日航破綻だ。それが実際に破綻した今、そのつけを誰が払うべきかという話で揉めてるという構図だろう最大の被害者は物言わぬ一般納税者だ

ではこのような「無責任体質」を作ったのは誰か。それは政治・行政だろう。航空会社同士が競争する環境を整えず、コントロールしようとしたことが「誰か(=政府)が助けてくれる」という期待を生んだのではないだろうか。

日本のシリコンバレー!?

産業振興策というと胡散臭いが、地方レベルでうまくいっている例というのは興味深い。

岐阜は日本のシリコンバレー!? 「セカイカメラ」や「Finger Piano」生んだ県の振興策

大垣市のIT施設「ソフトピア・ジャパン」内にプロジェクト拠点「ドリームコア・コレクティブ」を開設し、iPhone55台を整備。その上で、ITベンチャーの入居料減免やアプリ開発教室「iPhone塾」を設置するなどした。

岐阜県でiPhoneの講習会を行ったり、ベンチャー支援したりして効果が上がっているとのこと。地方レベルでの試みに可能性を感じる理由は二つだ:

  1. 地方間の競争がある:他の市町村の政策より上手くいっていなければ明白である
  2. 徴税能力に限界があり、野放図な支出は難しい:国に比べればこういった裁量は遥かに少ない
  3. 国政に比べて行政への有権者のチェックが細かい:省庁レベルのある政策の成否が原因で議員の地位が脅かされることはないが、市町村首長であれば重要な論点になりうる

一方で、多数の地方自治体が「日本版シリコンバレー」的政策を実行しており、成功例の存在が全体としての効率的投資(=税金の使い道)を意味しない。ある地方のレジャー施設の成功が日本中にある寂れたレジャー施設を正当化しないのと同じだ。失敗のツケは税金で取るという構造がある以上、このような懸念は払拭しようがない。

とはいえ、今回の例でiPhoneが中心になっているのは面白い。

  • 産業政策の最大の問題は「産業」を選ぶ能力が政府にないことだが、センスがよさそう
  • ネット系のビジネスだが、iPhoneを使って参加者を物理的に集めている
  • 開発のためとはいえ複数の端末を用意するのは費用がかかり、特に学生には難しい

さらに他のタイプの講習会なども開催できれば多様な人的交流が発生し効果が高まりそうだ。例えば海外のメディア・マーケティングに詳しい人が集まれば、開発したアプリを日本ローカルに留めずにうまく世界に広めていくといったこともできるのではないだろうか。

P.S.

IT系のビジネスは本来世界展開が比較的簡単ですが、業界の人は結構ドメスティックな印象がありますがどうなんでしょうか。もちろん国際的に活躍する方もいますが、比較的少数に思えるし、実際に海外で在住しているとビザの関係もあり起業とはいかないというのもあるのかもしれません。