Posts Tagged ‘Career’

国際開発のキャリア

March 7th, 2010

最近、就活の話題をよく目にするのでもう一つエントリーを紹介。

Blood and Milk » Blog Archive » Finding Funding

国際開発のスペシャリストがどうやってそのキャリアを始めたかを説明している。しかし、その内容は開発という特殊な分野にだけ当てはまるというよりも、「アメリカの就活」で紹介した一般的な「就活」と本質的に変わらない。

It was an unpaid position with a multilateral organization in Tashkent, Uzbekistan, and it pretty much launched my global health career.

最初はウズベキスタンでの無給での仕事から全て始まったという。ではどうやってそのためのお金をもらったかという質問が沢山くるという。

I didn’t get funding. I estimated how much it would cost me every month to live in Tashkent. I figured out how long I wanted to stay – six months. Then I got a job, saved up my money, deferred my student loans, and got on the plane to Tashkent.

答えは単にもらえなかったというものだ。月いくら掛かるかを計算し、滞在したい期間を決め、そのための費用を働いて貯金し学生ローンの返済を延期して容易したという。

I actually ended staying at my internship for a full year, funding the extra six months with a US government fellowship that no longer seems to exist.

しかし、結果的に滞在は一年に延び、延長した分の費用は政府のフェローシップによってまかなわれたそうだ。

It led to the job that led to my next job and so on and so forth until here I am now with enough experience that I believe myself capable of blogging about it.

ここから次の仕事、その仕事への繋がり、十分な経験を得るに至っている。

But I got to Tashkent on my own, and I don’t think I could have gotten that fellowship if I wasn’t already there.

しかし、同時に最初のフェローシップを得たのは既に現地にいたからだという。これはインターンシップによって経験を積み、ネットワークを作ってキャリアを形成していくというアメリカでは普通のパスだ。

日本人も国際的な場所で活躍しようというなら、これだけの条件を揃えればいつ頃に行けるみたいな皮算用をするのではなく、自分から打って出る行動力が必要だ。仮に皮算用通りに事が進んだとしても、身一つで始めた人間と同じ力がつくとも思えないし、既に築かれた信頼関係なしに同じ結果を出すことはできない(同じことを言っていたとしてどちらに説得力があるだろう?)。

女性の出世は何故遅い

March 3rd, 2010

結構微妙な記事が多いHBSだが、女性の出世に関する面白いネタがあった。

Women in Management: Delusions of Progress

アメリカでは女性の社会進出は目覚しく、労働人口においても肩を並べている。しかし、社内での出世に関しては有意な差があるようだ。

Even after adjusting for years of work experience, industry, and region, Catalyst found that men started their careers at higher levels than women. [...] Among women and men without children living at home, men still started at higher levels.

その差は職務経験・産業・地域・子供の有無を調整しても変わらないとのこと。では何が原因なのか。面白い調査結果が挙げられている。

A quarter of the women in our study left their first job because of a difficult manager—nearly as many as those who moved on for more money (26%) or for a career change (27%). Only 16% of the men left because of a difficult manager.

最初の職を辞めた理由を調査したものだ。こちらも条件付されているのか分からないが、上司とうまくいかなかったという理由が男性に比べて多い。

Of course, these results suggest that women and men may be treated differently by their first managers.

とはいえ、ここから男女が上司に違う扱いをされているのはOf courseとか言われると何だろうか?という気にはなる。女性のほうが人間関係を重視するだけかもしれない(多分にありそうだ)。

Companies must acknowledge their failure on this front, learn why they haven’t succeeded, and come up with better programs to help talented women advance.

その挙句、企業はこの問題を解決して有能な女性の進出を助けなければならないとまで言われるとどうだろう。もし男女の出世における差が単なる差別に基づくものであるなら、差別されている人を優先的に雇う企業は競争で優位に立つはずなので市場にまかせておいてもいいはずだ。

などと少し真面目に考えてしまったものの:

Catalyst works with businesses and the professions to build inclusive workplaces and expand opportunities for women and business.

記事を書いた人たちは女性のための職場環境を整える団体にいるようで、この記事自体が単なる広告のようだ。何か悔しいが書いてしまったのでポストしてみた。

手書き履歴書

February 23rd, 2010

昨日の記事からもリンクしたが、「履歴書なんかを手書きするという文化はまだ存在するんだろうか」という発言に多くの情報や意見が寄せられた。

Togetter(トゥギャッター) – まとめ「手書き履歴書の実態」

事実関係としては以下の通りだ。

  • 手書きを要求する企業は存在する
  • 手書きが好ましいという採用者もいる
  • 採用側にはタイプの方がいいという意見も多い
  • 学生はまわりに合わせて手書きが普通
  • 業界にもより、大手・外資といったあたりではネットで提出も多い

タイプを好む採用側の人が多く、逆に手書きが普通だと思っている学生が驚くという構造が見て取れる。これにはTwitterというメディアによって、参加者にセレクションがかかっているという面もあるだろう。

では手書きが好ましいとする理由はなんだろうか。

  • 性格が分かる
  • 志望度合いを測れる

以上の二つが挙げられている。手書きを要求する企業が存在するのでこれらの要素はある程度正しいのだろう。しかし、手書きの履歴書でなければこの役割が果たせないということはないはずだ

まず手書きの文字から性格が分かるとして、それは他の手段より効率的なのだろうか。人となりは面接ですぐに分かることだろうし、カバーレターのような文章を書かせれば文字よりも正確に分かるように思う。履歴書ならぱっと見てすぐ判定できるという利点はあるが、どちらにしろ不正確なシグナルなので本当は望ましい応募者を落としてしまう危険性がある。

志望度合いの高い人だけを選ぶという効果については、より多くの文章を書かせることで対応できる。応募者を減らしたいならエッセイを書かせても良いし、応募に(成績など)条件をつけても良い(それがダメなら一定の基準ではねればいい)。

個人的には、加登住 眞さんが使っている次の方法はなかなかいいと思う。

ご名答。その場で交通費精算書を書いてもらってます。RT @rionaoki: @kazemachiroman その場で字を書いてもらうとかは双方にとってコストが小さいので面白いかもしれません。

手書きの字で性格なんかを見たいなら、その場で書いてもらうのがいい書き手のコストも読み手のコストも小さくなるし、本人の字であることも分かる。ここでは交通費精算書があがっているが、他の書類を記入してもらってもいいだろう。

私は字を書くのが好きで、意味もなく文章を紙に写しているなんてこともあるが、応募者も書くのが大変で採用者も読むのが大変という状況は解消されるべきだろう。とりあえず、手書きでなくていいという企業はその旨明示するのはどうだろう。

P.S.

この話はTwitterでの発言から始まりました。賛否はありますが、使ったことのない方は少し使ってみるといいと思います。私のアカウントは@rionaokiです。

アメリカの就活

February 23rd, 2010

この前日本の「就活」についての記事を紹介したが、今度はアメリカの「就活」についてよくまとまった日本語記事があった。

[JMM]「既卒インターン制度のすすめ」from 911/USAレポート/冷泉 彰彦

では、アメリカでは「就職氷河期」といった言い方で社会問題化がされているのかというと、少なくとも新卒に関しては特に騒ぎになっていないのです。

就職氷河期的なものが存在しないのはその通りだ。不況で就職厳しいよね、という話はそこら中で耳にするが、新卒だけを取り上げるような話はない。

大学を出てフルタイムの仕事にブランクなしで就けるのは50%ぐらいと述べましたが、残りの50%はどうしているのでしょう? 先ほど申し上げたように、 新卒など20代の若者が考えることは「キャリアの蓄積」です。そのためには、フルタイムの仕事が良いと言えば良いのですが、この雇用情勢の下では難しい、 そこで多くの若者はパートタイムの仕事に就きます。

フルタイムの仕事が見つからなければパートタイムの仕事を探す。将来のキャリアに役立つような仕事を探して働く。単純労働のアルバイトをしている大学生は比較的少なく、ペイが少なくても経験を積むことを優先する(逆に単純労働をしているのは一生単純労働に従事する層だ)。

「勉強熱心な大学を出て、就きたい職業も決めているし即戦力になるだけの知識は大学で学んだ」学生が、たまたま「縁がなくて」とりあえずフルタイムの仕事には就けなかった、そんな場合は「インターン」になるのです。

学期中は必死に勉強している学生も休みになるとインターンに繰り出す。卒業するまでに履歴書のネタを稼ぎ、その過程でネットワークを作る。

インターンはその企業への就職活動であるだけでなく、他の企業に向けてのシグナルにもなるし、将来に向けての経験・人脈にもなるわけだ。もちろん、インターン先でそのまま採用となることもあるが、転職が当たり前な世の中では経験や人脈は企業の中でも重要だ。同じような文章を送って、企業が内部で審査・面接を繰り返す日本と比べると非常に効率的に思える。

(1)既卒者の採用拒否を禁止する、
(2)既卒者の有給インターン制度を設ける、の二点を提言したいと思います。

若年層がスキルを磨かない問題について二つの提案がなされている。一つ目は特に面白い。経験のない人間を特別に優先して採用するというのはそもそも不思議な話だ。アメリカなら、経験がないと採用されないのでインターンやパートタイムで頑張る。どちらの社会で外部で通じるスキルが身につきやすいかは論じるまでもないだろう。

終身雇用前提で主に社内スキルを身につけるというなら未経験者も良いだろうが、終身雇用がなければ社員は社内でしか通じないスキルへ投資を行わない。日本の雇用慣行も変わっていくはずだ。

日本では未だに手書きの履歴書を要求する企業がごく普通に存在するという。民間企業の採用活動を規制するような流れはあまり賛同できないが、それくらいの過激な政策を取らなければ変化に何十年も掛かってしまうかもしれない。

追記:履歴書手書きについてのTogetterはこちら

教養教育の終わり

January 24th, 2010

学位の価値は落ちる一方だ。授業料の高いアメリカでは、一足先に価格に見合う価値があるのかという疑いが広がっている。

How to manage a college education | Penelope Trunk’s Brazen Careerist

大学の機能は主に二つある。一つは実際の学習、もう一つは能力を示すという意味でのシグナリングだ。

The idea of paying for a liberal arts education is over. It is elitist and a rip off and the Internet has democratized access to information and communication skills to the point that paying $30K a year to get them is insane.

しかし、教養教育を受ける場所としての大学の機能は消滅の瀬戸際だ。いまや多くの学問分野は自学自習が可能だ。インターネットにはリソースが溢れているし、勉強したい者同士集まることも可能だろう(そういう場所をもっと作れればよいとは思う)。そもそも現在の大学生のどれだけが「教養」を身につけているかだって疑わしい。

経済学にしたって社会人として必要なレベルの学習に大学という(機会費用を含めた)莫大な投資が必要だとは到底思えない。本当の専門教育以外、大学で勉強する必要は見つからない。そして、それだけの教育が社会的に必要な人間の数は現在大学に通う学生の数より遥かに少ないのではないだろうか。

これは教養教育の価値を否定するものではない。私自身、教養学部に四年間も在籍したし、文理問わず色々なことを勉強した。しかし、大学がなければ出来ないことではなかったし、大学で他の専攻にいたとしても同時に勉強することは出来ただろう。しかも私は教育の真の社会的費用を負担していたわけではない。国立大学の費用の多くは税金によりカバーされている。本当の費用を負担してなお、教養教育に何年間もかけようという人はどれくらいいるのだろう。

しばらく前にWillyさんが教養教育に関するポストを書かれていた。そこでは次のような一節がある。

これに対するレスは様々だが「教養賛成派」からは、
「意味がないからこそ面白い」
「教養こそが人間の価値」
といった、私からすれば驚愕の意見が並べられている。

教養学部卒の私としては耳の痛い話だが、こういった反論は間違っている。「意味が無いからこそ面白い」、「教養こそが人間の価値」だとしても、それを大学でやらなければならない理由にはならないし、それほど価値があるなら政府の支援は必要ないはずだ。教養がある市民が多いことが社会にとってプラスだという議論は可能だろうが、それなら一部の人間に限られた大学教育ではなく、幅広い教育にお金をかけるべきだ。私は、教養教育の価値が下がっているのは事実であって、それに反対するのは自分の教育の価値が下がることに対する反感に過ぎないと思う。

Ben Casnocha has one of the most thorough, self-examined discussions about the value of college on his blog. He went to college, probably, because so many people told him to.
Ben left college. Early. And he’s fascinating, and he’s educating himself through experience, which is what the Internet does not provide. The Internet provides books and discussion, so why would you need to go to school for those things?

それどころが大学に行くことの価値自体への疑いもある。これは大学へ通う人間のほとんどが「専門」教育を受けるつもりではないことからして明らかだろう。私は上に挙げられているBen Casnochaの本もブログも読んでいるが、非常に洞察に富んでいる。教養が不必要なのではなく、教養のための大学が必要なくなっているのだ。これは「教養学部」や「リベラルアーツ大学」のことだけを指しているのではない。本当の専門教育を受けている学生の少ない(ほぼ全ての)大学に当てはまる。

また、この例は大学のもう一つの機能であるシグナリングもまた崩壊しつつあることを示している。大学入試に簡単になることによる学歴自体のインフレもあるが、もう一つの脅威は他のシグナリングデバイスの登場だ。今の時代、若者が自分の能力を示す方法はいい大学にいく以外にもいくらでもある。事業を自分で始めるのもそのひとつだろうし、様々な話題についてブログを書くこともそうだ。大学のシグナリング効果が一朝一夕になくなることはないだろうが、どれだけの費用・苦労を支払う価値があるかという観点で評価すれば大学の価値は薄らいでいる。

Students today don’t need teachers who don’t know how to write a blog post to teach them how to persuade people. Because the bar for communication is high, and it’s in the blogosphere, and if you can write a blog post that gets a decent conversation started, then you already know how to write a persuasive, engaging argument.

また教養教育の最も重要な要素の一つは論旨の一貫した説得力のある文章を書く能力だが、それはむしろブログを書いて人に読んでもらうことによって大学のクラスよりも効果的に身につく。先生からいい成績をもらう努力をするよりも、実際に読者になってもらう方が余程効率的だ。先生は仕事なのでどんな文章でも読んでくれるが、ネットで長い文章を読んでもらうためには事前にそれなりの価値があるという信用・評判を築く必要がある。どちらが難しいかは明らかだろう。