大変立派な法曹関係者も数多いが、これでは給費制への支持は得られない。
「国民の権利の守り手危うくする」 司法修習給費制廃止で緊急シンポ
日本弁護士連合会会長で、同会司法修習費用給費制維持緊急対策本部本部長として活動する宇都宮健児弁護士が「給費制の維持を!~若い人の夢や志を奪うな!~」と題し講演しました。
「若い人の夢や志」を問題にするなら、その対象を平均的に資力にも能力にも恵まれた司法修習生に限る必要はない。ましてや、その全員に給付する根拠にはならない。
宇都宮氏は、多重債務者の債務額を上回る奨学金を返済している弁護士が多くいる現状を紹介
多重債務者の債務額を上回るローン(※)を抱えている事自体は問題ではない。一般的な体重債務者と司法修習生の返済能力は大きく異なる。
(※)貸与なので奨学金と呼ぶのは不適切だ。
「弁護士になってからも貸与金返済のために仕事を選ばざるを得なくなる」と貸与制の問題点を指摘し
確かにお金で仕事を選ばないといけないのは悲しいことだ。しかし、選ばないでいいという権利は誰にも保証されていない。弁護士になる人だけが仕事を選べるべきという根拠はどこにあるのだろう。今の仕事を辞めてNPOでフルタイムの仕事をしたいという人と比べてどうだろうか。
「弁護士は基本的人権の擁護と社会正義の実現を自らに課していますが、その基盤を崩す貸与制は、社会的、経済的弱者の権利も奪うということ。若者の夢を奪うだけでなく、市民、国民の権利の守り手が危うくなる問題として運動を広げていきたい」
人権擁護や社会正義の実現(?)を目的とした職業は弁護士だけではないし、他にも社会的に意味のある目的はある。社会的・経済的弱者を守るのであれば弁護士ではなく彼ら自身を支援すればいいのではないだろうか。
「弟は大学生、妹は高校生で、父は休職していた。修習にどれだけのお金がかかるのか、自分が不安な状態で人の気持ちを考えられるかという不安がある」(同志社大学法科大学院修了生)
もっと不安な状態の人はいくらでもいるし、もっと大変な環境で遥かに不安定な研究キャリアに進む人も多い。人の気持ちを考えたいから、自分が安心するためもっとお金をくれという主張にどれほど説得力があるだろうか。
、「弁護士を目指していた友人は大学を首席で卒業したのに、父親がリストラされたので進学を断念した。そういう人たちをこれから出してほしくない」(立命館大学法科大学院3年生)
これも、悲しい事例ではあるものの弁護士だけを特別視する根拠にはならない(弁護士はむしろ金銭的リターンが高い)。優秀な学生には(返済義務のない)奨学金を与えて支援するの方が望ましいだろう。
ある業界の人たちが自分の業界内での社会問題を解決しようとするのは当然だという意見もあるだろうが、基本的人権の擁護・社会正義の実現を謳うのであれば自分たちの特権意識にもっと敏感であるべきだ。