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ワンマンアカデミー

ヘッジファンドに勤めていた男性がYouTube上に1200以上のレクチャーを公開している。

A Self-Appointed Teacher Runs a One-Man ‘Academy’ on YouTube

This upstart is Salman Khan, a 33-year-old who quit his job as a financial analyst to spend more time making homemade lecture videos in his home studio.

Salman KhanさんはKhan Academyというサイトを運営している。Khan Academyがカバーする内容は数学・化学・物理学そして元本業の金融まで多岐に亘る。レベルとしては中学から大学受験+αといったところだろうか。

The resulting videos don’t look or feel like typical college lectures or any of the lecture videos that traditional colleges put on their Web sites or YouTube channels.

大学が講義をビデオで公開するというのはもはや珍しいことではない。YouTubeには大学専門チャンネルまで用意されている。しかし、大学のビデオはあくまで大学の講義を実際に後ろで撮影してアップロードしたものにすぎないことがほとんどで、新しい視聴環境に適応しているとは言い難い(そもそも普通の大学の講義が有効な教授法だと思っている人のほうが少ないだろう)。

ビデオは長くて一つ十分ほどしかないし、講義している本人は見えない。真黒なキャンバスに絵や数式が書きこまれるだけだ。実際のクラスに行くと講師が見えるのはそこにいるから眼に映るだけで別に見えなくても構わないわけだ。

この試みは旧来の教育、特に経験の重視に大きな疑問を投げかける。高校でも大学でも教員は長年教育に携わり、経験が重要視される。しかし、Khanさんは自分がそれほど詳しいとは思わない分野でも、大学の先生を含めその話題に詳しい人に声をかけ、夕食の席などで話を聞いたらもう講義を撮影してしまう。

この方法がうまくいくのには二つの理由があるだろう。一つは講義している本人が優秀なことだ。教育の知識や経験は当然重要だろうが、教える本人の頭の良さも極めて重要だ。中学生や高校生が勉強で分からないことがあれば、まずクラスの成績のいい知り合いに聞くだろう。現状の教育制度では(日本であれアメリカであれ)本当に頭のいい人が集まるようにはなっていない。二つ目は視聴者の質だ。わざわざサイトにアクセスし講義ビデオを視聴する人は新しい内容を知ろうという意欲がある。この二つは相乗効果を持つ。学生をやる気にさせるという作業が必要なければ、より内容の理解や説明の仕方が重要になるからだ。これは日本で学生が教える学習塾がそれなりの成果をあげているのと基本的に同じ理由だ。

また、教育において経験が重要だとしても、単に教え続けるだけで効果がでるという部分は小さいとも考えられる。人気で収入が決まるような予備校であればいかに支持を集めるか教え方を常日頃から考えるプレッシャーにさらされるが、大学を含め大抵の教育機関では不祥事さえ起こさなければ大きなペナルティーを受けることはない。勿論よりよく生徒に理解してもらうための努力をする先生方も多いだろうが、そうしなければならない強いインセンティブがない以上多くを期待することはできない。

さらに、このサイトの興味深いところは彼本人がここから収入を挙げていることだ。ビデオは無料でYouTubeにアップロードされ、クリエイティブコモンズで公開されている(例えば日本語版を作って同様に公開することができる)が、寄付は既に15万ドルを超えている。これだけの試みを成功させれば、講演や執筆でも食べていけるだろう。彼はフルタイムの仕事を辞めて、自分の家でこれを本業にしている。

一人で全てを賄ったことはブランディングを非常に有利にしたし、参加者間のコーディネーションの問題を解決した。専門家が集まってビデオを公開するサイトを作ろうというアイデアを思い描いた人は大量にいるだろうが、実際に多くの人を動員して協調作業を行うのは難しい。このKhan Academyを見ると、Wikipediaを始めウェブ上でのコラボレーションがもてはやされいても、最終的に鍵となるのは行動力だということが分かる。Wikipediaのような試みが成功したのは、並はずれた行動力のもとでウェブを通じたコラボレーションを進めたからであって、ウェブを使えばうまく人が集まって何かができるというわけではない。

夫婦採用

共働きが一般化すれば、夫婦が同じ場所で仕事を得られるかという問題が生じる。

The Intricacies of Spousal Hiring – Run Your Campus

And when I finished, I realized, to my astonishment, that of the 17 I had picked, no fewer than eight had spouses who also taught at the university—seven of them as tenured professors.

ジョンズホプキンスの元ディーンが、17人のファカルティについて紹介を書こうとしたところ、そのうちの8人が配偶者が大学で働いていることに気付いた。しかもうち7人はテニュア付きの教授だった。アカデミックなキャリアを選ぶ人基本的に大学の外にでないので夫婦揃ってアカデミックというのはよくあるパターンだ(アメリカでは36%)。

Spousal hiring is often described as a “problem” to be solved, or as “the next great challenge facing universities,” to quote “Dual-Career Academic Couples,” an influential 2008 report published by Stanford University.

一般に夫婦での採用というのは大学にとって難しい問題だ。大学のポストの数はそう変えられないし、テニュア審査との兼ね合いもある。例えば有名な学者を採用するために、その配偶者を採用すると本人にとっても同僚にとっても微妙な空気が流れるだろう。

この問題はアメリカで深刻だ。共働きが一般化しているだけでなく、結婚において似通った学歴の配偶者を選ぶ傾向が強まっている。大学の場合特に顕著だが、都市が散らばっているのも二人の仕事を地理的にマッチするのを難しくする

この傾向は都市への集積を加速する。都市化の大きなメリットの一つは雇用主と労働者とのマッチングだが、同じ場所で二人が専門職を探すとなれば、それだけ分業の進んだり巨大な都市が望ましい。例えば東京経済圏であれば通勤圏内に数多の大学が存在するため、一つの大学が夫婦同時採用を考える必要はない(注)。

(注)外国人研究者を呼びたいならこの点をアピールできるかもしれない。ただ外国人が複数の大学でポストを探したり、普通の大学が外国人を受け入れたりするのは現状では難しいので専門にマッチングサービスを提供すべきだろう。

School of Hard Knocks

アメリカのCEOがどんな大学を出ているか(@gshibayamaさんのtweetより):

Top 10 CEO Undergraduate Alma Maters

  1. University of California
  2. School of Hard Knocks
  3. Harvard College
  4. University of Missouri
  5. University of Texas
  6. University of Wisconsin
  7. Dartmouth College
  8. Princeton
  9. Indiana University
  10. Purdue University

殆どが州立大学のシステムだ。これには四つほど理由が思い当たる。

  1. アイビーなどにくらべ大学の規模が遥かに大きい
  2. アメリカの普通に優秀な人は州立のフラッグシップに行くことが多い(私立は学費が桁違いだし、卒業生の子弟を優遇するレガシー制度がある)
  3. キャリアを積んでからビジネススクールなどでトップ校に行く人も多い
  4. 私立トップ校にいくとそのままウォールストリートなどに就職する可能性も高い

それなりに優秀な学生が近くのいい大学に安く行き、ファイナンスやコンサル業界はネットワークがなく難しいこともあり、事業経営の世界に突き進むというシナリオはありそうだ。

ちなみに、第二位に上がっているSchool of Hard Knocksは知る人ぞ知る隠れた名門校…ではなく、

The School of Hard Knocks or the School of Hard Knocks and Tough Surprises is an idiomatic phrase meaning the (sometimes painful) education one gets from life’s usually negative experiences, often contrasted with formal education. (wikipedia)

大学を出ずに大企業のCEOにまで上り詰めた(というか自分で大企業を作り上げた)ということだ。

アカデミアの労働市場

アカデミアは非常に左寄りなところにも関わらず、大学の労働市場は非常に厳しい状態にあり、悪化するばかりだ。

Why Does Academia Treat Its Workforce So Badly?

Together these employees now make up an amazing 73 percent of the nearly 1.6 million-employee instructional workforce in higher education and teach over half of all undergraduate classes at public institutions of higher education.

アメリカの大学では非常勤講師の数が増え続けており、今や教員の73%にも達しているとのこと。公立大学のクラスの半分以上はテニュア=終身雇用を持たない講師によって支えられている。

Academia has bifurcated into two classes:  tenured professors who are decently paid, have lifetime job security, and get to work on whatever strikes their fancy; and adjuncts who are paid at the poverty level and may labor for years in the desperate and often futile hope of landing a tenure track position.

労働市場は二極化している。テニュアを持つ教授はまともな給料に終身雇用があり好きなことが出来る一方で、非常勤は貧困ラインの給与でテニュアを取れる見込みも殆どない。

And, of course, graduate students, the number of whom may paradoxically increase as the number of tenure track jobs decreases–because someone has to teach all those intro classes.

テニュア付きポストが減る一方で大学院の定員は増えている。教授の数が減れば入門レベルのクラスを教える人間の需要は増えるため院生を増やすインセンティブがある。

those lucky enough to get a tenure-track job have to move to a random location, often one not particularly suited to their spouses’ work ambitions or their own personal preferences . . . a location which, barring another job offer, they will have to spend the rest of their life in.

テニュアをとっても場所は選べないことが普通だ。配偶者の仕事と都合が合わないかもしれないし、住み心地が良いとも限らない。そして、基本的にはその場所に一生住むことになる。

I have long theorized that at least some of the leftward drift in academia can be explained by the fact that it has one of the most abusive labor markets in the world.

一見矛盾のように見えるアカデミアのリベラル傾向とこの悲惨な労働市場も、後者が前者の原因だと考えれば説明できる。あまりにも酷い労働市場で一生過ごしているうちに、左寄りな労働市場観を持つに至るということだ。

as a class, low wage workers do not face the kind of monolithic employer power that a surprising number of academics seem to believe is common.

大学教授は民間の労働市場を搾取と捉えがちだが、低賃金労働の市場においても大学ほどに一方的な交渉力を持った雇用主はいない。

The Persistence of Exploitative Academic Labor Markets

上の記事に関連して、どうしてこのような労働市場が維持されるかについて三つの理由が示されている。

[…] once one has bought into the academic status framework, it’s hard to escape it. Graduate school is basically an extended period of socialization into the conviction that academia is more exalted than just about anything else.

まず、一度アカデミアに入ると抜け出るのは難しい。しばしば指摘されることだが、大学院というのは価値・規範を植えつけるという意味で一種の社会化プロセスになっている。アカデミアが最高の場所だという観念を刷り込まれるということだ。

[…] many people who have been so socialized have a preference for working in academia so strong that they are willing to forgo lots in salary, benefits, and security in order to secure employment, however tenuous, in academia.

そして労働市場に出る頃にはアカデミアで働くためなら何を犠牲にしてもいいような労働者が完成する。

[…] increasing the supply of adjunct jobs relative to tenured jobs creates a rising status premium for the tenured and reduces their responsibility for the least desirable elementary courses.

また、テニュアが減ることでそれを獲得する確率は減る一方、テニュアの価値は上昇している。希少度が上がるし、学部生向けの(教える側に)人気のない授業を担当する必要がなくなるからだ。これに自分は大丈夫という自信が加わればどうなるかはご覧の通りというわけだ。

卒後三年は新卒

斜め上の発想が見事な日本学術会議より。

卒業後3年は新卒扱いに 大学生の就職、学術会議提案 – 社会

大学生の就職のあり方について議論している日本学術会議の分科会は、新卒でなければ正社員になりにくい現状に「卒業後、最低3年間は(企業の)門戸が開かれるべきだ」とする報告書案をまとめた。

新卒でなければ正社員になりにくい現状は問題からどうして三年間という数字が出てきたのだろう。三年以上たったらどうするのだろう。

企業側にも新卒要件の緩和を求め、経済団体の倫理指針や法律で規制するより、既卒者を新卒者と同じ枠で採用対象とする企業を公表することを提案。

具体的には、既卒者を新卒者と同じ枠で採用すべきだという(驚)。新卒者の特別扱いをやめて、新卒三年以内を特別扱いしようという案のようだ。この案が実行されて一番困るのはその年の新卒者のように思えるのがどうだろう。既卒者との競争にさらされるだけでなく、「新卒枠」を減らす企業も出てくるだろう。

新卒至上主義を解決するのに新卒概念を拡大してもしょうがない。正社員になりにくいからといってみんな正社員にしろといっても(国有企業でもなければ)問題は解決しないのと同じだ。既卒者・転職者が不利というのは結果であって原因ではないのだから、一見誰も痛まない策をでっち上げたところでしょうがない。