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デンマークの雇用

反貧困を掲げ内閣府参与にまでなった湯浅誠氏に関する記事が興味深い。

湯浅誠氏のとまどい: EU労働法政策雑記帳

興味深いのは、湯浅氏が北欧は福祉国家だから人を働かせようなんてする国じゃないというイメージを持っていて、それが行ってみたらそうじゃなかったと、いささかとまどっているらしいところです。

>イギリスでもデンマークでも、訪問する先々で、私は「とにかく仕事」というメッセージを受け取り続けた。イギリスではすべての中高生の在籍データを行政機関が共有し、学校に来なくなった子どもなどの情報を地域の若者担当部局に提供、ソーシャルワーカーの家庭訪問やユースワーカーの本人対応に結びつけていた。失業者は、日本のハローワークに当たるジョブセンタープラスでの定期的面接を義務づけられており、若年者は一般失業者に比べてより厳しいプログラムへの参加を求められていた。

ヨーロッパで就業支援に大きな資源が割かれていることに驚いたようだ。

もし、働けるのに働かなくても福祉でぬくぬく、という福祉国家のイメージを追い求めていたのだとすれば、それはやはり見当はずれだったといわざるを得ないのでしょう。

このような指摘がなされるのは当然だろう。セーフティネットが整備されているのに就業支援に力を入れなければ単に働かないことを選ぶ人が増えてしまう。これを読んで思い出したのが次のNYTの記事だ。

Why Denmark Is Shrinking Its Social Safety Net

デンマークで失業者が職を得るまでの期間を表したグラフだ。緑色の線は失業給付が四年間であった2005-2007の推移を示し、赤い線は五年間であった1998年を示している。失業して2,3ヶ月の内に就職する人が多い一方で、給付打ち切り直前に就業率が跳ね上がるのが分かる。

“It shows that people are not seeking all the jobs they could get, but just the jobs they would like to have,” said Steen Bocian, chief economist at Danske Bank.

ここから、失業給付があるために本当なら仕事に就くことが出来てもそうしていない人が相当数いると結論付けるのは自然だ。

In addition to halving the unemployment benefits period, the government is pinning high hopes on job activation programs, one of the three pillars in Denmark’s famed “flexicurity” model. Employers have carte blanche to hire and fire, and in turn, the jobless are guaranteed benefits if they attend retraining and job placement programs tailored to prepare them for work where labor is scarce.

デンマーク政府もこのような問題に対応して、失業給付の期間削減と就業支援の強化を同時に打ち出した。企業は雇用・解雇において大きな裁量(carte blanche)を持つ一方で、失業者は労働者の不足している産業向けのトレーニングプログラムを受ける条件で給付を受けられる。就業支援・職場復帰によって失業問題に対処し、そのつなぎとして給付が存在するという構造になっている。前者だけではセーフティネットがないし、後者だけではモラルハザードの温床になってしまう。同時に取り組んでいくことが重要だ(まあBIのような制度であればモラルハザードの問題はクリアできるが)。

すでに行政の中枢にいる方がヨーロッパの制度を実際に見て驚くというのは困ったことではあるが、その驚きを世間に明らかにするというのはこれからの軌道修正に期待できるかもしれない。

夫婦採用

共働きが一般化すれば、夫婦が同じ場所で仕事を得られるかという問題が生じる。

The Intricacies of Spousal Hiring – Run Your Campus

And when I finished, I realized, to my astonishment, that of the 17 I had picked, no fewer than eight had spouses who also taught at the university—seven of them as tenured professors.

ジョンズホプキンスの元ディーンが、17人のファカルティについて紹介を書こうとしたところ、そのうちの8人が配偶者が大学で働いていることに気付いた。しかもうち7人はテニュア付きの教授だった。アカデミックなキャリアを選ぶ人基本的に大学の外にでないので夫婦揃ってアカデミックというのはよくあるパターンだ(アメリカでは36%)。

Spousal hiring is often described as a “problem” to be solved, or as “the next great challenge facing universities,” to quote “Dual-Career Academic Couples,” an influential 2008 report published by Stanford University.

一般に夫婦での採用というのは大学にとって難しい問題だ。大学のポストの数はそう変えられないし、テニュア審査との兼ね合いもある。例えば有名な学者を採用するために、その配偶者を採用すると本人にとっても同僚にとっても微妙な空気が流れるだろう。

この問題はアメリカで深刻だ。共働きが一般化しているだけでなく、結婚において似通った学歴の配偶者を選ぶ傾向が強まっている。大学の場合特に顕著だが、都市が散らばっているのも二人の仕事を地理的にマッチするのを難しくする

この傾向は都市への集積を加速する。都市化の大きなメリットの一つは雇用主と労働者とのマッチングだが、同じ場所で二人が専門職を探すとなれば、それだけ分業の進んだり巨大な都市が望ましい。例えば東京経済圏であれば通勤圏内に数多の大学が存在するため、一つの大学が夫婦同時採用を考える必要はない(注)。

(注)外国人研究者を呼びたいならこの点をアピールできるかもしれない。ただ外国人が複数の大学でポストを探したり、普通の大学が外国人を受け入れたりするのは現状では難しいので専門にマッチングサービスを提供すべきだろう。

労働のコモディティ化

介護職の待遇が酷いというのはよく聞く話だ。

介護業界で“男の寿退社”が相次ぐワケ:日経ビジネスオンライン

入所施設、訪問介護、病院など介護のニーズが高い中で売り手市場のはずが、介護職の賃金水準が低く、長時間労働も余儀なくされ、ボランティア精神を頼みにしているような状況だ。

賃金水準は低く、労働環境も劣悪との内容だ。賃金がフェアか否かという問題は置いておくととしてし賃金が低い理由はいくつも考えられる。

一つに実際には介護への需要が小さいことだろう。介護が必要だと「言う」人は多いが実際に十分なお金を払う人が少ない(支払える額は所得に依存するので、それが一般的な意味での「必要性」と一致するとは言わないが、経済的にはそれを効率的に区別する方法がない)。そのため介護保険による補助が行われている。

もう一つの理由は介護労働は極めて規格化されていることだろう。これは上の理由で介護報酬の多くが政府を通じて払われていることによる。国がお金を出す以上、何に対して幾ら払うのかはっきりさせないといけない。しかし、このような政策により、逆に介護労働は規格化されてしまい、労働者がレントを得る手段がなくなる。〇〇という資格を持っている人間が××をすると幾らみたいな状況では、労働者の価値は〇〇であることでしかない。それでも〇〇が希少であれば給与水準は高止まりするが、でなければ待っているのは完全なコモディティ化だ。また規制によって給与が高くとも、それが資格という形で規格化されているなら資格を得る競争段階でその利得は散逸してしまう(弁護士になるとこれだけ儲かると周知されていれば受験者はそれだけの費用を払って競争することになる)。

労働のコモディティ化は特に派遣産業で顕著だ。派遣される労働者は一定の記述に合致しているからそれに対応する仕事が与えられる。逆に言えば一定の記述に合致しているなら誰でもよい。もちろん相当な専門性を持っていればそれでも高い報酬を得ることも可能だろうが、そこまでの専門性を誰もが獲得できるわけではない。一つのスキルで食っていくというのは言うだけなら格好良いが、そんなことができる人間はほとんどいない。例えば、統計の専門家への需要はこれから伸びるだろうが、測度論を勉強して理解できる人はどれだけいるだろうか。

これからの労働関係の対立というのは、介護や派遣に限らず、規格化によりコモディティとなってしまった労働者とそうでない労働者・経営者(その区別も意味を失っていくだろうが)との間に起きるだろう。世界中で学校教育が広がり、言われた仕事がきちんとこなせるというのが貴重な能力だった時代は終わった派遣業規制の盛り上がりなどは、自分で仕事を見つけられず言われた仕事しかできない人のラッダイト運動ではないだろうか

卒後三年は新卒

斜め上の発想が見事な日本学術会議より。

卒業後3年は新卒扱いに 大学生の就職、学術会議提案 – 社会

大学生の就職のあり方について議論している日本学術会議の分科会は、新卒でなければ正社員になりにくい現状に「卒業後、最低3年間は(企業の)門戸が開かれるべきだ」とする報告書案をまとめた。

新卒でなければ正社員になりにくい現状は問題からどうして三年間という数字が出てきたのだろう。三年以上たったらどうするのだろう。

企業側にも新卒要件の緩和を求め、経済団体の倫理指針や法律で規制するより、既卒者を新卒者と同じ枠で採用対象とする企業を公表することを提案。

具体的には、既卒者を新卒者と同じ枠で採用すべきだという(驚)。新卒者の特別扱いをやめて、新卒三年以内を特別扱いしようという案のようだ。この案が実行されて一番困るのはその年の新卒者のように思えるのがどうだろう。既卒者との競争にさらされるだけでなく、「新卒枠」を減らす企業も出てくるだろう。

新卒至上主義を解決するのに新卒概念を拡大してもしょうがない。正社員になりにくいからといってみんな正社員にしろといっても(国有企業でもなければ)問題は解決しないのと同じだ。既卒者・転職者が不利というのは結果であって原因ではないのだから、一見誰も痛まない策をでっち上げたところでしょうがない。

ウェブ入社試験

ウェブ入社試験の替え玉受験が問題になているそうだ。

正直者はバカ!? ウェブ入社試験に“替え玉受験”横行

人気企業の多くが1次試験で実施する就職テス トで、「替え玉受験」が行われているというのだ。ネット受験をこれ幸いに、別人に問題を解かせて高得点をゲットしているという。

企業が応募者にオンラインの試験を実施しているそうだ。これに替え玉受験が発生するのは誰だって分かるだろう。個人情報が漏れるとマズイためマーケットが存在しないだけで、一方的に替え玉受験を行うサービスがあっても不思議ではない(というかないほうが不思議だ)。

この声に対し、実際にウェブテストを行っている大手メーカーの担当者は「会場を借りて一斉に行う従来の入社試験に比べて、ウェブテストは大変なコスト削減 になる。いまさら会場型には戻せません。替え玉受験があることは織り込み済み。その後の数回にわたる面接で、ダメな学生は必ず淘汰されます」と語る。

当然、企業はこんなことは分かっているわけで、コスト削減が目的だ。替え玉を用意できるのも「社会人」としては重要な能力なのもあるだろう。

しかし不思議なのは、明らかに不正確なことが分かっているウェブテストではなく、大学の成績を利用しないのかということだ。もちろん大学でも替え玉受験はあるだろうが、多くのクラスで替え玉するのはある一回のウェブテストで替え玉するのに比べて遥かに難しい。

どんな授業なのか・評価の方法が分からないという面はあるが、ある程度の規模の大学・学部であれば応募者の中での分布を見るだけでも良い。学校と平均成績だけ見て足切りをすればよい。勿論、社員が直接推している学生は別に分けておく。

大学の試験がある程度重視されるようになれば、真面目な学生は大学の試験の適正な実施を要求するし、大学側も成績の分布や試験の質に気を使うようになるはずだ。学生が誰も成績を気にしていない(=審査に使えない)ため企業も気にしない(=学生も気にする必要がない)という状況が、企業が気にするので学生も気にする(=審査に使える)という状況になればこんな無駄は排除できるはずだ。会場を借りるよりウェブが安いのなら試験をしないのはもっと安い。

追記

@Hirohyさんから以下のようなコメントを頂いた:

ちなみに昔の弁護士就職市場では成績より司試合格までに要した年数というシグナルの方が用いられてたから成績を気にしない学生が多かったが制度改革(増員)後は前者がシグナルとして機能しにくくなりLSの成績がシグナルとして使用され始めた。

学生と企業が成績を重視するかは相互に依存しているため複数均衡状態になっていて、均衡が移動するためには外生ショックが必要になる。弁護士業界においてはロースクールの全面的に導入がそのショックとなり、移動が起こったと考えられる。