日本経済の現状

経済産業省が公表しているスライドがよく出来ているのでここでも紹介(ht @kazemachiroman)。日本が抱える問題とここに至るまでの経緯が丁寧に解説されている。ではどうしたらいいのかという部分になると急に説得力がなくなるが、日本語だし全部読む価値はあるように思う。特に興味深いグラフを幾つか抜粋する。

日本の産業を巡る現状と課題

まず各国の貯蓄率の推移だ。日本は貯蓄率が高く、アメリカは借金だらけというイメージを持つ人が多いと思われるが、日本の貯蓄率はアメリカを下回っている。高齢化や社会保障によって貯蓄率が下がるのはしょうがないが、それにしても衝撃的な数字だ。

最近、株主主権の問題と絡めて話題となった労働分配率だがここでも日本は英米独仏などよりも高い水準を保っている。特にドイツが一番低いのは興味深い。

企業の海外移転に関するアンケート結果だ。多くの企業が生産機能移転を決定ないし検討しているとのこと。生産コストを考えればその流れは当然だろう。日本で働く人は開発・研究・本社機能で能力を発揮出来るようにならないと厳しい。

こちらは三大都市圏及び地方の人口推移だ。全体に人口が減っていくものの、相対的に地方での人口減少が深刻となる。

特に地方圏では、今後急速に人口減少。地域経済の立て直しが深刻な課題。

とはいえ、既に莫大な予算をつぎ込んでいる地方経済をどう立て直すというのだろうか。

実質失業率は急激に伸びている。日本の比較的低い完全失業率は企業による抱え込み=保蔵によって維持されているに過ぎない。

当然これだけの余剰人員を抱えていれば労働生産性で他国に引けをとるのは当然の帰結だろう。

企業内部で再配分が行われているような状況であり、雇用者報酬も伸び悩む。国境を越えられるような人材の確保はますます難しくなりそうだ(こっちも購買力平価だよね?)。

では日本の問題は何か。まず挙げられているのが実効法人税率の圧倒的な高さだ。どこの国で始めても良いような産業があえて日本を選ぶことはないだろう。儲かりそうであるほどそうだ。運輸の関する費用も高く事業コストが足かせになっている状況が分かる。

資本市場としての魅力もない。シンガポールの躍進をみればアジアでの地位は完全に失われたといっていいだろう(追記:資本市場の地位という意味)。

資料では、これらの経緯・現状を踏まえた上でさらなる産業政策の重要性が強調されているが、現状はその産業政策の失敗とも捉えられる。まずは企業活動がしやすい環境を整え、国内での競争を促進することで生産性を上げることが重要だろう。そうすることで、政府が成長産業を決め打ちしなくても、優秀な産業が競争に生き残る。

結論部分こそ微妙だが、全体として非常によく出来た資料なので、時間のある時にでも是非読んでみてほしい。

手書き履歴書

昨日の記事からもリンクしたが、「履歴書なんかを手書きするという文化はまだ存在するんだろうか」という発言に多くの情報や意見が寄せられた。

Togetter(トゥギャッター) – まとめ「手書き履歴書の実態」

事実関係としては以下の通りだ。

  • 手書きを要求する企業は存在する
  • 手書きが好ましいという採用者もいる
  • 採用側にはタイプの方がいいという意見も多い
  • 学生はまわりに合わせて手書きが普通
  • 業界にもより、大手・外資といったあたりではネットで提出も多い

タイプを好む採用側の人が多く、逆に手書きが普通だと思っている学生が驚くという構造が見て取れる。これにはTwitterというメディアによって、参加者にセレクションがかかっているという面もあるだろう。

では手書きが好ましいとする理由はなんだろうか。

  • 性格が分かる
  • 志望度合いを測れる

以上の二つが挙げられている。手書きを要求する企業が存在するのでこれらの要素はある程度正しいのだろう。しかし、手書きの履歴書でなければこの役割が果たせないということはないはずだ

まず手書きの文字から性格が分かるとして、それは他の手段より効率的なのだろうか。人となりは面接ですぐに分かることだろうし、カバーレターのような文章を書かせれば文字よりも正確に分かるように思う。履歴書ならぱっと見てすぐ判定できるという利点はあるが、どちらにしろ不正確なシグナルなので本当は望ましい応募者を落としてしまう危険性がある。

志望度合いの高い人だけを選ぶという効果については、より多くの文章を書かせることで対応できる。応募者を減らしたいならエッセイを書かせても良いし、応募に(成績など)条件をつけても良い(それがダメなら一定の基準ではねればいい)。

個人的には、加登住 眞さんが使っている次の方法はなかなかいいと思う。

ご名答。その場で交通費精算書を書いてもらってます。RT @rionaoki: @kazemachiroman その場で字を書いてもらうとかは双方にとってコストが小さいので面白いかもしれません。

手書きの字で性格なんかを見たいなら、その場で書いてもらうのがいい書き手のコストも読み手のコストも小さくなるし、本人の字であることも分かる。ここでは交通費精算書があがっているが、他の書類を記入してもらってもいいだろう。

私は字を書くのが好きで、意味もなく文章を紙に写しているなんてこともあるが、応募者も書くのが大変で採用者も読むのが大変という状況は解消されるべきだろう。とりあえず、手書きでなくていいという企業はその旨明示するのはどうだろう。

P.S.

この話はTwitterでの発言から始まりました。賛否はありますが、使ったことのない方は少し使ってみるといいと思います。私のアカウントは@rionaokiです。

フルタイム教授の減少

アメリカの大学ではフルタイムの教授は結構少ない。大学院生はもちろん、学部向けの授業は非常勤の先生(Adjunct Professor)によって教えられることが多い。

Strategy – Faculty – The Case of the Vanishing Full-Time Professor – NYTimes.com

In 1960, 75 percent of college instructors were full-time tenured or tenure-track professors; today only 27 percent are.

このこと自体はよく知られていることがだが、実際の数字はショッキングだ。テニュアないしテニュアトラックの教授は1960年の75%から26%にまで落ちているそうだ。テニュアとは終身雇用のことで、大学はテニュア審査の対象となるポスト(tenure-track; Assistant Professor)を雇い、研究成果を元にそれを与えるかどうかを決めるものだ。テニュア制度の意義については以前説明した(テニュアの経済学)。

“When a tenure-track position is empty,” says Gwendolyn Bradley, director of communications at the American Association of University Professors, “institutions are choosing to hire three part-timers to save money.”

終身雇用を与えることは非常にコストリーなので、不景気になるとパートタイムの先生を使って必要なコマ数を確保することが増える。

フルタイムの教授の減少にはいくつかの問題点がある:

  1. 研究者ポストの削減
  2. 学生への授業外のサポート不足
  3. 講師のリスク負担

しかし、これらはそれほど深刻な問題とは言えない。まず研究者ポストの数についてだが、これはティーチングの数と紐付けされていること自体が適切でない。研究者の数については研究の必要性で判断すればよい。二つ目は制度的な問題だ。オフィススペースやメールボックスを整備したり、IT技術を導入したりすることで対処できる。最後は分野によるだろう。他の仕事がいくらでもある業界ではパートタイムの仕事はリスクにはならない。むしろ収入が分散する。

逆に、非常勤の教員が増えるメリットは多い:

  1. 研究職との分業による効率化
  2. 実社会での経験に基づく授業・産業界へのコネクション
  3. コスト削減

1については大学で授業をとったことがあれば明らかだろう。フルタイムの教授の審査はほぼ完全に研究業績で行われるため、彼らは必ずしも教育に秀でているわけではない。入門コースのように、研究者が受け持ちたがらない授業を非常勤ないし教育に特化した教員が受け持つのは効率的だ。また、学生にとって研究者ではない先生がいることはプラスだ。どの大学であれ卒業生の多くは民間企業に就職する。研究者との接点がなくなるのは問題だが、選択できる限り問題はない。最後に非常勤の教員の給与は低い。これは一見教員にとって悪いことに聞こえるがそうでもない。自分でビジネスを行っている人間にとって大学で教えることは自分の評判・知名度を高めるというブランディングに使える。よって、本来の価格より低い給与でもクラスを受け持ってもらうことが可能だ。これは大学・学生にとっても、教える側にとってもプラスだ。

民間から非常勤講師を招くという傾向はこれからも続くだろうし、日本でも急速に広まるだろう。ただ、その時に教える分野についてきちんとした知識を有していない自称専門家が入り込んでしまわないように注意する必要がある

終身雇用はなくなる

日本の雇用についてのポストから:

終身雇用はなぜなくならないか – Chikirinの日記

(1)新卒採用
(2)年功序列
(3)終身雇用

これらが日本型雇用だという。何故これらがなくならないかについて以下のように説明している:

大企業は、解雇規制があるからイヤイヤ“日本的雇用”を維持しているのではなく、それが自分達にとって得だと思える強固な理由があるからこそ、それを維持しているのだ。

これは市場の仕組みを考えれば当然だろう。もし解雇規制が原因で合理性のない雇用慣習を採用しているのであれば、解雇規制が問題にならない新規企業に駆逐されるはずだ

終身雇用の主なメリットは二種類ある:

  1. 社員のリスクを雇用主が負担できる
  2. 社員が雇用主に固有の人的投資をできる

1は社員の方がリスク回避的であるため、会社がそれをカバーできるなら給料を節約できるからだ(これはWin-Winだ)。会社員にとって解雇のコストが高いことを考えれば妥当だろう。

2は「“仕事のやり方”ではなく、“我が社のやり方”を知っている社員が望ましい」という部分と重なる。そういった企業固有の知識を習得するのは雇用が保証されていない限り割に合わない。

それに対して終身雇用最大のデメリットはまさに解雇が難しいことだ。解雇という脅しなしに社員を働かせなければならない。ただ、これは成果主義が成立しないということではない。将来の処遇を使ってそれなりのインセンティブを与えることは可能だ。

このように長年続いてきた終身雇用制度にはそれなりの合理性があるでなければそんなシステムが維持されるわけはない。しかし、終身雇用が続く、最も大きな原因は労働市場の硬直性だ:

今や日本の労働市場では中途人材の新規獲得コストが異常に高くなり(=高品質人材の中途採用市場が整備されないままとなり)、企業は今更方針を変えられなくなってしまっている。

上の部分がそれを表している。長年、新卒採用・終身雇用に依存してきた社会には健全な労働市場が育たない。終身雇用が当たり前だと途中で労働市場でる人間は何か問題があるという悪いシグナルを送ってしまう。そのため中途労働市場が機能せず、新卒採用・終身雇用という制度はさらに強化されてしまう。これを何十年も続けた結果が履歴書が気になってブラック企業を辞めることもできない社会だ

しかし、この一見強固に見えるサイクルにも解れが見え始めた。この悪循環は中途の労働者が悪いシグナルをもっているというのが原因だ。リストラをする企業や破産する企業が出てくれば、悪いシグナルは減少し、逆のサイクルがまわり始める。中途労働市場が改善、新卒採用の重要性低下、労働者にとっての終身雇用の価値低下、転職の増加、さらなる中途労働市場の改善という流れだ。

つまりはこのように大企業側にも日本的雇用はいろいろメリットがあるわけで、だから簡単には崩れないのだと思った。

確かに今すぐに日本的雇用がなくなることはないだろうが、上のサイクルが逆にまわり始める時に一気に崩れ去っていくだろう。経済全体が伸びていかない以上、この流れを止めることはできない。

いい職場って何?

どんな職場がこれからの世代に必要なのか。日本が追いつくのはまだ先だろうがアメリカの状況について丁度とってもわかりやすいエントリーがあったのでご紹介:

Announcing: Brazen Careerist Top 50 Places to Work | Penelope Trunk’s Brazen Careerist

1. Salary negotiations are over.

サラリーの交渉の時代は終わった。

Gen Y doesn’t consider salary to be a huge factor in choosing a place to work because Gen Y knows that salary data is public. The days when a company can screw you by underpaying you are over.

今やサラリーの情報は共有されている。どこの会社がどのポジションにいくら払っているかなんてネット上で調べることができる(注)。情報がオープンで労働者が仕事を選べるのであれば、サラリーは自動的に市場の水準になる。競争市場に近づいている。

日本ではいまだに成果主義の是非を論じている人が多数いるが、時代遅れもいいところだろう。成果主義は流動的な労働市場と組み合わせでなければ機能しないそして流動的な労働市場の行き着く先は市場による労働者の評価だ。「主義」のはいる余地はない。ものを売り買いするときに普通主義主張は登場しない。そういうことだ。日本でもこの方向性は変わらない。

(注)日本ではどこにあるのだろうか。これはビジネスになる。

2. Social entrepreneurship is stupid.

社会起業家なんてものはない。

It’s stupid because you don’t’ need to be calling yourself a social entrepreneur in order to save the world. We no longer divide the world into non-profit people who are do-gooders and for-profit people who are money-grubbers. We are all here to do good. After all, what else is worth living for?

これは最近社会起業家に関する論争「金儲け=悪」の話を絵で説明してみるビジネスをしてお金を稼いで社会のためになろうなどで繰り返し主張していることだ。営利が悪・非営利が善という時代は終わり(参考:非営利と営利との違い)、誰もが何か社会のためになることをしようとしている。逆に自分たちは社会起業家だと謳うことは、ものの捉え方が古いということだ。新しい優秀な人材を採用したいならやめたほうがいい。

3. Self-reported flexible workplaces are BS.

自称フレキシブルな職場なんて意味ない。

Flexibility is not something that Gen Y wants. It’s something everyone wants. The idea that we are going to run our lives around our work is ridiculous. It doesn’t work. We want to make each aspect of our life work well with the other aspects.

フレキシビリティは新しい世代の特徴ではなく、誰もが必要とするものだ。仕事が人生という生き方はうまくいかない。

In our Top 50 list we judge by how close a company gets to hiring 50% women. This is not scientifically proven, but it is true that while all demographics complain about inflexible hours, women will leave the company over it.

どの会社もフレキシビリティを主張しているのだから、言葉に耳を傾けてもしょうがない(みんなが欲しがっているならチープトークは何の情報も伝えない)。実際の行動をみる必要がある。その簡単な判定方法として女性の比率を挙げている。女性が多いかそれ自体が問題なのではなく、それで職場の環境を判定するのだ。これは非常に経済学的なものの見方だ。