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手書き履歴書

February 23rd, 2010

昨日の記事からもリンクしたが、「履歴書なんかを手書きするという文化はまだ存在するんだろうか」という発言に多くの情報や意見が寄せられた。

Togetter(トゥギャッター) – まとめ「手書き履歴書の実態」

事実関係としては以下の通りだ。

  • 手書きを要求する企業は存在する
  • 手書きが好ましいという採用者もいる
  • 採用側にはタイプの方がいいという意見も多い
  • 学生はまわりに合わせて手書きが普通
  • 業界にもより、大手・外資といったあたりではネットで提出も多い

タイプを好む採用側の人が多く、逆に手書きが普通だと思っている学生が驚くという構造が見て取れる。これにはTwitterというメディアによって、参加者にセレクションがかかっているという面もあるだろう。

では手書きが好ましいとする理由はなんだろうか。

  • 性格が分かる
  • 志望度合いを測れる

以上の二つが挙げられている。手書きを要求する企業が存在するのでこれらの要素はある程度正しいのだろう。しかし、手書きの履歴書でなければこの役割が果たせないということはないはずだ

まず手書きの文字から性格が分かるとして、それは他の手段より効率的なのだろうか。人となりは面接ですぐに分かることだろうし、カバーレターのような文章を書かせれば文字よりも正確に分かるように思う。履歴書ならぱっと見てすぐ判定できるという利点はあるが、どちらにしろ不正確なシグナルなので本当は望ましい応募者を落としてしまう危険性がある。

志望度合いの高い人だけを選ぶという効果については、より多くの文章を書かせることで対応できる。応募者を減らしたいならエッセイを書かせても良いし、応募に(成績など)条件をつけても良い(それがダメなら一定の基準ではねればいい)。

個人的には、加登住 眞さんが使っている次の方法はなかなかいいと思う。

ご名答。その場で交通費精算書を書いてもらってます。RT @rionaoki: @kazemachiroman その場で字を書いてもらうとかは双方にとってコストが小さいので面白いかもしれません。

手書きの字で性格なんかを見たいなら、その場で書いてもらうのがいい書き手のコストも読み手のコストも小さくなるし、本人の字であることも分かる。ここでは交通費精算書があがっているが、他の書類を記入してもらってもいいだろう。

私は字を書くのが好きで、意味もなく文章を紙に写しているなんてこともあるが、応募者も書くのが大変で採用者も読むのが大変という状況は解消されるべきだろう。とりあえず、手書きでなくていいという企業はその旨明示するのはどうだろう。

P.S.

この話はTwitterでの発言から始まりました。賛否はありますが、使ったことのない方は少し使ってみるといいと思います。私のアカウントは@rionaokiです。

「ツイッター7つの仮説」について

February 17th, 2010

Twitterの話題で■グロービス堀義人ブログ: ■ツイッター7つの仮説とそれに対する堀さんがtwitterに関する面白い記事を書いてたので突っ込みなど|堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」が面白かったのでここでも同じフォーマットでやってみよう。

仮説1:ITの進化に伴い、議論の質が下がる。

ニフティの時代から議論の質が下がったという話。私はニフティにあまりアクセスしたことがないので直接の比較はできないことを先に断っておく。質をどう定義するかにもよるが、平均的な「質」は下がるだろう。では堀さんが問題にされているであろうトップレベルでの質はどうか。

これは何についての議論かによるだろう。話題が明確に決まっている場合、その内容によって分けられている空間のほうが優位だ。極端な話、特定の狭い分野で質の高い議論が必要なら、その分野の研究者を集めて会議室にでも閉じ込めておけば良い。Twitterなどという誰が聞いてるかもわからない代物を使う必要はない。逆に話題が設定されていない場合、看板で仕切られた空間は大変都合が悪い。そのようなケースではTwitterが議論の質を上げる(例えばNPOの経営話はNPOの人だけが集まって議論するよりもいろいろな人が目にするTwitterでやったほうが効果的だろう)。

Twitterのハッシュタグはある意味いいとこ取りを狙った仕組みとも言えるが、管理者の不在は多人数での議論を困難にする。ニフティであればシスオペがフォーラムを適切に管理する(金銭を含めた)インセンティブを持っているが、ハッシュタグの場合は何のコントロールもない。通常のTwitter上のやり取りであれば、あくまで人間(アカウント)ベースなのでそこを押さえていれば生産的な議論が可能だが、ハッシュタグの場合はトピックベースなので難しいだろう。

結論としては、技術によってどのような議論が効率的に行えるかは異なるのであって、単純に上がる下がるという話ではないと考えられる。

仮説2:一方では、訴求力・リアルタイム性が抜群に上がる。ツイッター(SNS)、ブログ、動画などの組み合わせにより、よりパワフルな発信力を個人が持つようになる。

発言力は聞いてくれる人がいないと意味がない。大きな発言力を持ちうるようになれば、それを活用するために受け手を増やすインセンティブが増す(どんな頑張ったって10人しか聞いてくれないなら大した努力はしないが、1,000人なら努力するかもしれない)。受け手を増やす一番まっとうな方法は価値を提供することで、これは議論の質の向上につながる。Twitterは日本において実名の利用が広がっているという意味でIDにより個人が特定可能なパソコン通信と似ている。

仮説3:知のインプットの時間が減るので、人々は扇動されやすくなる。

これは間違っていると思う。まず、多くの人は時間を最大限に活用して知のインプットをしているわけではない。Twitterで30分使うとして、その代わりに削られるものが知のインプットとは限らない(そもそも一日30分知のインプットをしていない人なんて山ほどいるだろう)。

次に、Twitterを通じて普段目にしない分野の知識を得ることは多い。私はTwitterを始めるまでBI・BOP・社会起業とかいう言葉とは無縁だった(というと驚かれる)。そもそも聞いたことのない事柄に関してインプットするのは難しい。Twitterを含めたソーシャルメディアは検索エンジンやRSSを代替こそしないが、それに並ぶ新しい情報のアグリゲーターとなっている。これは知のインプットそのものだ。

最後に、知識をインプットだけで身につけるのは非効率的ということが挙げられる。アウトプットとインプットを繰り返すことでより効率的な学習が可能だろう。

普段から周りに多彩な興味を持った人がいて議論することができるのであれば(もしくは幅広い知識が不要なら)Twitterのメリットは少ないかもしれない。しかし、大抵の場合そんなことはないので、やはりTwitterは知のインプットにむしろ貢献するように思われる。

仮説4:パーソナルな情報がマスメディアを凌駕する。

凌駕するというよりも、マスメディアという概念が分解すると言った方がいいだろうか。

今後は、「日経新聞によると」よりも、「○○さんによると」の方が信憑性を持つ時代が来るであろう。

既にオンラインで記事を読むときには、どのサイトで読んでいるかよりも誰が書いているかを調べるようになっている。ちょっと検索すれば良いだけなので簡単だ。流通段階を押さえていない限り、旧来のビジネスモデルは維持出きない。

仮説5:コミュニケーション依存症(ジャンキー)が増え、物理的交流の機会が減る。

これは間違っている(タイガー・ウッズがセックス依存症というのと同じぐらい間違っている)。「Twitterでは「つぶやく」な」で述べたようにTwitterの特徴は新しいコネクションを作ることだ。物理的交流をすることの価値は、交流する相手が増えることで上がる(多くのネットや携帯を通じたコミュニケーションはそもそも物理的交流を増やすために存在している)。もちろん物理的交流なしに同等のコミュニケーションができるなら必要ないかもしれないが、現状ではそうではない。ましてや140文字のTwitterでは無理だ。私はTwitterでやり取りする人と会ってみたいと思う。Twitterがなければ会いようがないのでこれは物理的交流の増加だ。

仮説6:ツイッターのフォロワーは、共感、情報、知恵などの全人格的な面白み(エンターテインメント性)を求める。

YesでありNoだ。Twitterでどのような面白みを提供するかは本人の選択だ。特定のニュースを提供してくれる人は貴重だし、極端な話ボットだって面白いものは面白い。しかし、他のチャンネルに比べて全人格的な面白みを発信するのに向いている面はあり、そのような利用をする・期待する人が多いのも事実だろう。

仮説7:最終的には、ツイッターも駆逐される。

Twitterが本当に生き残るためには、完全にプラットフォーム化する必要があるだろうが、それでも永遠に続くことはない。問題はどのくらい存続するかと最終的に社会や後続の技術にどんな影響を残すかだ。

Twitterでは「つぶやく」な

January 19th, 2010

注意:Twitterの仕組みに関する記事なので利用したことのない人には分かりにくいかもしれません。とても良くできた仕組みなので、ぜひ利用されることをお勧めします。よろしければフォローください

最近、「Twitterを「つぶやき」と翻訳した罪」なんて記事を読んだ。記事中には次のように「つぶやき」という訳の問題が指摘されている:

「140文字限定」、「つぶやき」、「フォロワーにのみ伝える」。こうしたキーワードだけで判断すると、いかにも閉じた空間の自己満足的なツールにしか見えない。

これは確かに残念なことだ。何故ならTwitterがFacebookやMixiのようなSNSと異なる点がまさにその開放性にあるからだ。Twitterも元々はFacebookにおけるステータス更新をSMSで行う仕組みだった(参考:Wikipedia)。Twitterのオフィシャルサイトでの質問が”What are You Doing?”だったことがそれを象徴している。

ではTwitterがFacebookのステータス更新やMixiの日記と違うのは何か。それはTwitterの仕組みの根底にある一方向性だ。従来のSNSでは友達になるためには相手の承認が必要だ。昔の友達を発見したり、最近会った人を見つけたりするのには役立つが、あくまで既存の人間関係を補完するものに過ぎない。見ず知らずの人間が友達リストにたくさんいる人は少ないだろう。それはまさに「友達」リストなのだ。

逆にTwitterにおける「フォロワー」は一方向的な概念だ。相互にフォローすれば「友達」と変わらない状況になるが、最初は常に一方通行で始まる。例え現実に友達同士だったとしてもどちらかがフォローを始めるのには変わりない。この一方的にフォローし始めるのがデフォルトという仕組みがTwitterの革新的なところだ

まず私が誰かをフォローし始める場合を考えよう。これはFacebookやMixiではまずうまくいかないがTwitterではごく自然なことだ(だからTwitterがSNSと何が違うかを知りたければまず一方的にいろんな人をフォローしてみよう)。この状態ではフォローした相手のTweetが自分のタイムライン(TL)に表示されるだけでブログをブックマークしたりRSSで購読しているのと大差ない。しかし、ここから相手に@でメッセージを送ったり、Retweetで相手のTweetにコメントすることが可能だ。意味のあるコメントをすれば相手がフォローし返すこともあり、何の関係もなかった人間と「友達」になることができる。相手は決まっているのでこれは「つぶやき」でも「フォロワーにのみ伝える」でもない。しかしこの特性を生かすためには、できるだけ有益なコメントをする必要がある

逆に自分が誰かほかの人にフォローされるのはどんな場合か。それは自分のTweetに価値がある場合だ。現実の友達であれば朝何を食べたかにだって興味があるかもしれない。しかし、既に有名人でもなければ見ず知らずの人間があなたのごく普通の日常に興味を持っていることはない。他人にフォローしてもらうためには、なるべく有益な情報や興味深い議論を提供する必要がある。しかも、Twitterは多くのネット上のシステム同様にストリーム型のコンテンツであり、紙媒体とは異なりぱっとみて取捨選択するには一工夫(リスト・フィルター・ボットなど)が必要だ。ストリームの価値を上げるにはノイズ比を下げる必要があり、それは大した意味のない「つぶやき」をしないことを意味する

これらの特徴はブログにもそのまま当てはまり、Twitterがミニブログ(microblogging)に区分されるのも頷ける。旧来のブログと異なるのは、情報の送り手・受け手という関係が固定的でないこととリアルタイムであることだ。ブログでもコメント欄などを通じて読者と交流することは可能だが、相手もブログを持っていない限りやりとりは限定的だし、常に非同期な形でしかない。Twitterはその交流を自然な形で拡げることができるという点で、ブログを書いている人にとってコメント欄を代替する必要不可欠なチャンネルになりつつある(TopsyのようなTwitterのアグリゲーターが役に立つ)。

先ほど、MixiやFacebookについて「既存の人間関係を補完するもの」と述べた。これは別の見方をすれば非常に不自然なシステムだ。現実の人間関係は常に新しい可能性へと開かれている。その意味でTwitterは「既存の人間関係の在り方をネット上で再現するもの」と言えるかもしれない

ちなみに、相互にフォローしあっている、つまり「友達」状態の場合には@でやりとりすることで、両者をフォローしている人以外のTLにはTweetが表示されなくなる。これにより、そのやりとりに関係ない人に対しての自分のストリームの価値を下げないで済むし、既存の友達との間のインスタント・メッセンジャーとしての役割も果たせる。

どうやって毎日ブログを更新するか

December 15th, 2009

最近、TwitterやTumblrを使っていてブログの更新が止まったという人が多い(参考:Twitterとイノベーション)。どうやって毎日ブログを更新すればいいのか、という話もよく聞く。

この問いへの答えは実はとても簡単だ。ブログの更新を違う作業に置き換えてみればすぐに分かる。例えばこうだ:

どうやって毎朝仕事に行けばいいか

そんなことは世の中のほとんど人が毎日ちゃんと達成している。目覚ましを掛ければいいだけだ。毎日20km走るというなら物理制約もあり簡単ではないが、ブログを書くというのはそんなに難しいことではない。

毎日ブログを書こうと思っているのにそれができないのは、目的意識が薄いという問題の一つの帰結に過ぎない。それを解決せずして、頑張って更新頻度を挙げてもろくなことにはならないだろう。全然仕事にやる気がない人が毎日二日酔いで家族に無理やり起こしてもらって仕事へ出かけても誰のためにならないのと同じだ。だから「毎日更新したいんだけど…」とか「書くことがなくて…」とか言っているブログはどれもつまらないのだ。

思ったとおりに運営できていないブログはどれも目的意識がないから内容が薄い。もちろん、目的がはっきりしていればいいのだから毎日でなくても思い通りのペースで更新されているならそれでいい。しかしはっきりとした目標があれば毎日のように更新されていたとしても不思議はない。

逆に面白いポストを見つけると、そのブログは毎日のように更新されていることが多い。どうやってそんなポストを毎日書くのかと思ってしまいがちだが、それは偶然ではない。面白いブログはきちんとした目的を持っているブログで、それゆえに毎日更新されるだけだ目的意識があるがゆえにその内容にも統一性がある。互いに関係のないポストが並んでいるブログは更新が途絶えがちのブログ同様に内容に乏しいことがほとんどだ(注)。

もちろんブログは仕事じゃないという人もいるだろう。

どうやって毎回ヨガのクラスにいけばいいか

この場合、本当の問題は毎回出席できるかどうかではなくて、そもそもそんなクラスに毎回行く必要があるのかということだ。目的がないのなら毎日更新できるか悩む必要はないし、目的があるのならそんなことで悩むこと自体ないはずだどっちつかずだからいけないのだ

(注)芸能人などのブログは一見乱雑でも、目的が本人の生活をコアなファンにみせることなのであり、その点で一貫している。

ビジネスをしてお金を稼いで社会のためになろう

December 11th, 2009

Twitterでryosukeakahoshiさんが次のように呟いていた。

いまだに「ビジネス≒金儲け=悪」のような歪んだ先入観を持った大学生がいっぱいいる@福岡。何でそんな考えに至るんだろうか?学校教育?マスメディア?家庭教育?日本の風習?

「ビジネス≒金儲け=悪」という間違った考え方がどうして支持されるかというのは確かに面白い問題だが、その前にそれが間違っているということを説明した方がいいかもしれない。

お金を稼ぐ一番簡単な方法は人々に望まれていることをすること

お金を稼ぐとはどういうことだろう。例えば、レストランであればお客さんに食事を提供することだ。客はお金を払って=他の消費を犠牲にして食事を注文している。別に強制しているわけではないのでこれは客にとって望ましいことなはずだ。その食事は1000円だっとする。レストランはそれを1000円で自分から提供しているのだからそれで利益がでるはずだ。二人が自発的に取引を行っているということはそれが二人にとって望ましいということだ

レストランの例が示すように、ビジネスの本質は社会の非効率を解消して、その分け前を得ることだ。食事を食べたいがおいしい料理をすぐに作れないひとと、それなりの価格でおいしい料理をすぐに作れる人がただ並んでいるのは非効率だ。レストランは食事を提供することでこの非効率を解消し分け前として1000円をもらう。

解消する非効率が全体のパイで、利益はその分け前だ。ないパイは分けられないので、ビジネスが基本的にはパイを作り出す=社会をよくするものなのは明らかだろう。これがいいことでないというならそれはかなり変わった考えだ。

でも自発的じゃなかったらどうするの?

レストランの話は客が自発的に食事を注文していることが前提だ。もしレストランがぼったくりだったら、悪いことだろう。しかし、ぼったくりが犯罪であるように、取引を強制することはほとんどの場合に犯罪となる

これは偶然ではない自発的でない取引は一般に望ましくないので、それを犯罪としているのだ。強制的に物品を奪い取るのは強盗であり、金をだまし取るのは詐欺だ。これらの行為は何も生産しないどころか、その過程で暴力のようなパイ自体を壊す行動を伴う。だからそれは違法とされており、社会的に望ましくないビジネスは割に合わないように社会は作られている。犯罪にするほどではない場合には税金が課される。例えばタバコを吸うことは本人にとってはプラスなので完全に禁止するよりも税金で適当なバランスをとったほうがいいからだ。

抜け道は?

もちろん法律には抜け道がある。世の中の全ての望ましくない行動を事前に列挙することはできないからだ。でも、それを探してビジネスにするというのはあまり賢明ではない。我々はそういった行動を見つけて規制しようという意志をもっており、抜け道を利用して派手に稼いでいる人を見つけたらその抜け道を塞ぐからだ

逆に、社会のためになるけど儲からないこともある。例えば、科学技術に投資することで未来の人たちは利益を得るが未来の人々と取引をすることはできないから分け前をもらうこともできない。しかし、この場合でも悲観的になる必要はない。それが全体として望ましい限り、いつか我々は政府を通じてそれを支援する。政府という主体が未来の人の代わりとなるのだ。

ビジネスをしてお金を稼いで社会のためになろう

このようにビジネスは基本的に社会のためになるそういう風に社会は作られている。社会のためになることをしたいなら、なるべく大きな非効率を見つけてそれを改善すればいい。大きなパイを取れば分け前も多くなるのが普通だ。そうなっていない例外的なケースを探してビジネス・金儲けはよくないなんて気取っている暇があったら、何かを始めるべきだ大抵の場合、それで社会はよくなるのだから

ではなんで「ビジネス≒金儲け=悪」なんて考える大学生が多いのか

この問いへの私なりの答えは、ほとんどの日本の大学生は自分で商売をしたことがないから、というものだ。何か自分でものやサービスを売ってお金を稼いだことがあれば、こんなことが分からないはずはない。だってそうだろう。欠陥品を売りつけるのは難しく、みんなが欲しがる商品を売るのは簡単だ。捕まるリスクをおかして欠陥品を騙して売るよりも、商品を改善したほうがいい。それがビジネスであり、そうした改善の結果が金儲けだ。

追記:コメントでktamaiさんが指摘されているように、大学教員のほとんどが自分でビジネスにふれたことがないというのは大きな原因の一つのように思います。皆様有意義なコメントありがとうございます。

追記:図を使ってこのことを説明してみました。下のピングバックリンクからどうぞ。

付加価値を生んで税金(再分配原資)を収められるのは「産業」だけ。事業仕分けでみたように、残りは公務員もNGOも学者も芸術もスポーツも全部それを使う人neu