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ツイッターでは○○

昨日は首相辞任のニュースが駆け巡ったが、それに関する不思議な報道:

asahi.com(朝日新聞社):ツイッターも首相辞任一色「当然」「小沢さん道連れに」 – 政治

書き込みには、「当然」「賞味期限の書き換え」「どっちみち選挙は大敗しそう」「政治とカネの問題からいうと、本当は議員辞職だろ」「辞められてほっとしているのでは」などと、驚きよりも、当然だと受け止める冷静なコメントが多かった。一方で、「鳩山さんは小沢さんを道連れにしたなあ」「最後まで努力したんだろうけど、結果がついていかなかったな」「任期途中じゃ、できる仕事もできないだろうに」などと鳩山首相に同情する声もあった。

ツイッターの書き込みを大手新聞がニュースソースとして挙げるのはどうだろう。ツイッターでユーザーが目にするのは自分が選んでフォローした人たちの発言だ(TL=タイムラインと呼ばれる)。よって構造上ツイッターで目にするコメントは自分が聞きたい意見だったり、自分と同じ考え・レベルの人(しばしばクラスターと呼ばれる)の意見だったりする。

ツイッターでこんな発言が多かったというのはユーザーの代表的見解よりも、本人がどんな人達と絡んでいるか=どんなクラスターにいるかについてより多くの情報を与えてくれるのだ

もしツイッターの構造が分かっていない読者に自分の意見を一般的であるかのように装って報道しているのであれば悪質だし、そもそも自分が目にする内容は自分の選択の結果であることに気付いていないのであれば報道している本人がツイッターの構造を理解していないということになる。

Twitterで見る、鳩山首相辞任表明

Twitterでよく書かれている単語を拾う「buzztter」(ばずったー)も、「鳩山辞意表明」「小沢幹事長も辞任」といった関連語で埋め尽くされている。

それでもツイッターの一般的意見を採用したいというならこちらのITMediaの記事のように何らかのアグリゲーターの情報を利用する必要があるだろう。但しこの場合でもRTした場合など賛否が不明な発言も数多いので単にどんな言葉が多かっただけを見てもユーザーの意見を代表しているとは限らないことには注意する必要がある。

ジャーナリストに必要なスキル

ジャーナリストに必要なものは何なのか考えさせられる記事があった。

When public records are less than public: How governments try to use copyright to limit access to data

そもそもジャーナリストという職業が何を意味するのかよく分かっていない。是非ジャーナリストの方と話てみたいと思うが、ここではとりあえずWikipediaのエントリーを見てみる。

A journalist collects and disseminates information about current events, people, trends, and issues.

最近の事柄に関して情報を集めて広める人をジャーナリストというらしい。この定義によれば以下のような能力がジャーナリストには必要であるように思われる:

  • 需要のある情報を見極める
  • 必要な情報を収集する
  • 収集した情報を流通に適した形に加工する

こう考えるとITがジャーナリズムを変えるのは当然だろう。単に流通コストが下がったことで情報を売るのが難しくなったというだけでなく、ジャーナリストの仕事の全ての段階においてITが大きな影響を与えるはずだ。

需要のある情報を見極める能力や集めた情報をうまく流通させる能力はウェブ以前と以後では比べ物にならない。Googleのようにユーザーの行動を把握したり、Facebookのようにソーシャルネットワークを利用して興味を探ったりできる。個人レベルであっても、各種のソーシャルメディアを効果的に利用することでまわりの人、特に自分の観客が何を求めているのかを効果的に把握できる。今まで出来なかったことが出来るようになったゆえに必要となった能力だろう。

必要な情報の収集方法も変わった。調査報道だと例えば政府や企業の不正を暴くという機能がある。以前なら記者クラブに行くとか熱心に取材・聞き込みをすればよかったかもしれない。しかしこれからはそれでは足りない。

Will Columbia-Trained, Code-Savvy Journalists Bridge the Media/Tech Divide?

But even fluency in broadly defined “multimedia skills” isn’t enough, with coding becoming as crucial to the news business as knowing how to use a computer was a couple of generations ago.<

例えば、このWiredの記事はコロンビア大学がジャーナリズムとコンピューターサイエンスのジョイントプログラムを提供していることに際し、ジャーナリストは単にマルチメディアに強いだけではなく、プログラミングのスキルも必要だと指摘している。

これは政府が情報をデジタルデータとして公開する潮流を考えれば当然の流れだろう。情報がない時代にはそれをひたすら探すのが重要だが、逆に情報が溢れている時代には必要な情報をそこから探り当てることのほうが重要だ。そして莫大な情報をさばくにはコードを書くしかない。これには統計情報を、例えばRなどで、処理することも含まれる。

情報が少ないのか多いのか、それが情報を集めて広める職業に大きな影響を与えるのはごく自然なことだ

When public records are less than public: How governments try to use copyright to limit access to data

さらに今回の記事では、そのコーディング能力すら十分とは言えないという。

That’s all well and good, but having all those programmer journalists looking for access to public data brings to the forefront questions about who owns public records and who has the right to put limits on their use.

何故なら、政府が情報公開の流れに逆らおうとするためだ。情報処理能力があっても情報がなければ意味のある情報を得ることはできない。再び情報の少なさが問題となっているわけだ。

しかし、同じ情報の少なさでも対策は以前とは異なる。今回、情報が少ないのは政府が情報公開の規則を何らかの方法でねじ曲げてそれを拒んでいるためだ。

While Section 105 of the Copyright Act makes works of the federal government ineligible for copyright protection, this provision does not apply to state and local governments.

アメリカの様子が描かれている。著作権法は連邦政府の文章に保護を与えていないが、地方政府には適用されない。

In New York, for instance, state and local agencies may comply with their obligations under the state Freedom of Information Law while maintaining their copyright, and the public records law “does not prohibit a state agency from placing restrictions on how a record, if it were copyrighted, could be subsequently distributed.”

そこを利用して州政府が情報公開を拒むための法律を作っている。

Of course, even when a government entity claims copyright over public data, that protection is at best thin. In general, datasets are protectable as compilations, meaning only the original selection, coordination, or arrangement of facts is protected.

しかし、行政の情報というのはデータベースに該当することが多く、少なくともアメリカでは、実施的な保護はない。

In the case where a third party provides the government with information under a contract, the government agency may not be free to let you do anything you want with it.

そうすると行政は情報=データベースの作成を第三者に依頼する。それによって作成された情報の製作者が行政機関ではなくなるからだ。

記事中で明示されてはいないが、ここで必要な能力はリーガルなものだろう。行政が処理すべき情報の公開を法律・契約を使って阻んでいる以上、それを突破するには情報を収集する側の知識がかかせない

ITによってジャーナリズムが出来ることの範囲は大きく広がり、その結果としてジャーナリストに必要な能力も増えた。これ自体はよいことだが、ITは同時に紙媒体の収益性を奪い、単なる情報から利益を上げるのを難しくした。プログラムが書けて法律も分かるジャーナリストをこの業界がサポートできるかという話だ。

ITと情報公開の流れが可能にした、莫大な情報をコードを駆使して処理し得られた情報を低(限界)費用で配布するというモデルがビジネスとして成り立つのだろうか。

「返還ビジネス」

似たような話は前にも取り上げたが、公益のためにもう一度:

「過払い金」に続く「返還ビジネス」を 模索する弁護士業界 賃貸住宅更新料や残業代も対象に | 伊藤博敏「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社]

また、残業代についても返還請求が増えているのをご存じだろうか。

借金の過払い金請求が話題になったが、現在のトレンドは残業代の返還請求だそうだ。残業代が返還されて何が悪いのだろうか。

業務はパラリーガルに任せ、本人は海外旅行を楽しむといった悪質なケースもあった。

何故か突如過払い金請求の話に戻り、弁護士が仕事をしていないと批判している。しかしパラリーガルができる仕事を弁護士に強制して誰の得になるのだろう。誰でも出来る仕事に資格を要求する法律を変えるべく政治家を批判してみてはどうか。

この小口債権の回収で、機械的に過去に遡ることで得られる”旨み”を知った弁護士業界は、もう引き返せない。更新料や残業代にとどまらず、次々に「返還ビジネス」を仕掛けることだろう。

次々に不正な状況を解決してくれることの何がまずいのだろうか。「旨み」がなければ被害者はほっておかれるだけだ。社会はゼロサムではできていないので、他人が儲けていることを妬んでも誰の得にもならない

資格はあっても仕事がない弁護士たち。返済能力のある企業を相手にした「返還ビジネス」の急増も無理はない。

儲けすぎだと批判しているのかと思えば、今度は増えすぎな弁護士の救済だという。哀れみと恨みは紙一重だ。弁護士を増やしたおかげで、今まで相手にされてなかった残業代返還請求を弁護士が取り扱うようになったのであれば、それはむしろ弁護士増員の成果だろう

税金も払わない「ハイエナ弁護士」のなかには、顧客のカネを着服、あるいは法外な成功報酬を要求する者もいる。

またも存在命題から何を結論づけようとしているのだろう。どの業界にだって脱税する人はいる。税制が複雑になれば結果的に脱税と認定される人が発生するのは避けようがない。

救済されているのは多重債務者ではなく弁護士業界というのが現実である。

弁護士が増えすぎて仕事がないなら、高額なフィーは請求できない。一体、弁護士費用の高さを批判しているのか、過剰な弁護士の救済を批判してるのか分からないが、同時に批判するのは無理がある

過払い金返還請求がもたらしたのは、商工ローンのロプロ(旧日栄)、SFCG(旧商工ファンド)といった老舗の倒産、あるいは消費者金融大手四社の一角の アイフルが私的整理に入るなど、小口無担保金融モデルの破たんだった。20万人近い雇用を抱える業界は揺らぎ、多くのノンバンク社員は職を失った。社会的 損失は大きい。

過払い金請求は消費者金融の破綻を招いて社会的損失だった言う。しかし過払いなら返還請求するのは当然だし、それによって助かった債権者もいるはずだ。

弁護士のための「返還ビジネス」の急増をこのまま許していいのか――そんな論議をすべき時にきている。

むしろ、単に弁護士を叩くためにこんな記事を書いて「ニュースの深層」などと呼んでしまうジャーナリズムの是非を議論すべき時が来ているのではないだろうか(そんな時期はとっくに過ぎてもう手遅れという気もするが)。

ちなみに筆者のプロフィールによると

経済事件などの圧倒的な取材力では定評がある。

との事だが、この記事のどこに取材がなされているのかさっぱりわからない。オンラインの記事は別枠ということなのだろう。

経済報道の質

オバマ政権の政策分野でどの分野によりよい報道が必要かについての調査がGallupが公表されたようで、Freakonomics Blogで紹介されている:

Disequilibrium in the Market for Economics Reporting? – Freakonomics Blog – NYTimes.com

経済が40%、医療30%、戦争12%、テロ11%、特になし6%となっている。どうしてこんなに需要が多い状態が続くのか。誰かジャーナリストが出てきて経済記事を提供するはずではないか。この理由として次の五つが紹介されている:

  1. いま景気が悪いから経済が注目されている
  2. 経済について書くのは難しい
  3. 量を増やすのは簡単だが質を上げるのは難しい
  4. 外部から人材を登用することが難しい
  5. 質のいい記事がほしいと「答える」人が多いだけで実際の需要はない

I think number five rings true. I would be interested in data on number one […] Numbers two or three might be part of the story, but each of these only works if the dynamics of number four are part of the story.

これについて著者は5番目が一番それっぽいと述べている。これは基本的に口で言っていることが本当の希望だとは限らないというエコノミストの基本的な考え方を反映している。また1,2,3については4の産業としてのジャーナリズムの硬直性がなければ関係ないと言う。何故なら経済について質の高い記事を書く人間を雇うこと自体は「不可能」ではないはずで、最初の三つが原因であるためには4が必要となるからだ。日本であればアカデミアを含め労働市場が硬直的なので4は深刻だろうし、2,3についてもアメリカにくらべると難しいだろう。

第六の理由をあげるなら、「経済」というトピックの幅の広さと個人の趣向の多様性が挙げられるだろう。人によって「経済」と聞いたときに思い浮かべる分野は違うので誰もがどこかで不満を感じているだろうし、「経済に関するよい報道」が意味するものが余りにもさまざまなので誰もが納得する解はないだろう。例えば、マウスの機能に不満を持つ人はあまりいない。機能が単純で生産者にもつかみやすい。逆にコンピュータ本体や携帯電話であれば人によっていろいろな見方があるので誰もが満足することはなく、みんな何かしら改善の余地があると考えているということだ。

ストライサンド効果

多くの人が既にTweetされているがあまりにも酷い話なのでここでも紹介:

6年も前のブログでニッポン放送?東京電力?からドタキャンをくらう話。 – KandaNewsNetwork

6年も前のブログでニッポン放送?東京電力?からドタキャンをくらう話。

細かい事情についてはリンク先を参照頂きたいが、簡単に言うと、神田敏晶さんが六年前にブログでスポンサーである東京電力にとって都合の悪い記事を書かれていたためにニッポン放送での出演を直前に断られたという話だ。

問題とされた記事「 真実と事実はちがうバグダッド」も直接東電を批判しているものではない。神田さんは次の一節が問題視されたのではないかと推測している:

「日本の原子力発電などに利用された劣化ウランが米国に販売もしくは、廃棄物利用のために利用されているというのもある意味、「派兵」以上の大きな責任があるのかもしれない。」

言うまでもなく、これは神田さんの原子力発電そのものへの立ち位置を示すものではない。またこのような対応はニッポン放送にとっても東京電力にとっても好ましくない結果をもたらす:

いや、このブログを書くことによって、一生、東京電力さんとの仕事はできなくなってしまうのだろうか?

当該記事の内容を問題視することで、その内容に信憑性を与えてしまうからだ。11日に公開されたこの記事に関するTweetを私自身も二度目にしており、現時点で230回以上Tweetされている。その挙句に私なんかがそれを記事にしてしまうわけだ。

インターネットに発達によって生じたこの現象はストライサンド効果(Streisand Effect)と呼ばれる。 Wikipediaの定義を引用しよう。

The Streisand effect is a primarily online phenomenon in which an attempt to censor or remove a piece of information has the unintended consequence of causing the information to be publicized widely and to a greater extent than would have occurred if no censorship had been attempted.

オンラインによって情報の拡散を抑制しようという行為は逆効果になるということだ。これはTechdirtのMichael Masnickが2003年に名づけたもので、女優のBarbra Streisandが広域航空写真から自身の邸宅の削除を求めた件にちなんでいる。

誰もが情報を発信できるようになったことが、このような都合の悪い情報の検閲を極めて難しくした。情報の流通インフラが大手メディアに独占していた時代には、今回のようにマスコミに干渉することで流通を概ね止めることはできただろう(そしてこの一件はマスコミが実際にそうしてきたであろうことを示唆している)。

東京電力さんがキャンセルするのなら、ボクも東京電力さんをキャンセルしたい!
しかし、関西電力や中部電力にスイッチ!できないではないか…。

ましてや、市場支配力を持つ企業相手では消費者として財・サービスの購入をやめるということすらできない。メディアさえ抑えてしまえば何の不都合もなくなるわけで、その利益の一部をメディアに(広告費などで)供与して味方につけるだけでよい

都合の悪い情報は、広告主の立場でマスメディアから完全シャットアウトできても、その反作用はソーシャルメディアでは、確実に増長される。

それが、ソーシャルメディア時代の民主主義の正しいありかただと思う。

ソーシャルメディアはDiggにおけるAACS暗号鍵の一件が示すように、この現象をさらに大きなものにする。Twitterのようなサービスで情報が拡散、ソーシャルブックマークに記録され、ブログなどでさらに分析が行われる。

もちろんこのことが、大手メディアや情報を隠そうとする企業の責任を軽減させるわけではないし、逆にメディアが今まで果たしたきたとされる役割に疑問を投げかける