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社会起業家に関する論争

数時間ぶりにTwitterを開いたら盛り上がっていた。この論争は「金儲け=悪」の話を絵で説明してみるで描いた絵で説明できそうなのでやってみる。

Days like thankful monologue病児保育のNPO法人フローレンス代表 駒崎弘樹のblog: 東洋経済でサイバーエージェント社長らに社会起業家がおおいに叩かれている件について

いわゆるビジネスエリートな方々が、昨今のアラサー世代の「事業に社会性を求める」ことに対してこんなことを仰っているのが目に飛び込んできました。

このあとに藤田晋、成毛眞、松本大さんの発言が引用されている。

サイバーエージェント社長 藤田晋 氏
「この世代は社会起業家が増えているというが、その前にすべきことがあると思う。ビル・ゲイツのように死ぬほど稼いで社会に貢献するというなら分かるし、自分もいずれそうありたいと考えるが、経営者として事業を大きくすることが今の目標だ。長く経営者として責任とプレッシャーと闘っている私からすれば、社会起業家はそうしたものから逃げているように見えてしまう。」

元マイクロソフト社長 成毛眞 氏
「もし仮に景気がよければ、社会起業家にはならず、今も外資金融やベンチャーに在籍しているはず。本人たちは、社会起業家としての社会的意義や使命について何ら疑うところはないし、心の底からそれを信じているのだろうが、私に言わせれば経済で先行きが見えないから、別の方面に関心が向かっているだけなのだ。」

マネックスグループCEO 松本大 氏
「厳しいことを言えば、自己の満足という点で、それ(マッキンゼー→ボランティアなキャリアの人)は長続きしないと思う。私は有限なリソースを集中して掘っていくべきだという考えで、自分が決めた仕事や業種に徹底的にこだわって、そこで成果を出そうとする。」

それに対し、元記事では:

若きリーダー達は、後輩たちが日本社会のために何とか頑張ろう、と挑戦している姿に対して、「逃げている」とダメだしの言葉を投げかけるようになってしまいました。

とコメントしている。私にはどちらも妥当な発言と思える。ではこの対立はどこから来ているのか。もう飽き飽きしている方には申し訳ないがまた赤い円と青い円で説明してみる。

社会運動家

1

昔の社会運動家は、社会にマイナスなのに儲かることへ規制をかけたり、プラスなのに商売にならないことへ補助金を出したりすることを目指した。儲かる=悪といった考えのもと、悪に立ち向かったのだ。

ベンチャー起業家

2

ここ十年ほどのベンチャー起業家(便宜上そう呼ばせて頂く)の興隆はそうした旧来型の社会運動が一段落してから始まった。そうした運動の結果として、金儲けは悪いことではなくなったのだ。例えば、

ビル・ゲイツのように死ぬほど稼いで社会に貢献するというなら分かるし、自分もいずれそうありたいと考える

という発言には金儲け=社会貢献という前提がある。金儲けは悪という古い思想を捨てて、社会のために事業を起こすという姿勢がある。これは、図で言えば内側への回帰だ。

社会起業家

3

社会起業家という新しい流れは、上の展開への揺り戻しと捉えられる。ベンチャーが社会の表舞台に立つ環境の中で育った新しい経営者が、その手法をまだ解決されていない社会問題へ適用しようとしているのだ。これは上の絵で言えば外側への矢印だ。

社会起業家はそうしたものから逃げているように見えてしまう。

しかし、そうした行動は円の重なった部分でビジネスをすることを是とするベンチャー起業家には矢印通り逃げているように写る。

私は有限なリソースを集中して掘っていくべきだという考えで、自分が決めた仕事や業種に徹底的にこだわって、そこで成果を出そうとする。

これも同じ趣旨だろう。ベンチャー起業家のテーゼは上の赤い円と青い円が重なる部分が重要だというものであり、外側に出て行く動きは前時代的なものに見える

私に言わせれば経済で先行きが見えないから、別の方面に関心が向かっているだけなのだ。

この発言は面白い。社会起業家が外側に向かっていく理由の一つは、内側での競争が激しいからだろう。ベンチャー起業家により内側でのビジネスの重要性が認識されると多くのビジネスがひしめき合うようになる。利益を上げるのは難しくなるし新しい企業が入っていくことの限界的な社会的価値も逓減する。既に何十社もプレーヤーがいる市場に新しい起業がはいっても実質的な競争促進効果はほとんどない。社会貢献を目指す起業家が、内側ではなく外側に目を向けるのも頷ける

しかしこれは悪いことではない。新しい社会起業家は旧来の社会運動家とは異なり、市場の仕組みとインセンティブの重要性を理解している(してないひともいるだろうが)。新しい手法を社会問題に適応することで円の重なりを大きくできる。

またベンチャー起業家は社会起業家をこの点で批判することはできない。彼らもまた、外側を目指した社会運動が進みその限界的な効果が薄れたときに内側に戻ってきたのだ。旧来の社会運動をしていた人間にとっては彼らは同じような批判の的だろう。

社会としてはどちらの運動も必要であり、論争に足を取られることなく、それぞれの事業に邁進してもらいたいところだ。

追記

最初の社会起業家の図の前にはやはり内側に向かう動きがあって、それは今の財閥系起業を興した起業家の人々によって支えられていたのではないか。

社会起業家に関する論争」への10件のフィードバック

  1. この図式化は本当にわかりやすいですね。社会運動家、ベンチャー起業家、社会起業家、彼らのインセンティブに共通するのは社会をよりよくしたいという気概でしょうか。
    その表現の仕方がそれぞれの時代背景に影響されて違った形で現れると。
    ベンチャー起業家の方々は円が重なる部分を増やすことが社会貢献になるとして頑張っている。一方で社会起業家の方々はそれだけでは社会はよくならないと言って外側の世界に新しい手法を用いて挑戦する。確かにそう考えれば両方のアプローチは対立するものではなく、お互いカバーできない範囲を補完しているに過ぎないんですね。
    この二つの円が完全に重なるのが社会としてより望ましいのかもしれませんが、現代社会ではそれは非常に難しいことですよね。そういった意味でも両者は欠くことができないのだなと思いました。

  2. shikiさん、コメントありがとうございます。

    >この図式化は本当にわかりやすいですね。

    描いた本人も意外に応用の幅があって驚いています。

    >彼らのインセンティブに共通するのは社会をよりよくしたいという気概でしょうか。

    もちろんそうでない人もたくさんいるとは思いますが、本当に成功する人の多くは社会をよくしたいと考えているように思います。おそらく最初の社会運動家の前には今の大企業を築いた起業家の方々がいて、内側への運動をしていたように思います。

    >両方のアプローチは対立するものではなく、お互いカバーできない範囲を補完しているに過ぎないんですね。

    そのとおりだと思います。だからこそこんな「論争」は気にしないで頂きたいですね。

  3. いつも面白いエントリーを拝見しています。

    他のブログでも言及があるようですが、この問題、「社会起業家」の定義が曖昧なことに議論のすれ違いの原因があるように思いますが如何でしょうか。

    それこそ「社会的」「社会運動」自体の定義が厳密には共有されていないから、「社会起業(家)」を定義できないのかもしれません。

    昨今、さも新しくて特殊なことのように喧伝されている「社会起業(家)」は、以下のようなケースを考えれば、その呼称が何を指しているのかよく分からなくなりませんか?

    三井物産の創業者である益田孝は、創業の思いを「大いに外国貿易をやろうというのが眼目だった。金がほしいのではない。仕事がしてみたいと思ったのだ」と後に語ったそうで、当時輸出入の9割は欧米列強の貿易商に握られていたのを日本人の手に取り戻し、国内産業の育成と貿易の振興によって国力を高めようと志したそうです。

    こうした歴史を知ると、「金儲けは悪という古い思想を捨てて、社会のために事業を起こすという姿勢」が、殊更新しいものでもないことに気づかされますよね。

    社会に貢献し、(一つにはそれがゆえに)持続性もある組織というのは、すべからくあらゆる事業組織が目指すべき一つの理想形であって、社会に貢献していない(あるいは負の貢献をしている)組織は、利益が上がっていたり株価が高かったりしても、その弱点を批判されてしかるべきですし、逆も同様です。

    結局は前エントリでのメッセージに帰着しているかもしれませんが、「金儲け」 vs 「社会のため」 とか、「社会起業」vs 「(旧来型の)ベンチャー企業」という二項対立は、分析や議論の方法として適宜活用する分には有用なこともあるでしょうが、現実を精確に表す概念モデルとは限らないと常に注意する必要がありますよね。

    そもそもの雑誌記事も、それぞれが使う「社会起業家」という言葉の定義も曖昧だし、その中のどんなタイプの人を批判しているかも、厳密に読もうとするとよく分かりませんから、社会起業家を自認する読者からすれば「ヤな感じ」を受けるのは確かだとしても、議論の対象としては取り上げる価値の無い、いい加減なテーゼがひとくくりに掲載されている、と捉えておけばいいのかなと思いました(インタビューされたご本人達の真意は定かではありませんが、実際の記事上に表現された情報としては、という意味です)。

  4. トラックバックありがとうございました。とっても綺麗なウェブですね。

    さて、私も元々ベンチャー起業家だったので、金儲け=悪だなんて、露ほどに思っておりません。弊社はNPOですが、60人近くの社員の雇用があるので、それこそ儲けなければ持続もできません。
    仰るように、山の登り方は人それぞれで、皆頂上を目指していることには変わりがないので、論争することもないのだと思います。
    ただ、現場にいると担い手が圧倒的に不足していることに気づかされます。ペロポネソス戦争のギリシア軍みたいな気分になります。僕は多くの人に社会起業してもらって、それぞれの地域の社会的課題と闘ってほしいと思います。ですので、社会起業しやすい環境を次世代のために残していきたいな、と思っていまして、その環境の中には人々の認識も含まれるのではないかな、と思って記事を書きました。

    僕は経済学はとんと疎いので、経済学101さんが分かりやすく取り上げて下さるのはとてもありがたく思います。異国の地で勉強はとても大変だと思いますが、日本でウェブを拝見させて頂いて、勉強していきたいと思います。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

  5. 皆様コメントありがとうございます。

    Marcokanさん:
    >この問題、「社会起業家」の定義が曖昧なことに議論のすれ違いの原因があるように思いますが如何でしょうか。

    一端はそこにありますね。ただ、それをきちんと定義してもなおこの対立の図式は残るのはではないでしょうか。

    言葉の問題としては、「社会起業家」という概念と彼が知っている特定の「社会起業家」との区別がなされていないほうが気になります。

    >「金儲け」 vs 「社会のため」 とか、「社会起業」vs 「(旧来型の)ベンチャー企業」という二項対立は、分析や議論の方法として適宜活用する分には有用なこともあるでしょうが、現実を精確に表す概念モデルとは限らない

    その通りだと思います。ただ今回の議論が示すように、実際に中にいる人はこういった構図の外からものを見ているわけではないので対立になるのでしょう。例えば、環境運動の中にはかなり宗教がかったものがありますが、それが彼らのパワーの源泉という性質もあり評価は難しいです。

    >議論の対象としては取り上げる価値の無い、いい加減なテーゼがひとくくりに掲載されている、と捉えておけばいいのかなと思いました

    ジャーナリズムの現状はかなり悲惨だと思います。ここでの「発言」にしても実際にどういう風に語ったのかは分かりません。ここでは議論の素材として面白いのでそのまま取り上げさせて頂きました。

    駒崎弘樹さん:

    返信ありがとうございます。

    >私も元々ベンチャー起業家だったので、金儲け=悪だなんて、露ほどに思っておりません

    これが単なる社会運動との大きな違いであり、重要な点だと思います。

    >現場にいると担い手が圧倒的に不足していることに気づかされます。ペロポネソス戦争のギリシア軍みたいな気分になります。

    やはり利益が上がりにくい場所に人を集めるのは大変です。しかし、そういった活動が成果を上げれば社会の見方がかわり、制度も変わっていくと思います。

    私はNPOの経営というのは貴重なスキルだと考えています。利益をインセンティブに利用できないことは経営を難しくするわけで、NPOだから本当のビジネスではないというのはおかしなことです。以前に書いた営利・非営利に関するポストも読んで頂ければ幸いです(http://rionaoki.net/2009/11/1438)。

    >僕は経済学はとんと疎いので、経済学101さんが分かりやすく取り上げて下さるのはとてもありがたく思います。

    ありがとうございます。何か経済学的な問題がありましたらご連絡ください。ぜひ事業運営頑張ってください。

  6. ピンバック: いい職場って何? » 経済学101

  7. この図式は分かりやすいですし社会運動家と起業家の違いは良く分かります。しかし、社会起業家の定義、ベンチャー起業家との境界は曖昧ですね。ベンチャー起業家も今までにないニッチを埋めているという点では図式でいう「外側」に向かっているわけですし。結局は、起業家のうち自分の事業が社会に望ましいと自己満足している人達を社会起業家と言っているに過ぎないのではないでしょうか。

    追伸:松本孝行さんが社会起業家の定義についてエントリーされていますね。分かりやすい記事ですが、結局は明確に定義できないというのが結論だと思います。

  8. Willyさん:
    >しかし、社会起業家の定義、ベンチャー起業家との境界は曖昧ですね。

    これは元々同じようなものなのでしょうがないかなと思います。

    >結局は、起業家のうち自分の事業が社会に望ましいと自己満足している人達を社会起業家と言っているに過ぎないのではないでしょうか。

    ただ、やってることは外から見ると大差なくても、中の人にとっての方向性はかなり違うというのが論争の原因だと思います。絵で言えば二つめ・三つめの矢印の先の場所(活動場所)は非常に近いですが向きが違うということです。

  9. 東洋経済の記事を読んでいないのですが、社会起業家←共産主義的な二項対立発想も感じますし、ビジネスエリートさんたちの企業の儲けと資本の儲け(キャピタルゲイン)の使い分けも感じます。資本主義代表選手の株式会社のような営利企業の営利(資本家のための儲け)概念のが周知されないのが一番の障害なのかと思います。
     「儲け」の所については、宗教とも通じて、金利(金で金を儲ける)ことが基準となって事業をするところ(利回り)から「悪」から離れられないという視点はどうでしょうか。

  10. >東洋経済の記事を読んでいないのですが

    私もです。。。

    >金利(金で金を儲ける)ことが基準となって事業をするところ(利回り)から「悪」から離れられないという視点はどうでしょうか。

    ちょっと論旨が分からないのですが、金で金を儲けることも特に悪いことではありません。資本市場は社会にある資源を効率的な用途に振り分けるための市場です。

    この点についても道徳・宗教は現実に追いつけていないと感じています。

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