Posts Tagged ‘Culture’

Facebookで地図を色分け

February 16th, 2010

Facebookのデータを使って、アメリカを七つに分けてみたというエントリー:

PeteSearch: How to split up the US

My latest visualization shows the information by location, with connections drawn between places that share friends.

点はユーザーが存在する都市で、線はfriend関係を指しているようだ。州レベルや国レベルのバージョンも用意されている。friendが出来るのはその場所に学校・仕事などで住んだことがある場合がほとんどなので、人々がどう地域間を移動しているかを間接的に表している。さらに、クラスター毎にどのような人やグループが人気なのかも分かる。

ニューヨークからミネソタにかけてはあまり移動がないようでStayathomiaと名付けている。この地域はGodの人気がなくビールやスポーツが人気だそうだ。

Dixieはアトランタを中心とした地域で同じく閉鎖的。南にフロリダだけは別枠で東海岸の都市と強いコネクションがある。これはフロリダに移住する人が多いからだろう(Facebookには中年以上のユーザーも多いし、子供もいれば反映される)。この地域はGodがファンページのトップにくる宗教色の強い地域だ。

Greater Texasは名前通りTexasのDallasを中心としたクラスター。どの都市もDallasと強いコネクションがある。やはりGodが人気。ルイジアナのAlexandriaではAhmed、Mohamedが二番目、三番目に多かったり、テキサスのLaredoではJuan, Jose, Calros, Louisが最も多かったり、地域色が出ていて面白い。

Mormoniaはモルモンとの関連があると思われる地域で、外部とのコネクションが少ない。

Nomadic Westは中西部のだだっ広い地域で、コネクションが遠距離に渡っているのが特徴。外に出て行くほかないということだろうか。Starbucksが人気(?)だそうだ。

Socalistanはカリフォルニアをカバーする。公立大学のシステムからいって州内での(特に若い世代)の移動は盛んなので人口の多いカリフォルニアがクラスターになるのは理解出来る。Socalというのは南カリフォルニアのことでLAが中心であることを示している。ちなみにサンフランシスコではオバマが最も人気のある人物だそうだ。

最後はPacificaでこれはシアトル近辺のクラスターだが、特筆すべき情報は公開されていない。

この分割は数学的アルゴリズムで得られたものではなく、目視で色分けした程度のもののようだが、コメント欄などから察するにアメリカ人の感覚には近いようだ(逆にその感覚によって色分けが影響されている面があるのだろう)。

なくなるストライキ

February 11th, 2010

先日、次のような言説を紹介した:

テレビがいうところの自分が悪いという若者の論理がよく分からなかった。大不況になってもストライキひとつ起きない。デモもない。ネットでぶつぶつ不平をつぶやくらいだ。

しかし、大不況になってもストライキが起きないのは何も日本だけではない。ちょうどよくアメリカでのストライキの話があった。1,000人以上の従業員が参加したストライキの数を表したグラフだ:

Strikes and Lockouts at Record Low – Economix Blog – NYTimes.com

アメリカでもストライキの数は1980年前後に激減している。

The stoppages last year involved 13,000 workers and accounted for 124,000 lost workdays, both of which were also record lows.

昨年からの不況でも、その減少は続き過去最低となっている。雇用が保障されているのでなければ、不況時にストライキを起こすインセンティブは小さい。転職するのは難しいし、ストライキで業績が悪化すれば元も子もない。

ストライキが減っている理由としては、労働組合の減少および公的セクターへの移動や経済のサービス化が挙げられている。前者はアメリカでは顕著だ。後者についてはストライキの企業へのダメージが大きくなったということだろう。従業員にとってもストライキを実際に実行して会社に損害を与えるのは目的ではないのでストライキが減る原因となる。雇用の流動化も大きな原因だろう。企業にとっては働かない社員を解雇するのが簡単だし、従業員にとっても不満があれば組合活動をするのではなく転職すればよい(そしてその方が社会的にも無駄がない)。どちらも難しい政府部門に組合活動の中心が移行したのも自然な流れだろう。

アメリカの若者が「自分が悪い」と考え困っているという話は聞かないし、むしろ過剰なself-entitlementが問題となっている。ストライキの減少と若者の風潮を結びつけるのは無理がある。

テレビがいうところの自分が悪いという若者の論理がよく分からなかった。大不況になってもストライキひとつ起きない。デモもない。ネットでぶつぶつ不平をつぶやくらいだ。テレビがいうところの自分が悪いという若者の論理がよく分からなかった。大不況になってもストライキひとつ起きない。デモもない。ネットでぶつぶつ不平をつぶやくらいだ。テレビがいうところの自分が悪いという若者の論理がよく分からなかった。大不況になってもストライキひとつ起きない。デモもない。ネットでぶつぶつ不平をつぶやくらいだ。テレビがいうところの自分が悪いという若者の論理がよく分からなかった。大不況になってもストライキひとつ起きない。デモもない。ネットでぶつぶつ不平をつぶやくらいだ。

衰退産業が持ち出す文化議論

February 4th, 2010

今日、仲俣暁生さん(@solar1964)が「そもそも出版文化って、文化なんだろうか」と発言されていた。しかし、出版業界の人間でもない私にとって出版が文化かどうか自体にはあまり興味がない。単に「文化」の定義によって決まるだけの話で、出版業に特別な文化的要素があるのなら銀行にも医療にも、当然アカデミアにもある(そして保護したいようなものでもない)。それなりに閉鎖的な業界ならどこでも「文化」と呼びうるものがあるだろう。消費者にとっては重要なのはその「文化」が何を生み出すかであって、「文化」そのものではない。

では何故今になって出版業界は文化について論じ始めたのか。これは業界を保護してもらう口実だ。それも、「出版」ではなく「業界」であることがポイントだ。「出版」を守るためなら出版「業界」を守る必要はない。日本の農業や林業を守るために既存の業界における「文化」を保護する必要がないのと同じだ。だから、農業・林業保護の議論に株式会社導入は表立って出てこない。

文化そのものである著作物の生産やその流通を政府が支援する理由はいくらでもある。最も大きいのは著作物の公共財的性質であり、著作権は(本来期間を限定された)独占権を与えることで著作者にインセンティブを与え、出版に関わる人々はその権利から生じる利益の一部を得る。しかし、今出版業界に起きているのは競争相手の出現だ。そして著作者にとってはダウンストリームで競争が起きることは取り分が増えるという意味で望ましい(出版社がKindleとiPadが競争するといいと思うのと同じだ)。

一産業が自分たちのやっていることは文化だと言い出す時、その業界は回復の見込みがない程に衰退へと向かっている。重要なのはその産業が担っていた機能が社会に提供されているかであって、以前その機能を果たしていた業界が存続しているかではない。既存企業を保護することは技術変化に対応して新しい価値を提供する新規企業を潰すことでもあり、業界が「文化」と言う言葉を使った時は特別に慎重になる必要がある。

「嫌消費」なわけない

January 8th, 2010

他のネタを使おうかと思ったが、Twitterで出てきて気になったので:

「嫌消費」世代(2010年)-経済を揺るがす「欲しがらない」若者たち

「クルマ買うなんてバカじゃないの?」。こんな話を東京の20代の人達と話しているとよく耳にする。車がなくては生活ができない地方でも「現金で買える車しか買わない」と言う。

今の東京の若者が車を欲しがらないなんて誰でも分かることだ。あんなに公共交通機関が発達しているのだから、駐車スペースもなく税金もかかる車を買わないのは極めて合理的だ。(そもそも平均的な若者が買うことはない高級車を除けば)車のステータス効果はもうない。こんなものを取り上げて若者の消費欲が下がっているなんていうのは、若者を何も知らないといっているのと同じだ。

彼らは、消費をしない訳ではないが、他世代に比べて、収入に見合った消費をしない心理的な態度を持っている。このような傾向を「嫌消費(けんしょうひ)」と呼んでいる。

一つ単語が抜けている。「現在」収入だ。そして、今の収入を使いすぎない合理的な理由はいくらでもある。将来の収入が心配なのがその一つだ。今消費しないのは消費が嫌いだからではない。将来消費したいからだ

もし本当に将来に渡っても消費する気がないなら、頑張って働く必要はない

20代の彼らは、非正規雇用が多く、低収入層が多いからだと思われがちだが、実際は、他世代に比べて、男性の正規雇用率は65%、年収も300万円以上が52%と見劣りする条件にない。

しかし彼らは他の世代と見劣りしないほど働いて稼いでいるわけで、消費する気自体はある。そもそも、本当に消費欲自体がなくなっているなら収入に対する欲求も減るはずだが、収入に不満を持つ若者の数は増えている

ものが売れない理由は様々だ。バブル崩壊以後の構造的な要因としてあげられるのは、将来が不安、収入の見通しがよくない、低収入層が増えている、の3つである。

それを、これでほぼ説明できているのに、

彼らは、思春期に、バブル後の混乱、就職氷河期、小泉構造改革を世代体験として持ち、共通の世代意識を共有している。「自分の夢や理想を高望みして周り と衝突するより、空気を読んで皆に合わせた方がいい」、と言う意識だ。この意識の背後には、児童期のイジメ体験、勤労観の混乱や就職氷河期体験によって植 え付けられた「劣等感」があるようだ。

世代を勝手にまとめて一人の人間に仕立て上げた挙句、心理分析などする必要はない。そんなことよりも哲学、歴史、経済学等の人文社会諸科学やゲーム理論に基礎づけられた新しいマーケティングに期待したいところだ。

経営者性善説はおかしい

January 7th, 2010

Twitter上で藤末議員から一連の議論(株主至上主義って?「株式」会社は株主のもの)ついての反応があった:

会社は株主のものか?昔書いた記事です http://www.sbbit.jp/article/11703/

昨年九月にご自身が書かれた記事が紹介されている。Twitterというメディア上で持論を紹介することは評価したいが、その内容には多くの人が驚いた。議員の考え方が分かるという意味では非常に貴重な記事であり、その考え方とは「経営者性善説」と呼ぶに相応しい内容だ。特にM&Aに関する部分にそれが表れている。

マネジメント≫IT戦略/ソリューション-【民主党藤末氏コラム】「和をもって尊しとする会社へ!」:ソフトバンク ビジネス+IT

経営者のマインドが変わった大きな理由として、「会社制度の変更」が挙げられます。例えば、M&A(企業の合併・買収)の規制が変わり、会社がいつ買収されるかわからなくなると経営者は株価を気にせざるを得なくなります。

買収が悪者扱いされている。しかし買収されたくないなら一番簡単な方法は業績を上げることだ。業績が高ければ既存株主は安い値段では株を売らなくなり、買収は成立しなくなる。買収されたとしても経営者を変えることはない。

基本的に株価は将来収益見通しを示すものであり、買収されるということは買収側はより大きな収益をあげられると考えているということだ。買収に多くの余計な費用が発生することを考えれば、当該企業をより効率的に運営できる自信がなければ買収などするはずはない。

本来、不適任な経営者は株主により交代させられるべきだが、利害関係も能力も様々な株主が総会で一致して経営者を取り替えることは非常に稀だ。買収は既存株主による統治不全を是正する最後の砦であり、買収のせいでマインドが変わるような経営者はそもそもおかしいのだ買収の可能性により経営者が適切に行動するようになれば企業の、さらには社会の、効率が増す投資家もより積極的に投資できるようになり、企業は有利な条件で資金を調達できる

一定の条件のもとでは望ましくない買収が起きることもあり、それにどう対処するかは政策上重要だ。しかし出発点としてはほとんどの買収がプラスなはずなのだ望ましくない買収を防ぐと同時に、望ましい買収が起きやすいような市場整備も必要だ。一面的な議論は誰のためにもならない。

敵対的買収を止める(イギリスのようにすべての株式義務をつける。敵対的買収で部分的に株式を所有し、経営をコントロールすることを禁止する)
従業員のある程度の同意がなければ買収を認めない

このことを考えれば、上のような提案がおかしなことが分かる。(敵対的)買収を極めて難しくするということは、今いる経営者・社員が努力するインセンティブを減らし、投資家にとっての企業の価値を下げ資本コストを上げる。これは社会のためにならない。

アングロサクソン的な「優秀な人が他の人をひっぱって行く」のではなく、やはりわが国は「和をもって尊しとなす」ではないでしょうか?

「和をもって尊しなす」はいいが、現実には和の中の人間しか見ず、前に進まない社会になっていないだろうか。会社法は「日本はこういう国だ」みたいな感覚で決めるべきものではない法律が人々に与える影響をよく分析して慎重に作っていく必要がある

P.S. 自社株に関する下りや「会社は公器」など不思議な箇所は他にもある。