なくなるストライキ

先日、次のような言説を紹介した:

テレビがいうところの自分が悪いという若者の論理がよく分からなかった。大不況になってもストライキひとつ起きない。デモもない。ネットでぶつぶつ不平をつぶやくらいだ。

しかし、大不況になってもストライキが起きないのは何も日本だけではない。ちょうどよくアメリカでのストライキの話があった。1,000人以上の従業員が参加したストライキの数を表したグラフだ:

Strikes and Lockouts at Record Low – Economix Blog – NYTimes.com

アメリカでもストライキの数は1980年前後に激減している。

The stoppages last year involved 13,000 workers and accounted for 124,000 lost workdays, both of which were also record lows.

昨年からの不況でも、その減少は続き過去最低となっている。雇用が保障されているのでなければ、不況時にストライキを起こすインセンティブは小さい。転職するのは難しいし、ストライキで業績が悪化すれば元も子もない。

ストライキが減っている理由としては、労働組合の減少および公的セクターへの移動や経済のサービス化が挙げられている。前者はアメリカでは顕著だ。後者についてはストライキの企業へのダメージが大きくなったということだろう。従業員にとってもストライキを実際に実行して会社に損害を与えるのは目的ではないのでストライキが減る原因となる。雇用の流動化も大きな原因だろう。企業にとっては働かない社員を解雇するのが簡単だし、従業員にとっても不満があれば組合活動をするのではなく転職すればよい(そしてその方が社会的にも無駄がない)。どちらも難しい政府部門に組合活動の中心が移行したのも自然な流れだろう。

アメリカの若者が「自分が悪い」と考え困っているという話は聞かないし、むしろ過剰なself-entitlementが問題となっている。ストライキの減少と若者の風潮を結びつけるのは無理がある。

テレビがいうところの自分が悪いという若者の論理がよく分からなかった。大不況になってもストライキひとつ起きない。デモもない。ネットでぶつぶつ不平をつぶやくらいだ。テレビがいうところの自分が悪いという若者の論理がよく分からなかった。大不況になってもストライキひとつ起きない。デモもない。ネットでぶつぶつ不平をつぶやくらいだ。テレビがいうところの自分が悪いという若者の論理がよく分からなかった。大不況になってもストライキひとつ起きない。デモもない。ネットでぶつぶつ不平をつぶやくらいだ。テレビがいうところの自分が悪いという若者の論理がよく分からなかった。大不況になってもストライキひとつ起きない。デモもない。ネットでぶつぶつ不平をつぶやくらいだ。

なくなるストライキ」への9件のフィードバック

  1. ピンバック: ■ – 考える人たち

  2. 企業や共同体へ期待しなくなっている、というのが大きな理由のような気がします。ストライキは親子喧嘩みたいなもので、相手になんとかしろ、と訴える手段だとしたら、今や相手が何もできない・しないか、割りに合わないと考える人の方が多いのでは。自分がそうだからなのかもしれませんが。

    • 強い労働組合がないと多少訴えても何も起こりませんね。日本も多少は転職が簡単になってきているのでしょうか。自分の知り合いとなると年齢・職種が限られてしまうので日本全体の傾向がよく分からないのですが。

  3. ストライキには、まったくリアリティを感じません。
    むかしの、古いイタリア映画でしか見たことがないです。

    画面が白黒だったためかと思いますが、ストライキには、暗くて、「行き止まり」見たいなイメージしかわきません。
    生産的じゃないし。
    (独裁政権との戦い、なら理解できますが)

    原さんの記事は、やっぱり年代的にも、「学生運動」のイメージがあるんでしょうか。だから、「戦わないなんて、ふがいない」と思ってしまうのでは。

    けど、「だれが悪い」みたいな思考は、容易に、「だれを殺せばよいか」に行き着きそうなので、とてもいやです。

    • ストライキは正直時代遅れだと思います。逃げ場がないところで必至に戦うのもいいですが、ダメならさっさと見捨てて他の道を探すというのも勇気ある行動だと思います。

  4. 「従業員にとっても不満があれば組合活動をするのではなく転職すればよい(そしてその方が社会的にも無駄がない)」というのは一般的な企業ではあてはまると思うのですが、ギルド的な組合についてはどうでしょうか。例えばWriters Guild of AmericaやScreen Actors Guildなどです。

    この手の業界は、もちろん上に行くには才能が必要ですが、エントリレベルでは人材の需要よりも供給の方がはるかに多いので、自由市場に任せると人材が限りなく買い叩かれることになってしまいそうです。「好きでやっているのだから待遇が悪くても良い」というのはある程度まではOKだと思いますが、行きすぎると業界に関わる人々が疲弊して潰れてしまいそうです。不満がある業界を離れて皆が別業界に行くことで、社会的には無駄はなくなるのかもしれませんが。娯楽や芸術というのは経済効率的には無駄な部分 (というか、効用が見えにくい部分) ではあるのですよね。

    • >一般的な企業ではあてはまると思うのですが、ギルド的な組合についてはどうでしょうか。

      労働の買い手が寡占的な場合には組合活動が重視されるのは合理的だと思います。

      >自由市場に任せると人材が限りなく買い叩かれることになってしまいそうです。

      将来成長の見込みがある人材を流動性制約のない企業が囲い込むことや複数の仕事を持つことで解決されてきたように思います。

      組合活動なんかを推進してもそれを先導するのは既存の成功者ですから、エントリレベルの人材の便益を反映してくれるようには思えません。おそらく過少供給になるはずです。

      >行きすぎると業界に関わる人々が疲弊して潰れてしまいそうです。

      「行き過ぎる」の水準設定が難しいところです。働く人がいる限りは他の職業よりもいいと思っているはずで、その他の職業で働いている人に比べて可哀想とは言えない気がします。

      >娯楽や芸術というのは経済効率的には無駄な部分 (というか、効用が見えにくい部分) ではあるのですよね。

      娯楽も芸術も買い手がいる限り産業ですね。ただ生産する財が公共財的なのと、需要のあり方が特殊なんだと思います。

      • > 「行き過ぎる」の水準設定が難しいところです。働く人がいる限りは他の職業よりもいいと思っているはずで、その他の職業で働いている人に比べて可哀想とは言えない気がします。

        可哀想という発想は無いのですが、業界によっては「タダでもやりたい」「無茶な条件でもやりたい」「マイナスでもやりたい」という人々がたくさんいるので、下限がどこまで下がるかわからないところがありますね。

        SAGなどの場合、エントリレベルの人材に対しては「生活できるだけの充分な報酬を」みたいなことは主張していないようです。充分な報酬が得られないのはやっぱり本人の責任で、その分は副業でも何でもして稼げと。けれども、無茶な要求をされて使い捨てられるということはないという点で下限を設定する意味はあるのではないかと。既存の成功者も最初はエントリレベルでしたし、業界の隆盛は裾野を広くしていかに才能を集められるかにかかっていることはわかっているはずですから。

        私はこれらギルド的組合に入れる資格もないので外から見ているだけなのですが、日米双方の撮影現場を覗いて、米国のギルド的組合はそれなりに機能しているのかな、とは感じています。

        • >既存の成功者も最初はエントリレベルでしたし、業界の隆盛は裾野を広くしていかに才能を集められるかにかかっていることはわかっているはずですから。

          業界の隆盛は業界の努力によって解決すればいいと思います。前述のように、将来を見越して投資する企業が出てくるはずです。

          >私はこれらギルド的組合に入れる資格もないので外から見ているだけなのですが、日米双方の撮影現場を覗いて、米国のギルド的組合はそれなりに機能しているのかな、とは感じています。

          ギルド的組織の問題はそこで、既存メンバーの利益を最大化しようとするため、エントリーを妨害するインセンティブがあります。これは通常の労働組合と変わりません。

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