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「嫌消費」なわけない

他のネタを使おうかと思ったが、Twitterで出てきて気になったので:

「嫌消費」世代(2010年)-経済を揺るがす「欲しがらない」若者たち

「クルマ買うなんてバカじゃないの?」。こんな話を東京の20代の人達と話しているとよく耳にする。車がなくては生活ができない地方でも「現金で買える車しか買わない」と言う。

今の東京の若者が車を欲しがらないなんて誰でも分かることだ。あんなに公共交通機関が発達しているのだから、駐車スペースもなく税金もかかる車を買わないのは極めて合理的だ。(そもそも平均的な若者が買うことはない高級車を除けば)車のステータス効果はもうない。こんなものを取り上げて若者の消費欲が下がっているなんていうのは、若者を何も知らないといっているのと同じだ。

彼らは、消費をしない訳ではないが、他世代に比べて、収入に見合った消費をしない心理的な態度を持っている。このような傾向を「嫌消費(けんしょうひ)」と呼んでいる。

一つ単語が抜けている。「現在」収入だ。そして、今の収入を使いすぎない合理的な理由はいくらでもある。将来の収入が心配なのがその一つだ。今消費しないのは消費が嫌いだからではない。将来消費したいからだ

もし本当に将来に渡っても消費する気がないなら、頑張って働く必要はない

20代の彼らは、非正規雇用が多く、低収入層が多いからだと思われがちだが、実際は、他世代に比べて、男性の正規雇用率は65%、年収も300万円以上が52%と見劣りする条件にない。

しかし彼らは他の世代と見劣りしないほど働いて稼いでいるわけで、消費する気自体はある。そもそも、本当に消費欲自体がなくなっているなら収入に対する欲求も減るはずだが、収入に不満を持つ若者の数は増えている

ものが売れない理由は様々だ。バブル崩壊以後の構造的な要因としてあげられるのは、将来が不安、収入の見通しがよくない、低収入層が増えている、の3つである。

それを、これでほぼ説明できているのに、

彼らは、思春期に、バブル後の混乱、就職氷河期、小泉構造改革を世代体験として持ち、共通の世代意識を共有している。「自分の夢や理想を高望みして周り と衝突するより、空気を読んで皆に合わせた方がいい」、と言う意識だ。この意識の背後には、児童期のイジメ体験、勤労観の混乱や就職氷河期体験によって植 え付けられた「劣等感」があるようだ。

世代を勝手にまとめて一人の人間に仕立て上げた挙句、心理分析などする必要はない。そんなことよりも哲学、歴史、経済学等の人文社会諸科学やゲーム理論に基礎づけられた新しいマーケティングに期待したいところだ。

経営者性善説はおかしい

Twitter上で藤末議員から一連の議論(株主至上主義って?「株式」会社は株主のもの)ついての反応があった:

会社は株主のものか?昔書いた記事です http://www.sbbit.jp/article/11703/

昨年九月にご自身が書かれた記事が紹介されている。Twitterというメディア上で持論を紹介することは評価したいが、その内容には多くの人が驚いた。議員の考え方が分かるという意味では非常に貴重な記事であり、その考え方とは「経営者性善説」と呼ぶに相応しい内容だ。特にM&Aに関する部分にそれが表れている。

マネジメント≫IT戦略/ソリューション-【民主党藤末氏コラム】「和をもって尊しとする会社へ!」:ソフトバンク ビジネス+IT

経営者のマインドが変わった大きな理由として、「会社制度の変更」が挙げられます。例えば、M&A(企業の合併・買収)の規制が変わり、会社がいつ買収されるかわからなくなると経営者は株価を気にせざるを得なくなります。

買収が悪者扱いされている。しかし買収されたくないなら一番簡単な方法は業績を上げることだ。業績が高ければ既存株主は安い値段では株を売らなくなり、買収は成立しなくなる。買収されたとしても経営者を変えることはない。

基本的に株価は将来収益見通しを示すものであり、買収されるということは買収側はより大きな収益をあげられると考えているということだ。買収に多くの余計な費用が発生することを考えれば、当該企業をより効率的に運営できる自信がなければ買収などするはずはない。

本来、不適任な経営者は株主により交代させられるべきだが、利害関係も能力も様々な株主が総会で一致して経営者を取り替えることは非常に稀だ。買収は既存株主による統治不全を是正する最後の砦であり、買収のせいでマインドが変わるような経営者はそもそもおかしいのだ買収の可能性により経営者が適切に行動するようになれば企業の、さらには社会の、効率が増す投資家もより積極的に投資できるようになり、企業は有利な条件で資金を調達できる

一定の条件のもとでは望ましくない買収が起きることもあり、それにどう対処するかは政策上重要だ。しかし出発点としてはほとんどの買収がプラスなはずなのだ望ましくない買収を防ぐと同時に、望ましい買収が起きやすいような市場整備も必要だ。一面的な議論は誰のためにもならない。

敵対的買収を止める(イギリスのようにすべての株式義務をつける。敵対的買収で部分的に株式を所有し、経営をコントロールすることを禁止する)
従業員のある程度の同意がなければ買収を認めない

このことを考えれば、上のような提案がおかしなことが分かる。(敵対的)買収を極めて難しくするということは、今いる経営者・社員が努力するインセンティブを減らし、投資家にとっての企業の価値を下げ資本コストを上げる。これは社会のためにならない。

アングロサクソン的な「優秀な人が他の人をひっぱって行く」のではなく、やはりわが国は「和をもって尊しとなす」ではないでしょうか?

「和をもって尊しなす」はいいが、現実には和の中の人間しか見ず、前に進まない社会になっていないだろうか。会社法は「日本はこういう国だ」みたいな感覚で決めるべきものではない法律が人々に与える影響をよく分析して慎重に作っていく必要がある

P.S. 自社株に関する下りや「会社は公器」など不思議な箇所は他にもある。

チェック廃止

大したニュースではございませんが、アメリカ在住者としては取り上げたい:

Britain bounces checks after 300 years – Yahoo! News

The board of the UK Payments Council, the body for setting payment strategy in Britain, agreed on Wednesday to set a target date of October 31, 2018 for winding up the check clearing system. The board is largely made up of Britain’s leading banks.

イギリスでついにチェックを廃止する目処がついたそうだ。チェックというのは小切手のことで、基本的には金額と宛名を書いてサインすると銀行でお金を動かせるものだ。日本では個人向けだとほぼ存在しないが、アメリカでは誰もが使っており、家賃なんかはほぼみんなこれを使う。銀行振込でいい?とかいうと頭のおかしなひとを見るような目で、普通にチェックにしろとか言われる。ネット振込が普通のところから来ると、慣れないサインを書きながら、どんだけ古いんだよ、とか愚痴りたくなること請け合いだ。

But while many UK supermarkets, high street retailers and petrol stations have stopped accepting checks, they are still a popular form of payment among elderly people, many of whom find the idea of using automated cash machines intimidating.

当たり前だがチェックの処理には費用がかかる。お店ならスキャンして銀行に送るだろうし、人間なら銀行まで足を運ぶ必要がある。ちなみにアメリカのATMの預け入れは備え付けの封筒にチェック・現金を入れて放り込むだけ(数えない)という衝撃のシステムだ。

ではなぜいまだにチェックが使われているのか。アメリカでは(イギリスでもそうだろうが)、クレジット・デビットカードの利用が非常に進んでいる。現金は基本的にもっていないのでどこにいってもカードで払う。財布に10ドルもなくびっくりすることもよくある(1ドルでもお札なので気づかないっていう話だが私だけだろうか)。

それにも関わらずチェックの廃止が進まないのは高齢者のため(=せい)だ。カードはお店で使うだけで、使いたくないひとは使わなくてよい。高齢者は現金と小切手の世界で生きている人が多いのだろう。

ではなぜそもそもチェックが使われているのか:

“Without checks, we are very concerned people will be forced to keep large amounts of cash in their home, leaving them vulnerable to theft and financial abuse.”

これは犯罪との関係だ。多額の現金を持ち歩いたり、家に置いておくのは危ないので昔からチェックを利用する。日本では現金を数万円持っているからといって危ないとは言われないが(使ってしまう危険の方が大きい!)、アメリカやヨーロッパでは違う。高額紙幣が使えなかったり、そんなもの持ち歩くなと説教されたりする(昔500ユーロ札に扱いに困った)。逆にこういった状況はカードの利用を促した。小売店はレジスターにキャッシュを保持したくないからだ。アメリカでも早く消えてなくなってほしいものだ。

社会起業家に関する論争

数時間ぶりにTwitterを開いたら盛り上がっていた。この論争は「金儲け=悪」の話を絵で説明してみるで描いた絵で説明できそうなのでやってみる。

Days like thankful monologue病児保育のNPO法人フローレンス代表 駒崎弘樹のblog: 東洋経済でサイバーエージェント社長らに社会起業家がおおいに叩かれている件について

いわゆるビジネスエリートな方々が、昨今のアラサー世代の「事業に社会性を求める」ことに対してこんなことを仰っているのが目に飛び込んできました。

このあとに藤田晋、成毛眞、松本大さんの発言が引用されている。

サイバーエージェント社長 藤田晋 氏
「この世代は社会起業家が増えているというが、その前にすべきことがあると思う。ビル・ゲイツのように死ぬほど稼いで社会に貢献するというなら分かるし、自分もいずれそうありたいと考えるが、経営者として事業を大きくすることが今の目標だ。長く経営者として責任とプレッシャーと闘っている私からすれば、社会起業家はそうしたものから逃げているように見えてしまう。」

元マイクロソフト社長 成毛眞 氏
「もし仮に景気がよければ、社会起業家にはならず、今も外資金融やベンチャーに在籍しているはず。本人たちは、社会起業家としての社会的意義や使命について何ら疑うところはないし、心の底からそれを信じているのだろうが、私に言わせれば経済で先行きが見えないから、別の方面に関心が向かっているだけなのだ。」

マネックスグループCEO 松本大 氏
「厳しいことを言えば、自己の満足という点で、それ(マッキンゼー→ボランティアなキャリアの人)は長続きしないと思う。私は有限なリソースを集中して掘っていくべきだという考えで、自分が決めた仕事や業種に徹底的にこだわって、そこで成果を出そうとする。」

それに対し、元記事では:

若きリーダー達は、後輩たちが日本社会のために何とか頑張ろう、と挑戦している姿に対して、「逃げている」とダメだしの言葉を投げかけるようになってしまいました。

とコメントしている。私にはどちらも妥当な発言と思える。ではこの対立はどこから来ているのか。もう飽き飽きしている方には申し訳ないがまた赤い円と青い円で説明してみる。

社会運動家

1

昔の社会運動家は、社会にマイナスなのに儲かることへ規制をかけたり、プラスなのに商売にならないことへ補助金を出したりすることを目指した。儲かる=悪といった考えのもと、悪に立ち向かったのだ。

ベンチャー起業家

2

ここ十年ほどのベンチャー起業家(便宜上そう呼ばせて頂く)の興隆はそうした旧来型の社会運動が一段落してから始まった。そうした運動の結果として、金儲けは悪いことではなくなったのだ。例えば、

ビル・ゲイツのように死ぬほど稼いで社会に貢献するというなら分かるし、自分もいずれそうありたいと考える

という発言には金儲け=社会貢献という前提がある。金儲けは悪という古い思想を捨てて、社会のために事業を起こすという姿勢がある。これは、図で言えば内側への回帰だ。

社会起業家

3

社会起業家という新しい流れは、上の展開への揺り戻しと捉えられる。ベンチャーが社会の表舞台に立つ環境の中で育った新しい経営者が、その手法をまだ解決されていない社会問題へ適用しようとしているのだ。これは上の絵で言えば外側への矢印だ。

社会起業家はそうしたものから逃げているように見えてしまう。

しかし、そうした行動は円の重なった部分でビジネスをすることを是とするベンチャー起業家には矢印通り逃げているように写る。

私は有限なリソースを集中して掘っていくべきだという考えで、自分が決めた仕事や業種に徹底的にこだわって、そこで成果を出そうとする。

これも同じ趣旨だろう。ベンチャー起業家のテーゼは上の赤い円と青い円が重なる部分が重要だというものであり、外側に出て行く動きは前時代的なものに見える

私に言わせれば経済で先行きが見えないから、別の方面に関心が向かっているだけなのだ。

この発言は面白い。社会起業家が外側に向かっていく理由の一つは、内側での競争が激しいからだろう。ベンチャー起業家により内側でのビジネスの重要性が認識されると多くのビジネスがひしめき合うようになる。利益を上げるのは難しくなるし新しい企業が入っていくことの限界的な社会的価値も逓減する。既に何十社もプレーヤーがいる市場に新しい起業がはいっても実質的な競争促進効果はほとんどない。社会貢献を目指す起業家が、内側ではなく外側に目を向けるのも頷ける

しかしこれは悪いことではない。新しい社会起業家は旧来の社会運動家とは異なり、市場の仕組みとインセンティブの重要性を理解している(してないひともいるだろうが)。新しい手法を社会問題に適応することで円の重なりを大きくできる。

またベンチャー起業家は社会起業家をこの点で批判することはできない。彼らもまた、外側を目指した社会運動が進みその限界的な効果が薄れたときに内側に戻ってきたのだ。旧来の社会運動をしていた人間にとっては彼らは同じような批判の的だろう。

社会としてはどちらの運動も必要であり、論争に足を取られることなく、それぞれの事業に邁進してもらいたいところだ。

追記

最初の社会起業家の図の前にはやはり内側に向かう動きがあって、それは今の財閥系起業を興した起業家の人々によって支えられていたのではないか。

自閉症患者が活躍する会社

追記:Twitterを通じてMarkovianさんから

自閉症教育やってる妹に確認取りましたが、「自閉症患者」とは言わないそうです。「自閉症児」「自閉症者」と言うらしい。自閉症は病気ではないというのが基本概念とのことです。

というご指摘をいただきました。「病気」の定義に関わる問題ですが、ごもっともな指摘だと思います。単に修正するよりも多くの方にこの話を知っていただくほうがいいと思うので、本文中の表現は変更しないことにします。

最近、ビジネスをして利益を出すことの意義について書いたが、ちょうどよい具体例があったので取り上げたい:

自閉症患者をソフトウェアのテスターとして育成する試み – スラッシュドット・ジャパン本家/.記事

米国シカゴの非営利企業Aspiritechが、高機能自閉症をソフトウェアのテスターとして育成するプログラムを立ち上げたそうだ。

紹介されているのはAspiritechという企業で、自閉症患者をソフトウェアテスターとし雇用するそうだ。非営利とは言え、単なる慈善事業ではない:

Aspiritechによると自閉症患者は不完全さや欠陥を見つける才能があり、予測可能で変化の少ない仕事を好むという。デンマークの Specialisterneも自閉症患者の就労プログラムを組んでいる企業の一つだそうだ。データ入力や組み立て作業など、他の人であれば退屈に感じる 反復作業などに派遣しているとのことで、データ入力に関しては8倍の正確さであるという。

あくまで自閉症患者の長所をいかして利益を挙げるためのビジネスだ。これがビジネスと成立しており、社会的にも望ましいことは明らかだ。自閉症患者はこの仕事を他の人よりもうまくこなせるのでより多くの賃金を得られる。顧客は相対的に安いサービスを受けられ、これは消費者にもプラスとなる。そしてもちろん企業は利益をあげる。これらのプラスがどのように配分されるかは競争相手の数などによって変わるが、みんな何かしら得をする

ところで何故この企業は非営利企業なのだろうか。非営利企業が慈善団体と異なることについは以前「非営利と営利との違い」で述べた:

どんな場合に非営利団体という形態をとるのか。それは特定の目的を達成する上でそうすることが効果的な場合だ

ではこのケースではどうか。それは障害者を使う=搾取するという世間の嫌悪感(repugnance)を避けるためだろう。障害者の人権が保障されていない状況では、障害者を使うことはしばしば彼らからの搾取を意味したと考えられ、これに対する反感が社会に醸成されるのは不思議ではない。ここでも道徳は社会の変化についていっていない

非営利であれば、搾取により利益を出してもそれを社外に出すのが難しくなる。搾取するインセンティブが減れば、搾取は行われないと考える人が増え、このビジネスはよりスムーズに進むだろう。もちろん非営利であれば政府の支援を受けやすいこともある。

このビジネスが動き始めているのはアメリカだけではない。このストーリーはTwitter経由で見つけたが、それに対して徐勝徹さんからご自身が経営に参加しているKaienという会社を紹介して頂いた

Kaienは3つのことが重ならなければ、私にはとても考えもつかないことでした。

1つ目は、息子が、自閉症と診断されたこと。

2つ目は、起業精神が旺盛なアメリカのビジネススクールで学べたこと。

3つ目は、スペシャリステルネというデンマークの企業を「発見」できたことです。

これは代表者である鈴木慶太さんのメッセージだ。Kaienは株式会社だが、その目的は単純な利益目的ではないことが分かる。こういう言い方はしたくないが、この点を強調することは上記の反感を防ぐ上で重要なことであり、ビジネスとしてうまくいくかを大きく左右する。障害者から搾取を防ぐ道徳感情は、障害者に直接関係する人であればあまり働かないからだ。

社会のためになるビジネスの足を引っ張るような道徳は早くなくなるべきであり、こういったビジネスがちゃんと成功するかどうかは社会の試金石となるだろう。障害者が活躍するビジネスを誰でも堂々と運営できる世の中になってほしい。

コメントについての追記

おたきちさんから次のようなコメントを頂きました:

神戸にある社会福祉法人 プロップステーション が以前からそういう事業をやっていますよ。

こういった事業を手がけている団体が既にあるのは素晴らしいことだと思います。ここに新しい会社が入ってくるのは、競争を通じて消費者も雇用される自閉症者もより大きな利益をあげることにつながります。

また、KaienのようにアメリカのトップMBAプログラムでビジネスを学んだ人々が加わることで、この事業分野のさらなる発展が見込まれます。企業と社会福祉法人との対立という見方ではなく、競争でより社会のためになるという視点が必要です。普通の財・サービスの世界では当たり前のことですが、その当たり前の見方が障害に関する事業においても適用されるようになることが重要でしょう。