Twitter上で藤末議員から一連の議論(株主至上主義って?、「株式」会社は株主のもの)ついての反応があった:
会社は株主のものか?昔書いた記事です http://www.sbbit.jp/article/11703/
昨年九月にご自身が書かれた記事が紹介されている。Twitterというメディア上で持論を紹介することは評価したいが、その内容には多くの人が驚いた。議員の考え方が分かるという意味では非常に貴重な記事であり、その考え方とは「経営者性善説」と呼ぶに相応しい内容だ。特にM&Aに関する部分にそれが表れている。
マネジメント≫IT戦略/ソリューション-【民主党藤末氏コラム】「和をもって尊しとする会社へ!」:ソフトバンク ビジネス+IT
経営者のマインドが変わった大きな理由として、「会社制度の変更」が挙げられます。例えば、M&A(企業の合併・買収)の規制が変わり、会社がいつ買収されるかわからなくなると経営者は株価を気にせざるを得なくなります。
買収が悪者扱いされている。しかし買収されたくないなら一番簡単な方法は業績を上げることだ。業績が高ければ既存株主は安い値段では株を売らなくなり、買収は成立しなくなる。買収されたとしても経営者を変えることはない。
基本的に株価は将来収益見通しを示すものであり、買収されるということは買収側はより大きな収益をあげられると考えているということだ。買収に多くの余計な費用が発生することを考えれば、当該企業をより効率的に運営できる自信がなければ買収などするはずはない。
本来、不適任な経営者は株主により交代させられるべきだが、利害関係も能力も様々な株主が総会で一致して経営者を取り替えることは非常に稀だ。買収は既存株主による統治不全を是正する最後の砦であり、買収のせいでマインドが変わるような経営者はそもそもおかしいのだ。買収の可能性により経営者が適切に行動するようになれば企業の、さらには社会の、効率が増す。投資家もより積極的に投資できるようになり、企業は有利な条件で資金を調達できる。
一定の条件のもとでは望ましくない買収が起きることもあり、それにどう対処するかは政策上重要だ。しかし出発点としてはほとんどの買収がプラスなはずなのだ。望ましくない買収を防ぐと同時に、望ましい買収が起きやすいような市場整備も必要だ。一面的な議論は誰のためにもならない。
・敵対的買収を止める(イギリスのようにすべての株式義務をつける。敵対的買収で部分的に株式を所有し、経営をコントロールすることを禁止する)
・従業員のある程度の同意がなければ買収を認めない
このことを考えれば、上のような提案がおかしなことが分かる。(敵対的)買収を極めて難しくするということは、今いる経営者・社員が努力するインセンティブを減らし、投資家にとっての企業の価値を下げ資本コストを上げる。これは社会のためにならない。
アングロサクソン的な「優秀な人が他の人をひっぱって行く」のではなく、やはりわが国は「和をもって尊しとなす」ではないでしょうか?
「和をもって尊しなす」はいいが、現実には和の中の人間しか見ず、前に進まない社会になっていないだろうか。会社法は「日本はこういう国だ」みたいな感覚で決めるべきものではない。法律が人々に与える影響をよく分析して慎重に作っていく必要がある。
P.S. 自社株に関する下りや「会社は公器」など不思議な箇所は他にもある。
Rionさん、こんにちは。おっしゃる通り、経営者性善説はおかしいと思いますし、「敵対的買収を止める」など、株主の権利を制限する方向に法的に規制をかけるのは、望ましくないと思います。
一方、経営者を監視する側の株主はどうか、と考えると、こちらも性善説ではだめな気がします。たとえば新興市場なんか危ない株主はそこらじゅうにいそうですし、そういう株主とかかわりたくがない(and/orベンチャーキャピタリストにろくな人がいない)ことも、日本ないしはシリコンバレー以外でIPOを目指して起業したい気にならない一つの原因と思います。
本来、企業価値を最大化すれば株主・経営者の双方が平等にハッピーになるはずで、株主と経営者がその利益のうち自分の分け前を増やすために互いに丁々発止のやり取りが行われている位が、ガバナンスとして健全なのだと思います。が、今の日本の経営者vsグローバルの株主の間で、そのようなバランスを取れるようになるには、まだまだ時間がかかる気がします。
また、日本より株主と経営者が共に数段優秀な米国では、今度は中間管理職のモチベーションが非常に低く、従業員の力が出にくい、といった問題が大きいようです。結局どこかが強いとどこかが弱くなるため、このバランスをとる問題は永遠の課題に見えます。
以上、とりとめもないですが、最近のLilacさんや池田さんなどとのやり取りを、ざっと眺めた感想です。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
いえいえ、こちらこそ本年もよろしくお願いします。
>一方、経営者を監視する側の株主はどうか、と考えると、こちらも性善説ではだめ
性善説はそもそも何に関してもダメですね。ただ株主はそれでもお金突っ込んでるので頑張って監視はするはずです。
>新興市場なんか危ない株主はそこらじゅうにいそう
まあ投資家は国境を越えるのでどこにいてもおかしな人はいると思います。
>株主と経営者がその利益のうち自分の分け前を増やすために互いに丁々発止のやり取りが行われている位が、ガバナンスとして健全なのだと思います。
そういうバランスをとる考え方ならいいのですが、元記事にはそれがないのが困ったところです。
>結局どこかが強いとどこかが弱くなるため、このバランスをとる問題は永遠の課題に見えます。
バランスを直接政府がどうこうしようとしてもうまくいかなさそうなのがまた悩みどころです。
経済はわかりませんが、法治国家と性善説は両立しないと思います。そもそも、法治の考えは荀子の欠点を修正・是正していく性悪説により近い発想から生まれてくるものですし、素養を伸ばす性善説に依って立ってはいませんので。そもそも、性善説に立って作られてはいない物に対して、「性善説はだめだ」というのは論理がずれているかと思います
いや、もっといえば性善説・性悪説の善悪とは、正義云々ではなく、悪(利己主義や幸福主義)と善(利他主義や禁欲主義)の話で、経済学におけるモデルは「自己の利益に対し合理的」であることから、経済システムはそもそも悪を主役として据えているかと思います。
>性善説に立って作られてはいない物に対して、「性善説はだめだ」というのは論理がずれているかと思います
それは読み違いです。リンク先の文章が経営者は正しい行動をするという性善説に則っている点を批判しています。
Rionさんに言うべきではないのですが、
Link記事の労働分配率の低下を嘆く記述がありましたが、労働分配率の上昇は「総賃金の上昇>収益の上昇」の結果論で、成長が鈍化した証明に過ぎないと思います。労働分配率が高い方がいい会社という言説に???な感じです。初期の成長段階では配当に資源を回すよりも設備投資に向かうのが普通でマイクロソフトやグーグルは無配が長いか現在無配です。分子が小さくなったとすれば収益が悪化したのであり、分母が大きくなったのであれば収益に対する賃金の増大(採用増とか)がおかしいということでしょう。平均賃金とは一切関係ないとおもいます。
本題
被買収企業に勤めている人間としてはのれん代を自分で稼がなくてはならないのはかなり不満です。買収企業がその価値を認めたと言うのは分かるのですが、彼等はその身銭を切りません。のれん代償却を被買収企業に押し込めば、人件費改革に手を付けざるを得ず、給与所得上昇の圧迫要因となり、優秀な人間は辞めていきます。
経営者が従業員と一体になって買収を嫌うのは当然の帰結です。
>労働分配率が高い方がいい会社という言説に???な感じです
労働分配率は人件費しかかからないような産業では当然高いですしね。
>被買収企業に勤めている人間としてはのれん代を自分で稼がなくてはならないのはかなり不満です。
のれん代は買収企業が支払った額では?しかも、のれん代の償却があるので配当が減るようになっていると思います。
>経営者が従業員と一体になって買収を嫌うのは当然の帰結です。
これはその通りですが、それが社会的に望ましいかとは別の話です。
>のれん代は買収企業が支払った額では?
>のれん代の償却があるので配当が減るようになっていると思います。
被買収企業なのでB/Sは公開されていないのですが、感触で言えばB/Sに組み込まれかつ原価償却に当てられているようです。従業員の感覚で言えば売上高営業利益率はそこそこ挙げているはずなのですがのれん代償却で会社の決算は赤字です。配当も事実上無いでしょう。
従業員的には決算が赤字なのでボーナスはorz なわけです。
>それが社会的に望ましいかとは別の話です。
それはその通りなのですが、そのことをきちんと織り込んでくれているのかが心配なわけです。
買収の決断は買収会社がしたけれどもリスクはステークホルダー(経営者・従業員・顧客)と共有しているという点で。
というより逃げる準備は欠かせないと言うことですね。
買収してのれん代を被買収企業に押し付ける構図を許されるのは違和感を感じます。
>会社の決算は赤字です。配当も事実上無いでしょう。
そうすると一概に買収相手を責めるのは難しいのでは。
>従業員的には決算が赤字なのでボーナスはorz なわけです。
これはインセンティブプランの問題ですね。買収企業が従業員の士気まで計算にいれて妥当であれば基準を変えるべきです。
>買収の決断は買収会社がしたけれどもリスクはステークホルダー(経営者・従業員・顧客)と共有しているという点で。
結局のところリスクと効率性にはトレードオフがあります。敵対買収のリスクが経営者の努力につながります。
>買収してのれん代を被買収企業に押し付ける構図を許されるのは違和感を感じます。
買収してしまえば会計上は連結されるのでどこのb/sにおいても大差ありません。それを内部的にどう処理するかは企業毎の裁量です。
多少の問題はありますが、買収自体が悪いといった方向性ではどこにもたどり着かないっていうのが今回の主旨ですね。
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