原油流出と金融危機

原油流出事件と金融危機を対比させつつ、予防の重要性を主張するストーリー:

Recipes for Ruin, in the Gulf or on Wall St.

For the financial crisis, it has become clear that many chief executives and corporate directors were not aware of the risks taken by their trading desks and partners.

金融危機においては、多くの経営幹部が自社・パートナーのとっている本当のリスクを認識していなかった。あまりに複雑な商品・取引や多くの関係者の間での利害対立、監督機関の能力不足などが原因として考えられている。

The story of the oil crisis is still being written, but it seems clear that BP underestimated the risk of an accident.

原油流出の全容は解明されていないが、BPがリスクを過小評価していたのは間違いない。

And while there is no way to know for sure, of course, whether BP was just extraordinarily unlucky, there is much evidence that people in general are not good at estimating the true chances of rare events, especially when human error may be involved.

BPのCEOは百万回に一度の事故だと主張してはいるが、それが正しいのかは確認しようがないし、人間が小さな確率を上手く把握できないのはよく知られた現象だ。

“Of the 126 people present on the day of the explosion, only eight were employees of BP,”

爆発に立会った126人のうちBPの社員はわずか8人であり、多くの異なる利害を持った企業の関係者による共同作業であった。社員と企業との利害が一致しているとも限らない。

Suppose we try to tax companies in advance for activities that have the potential to harm society. First, we have to have some basis for estimating the costs they may inflict.

このような悲劇を避けるためには、適切なインセンティブを与える必要があるが、事前に適切な税金を定めるのは難しい。問題が起こる確率が分からないためだ。

Alternatively, an offending party could be made to pay after the fact, by holding it responsible for the costs it imposes. BP has volunteered that it will pay for all damages it considers “legitimate,” but we can expect a fight over how to define that word.

事後的に支払いを求めるのも難しい。BPは正当な費用負担を行うと行っているが、何が正当なのかを決着するのにどれだけかかるは全く分からない。

And if we aren’t careful, we will encourage companies that have enough money for collection to leave the drilling to those that don’t.

仮に適切な定義が出来たとしても、事後的な制裁は資金負担能力のある企業の撤退を招く。賠償資力のない企業であれば、問題が起きたときには破産すればそれを免れることができるためだ。

A policy with some appeal might make drilling rights include a mandatory insurance policy with a big deductible, say $100 million, and a cap somewhere in the billions.

ここでは、原油採掘を行うために保険を強制するという政策が提案されている。保険により資力の問題をクリアしつつ、保険会社によるモニタリングを期待できる。控除を大きくとれば採掘企業の回避インセンティブを削ぎすぎることもない(保険会社が当然要求するだろうが)。

FURTHERMORE, this economic solution assumes that companies make good decisions once they’re given correct incentives. But the financial and oil crises should make us less confident that companies are up to the task.

それでも、モニタリングがきちんとに行われるとは限らないし、企業がインセンティブにうまく反応するとは限らない。ゴーイング・コンサーンを前提とする企業も中身は退職も転職もする個人の集まりだ。二つの事件に対する政府の対応を比較するのも面白そうだ。

将来売ります

自分の将来所得を担保に投資を募る実業家の話題が盛り上がっている。

Entrepreneurs offer their life’s future earnings for an investment

Kjerstin Erickson, a 26-year-old Stanford graduate who founded a non-profit called FORGE that rebuilds community services in Sub-Saharan African refugee camps, is offering 6 percent of her life’s income for $600,000.

NPOの創設者が自分の所得の6%の見返りに$600,000の投資を募集しているそうだ。6%で$600,000ということは、所得のリスクも割り引いた現在割引価値(≠生涯所得)が$10,000,000必要なわけで、普通に考えたら割に合わない。

それだけでなく、持分への投資ということで、株式会社などが持つガバナンス上の問題点を共有している:

  1. 94%は本人という社長兼大株主が所有しているわけで、少数株主たる投資家との間に利害対立がある
  2. 公開会社のような上場審査や法定監査があるわけではなく、所得の6%といっても所得の数字自体信頼できない
  3. そもそも意思決定に加わるわけではない

その結果次のような問題が考えられる:

  1. 所得の限界効用が落ちるので働く気が失せる
  2. なるべく所得に現れない便益を優先する、例えばお金にはならないが楽な仕事しかやらない

このような懸念に対して、

The transparency afforded by social networking is making it easier for investors to vet people’s reputations and hold them accountable.

ソーシャルネットワーキングによって透明性が増しているから何とかなるのではと述べられているが、会社法を考えれば分かるようにそんな簡単な話ではないだろう。

ただこの個別事例が成功するかと言われればおそらく成功すると思われる。このような議論を呼ぶ募集を行うことは本人やそのプロジェクト(そしておそらく投資する側)にとって大きなPRになるからだ。これを弾みに成功していけば割に合う投資になる可能性はそれなりにあるだろう。

また、この取引を投資ではなく寄付の一種だと考えることもできる。将来所得と引換に融資を受ければその個人は金銭的な報酬を優先するインセンティブを失うが、これはNPOが自ら利益を配分しないことと似ている。もともとNPOは属人的な正確が強いので、組織ではなく個人に投資するという考えもありうるだろう。

余剰資金は成長産業へ

最近、企業がもっと従業員に利益を分配しろという意見が多い。しかし、重要なのはどのような資源配分が最も効率的かだ。

トヨタもキヤノンも内部留保を使うが雇用には使えない? -10年で2倍増の内部留保こそ“埋蔵金”

企業の内部留保が2倍以上になった1998年から2008年の10年間で、労働者の非正規化が進み、ワーキングプアが3人に1人に激増し、労働者の給与は35万円も減ったということです。

内部留保が倍増する中で労働者の取り分が減ったということから次のような疑問が提示されている。

普通に考えて、いくらなんでも内部留保が10年前の2倍以上というのは溜め込み過ぎでしょう。少しは労働者や社会に還元してもいいのではないでしょうか。

「普通に考えて」と言えば、考えなくてもいいわけではない。企業は従業員に給与を払っているし、利益を上げる過程で社会に便益をもたらしている。「少しは」が何を意味しているのかよく分からない。たくさんあるんだから少しよこせという話ではない。

日本経団連は、「内部留保は生産設備などに使われており、現金に換えることはほとんど不可能」などといって、雇用にも賃上げにも使えないと主張し続けています。

当たり前だが内部留保と現金は違う。内部留保は会計上の利益が配当されずに留保されたものだ。企業会計は現金主義ではないので、利益の発生と流動性資産の発生とは一致しない(そもそもそれを分離するのが目的だ)。当然、内部留保は支払原資の存在を意味しない。もちろん、不存在も意味しないがそれなら保有している流動性の高い資産の存在を問題にすべきで、内部留保を槍玉に上げるのは焦点がずれている。まあこの辺は会計畑の人に任せたい。

しかし、素朴に考えて、10年前の2倍以上にもなっている内部留保を使えないというのはおかしな話です。

「普通に考えて」を「素朴に考えて」に変えて同じことを提案してもだめだ

トヨタは、2009年3月に、13兆9,322億円あった内部留保を取り崩して、株主配当3,135億円を払っています。

キヤノンは、2009年12月に、3兆9,436億円あった内部留保を42億円取り崩して、株主配当の一部に使っています。

確かに膨大な内部留保から配当が行われている。この数字を見て私が素朴に考えると、もっと株主配当をすべきだと感じる

内部留保は、株主配当には使えるが、雇用・賃上げには使えないという決まりでもあるのでしょうか?

企業が人件費を増やせば利益が減るので内部留保は減っていくだろう。それを内部留保を「使う」というのであればそれは可能だ。

本題に移ろう。企業が実際に多額の資金を溜め込んでいるとしよう。確かにそれは問題だ。事業を営むことが目的の営利企業が必要以上に資産を持っているのは、資源が有効に活用されていないことを意味するからだ。例えば経営者が個人的に企業を大きくしたいだけとか、自分を含めた従業員が不景気でも大丈夫なようにお金を貯め込むとかいろんな理由が考えられる。株主による経営者の監視は極めて不完全なので、こういったことが生じる。

では日本企業が不必要に資金を保有しているとしてこれをどう使うのが望ましいだろうか。もし企業の雇用・賃上げに使えば、不景気に関わらず利益を出している好調な企業にいる社員やそこで運良く採用された人は喜ぶだろう。しかし、それが社会全体からみて効率的な活用方法だとは思えない。労働者を助けるというなら、失業者や不調な企業の従業員が先だろう

必要なことは逆に内部留保を株主配当で資本市場に戻すことだ有効利用のできていない資金を生産性が高い、成長の見込みのある企業へと移すことで経済全体のパイを大きくすることができる。それにより新しい産業で雇用が生まれ、労働者にとってもプラスだ。資金の有効な使い道が分からない企業に人材を集めてもしょうがない

経営者性善説はおかしい

Twitter上で藤末議員から一連の議論(株主至上主義って?「株式」会社は株主のもの)ついての反応があった:

会社は株主のものか?昔書いた記事です http://www.sbbit.jp/article/11703/

昨年九月にご自身が書かれた記事が紹介されている。Twitterというメディア上で持論を紹介することは評価したいが、その内容には多くの人が驚いた。議員の考え方が分かるという意味では非常に貴重な記事であり、その考え方とは「経営者性善説」と呼ぶに相応しい内容だ。特にM&Aに関する部分にそれが表れている。

マネジメント≫IT戦略/ソリューション-【民主党藤末氏コラム】「和をもって尊しとする会社へ!」:ソフトバンク ビジネス+IT

経営者のマインドが変わった大きな理由として、「会社制度の変更」が挙げられます。例えば、M&A(企業の合併・買収)の規制が変わり、会社がいつ買収されるかわからなくなると経営者は株価を気にせざるを得なくなります。

買収が悪者扱いされている。しかし買収されたくないなら一番簡単な方法は業績を上げることだ。業績が高ければ既存株主は安い値段では株を売らなくなり、買収は成立しなくなる。買収されたとしても経営者を変えることはない。

基本的に株価は将来収益見通しを示すものであり、買収されるということは買収側はより大きな収益をあげられると考えているということだ。買収に多くの余計な費用が発生することを考えれば、当該企業をより効率的に運営できる自信がなければ買収などするはずはない。

本来、不適任な経営者は株主により交代させられるべきだが、利害関係も能力も様々な株主が総会で一致して経営者を取り替えることは非常に稀だ。買収は既存株主による統治不全を是正する最後の砦であり、買収のせいでマインドが変わるような経営者はそもそもおかしいのだ買収の可能性により経営者が適切に行動するようになれば企業の、さらには社会の、効率が増す投資家もより積極的に投資できるようになり、企業は有利な条件で資金を調達できる

一定の条件のもとでは望ましくない買収が起きることもあり、それにどう対処するかは政策上重要だ。しかし出発点としてはほとんどの買収がプラスなはずなのだ望ましくない買収を防ぐと同時に、望ましい買収が起きやすいような市場整備も必要だ。一面的な議論は誰のためにもならない。

敵対的買収を止める(イギリスのようにすべての株式義務をつける。敵対的買収で部分的に株式を所有し、経営をコントロールすることを禁止する)
従業員のある程度の同意がなければ買収を認めない

このことを考えれば、上のような提案がおかしなことが分かる。(敵対的)買収を極めて難しくするということは、今いる経営者・社員が努力するインセンティブを減らし、投資家にとっての企業の価値を下げ資本コストを上げる。これは社会のためにならない。

アングロサクソン的な「優秀な人が他の人をひっぱって行く」のではなく、やはりわが国は「和をもって尊しとなす」ではないでしょうか?

「和をもって尊しなす」はいいが、現実には和の中の人間しか見ず、前に進まない社会になっていないだろうか。会社法は「日本はこういう国だ」みたいな感覚で決めるべきものではない法律が人々に与える影響をよく分析して慎重に作っていく必要がある

P.S. 自社株に関する下りや「会社は公器」など不思議な箇所は他にもある。

「株式」会社は株主のもの

株主至上主義って?」についての反論をLilacさんが書かれているので一応返答したい。
会社は本当に株主のものか?という疑問に答える本 – My Life in MIT Sloan

専門家を称する人は、「専門的にはこれが正しいんです。あなたは間違ってます」と言うのではなく、彼の感覚的な表現の、根本の問題意識に答えようとしてくれれば良いのに、と思った。

前者的な反論は既に池田信夫さんがなさっているが、Lilacさんが納得する説明のようには思えないのでここでは一問一答形式でいく。

そもそも、彼の言う「最近の余りにも株主を重視しすぎた風潮」、そしてそれを問題だ、と思う感覚自体は、至極まっとうじゃないのか。

彼の感覚が自然か否かについては議論していない。例えば、解雇された労働者を可哀想だと「感じる」のは真っ当だが、それを解雇を禁止することで助けるのは真っ当ではない。

まず「最近の余りにも株主を重視しすぎた風潮」というところだが、ここでは比較対象は、他の欧米諸国と比べてるんではなく、「日本の昔に比べて」ってことを言ってるのだと思う。

「最近の余りにも株主を重視しすぎた風潮」が「日本の昔に比べて」の発言だというのは妥当な推定だが、そうであれば「喝を入れたい」というのはおかしい。改善していっているだけかもしれない

例えば、1970〜80年代には、日本では優良大手企業でさえ利益率5%以下が普通だったのが、現在の企業経営ではROEと利益率が神様みたいに崇められてる。
これは「株主を重視しすぎる風潮」と言わずしてどう説明するか。

それは投資先が「優良」大手企業だったからだ。30・40年前の日本企業と今の日本企業とを同じ投資対象とみなすのは不可能だ

当時の日本企業は「効率が悪かった」のだろうか?

逆だ。当時の日本企業は成長の見込みがあるからそれでよかったのだ。成長の見込みがなければ投資家が配当という形で資金を回収するのは当然だ。成長していない企業に内部留保を残しても効率的な投資は行われない社会的な観点からみても同じだ。そもそも成長してもいない企業が持っているとされる会計上の内部留保の額なんて信用できるだろうか。

極端な議論かもしれないが、良いものを安く売ることで消費者に還元していた、とはいえないか。多少コストが高くなっても、簡単に従業員をクビにせず、たくさん雇っていたのは、従業員に還元していた、とはいえないか。

もちろん企業が存続しているということは、普通は企業は社会に貢献したということだ。そしてその貢献を消費者・従業員・債権者・株主が分け合っている。しかし、その貢献の量というのは誰が意思決定を行い利益をどう分配するかによって変わる。そして、通常、最大のリスクを引き受ける投資家が会社の重要事項と経営者を決定するのが効率的だ。

株主が最大のリスクを負っているのはP/Lをみれば分かる。消費者はその会社の財・サービスを買う必要は(独占でもない限り)ないのでリスクはほぼ負担しない。従業員の給料は会社の業績に関わらず支払われ、破産しても真っ先に確保されるのでリスクは小さい。そのあと利益が残って入ればまず債権者が取っていく。一番最後の残り物が株主だ。大体、この中で会社が払う額を後から決められるのは配当だけだ

米国の「優良企業」のように30%も営業利益を取るかわりに、5%以下に抑えて、消費者や従業員のためにはなっていたのではないか。

株主へ利益が渡せないなら投資は行われない。内部留保だけでやっていけるのであればいいが、それでは外部からの資金調達はできない。

また、前回も触れたが、企業・消費者・従業員を分別するのはおかしい。どの人も消費者であり労働者であり(少なくとも間接的には)企業の所有者だ。誰が得しているか、損しているのかを考えるよりも全体での利益を考えるべきだ。

そもそも企業の利益率が高くて、一体誰が喜ぶかをよく考えると、利益から法人税を取れる自治体以外は、そこから配当を得られる、もしくは株価向上が見込める株主だけじゃないのか?

利益が出たあとで分配をどうするかは、事前のインセンティブを変える。例えば、非営利企業には株主がいないし、そもそも給料や利息を払ったあとの残余利益をもらう人がいない。しかし、世の中の会社をみんな非営利企業にしたほうがいいという人はいないだろう。非営利企業がうまくいく場所もあれば、うまくいかない場所もある(参考:非営利と営利との違い)。株式会社も同じで適材適所だ。起業家は非営利を含め好きな組織形態を使えばいい

(多少関係するのは、格付けによる社債など資金調達の容易さだけだが、メインバンクからの負債中心の当時の日本型企業にはほとんど関係なかった)

負債中心ならそれでいいし、誰も企業にエクイティでの資本調達を強制したわけではない。しかし、株式を売ってお金を集めたなら配当をする必要がある。株主から投資を受けた後に株主の要求はうるさいというのは、お金を借りたのに利息に文句をつけるようなものだ

その結果、多くの企業の経営者が株価や株式総額を気にする余り、市場に説明できないような長期的な投資が出来ない、と悩んでる。

まず、株主もまた長期的な利害は考えている。株主が内部留保を配当させれば株価は下がるので売り抜けても(超過)利益はでない。もちろん例外的なケースはありそれはそれで規制すべきだが、それはあくまで例外だろう。

「日本の企業って、昔はもっと従業員やお客様を大事にしてたんじゃないのかなぁ・・・
それなのに、今は企業が短期的に利益を上げることだけ考えろって言われてる気がする。
それって得するの、株主だけだよね・・ これって本当に正しい方向なんだろうか?」

「株主価値経営が当然だっていうけど、本当に株主だけなのかなあ?
企業って従業員も取引先もお客様も大事だし、ひいては社会的な使命をもってるんじゃないのかなあ」

大体から言って、「企業の経営者」の意見を聞いてもしょうがない金を借りた人間に金貸しについてどう思うかと聞いているのと同じだまともな人ほどあの時貸してくれてありがたいと答え、だめな人ほど金貸しは金儲けばっかだと答えるだろう。こういう経営者は銀行にも同じことが言えるのだろうか

株主の発言権を重視するのは、基本的に一番リスクを負っている人間に発言権を与えるのが一番効率がいいからだ。他人の金で相撲を取っている人間は信用できない。

別に経済学や経営学の知識で武装しなくても。

多分、漠然と株主主権が問題、と思ってるのは藤末議員だけじゃない。

それはそうだ。漠然と株主主権は問題だと思っている人はたくさんいるしそれはいいしかし、会社法の改正に関わる議員に同じ基準は適用できない。仮に株式会社の法制度を変更する必要があっても「漠然と」思っているのでは困る。今回の藤末議員の発言は議員が企業の制度について理解していないという事実を明らかにしたから問題なのだ。ましてや、国会議員としては非常に期待できそうな経歴を持つ藤末議員に対する期待は高く、それが裏切られたことに対して批判や失望の声が上がるのは当然だろう。

あげられている書籍は入手できないので細かいコメントはしないが、

簡単に書くと、ポスト産業資本主義で最も大切になるのは、新しい知識や情報を常に生み出せる人的資産である。その人的資産を採用し、育て、つなぎとめ続けられる企業が、長期的に成長することが可能だ。そのために必要なのは、株主の方を見た経営ではなく、従業員に目を向け、従業員が離れにくい文化と制度を有する経営。それは、株主主権では実現できない、という話だ。

この部分が正しいとして「株式会社が株主を重視する」ことへの反論にはならない。誰も株式会社にしろとは言っていない。好きな形態をとればいい。単にいいとこどりはできないだけだ。株主に経営への影響力を与えなければ、リスクの高いエクイティ投資など誰もしない。逆に「従業員に目を向け、従業員が離れにくい文化と制度を有する経営」がそれほど素晴らしいなら、上場なんてしなくていもいいはずだ。内部留保と銀行からの融資で事業を拡大すればいい。前の記事で上げたGoogleは株主に口をださせず順調に拡大している。