親子上場禁止をひも解く

昨日は公開会社法が世間を騒がしたが(参考:株主至上主義って?)、親子上場の禁止についても議論があった:

藤末さんのブログ記事の件でもちきりでしたが、こっちも実現なら、インパクト大。でも、こっちは、ベクトル自体は正論だと思うけど > 市場激震必至!民主議員がブチ上げた「親子上場禁止」の波紋 (via tabbata@twitter

この件についてny47thさんと相変わらずの素晴らしいやりとりができたので、内容を簡単にまとめておきたい。

市場激震必至!民主議員がブチ上げた「親子上場禁止」の波紋 – livedoor ニュース

民主党議員が、親会社とその連結子会社がともに上場する「親子上場」の禁止をブチ上げ、波紋を広げている。

「親子上場」というのは親会社・子会社が独立して上場することだ。それが今民主党により禁止の方向へと向かっている。しかし、その根拠は何だろう。

親子上場では、子会社が親会社の意向を受けて不利なことを押し付けられ、子会社の他の株主がないがしろにされる可能性があることが問題視されてきた。

子会社の株主の利害が問題視されている。これは親会社が(定義上)上場子会社の議決権を抑えているため、その他の少数株主が意思決定に影響を及ぼせないためだ。しかし、これを問題と捉えるのは二つの観点から難しい。

まず、少数株主が意思決定に強い影響を持たないこと自体は「少数」なのだから当たり前のことだ。関連会社や他社との持ち合いで、意思決定を一部の株主(の集団)が抑えてしまうことは親子上場でなくてもある。

次に、子会社が不利なことを押し付けられることと株主が蔑ろにされることは全く違うことだ。子会社の少数株主は事前に不利な立場に置かれることを知った上で、それを織り込んだ価格で子会社の株を購入している。小学生がじゃんけんで荷物持ちを決めているようなものだ。じゃんけんをした後では(事後的に)一人の子供がいじめられているように見えるがそれは実態を表してはいない。そこに大人が入っていっても迷惑がられるだけだろう(明日からの友達関係を気にしなければ負けた子供だけは喜ぶが)。

一般に、自発的な取引で片方が「搾取」されることはない。「搾取」されることが分かっていれば取引には参加しないからだ。消費者が騙される可能性はあるがそれを株式市場に持ち込むのは望ましくない。参加者はルールを理解しているべきだし(参考:フランチャイズの問題点)、後で取引をひっくり返される恐れがあっては資本市場が有効に機能しない(注1)。

逆に親子会社の上場が自発的に行われているという事実は、それが親会社にとっても、子会社に新たに出資する投資家にとってもプラスであるということを意味する。親会社であれば子会社の収益ストリームを区別することで効率的に資本を集められるということはあるだろうし、子会社の少数株主とっては(リスクを含め)新しい投資機会となる。他にもメリット・デメリットあるだろうが、ポイントはある自発的な取引が市場で長いこと行われたきたのだから、それなりの理由がある=メリットがデメリットを上回っているはずということだ(注2)。

親会社が子会社の意思決定をコントロールしてしまうことによるガバナンスの問題はあるだろう。しかし、これはまさにガバナンスの問題として対処すべきで、子会社上場を禁止する理由としては非常に弱い。同じ問題は支配的な株主(の集団)が存在する場合には常に存在するし、ガバナンスがうまくいかないとしてその費用を負担するのは結局のところ親子会社と株主でしかない。その費用が上場のメリットを上回っているからこそ子会社上場が行われたはずで禁止する理由にはならない。

では親子会社上場を禁止する真っ当な根拠は何があるだろう。一つ考えられるのは国際的調和だ。要するに他の国では子会社上場が行われていないからそれに合わせようという話だ。通常単に海外に合わせようというのは制度を変更する強い理由にはならないが、海外の投資家が日本に投資しやすくするという点では意味がある株主至上主義って?で批判した外資を悪者にする主張とは整合しないが)。

親子上場を解消する方法はおもに2つ。TOBを実施して他の株主から株を買い取るか、子会社の株を親会社の株と交換する株式交換方式などで完全子会社化 し、子会社を上場廃止にする手法が1つ。もう1つは、保有株を市場などで売却して持ち株比率を3分の1以下に減らすやり方(子会社の上場は維持)だ。

しかし、制度を変更することのコストも忘れてはならない。禁止それ自体によるコスト(上場が持つはずのメリットの喪失)はもとより、親子上場企業が多く存在する現状を急激に変えることは余分なコストを発生させる。これが本当に不況真っ只中の日本に必要なことなのだろうか。

減量に例えればこうだ。理想体重よりも5kg重い人を考えよう。5kg余分でも本人は何も不都合がないが、一ヶ月でそれだけ減量しようとすればそれこそ健康を害する。ましてや体調が悪いときにやることが必要だろうか。しかも、5kg重いのは単に筋肉が多いせいかもしれないのだ。

(注1)これは個人投資家を持ち上げるような動きが何かピントの外れたものであることを示唆している(これは「インフォームド・コンセントと日本」の話とも似ている)。

(注2)取引に参加しない第三者が損害を受けている場合には問題だが、このケースでは思い当たらないし、根拠として報道されてもいない。上場のための費用も基本的に取引参加者(親子会社・株主)の負担だ。

株主至上主義って?

Lilacさんのページからお越し頂いた方:返答ポストがあるのでご覧ください。

今日は民主党の藤末健三議員の発言がTwitterで大きな話題になった。元となったのは次のブログへの投稿だ:

民主党参議院議員 ふじすえ健三: 公開会社法 本格議論進む

2.最近のあまりにも株主を重視しすぎた風潮に喝を入れたいです。今回の公開会社法にて、被雇用者をガバナンスに反映させることにより、労働分配率を上げる効果も期待できます。

被雇用者をガバナンスに反映させるというのは、従業員の代表を監査役に入れることだ。このこと自体の是非やそもそも監査役会の有効性など論点はあるが(参考:民主党政権の試金石「公開会社法」を斬る)、「あまりにも株主を重視しすぎた風潮」とは何のことだろうか。そして日本にそんな風潮があるのだろうか。

そこで、「株主至上主義」で検索してみたところ、藤末議員が以前に書いた記事がトップに出てきた:

日経トップリーダーonline: 「株主至上主義ではない」からグーグルは強い

株主が会社の持ち主であるという株主至上主義の資本主義

これが「株主至上主義」という単語の定義であり、「あまりにも株主を重視しすぎた風潮」というのはこれのことを指しているのだろう。しかし、この定義には大きな問題が二つある。

  1. 株主が会社の持ち主であるというのは株式会社の定義である
  2. 株式会社を組織形態として強制しているわけではない

企業は株式会社という形態をとる必要はないが、それが資金調達に有利なので株主を会社の持ち主にしているのだ。それを抑制するということは、資金調達が困難になり企業の拡大が阻害されることであって、現状のまま従業員への利益配分が増える(=労働分配率が上がる)という意味ではない。

こうした日本企業の株主重視の姿勢は米国企業の追従といえます。

これがアメリカの追従だというが、企業が本当にそんな理由で財務戦略を変更するだろうか。株主を重視することが資本市場から資金を調達する上で重要だからそうしているだけだろう。そうできない企業は高い調達費用を払うことになり市場で不利な立場に置かれる。

グーグルは特殊な株式を導入しています。それはなんと「株式公開前の株主が1株10議決権を持つ」というものです。グーグルには2種類の株式と2階級の議 決権があります。クラスAの株主は1株あたり1票の議決権しか持ちません。一方、クラスBの株主は1株あたり10票分の議決権を行使できるのです。

グーグルが、創設者に議決権を集中させていることを指摘しているが、これは「株主至上主義」と矛盾するわけではない。まず、これは創設者という特別な株主に権利を集中しているだけであり、株主が会社の持ち主という枠組みから外れているわけではない。また、ここでいうクラスBの株主は議決権が少ないことを承知で株式を購入しているため、既に存在する企業とその株主に対して、新しいルールを導入することとは全く異なる(注)。

グーグルは株主への配当がないようです。実際に最新の会計報告(2007年)を見ると配当は見当たりません。このようなグーグルの株主至上主義をある意味否定するようなスタイルですが、急激な成長を実現していますので、許されているようです。どこまでこのスタイルを貫き通せるかが注目されます。ある意味、「株価は上げるから…」という経営のやり方ですね。

配当がないことも挙げられているが、これは成長産業では当たり前の戦略だ。市場で資金を調達するより内部留保を再投資する方が調達費用は少ないし、既存株主の持分割合も減らない企業にとっても株主にとって都合がいいのであり、「許されている」わけではない。例えば、マイクロソフトは創業(1986年)以来長年無配当を続けていたが2003年に配当を始めた(参考:ついに配当決めたマイクロソフト)。これは大量の資金を効率的に再投資する対象がなくなったというだけで、「株主至上主義」を辞めたわけではない。マイクロソフトが相変わらず莫大な利益を出していることは言うまでもない。

要するに創業者に議決権を集中しつつ配当もしないでいるからグーグルが強いのではなく、グーグルが創業者の元で成長しているから議決権を確保したまま無配当を続けても誰も困らないのだ

わが国の株式市場の三分の一が外資に占められ、流通している株式の7割近くを外資系がコントロールする状況です。株価は外資に決められ、そして外資の要求 に経営陣が応えていくことが求められています。この状況を打破し、雇用を作り、社会に貢献する企業に資金が集まるような仕組みを作れたときこそ、わが国の 産業の競争力がいっそう強化されるのではないでしょうか。

これが結論部だ。しかし、株式市場が外資に占められていること自体は悪いことではない。それだけ資金が集まるおかげで企業は安く資本を調達できる。また、株主が外資でなくとも、投資家としてリターンを要求するのは当たり前のことだ。でなければ誰もリスクをおって投資などしない。

「雇用を作り、社会に貢献する企業に資金が集まる仕組み」を作るのは素晴らしいことで、それこそが資本市場の存在意義だが株主重視や外資の存在でそれが妨げられているのではない。外資を含めより多くの資金が入ってくる魅力的な市場を作り、安価な資本が成長する企業(=これから社会に貢献する企業)へと配分されていくようにすることが必要だ

むしろ心配すべきは、資本市場が魅力をなくし、外資が逃げだし、企業が拡大のための資本を集められなくなることだろう。この最悪のシナリオの現実性は増すばかりだ。

(注)この辺はTwitterでのmoraimonさん、katozumiさんとのやりとりから書きました。

P.S. 藤末議員は立派な経歴をお持ちかつ、ブログ・Twitterで情報を発信されている貴重な政治家なので、こういったネット上での議論を役立てていい方向に持っていってほしい。

追記

  • 上場時点でGoogleは強かったので「株主至上主義のアメリカだから強いGoogle”も”誕生した」というのは言い過ぎだろう。もちろん彼らが上場して大量の資金を手に入れ更なる発展を遂げているのは「株主至上主義」のおかげでもある。
  • 「企業の利益の分け前が欲しければ株を買って株主になればよい」というのはその通り。企業と労働者を二つに分けるのは間違っている。リスクや統治上の是非はともかく持株会などを通じて自社株を保有する従業員は多いはず。

バブルとセレブゴシップ

バブルとセレブリティー・ゴシップは同じようものだ:

Aguanomics: Blowing Bubbles

Economist1997Cover

この挿絵は1997年のThe Economist誌からだそうだ。取り上げられている論文(Stock Market Bubbles in the Laboratory)から引用すると、

Rational expectations models do not predict the bubble and crash phenomena found in these experimental markets; such models yield only equilibrium predictions and do not articulate a dynamic process that converges to fundamental value with experience.

バブル現象は均衡状態だけを見るようなモデルでは取り扱えず、経済主体が経験を通じて本当の価値を見つけていくようなプロセスを考える必要があるとのこと。

Finally, bubbles seem to be due to uncertainty about the behavior of others, not to uncertainty about dividends, since making dividends certain does not significantly affect bubble characteristics.

ストックの価値について情報が共有されているような環境で実験しても、やはりバブルは発生し、それが正しい値に収束するには時間がかかるそうだ。これは将来収益に対する不確実性がバブルを起こすのではなくて、他の人々の行動に関する不確実性がバブルを起こすことを示唆している。

最後の例が秀逸だ:

We cannot ban bubbles in the same way as we cannot ban celebrity gossip.

バブルを止められないのはゴシップを止められないのと同じだという。下らないゴシップに無駄な時間を使わないようにするコツはまったく気にしないことだろう。では金融バブルについてはどうだろう。

トービン税の問題

トービン税については前取り上げたが、それに対する反対意見があったので紹介:

Tobin tax: How to reveal you don’t understand risk : Core Economics

A great way to reveal that you only understand risk management in static terms is to advocate a Tobin tax on financial transactions.

トービン税はリスクマネジメントを静的にしか理解していないことを示すという。

People who look at the financial system and see the massive growth in trading volumes of capital market and risk market instruments and conclude that it is all just speculation run amok, just don’t get it.  They don’t have a good understanding or intuition about how risk is dynamically managed in the economy.  They want a Tobin tax to suppress speculation, not realising that they will damage the allocative efficiency of the financial system.

著者によれば、資本市場・保険市場の拡大は投機ではなく、リスクが動的に管理されている証拠であって、トービン税を掛けると金融システムの効率を損なうそうだ。

市場のどこまでが投機なのかというのは実証的な問題なのでよく分からないがいまいち説得力がないように思う。理由は以下だ:

  • 現状はファーストベストではないだろうから税金を掛けると結果が悪くなるとは一概に言えない
  • トービン税が非効率性を生むとして、問題は他の経済活動に税金を掛けるのとどっちが非効率かということだ

前者についてはそもそもトービン税の推進派も税金が何らかの非効率を招くことは否定しないだろう。しかし実体経済へのマイナスの影響を与える投機行動を直接規制できないのであれば取引全体を規制することは正当化しうる(公害を取り締まる方法がないことを前提とすれば競争を促さないことが正当化されるのと同じだ)。

後者は税の超過負担の問題だ。一定の税収が必要なことを前提とすれば、必要悪としての税金はなるべく経済に歪みをもたらさない場所に掛けるのが望ましい。よってトービン税の非効率性を議論するなら、他の税金にくらべて非効率だという必要がある。

まあ、トービン税が導入されることは政治的になさそうなので実質的にはどうでもいい気もする。

不景気で育つとどうなるのか

若いときに不景気であることがその後にどんな影響を及ぼすのだろうか。いくつかの研究結果が紹介されている:

Will Recession Forever Scar Young Investors? at SmartMoney.com

一つ目UCLAのPaola GiulianoとIMFのAntonio Spilimbergoによる研究で、

Using data from the General Social Survey and matching it up with data on regional recessions in the United States between 1972 and 2006, the authors found that “individuals growing up during recessions tend to believe that success in life depends more on luck than on effort, support more government redistribution, but are less confident in public institutions.”

1972年から2006年までの地域ごとの不景気と個人の経済に対する見方を比べている。それによれば、不景気の中で育った世代は、

  • 成功は努力より運で決まる
  • 再分配政策により積極的である
  • しかし政府に対する信頼は低い

といった傾向があるそうだ。これは地域ごとに景気の波が存在するからこそできる研究だろう。

But what was truly striking was that this finding only held if the person was in his or her “formative years,” between 18 and 25, during the financial shock. Being exposed to a recession before the age of 17 or after the age of 25 had no effect in the data they studied.

しかしこのような傾向は18歳から25歳までの間の景気によってしか生じないと言う。

さらに同様の傾向がBerkeleyのUlrike MalmendierとStanfordのStefan Nagelの研究でも明らかにされているそうだ。こちらは、大恐慌を経験した世代と第二次世界対戦後の好景気を経験した世代との株式市場での投資行動を調べている。

people who have lived through periods of bad stock market returns report lower willingness to take financial risk. They also are less likely to participate in the stock market, and, if they do invest in the stock market, invest a lower fraction of their liquid assets in stocks. (Similarly, people who have experienced high inflation are less likely to hold bonds.)

不景気の中育った人々は将来的にもリスクをとらず、同様に高インフレで育った人は債権を保持したがらないそうだ(債権はインフレに連動しないため高インフレ下では望ましくない投資だ)。

The lesson: We’re slaves to what’s known as “availability bias.” We form our predictions about the world based on the data most readily available to us — on what’s happened to us personally, or what’s happened to our friends, or what we’ve read in the papers or seen on TV.

このような現象は可用性バイアス(availability bias)と呼ばれる。これは自分や親しい人間が経験した出来事が生じる確率を過大評価してしまう傾向である。

これはそれ自体でおもしろい発見ではあるが、同じ現象が日本でも観察できるだろうか。バブル崩解後、日本の不景気は極めて長いこと続いた。二つの点が特に興味深い。

一つは、不景気の状態がその後の行動に影響を与えるのか景気の悪化が与えるのかということだ。例えば私が学部にいた間、景気は常に悪かったが、悪化してというわけでもない。それでも経済に対する考え方、投資行動は変わるのだろうか。

二つめは、不景気が長期に渡ったことの影響だ。もし十年以上に渡って、投資行動に特定のバイアスを伴う(=サブオプティマルな投資を行う)人々が生まれたのであればこれは市場に大きな影響を与える。その影響は不景気の中で育った世代が四十台、五十台となりより多くの資産を保有するようになるにつれ拡大していくだろう。これは投資を行う側にはビジネスチャンスでもある。過度にリスク回避的な投資家が増えてればリスクのある投資を引き受けることは利益になるだろう。

P.S. この記事でも研究結果が紹介されているが実際の論文は示されていない。それらしい文献へのリンクをしておいた。これはジャーナリズムは普通のことなんだろうか。ちなみにavailability biasという言葉も言及されている(と思われる)論文には出てこない。記事を書いたひとの意見ということだろう。