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高額ボーナスと業績

Dan Arielyの新刊「The Upside of Irrationality」から:

How Much Should We Pay Banking Executives? Less

We replicated these results in a study at MIT, where undergraduate students were offered a chance to earn a very high bonus ($600) or a lower one ($60) by performing two four-minute tasks: one that called for some cognitive skill and another that required only mechanical skill.

頭を使う作業と単純作業に大きなボーナスのチャンスと小さめのボーナスのチャンスを組み合わせるとどうなるか。

We found that as long as the task involved only mechanical skill, bonuses worked as we usually expect: the higher the pay, the better the performance.

単純作業の場合には大きなボーナスのチャンスがある方がパフォーマンスが上がるという常識的な結果が得られる。

But when the task required even rudimentary cognitive skill, the outcome was the same as in the Indian study: a potential higher bonus led to poorer performance.

しかし、頭を使う内容が少し入るだけで、大きなボーナスがあることでパフォーマンスは下がってしまうそうだ。これが正しければ、大きなインセンティブプランを与えることでお金がかかるだけでなく、パフォーマンスまで下げてしまうことがあり得る。

When I presented these results to a group of banking executives, they assured me that their own work and that of their employees would not follow the pattern we found in our experiments.

ちゃんとオチもついていて、銀行の重役にこの話をしたところ、自分たちの産業にはこのパターンは当てはまらないと答えたそうだ。まあ、彼らの目的は業績を上げることではなく高い報酬を得ることなので当然と言えば当然の返答ではある。

涙の効用

涙を例にどのような場合にシグナリングが信用できるか、そして進化論的に安定しているかが説明されている記事:

Credible Tears

By blurring vision, they handicap aggressive or defensive actions, and may function as reliable signals of appeasement, need or attachment.

涙は視界をボヤケされることで攻撃や防御を取りにくくするので信頼できるシグナルだという意見に対して次のように反論している。

For example if tears convince another that you are defenseless then there is an evolutionary incentive to manipulate the signal.

もし涙がそのような理由で信頼されるのであれば、進化によってそのようなシグナルを悪用するようになるはずだという。涙を流すが視界はぼやけないようになるということだ。そうならなければ涙に騙されることで生存上不利になる。

A typical exception is when the signal is primarily directed toward a family member.

但し、シグナルを送る相手が家族に限られるのであれば進化論的に安定した=誰も悪用しないシグナルになる可能性がある。何故なら家族は遺伝子の多くを共有しているからだ。

And babies of course have few other ways of communicating needs.

特に他のコミュニケーション手段を持たない赤ん坊にとっては重要な仕組みでありうる。

Not surprisingly, once the child reaches adulthood, crying mostly stops:  Nature takes away a still-costly but  now-useless signal.

実際、成長するにつれて子供は泣かなくなる。子供はいつまでも保護対象だと思われるインセンティブがあるため、涙というシグナルを利用するようになるが、親もその構造に気付くためシグナルとしては効果がなくなる。効果がないシグナルを維持する理由もないので泣かなくなるのも当然だろう。

ボーナスの払い方

どうしてボーナスを金銭で支払うよりも物品で渡した方が従業員のやる気が高まるのかについての分かりやすい説明。

Why Company Cars Instead of Cash?

A gift in-kind results in a signicant and substantial increase in workers’ productivity. An equivalent cash gift, on the other hand, is largely ineffective […]

ボーナスとして物、例えば車、を支給すると社員の生産性が大きく上昇するのに対して、同額を金銭で渡しても余り効果がないという。

If I pay you money you have to share it with your family and then buy a car out of your share.  If I give you a car it is all yours.

この現象を説明する一つの方法は、金銭報酬は家族とシェアするのに対して、物品や待遇による見返りは社員本人が独占出来るからだという。例えば、前のプロジェクトで活躍した人に次はもっと面白い仕事を与えたり、新しい役職=より広範な仕事を与える。これは給料を増やすよりも効率がいい。給料が増えてもその分本人の可処分所得(例えば小遣い)が増えるわけではないからだ。

You are willing to pay at most $10,000 for a car.  But if I give you that car for free and offer to buy it back from you, you require $20,000, because you will get to keep only half of that money.

同じやり方でEndowment Effectも説明できるという。ある車に$10,000の払う意思のある人に、その車を幾らで手放すかというと$20,000と答えるというような現象だ(WTPとWTAとの間に差がある状態)。この現象は心理的なバイアスとして説明されることが多いが、このやり方であれば、$20,000が現金収入として生じても受け取るのが$10,000と想定されているというだけで心理学的な要素を持ち込まずとも整合的に説明できる。

人間も労働も特別じゃない

人間を他の生物とは違うものと捉えたり、労働を他の財・サービスとは違うと考えたりする人が多いのはどうしてだろうか。

人間はどうして労働するのか (内田樹の研究室)

動物は当面の生存に必要な以上のものをその環境から取り出して作り置きをしたり、それを交換したりしない。

ほとんどの動物が食料の作り置きをしないのは単にできないからだ。できるならする。例えばリスは食料を地中に埋めるし、冬眠する動物は脂肪を蓄える。

狼は獲物を群れに持ち帰り、狩りに参加しなかった個体にも食料を与える。常に同じ個体が群れに出るのでない限りこれは時間軸を通じた交換だ。その場での交換でないのは、貨幣が存在しないからだ。貨幣がなければ価値の一致する取引を一時点で行うのは困難だ。貨幣経済成立以前の人間でも変わらない。

「労働」とは生物学的に必要である以上のものを環境から取り出す活動のことであり、そういう余計なことをするのは人間だけである。

これも同じだ。生物学的に必要な以上の生産を行う動物がいないようにみえるのは、大抵の動物にそれができないからだ。牧草地にやぎを大量に放てば牧草はなくなり、やぎの数は減る。結果的に牧草とやぎの量にバランスがとれるが、これはやぎが必要以上の食事を行わないからではない。むしろ必要以上のものを環境から取り出した結果だ。

人間もまた例外ではない。産業革命以前の経済はマルサス経済であり、技術発展は人口増によって打ち消された。人間だけが環境から余分な生産を行っているように見えるのは生産性が高く必要以上の生産が行えるからに過ぎない。ちなみにマルクスが資本論でマルサスを辛辣に批判しており、人間を特別視する見方と労働を特別視する見方には共通するものがあるのだろう。

どうして人間だけがそんなことをするのか。それは「贈与する」ためである。ほかに理由は見当たらない。

「贈与する」生物は人間だけではない。ほかに見当たらないのはよく見てないからだ。他の例で考えれば分かる。多くの個体が肥満な生物は人間だけだが、人間が肥満になるのはなぜか。それは余分な栄養を溜め込むのが自然界で有利だからだ。多くの動物が脂肪を使って栄養を貯蔵する。人間だけが太るのは単にいくらでも食料が手に入るからであって、人間には特別の太る「理由」があるからではない。

労働も同じだ。単に生存に必要なものしか欲しがらない人間は生存競争に勝ち残れない。よってほとんどの人間は必要以上のものを欲する欲望を持っている。現代ではそんな欲望がなくなても子孫を残せるだろうが、人間の性質は百年やそこらで変わらない。

「働く」ことの本質は「贈与すること」にあり、それは「親族を形成する」とか「言語を用いる」と同レベルの類的宿命であり、人間の人間性を形成する根源的な営みである。

原文ではこの命題に基づき演繹的に働くことについて論じているが、そもそもの議論が間違っているのでこれ以上論じる意味はないだろう。「本質」とか「宿命」とか「根源的営み」とか言えば結論が正当化されるわけではない。

経済学者が誰も言わないので、私が代わりに言っているのである。

そりゃそうだ。そんなことを言われても困る。

追記

  • 「それを踏まえても人間は他の生物とは違うし、労働も他の財・サービスとは色々な意味で違いますよ?」:それは内田さんが考えるべきことで、私のここでの主張はこれの議論は前提がおかしいのでどうしようもないということです。色々な意味で違う点を正しく把握することが必要だと思います。

どうやって毎日ブログを更新するか

最近、TwitterやTumblrを使っていてブログの更新が止まったという人が多い(参考:Twitterとイノベーション)。どうやって毎日ブログを更新すればいいのか、という話もよく聞く。

この問いへの答えは実はとても簡単だ。ブログの更新を違う作業に置き換えてみればすぐに分かる。例えばこうだ:

どうやって毎朝仕事に行けばいいか

そんなことは世の中のほとんど人が毎日ちゃんと達成している。目覚ましを掛ければいいだけだ。毎日20km走るというなら物理制約もあり簡単ではないが、ブログを書くというのはそんなに難しいことではない。

毎日ブログを書こうと思っているのにそれができないのは、目的意識が薄いという問題の一つの帰結に過ぎない。それを解決せずして、頑張って更新頻度を挙げてもろくなことにはならないだろう。全然仕事にやる気がない人が毎日二日酔いで家族に無理やり起こしてもらって仕事へ出かけても誰のためにならないのと同じだ。だから「毎日更新したいんだけど…」とか「書くことがなくて…」とか言っているブログはどれもつまらないのだ。

思ったとおりに運営できていないブログはどれも目的意識がないから内容が薄い。もちろん、目的がはっきりしていればいいのだから毎日でなくても思い通りのペースで更新されているならそれでいい。しかしはっきりとした目標があれば毎日のように更新されていたとしても不思議はない。

逆に面白いポストを見つけると、そのブログは毎日のように更新されていることが多い。どうやってそんなポストを毎日書くのかと思ってしまいがちだが、それは偶然ではない。面白いブログはきちんとした目的を持っているブログで、それゆえに毎日更新されるだけだ目的意識があるがゆえにその内容にも統一性がある。互いに関係のないポストが並んでいるブログは更新が途絶えがちのブログ同様に内容に乏しいことがほとんどだ(注)。

もちろんブログは仕事じゃないという人もいるだろう。

どうやって毎回ヨガのクラスにいけばいいか

この場合、本当の問題は毎回出席できるかどうかではなくて、そもそもそんなクラスに毎回行く必要があるのかということだ。目的がないのなら毎日更新できるか悩む必要はないし、目的があるのならそんなことで悩むこと自体ないはずだどっちつかずだからいけないのだ

(注)芸能人などのブログは一見乱雑でも、目的が本人の生活をコアなファンにみせることなのであり、その点で一貫している。