なんか各所で話題になっているけど、ちょっと前に読んだ他の記事と関連しているので取り上げてみる:
強姦するのが男の性なら去勢するのが自己責任でしょ – フランチェス子の日記
産経新聞の曽根綾子さんのおかしな記事に対するツッコミだ。こちらに本文がタイプされているので少し引用してみる:
太ももの線丸出しの服を着て性犯罪に遭ったと言うのは、女性の側にも責任がある、と言うべきだろう。なぜならその服装は、結果を期待しているからだ。性犯罪は、男性の暴力によるものが断然多いが、「男女同責任だ」と言えるケースがあると認めるのも、ほんとうの男女同権だ。
主張自体は別に真新しいものではない。女性が述べているのが珍しいだけで政治家なんかからはよく聞く話で、簡単に言えば「ミニスカートはいているのが悪い」ということだ。
この議論には致命的な問題がいくつもあるが二つだけ指摘する。まずは、レイプが起こるのは両者の不注意ではなく、一方の明確な意図が必要だということだ。これに同意できない人は男女を逆にして考えれば分かる。
男性がレイプされるシチュエーションを想像するのは難しいが、妻が浮気をしてもうけた子供を自分の子供だと騙されて育ててしまうというのがそれに近い。この話題はしばらく前にこちらで話題になった:
Biologically, cuckoldry is a bigger reproductive harm than rape, so we should expect a similar intensity of inherited emotions about it.
不貞の場合には被害者の男性は自分の遺伝子と関係ない子供に大量の資源を投入してしまい、実際に遺伝子を残すことが困難になる。レイプの場合では自分の遺伝子自体は残るが相手を選べず、妊娠した場合の出産・育児のコストは女性が負担するためその子供や自身の生存確率が大幅に下がる。
どちらも個体として適切に遺伝子を残す可能性を大きく下げる出来事であり、進化心理学的にいって人間はそれに対して同様の強烈な嫌悪感を持つはずだ(注)。実際、歴史上、妻の不貞に対して男性ないし社会は女性を強く責めてきた。また両者ともに、当事者間で合意がなく、一方の恣意的な行動がなければ成立しない点も同じだ。
しかし、夫が忙しくてかまってくれないので「つい」浮気をしてその相手の子供を「つい」生んでしまい「つい」夫の子供と称して育てるなんてことがあるだろうか。女性がミニスカートをはいているから「つい」レイプをしてしまうこともそれと同じだ。「つい」なんてあるわけないし、あったとしても悪いのは「つい」してしまった当事者であって忙しい夫やミニスカートの女性ではない。
「ミニスカートはいているのが悪い」と思っている人は当然このケースでも悪いのは男性であって「つい」夫を騙した女性ではないと考えるべきだろう(そうであれば確かに男女対称だろうがそんな世界には住みたくない)。
二つめの問題は「自己責任」という言葉の無意味さだ。「自己責任」というルールが存在するのは、結果を左右する人間に責任を押し付けるのが最も効率的なことだからに過ぎない。しかし、これは結果と行為者とが1対1に対応しない場合には役に立たない。例えば車と自転車が衝突事故を起こしたとしてこれは誰の自己責任なのだろう。どちらも不注意があり、その結果として衝突が起こる。どちらがより多くの責任を追うべきかは「自己責任」というスローガンからは導けない。
仮に男性の意図がなくてもレイプが起こるとしても(!!!)、男性が自制することのコストの方が、女性が服装や生活を制約されることのコストよりも遥かに小さいはずであり、男性が自制することが効率的だ。よって法律や文化もそうなるようになっているほうが社会的に望ましいだろう。もし自制のコストが女性の制約のコストより高い男性がいるならそれは病気だろう。
(注)現代では事後避妊・流産・DNA鑑定などで進化論的な影響は避けられるだろうが、人間の心理はそういう技術がない時代の生物学的優位性に基づいて決定されていると考える。