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涙の効用

涙を例にどのような場合にシグナリングが信用できるか、そして進化論的に安定しているかが説明されている記事:

Credible Tears

By blurring vision, they handicap aggressive or defensive actions, and may function as reliable signals of appeasement, need or attachment.

涙は視界をボヤケされることで攻撃や防御を取りにくくするので信頼できるシグナルだという意見に対して次のように反論している。

For example if tears convince another that you are defenseless then there is an evolutionary incentive to manipulate the signal.

もし涙がそのような理由で信頼されるのであれば、進化によってそのようなシグナルを悪用するようになるはずだという。涙を流すが視界はぼやけないようになるということだ。そうならなければ涙に騙されることで生存上不利になる。

A typical exception is when the signal is primarily directed toward a family member.

但し、シグナルを送る相手が家族に限られるのであれば進化論的に安定した=誰も悪用しないシグナルになる可能性がある。何故なら家族は遺伝子の多くを共有しているからだ。

And babies of course have few other ways of communicating needs.

特に他のコミュニケーション手段を持たない赤ん坊にとっては重要な仕組みでありうる。

Not surprisingly, once the child reaches adulthood, crying mostly stops:  Nature takes away a still-costly but  now-useless signal.

実際、成長するにつれて子供は泣かなくなる。子供はいつまでも保護対象だと思われるインセンティブがあるため、涙というシグナルを利用するようになるが、親もその構造に気付くためシグナルとしては効果がなくなる。効果がないシグナルを維持する理由もないので泣かなくなるのも当然だろう。

人間も労働も特別じゃない

人間を他の生物とは違うものと捉えたり、労働を他の財・サービスとは違うと考えたりする人が多いのはどうしてだろうか。

人間はどうして労働するのか (内田樹の研究室)

動物は当面の生存に必要な以上のものをその環境から取り出して作り置きをしたり、それを交換したりしない。

ほとんどの動物が食料の作り置きをしないのは単にできないからだ。できるならする。例えばリスは食料を地中に埋めるし、冬眠する動物は脂肪を蓄える。

狼は獲物を群れに持ち帰り、狩りに参加しなかった個体にも食料を与える。常に同じ個体が群れに出るのでない限りこれは時間軸を通じた交換だ。その場での交換でないのは、貨幣が存在しないからだ。貨幣がなければ価値の一致する取引を一時点で行うのは困難だ。貨幣経済成立以前の人間でも変わらない。

「労働」とは生物学的に必要である以上のものを環境から取り出す活動のことであり、そういう余計なことをするのは人間だけである。

これも同じだ。生物学的に必要な以上の生産を行う動物がいないようにみえるのは、大抵の動物にそれができないからだ。牧草地にやぎを大量に放てば牧草はなくなり、やぎの数は減る。結果的に牧草とやぎの量にバランスがとれるが、これはやぎが必要以上の食事を行わないからではない。むしろ必要以上のものを環境から取り出した結果だ。

人間もまた例外ではない。産業革命以前の経済はマルサス経済であり、技術発展は人口増によって打ち消された。人間だけが環境から余分な生産を行っているように見えるのは生産性が高く必要以上の生産が行えるからに過ぎない。ちなみにマルクスが資本論でマルサスを辛辣に批判しており、人間を特別視する見方と労働を特別視する見方には共通するものがあるのだろう。

どうして人間だけがそんなことをするのか。それは「贈与する」ためである。ほかに理由は見当たらない。

「贈与する」生物は人間だけではない。ほかに見当たらないのはよく見てないからだ。他の例で考えれば分かる。多くの個体が肥満な生物は人間だけだが、人間が肥満になるのはなぜか。それは余分な栄養を溜め込むのが自然界で有利だからだ。多くの動物が脂肪を使って栄養を貯蔵する。人間だけが太るのは単にいくらでも食料が手に入るからであって、人間には特別の太る「理由」があるからではない。

労働も同じだ。単に生存に必要なものしか欲しがらない人間は生存競争に勝ち残れない。よってほとんどの人間は必要以上のものを欲する欲望を持っている。現代ではそんな欲望がなくなても子孫を残せるだろうが、人間の性質は百年やそこらで変わらない。

「働く」ことの本質は「贈与すること」にあり、それは「親族を形成する」とか「言語を用いる」と同レベルの類的宿命であり、人間の人間性を形成する根源的な営みである。

原文ではこの命題に基づき演繹的に働くことについて論じているが、そもそもの議論が間違っているのでこれ以上論じる意味はないだろう。「本質」とか「宿命」とか「根源的営み」とか言えば結論が正当化されるわけではない。

経済学者が誰も言わないので、私が代わりに言っているのである。

そりゃそうだ。そんなことを言われても困る。

追記

  • 「それを踏まえても人間は他の生物とは違うし、労働も他の財・サービスとは色々な意味で違いますよ?」:それは内田さんが考えるべきことで、私のここでの主張はこれの議論は前提がおかしいのでどうしようもないということです。色々な意味で違う点を正しく把握することが必要だと思います。

ミニスカートが悪いのか

なんか各所で話題になっているけど、ちょっと前に読んだ他の記事と関連しているので取り上げてみる:

強姦するのが男の性なら去勢するのが自己責任でしょ – フランチェス子の日記

産経新聞の曽根綾子さんのおかしな記事に対するツッコミだ。こちらに本文がタイプされているので少し引用してみる:

太ももの線丸出しの服を着て性犯罪に遭ったと言うのは、女性の側にも責任がある、と言うべきだろう。なぜならその服装は、結果を期待しているからだ。性犯罪は、男性の暴力によるものが断然多いが、「男女同責任だ」と言えるケースがあると認めるのも、ほんとうの男女同権だ。

主張自体は別に真新しいものではない。女性が述べているのが珍しいだけで政治家なんかからはよく聞く話で、簡単に言えば「ミニスカートはいているのが悪い」ということだ。

この議論には致命的な問題がいくつもあるが二つだけ指摘する。まずは、レイプが起こるのは両者の不注意ではなく、一方の明確な意図が必要だということだ。これに同意できない人は男女を逆にして考えれば分かる。

男性がレイプされるシチュエーションを想像するのは難しいが、妻が浮気をしてもうけた子供を自分の子供だと騙されて育ててしまうというのがそれに近い。この話題はしばらく前にこちらで話題になった:

Biologically, cuckoldry is a bigger reproductive harm than rape, so we should expect a similar intensity of inherited emotions about it.

不貞の場合には被害者の男性は自分の遺伝子と関係ない子供に大量の資源を投入してしまい、実際に遺伝子を残すことが困難になる。レイプの場合では自分の遺伝子自体は残るが相手を選べず、妊娠した場合の出産・育児のコストは女性が負担するためその子供や自身の生存確率が大幅に下がる。

どちらも個体として適切に遺伝子を残す可能性を大きく下げる出来事であり、進化心理学的にいって人間はそれに対して同様の強烈な嫌悪感を持つはずだ(注)。実際、歴史上、妻の不貞に対して男性ないし社会は女性を強く責めてきた。また両者ともに、当事者間で合意がなく、一方の恣意的な行動がなければ成立しない点も同じだ。

しかし、夫が忙しくてかまってくれないので「つい」浮気をしてその相手の子供を「つい」生んでしまい「つい」夫の子供と称して育てるなんてことがあるだろうか。女性がミニスカートをはいているから「つい」レイプをしてしまうこともそれと同じだ。「つい」なんてあるわけないし、あったとしても悪いのは「つい」してしまった当事者であって忙しい夫やミニスカートの女性ではない

「ミニスカートはいているのが悪い」と思っている人は当然このケースでも悪いのは男性であって「つい」夫を騙した女性ではないと考えるべきだろう(そうであれば確かに男女対称だろうがそんな世界には住みたくない)。

二つめの問題は「自己責任」という言葉の無意味さだ。「自己責任」というルールが存在するのは、結果を左右する人間に責任を押し付けるのが最も効率的なことだからに過ぎない。しかし、これは結果と行為者とが1対1に対応しない場合には役に立たない。例えば車と自転車が衝突事故を起こしたとしてこれは誰の自己責任なのだろう。どちらも不注意があり、その結果として衝突が起こる。どちらがより多くの責任を追うべきかは「自己責任」というスローガンからは導けない。

仮に男性の意図がなくてもレイプが起こるとしても(!!!)、男性が自制することのコストの方が、女性が服装や生活を制約されることのコストよりも遥かに小さいはずであり、男性が自制することが効率的だ。よって法律や文化もそうなるようになっているほうが社会的に望ましいだろう。もし自制のコストが女性の制約のコストより高い男性がいるならそれは病気だろう。

(注)現代では事後避妊・流産・DNA鑑定などで進化論的な影響は避けられるだろうが、人間の心理はそういう技術がない時代の生物学的優位性に基づいて決定されていると考える。

DNA鑑定と親子関係

DNA鑑定に関する技術の発展は、避妊技術がそうであったように、社会の仕組みを変えていく可能性がある:

Who’s Your Daddy? Global Nonpaternity Rates. | Psychology Today

The threat of being cuckolded is one of the most evolutionarily important threats faced by men especially in light of the fact that humans are a bi-parental species (i.e., children require great parental care from both parents).

二親性(biparental)の種にとって、他人の子供を育ててしまうことは進化論的な自殺だ。不貞(cuckoldry)に対する男性の反感 はこれにより説明される。

ここでは、DNA鑑定によって父親が子供の生物学的父親ではない割合のサーベイ(メタアナリシス)が紹介されている。

The standard nonpaternity rate that is most commonly mentioned across cultural settings is 10%.

その割合は一割ほどだ。これが多いと感じるかは人によるだろう。さらに、父親が生物学上の親子関係に持っている場合とそうでない場合に関する比較も行われている:

北米 ヨーロッパ その他
自信あり 1.9 1.6 2.9
自信なし 29.4 29.8 30.5

地域・文化によらず、前者の場合は2%前後、後者の場合には30%前後となっている。もしDNA鑑定が早期に可能であった場合に、他人の子供を育てる男性はどの程度存在するのだろう。

人間の心理は生物学的に固定されている部分があるので、親子関係を確定できる世の中になっても社会規範が完全に変わることはない。しかし、大きな影響があるのは確実であるし、法律面でも技術発展への対応が必要だ。

現状では父親の親子関係の認定は非常に複雑な制度になっている。嫡出・非嫡出の区別、婚姻関係による推定、内縁関係による嫡出扱い、非嫡出児の認知などいろんなケースがあるし、父親が自分の子でないと主張する方法も嫡出否認と親子関係不存在があり婚姻関係による推定を受けるか否かできまる。

しかし、父子関係の推定規定は親子関係を確定できないという物理的な制約からきたものだ。技術進歩により確定ができるようになった以上これを変える必要がある。

例えば、推定嫡子に対する嫡子否認が一年間に制限されていることの立法趣旨は家族・親子関係の安定だろう。できちゃった婚のように推定はされないが嫡子扱いのケースで、親子関係不存在を期限なく訴えられるのはこれと反する。なぜなら親子関係不存在はもともと利害関係にある第三者(相続人など)を想定して作られている。よって誰でも訴えることができ、期限が制限がない。新しい現実に対応できていないのは明らかだろう。

代理出産の問題も根は同じだ。今まで単に技術的に不可能であるから法律で規定されていなかったことについて(起きもしないことに規定を作る必要はない)、社会としての立場を法律という形で明らかにする必要がだろう

猿の経済学

NPRから猿が経済学的に合理的な行動をとっている研究について:

Scientist Monkeys Around With The Economy : NPR

We were trying to answer questions about whether monkeys are able to behave in an economic way.

研究のテーマは、猿が経済的な行動をとれるのかということだそうだ。

what would happen if you trained a low-ranking vervet monkey to do things that other vervet monkeys, even high-ranking monkeys, couldn’t do?

これを調べるために、社会的地位の低い猿に特殊なスキルを習得させた場合に、その猿の地位がどう変化するかを調べた。

Roughly an hour after she’d open the container for everyone, she was getting groomed a lot more, as much as a high-ranking monkey, and she no longer had to do hardly any grooming herself. But that was not the most spectacular finding.

猿は貨幣を持っていないが、代わりに毛繕いに関する行動を調べた結果、スキルを持った猿の地位の向上が確認された。

So what then did, is we got a second low-ranking female, trained her to open a second container with apples in it, and then we saw that the value of the first provider dropped, more or less, to the half of what she had before. So now we had a competition between two animals. Both of them could provide this good, these apples, and so the value of the first one dropped down again. And of the second one who was very low at the beginning of the experiment, she went up. And they ended up both in the middle, so to speak.

さらにもう一匹同じような猿に同じスキルを習得させている。この場合にもスキルをもった猿の地位は上昇するが、その上昇は限られる。これはより貴重なスキルを持っている人のほうが競争が少なく大きな利得を得られるという標準的な経済学の結論に対応している。

Animals that cannot form binding contracts, animals that cannot talk about what they want to do or cannot offer verbally or anything – they nevertheless are quite accurate in adapting their behavior to what the market gives them.

monkeys arrive at these economic outcomes not through sitting down and negotiation, but through feeling and emotion.

そしてこの現象には契約も言葉も必要ではない。感情によってそういう風に行動しただけだという。