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人間も労働も特別じゃない

人間を他の生物とは違うものと捉えたり、労働を他の財・サービスとは違うと考えたりする人が多いのはどうしてだろうか。

人間はどうして労働するのか (内田樹の研究室)

動物は当面の生存に必要な以上のものをその環境から取り出して作り置きをしたり、それを交換したりしない。

ほとんどの動物が食料の作り置きをしないのは単にできないからだ。できるならする。例えばリスは食料を地中に埋めるし、冬眠する動物は脂肪を蓄える。

狼は獲物を群れに持ち帰り、狩りに参加しなかった個体にも食料を与える。常に同じ個体が群れに出るのでない限りこれは時間軸を通じた交換だ。その場での交換でないのは、貨幣が存在しないからだ。貨幣がなければ価値の一致する取引を一時点で行うのは困難だ。貨幣経済成立以前の人間でも変わらない。

「労働」とは生物学的に必要である以上のものを環境から取り出す活動のことであり、そういう余計なことをするのは人間だけである。

これも同じだ。生物学的に必要な以上の生産を行う動物がいないようにみえるのは、大抵の動物にそれができないからだ。牧草地にやぎを大量に放てば牧草はなくなり、やぎの数は減る。結果的に牧草とやぎの量にバランスがとれるが、これはやぎが必要以上の食事を行わないからではない。むしろ必要以上のものを環境から取り出した結果だ。

人間もまた例外ではない。産業革命以前の経済はマルサス経済であり、技術発展は人口増によって打ち消された。人間だけが環境から余分な生産を行っているように見えるのは生産性が高く必要以上の生産が行えるからに過ぎない。ちなみにマルクスが資本論でマルサスを辛辣に批判しており、人間を特別視する見方と労働を特別視する見方には共通するものがあるのだろう。

どうして人間だけがそんなことをするのか。それは「贈与する」ためである。ほかに理由は見当たらない。

「贈与する」生物は人間だけではない。ほかに見当たらないのはよく見てないからだ。他の例で考えれば分かる。多くの個体が肥満な生物は人間だけだが、人間が肥満になるのはなぜか。それは余分な栄養を溜め込むのが自然界で有利だからだ。多くの動物が脂肪を使って栄養を貯蔵する。人間だけが太るのは単にいくらでも食料が手に入るからであって、人間には特別の太る「理由」があるからではない。

労働も同じだ。単に生存に必要なものしか欲しがらない人間は生存競争に勝ち残れない。よってほとんどの人間は必要以上のものを欲する欲望を持っている。現代ではそんな欲望がなくなても子孫を残せるだろうが、人間の性質は百年やそこらで変わらない。

「働く」ことの本質は「贈与すること」にあり、それは「親族を形成する」とか「言語を用いる」と同レベルの類的宿命であり、人間の人間性を形成する根源的な営みである。

原文ではこの命題に基づき演繹的に働くことについて論じているが、そもそもの議論が間違っているのでこれ以上論じる意味はないだろう。「本質」とか「宿命」とか「根源的営み」とか言えば結論が正当化されるわけではない。

経済学者が誰も言わないので、私が代わりに言っているのである。

そりゃそうだ。そんなことを言われても困る。

追記

  • 「それを踏まえても人間は他の生物とは違うし、労働も他の財・サービスとは色々な意味で違いますよ?」:それは内田さんが考えるべきことで、私のここでの主張はこれの議論は前提がおかしいのでどうしようもないということです。色々な意味で違う点を正しく把握することが必要だと思います。

人間も労働も特別じゃない」への27件のフィードバック

  1.  こういう情緒的な経済観はなくなりませんね。「私たちはモノじゃない」とか、感情に訴えかけるハートフルな主張なので、心をつかみやすいんでしょう。現実をどう「表現」して人の心をつかむかが彼らの技量なので、詩人や小説家みたいなものです。彼らに対する需要は消えないので、永遠に不滅でしょう。

  2. 痛快です。

    しかし正誤にかかわらず、主に「後付けの論理」によって、人間が自らの行動やおかれた状況になんらかの(大概自分を正当化する)意味を与えてしまうのも、なかなか取り除きがたい性です。人間の思考回路が進化などによって劇的に変化しない限り、元記事の方のような見方をしてしまう人間は減らないのではとも思います。

    僕自身も悩まされてますけど。

    それを踏まえると、こういう論理的には必ずしも正しくない考え方に翻弄される人間をも納得させてしまう表現力や説得力、あるいは、そんな人間の「弱さ」を完全に受け入れた上で機能するフレームワークが、経済学には求められるのでは、とも感じますね。

  3.  (内田氏のいうことは私には理解不能ですが、)経済学(のうちの少なくとも租税に関する一派)も、人間・労働を特別視していると思いますよ。包括的所得概念はあらゆる担税力の増加を課税所得として扱おうとしますが、経済学者の間で有力な消費型所得概念は要約すれば賃金だけ課税所得として扱おうとしています。
     控除の観点から見れば、サーカス団が動物のために餌を買ってくると控除できるでしょう。一方、人間が食べるためにトマトを買ってきても費用として控除できません(消費であり、課税対象から除外されません)(これは包括的所得概念でも消費型所得概念でも変わりません)。
     トマトを買うことは人的資本の維持費と観念することができます。が、現実には動物の餌と人間の餌は同じ扱いを受けていません(同じ扱いにせよと主張する説もあまり見かけません)。
     私は基本的には消費型所得概念支持者ですが、なぜ人間・労働が特別視されるのであろう?という疑問は払拭できません。包括的所得概念論者は賃金だけを課税ベースとすることは狭きに失するという訳ですが、私は賃金全体を課税ベースとすることは広きに失するのではないかという疑問を抱いています。
     仮説として思っているのは次の二点です(私自身はこの仮説が説得的だと思っていません。他の説明が思いつかないだけです)。
    ◆食費まで消費でなく費用・投資として扱い始めると、課税ベースが著しく狭くなりすぎ、必要な税収をあげられなくなる。
    ◆世の中の経済的な価値の全てではないが殆どは労働に由来する。

     要するに、人間・労働を特別視するのは内田氏だけではないのではないか、ということです。

  4. 人間の特別な点は「人間は特別な生き物である」と思い込みたがる点でしょうね。「自分たちには特別な意味がある」「自分たちにはただの合理性を超えた意味がある」と信じたい人々が非合理的な価値観を社会に押し付けるせいで、様々な弊害が生じています。自己の存在理由に拘るのはまさしく我執であり、この我執こそが人間が知恵を手に入れたことで生じた原罪なのでしょう。

  5. 皆様、コメントありがとうございます。

    gase2さん:

    >「私たちはモノじゃない」とか、感情に訴えかけるハートフルな主張なので、心をつかみやすいんでしょう。

    まあそう思いたくなる気持ちは分からなくもないですが、こんな何を言ってるか考える程分からなく文章がもてはやされているのは不思議です。

    毒之助さん:

    >人間の思考回路が進化などによって劇的に変化しない限り、元記事の方のような見方をしてしまう人間は減らないのではとも思います。

    こういう意見はなくならないでしょうが、こういう記事がありがたいものとして大学の先生から発せられてしまう部分は何とかなるのではないかと思っています。

    >こういう論理的には必ずしも正しくない考え方に翻弄される人間をも納得させてしまう表現力や説得力、あるいは、そんな人間の「弱さ」を完全に受け入れた上で機能するフレームワークが、経済学には求められるのでは、

    えっと、これは荷が重いですね。経済学が努力する余地は無限にありますが、一般教育のレベルでも対策が必要かと思います。私なんかは元記事を読んでも何を言ってるのか分かりませんでしたが、肯定的に捉えている方はこれを読解できたのか?と思ってしまいますね。

    asatsumaさん:

    これは勉強になりました。

    >控除の観点から見れば、サーカス団が動物のために餌を買ってくると控除できるでしょう。一方、人間が食べるためにトマトを買ってきても費用として控除できません

    確かにこれでは人的資本への投資だけ阻害されそうです(もっとも教育費は補助されていますが)。

    >なぜ人間・労働が特別視されるのであろう?という疑問は払拭できません。

    経済効率性だけ考えれば人頭税のようなインセンティブに影響しない税が望ましいですね。ただ人頭税では再配分機能がありませんし、担税力を考慮しないため所得獲得能力に応じて固定の税金を掛けたいのだと思います。しかし所得獲得能力は計測できないので、代理変数として賃金を使っているのではないでしょうか。

    >要するに、人間・労働を特別視するのは内田氏だけではないのではないか、ということです。

    こういう議論を経て人間・労働を特別視する必要があるとなるのであれば全然構わないと思います。「本質」・「宿命」・「根源的営み」などと言い出してしまうのがよくないです。

    bobさん:

    > 人間の特別な点は「人間は特別な生き物である」と思い込みたがる点でしょうね。

    これは人間以外に言語があるのかという哲学的問題のように思います。

    >「自分たちには特別な意味がある」

    人間が自分だけを特別視するのは、自分だけが宝くじに当たる気がするのと同じで進化論的に説明できるでしょうか。

    >「自分たちにはただの合理性を超えた意味がある」

    合理性という概念自体が嫌いな人もいますね。私からすると、自分たちは人間ではないと主張しているような気がして意味が分からないのですが。。。

    >自己の存在理由に拘るのはまさしく我執であり、この我執こそが人間が知恵を手に入れたことで生じた原罪なのでしょう。

    非合理な価値観を押し付けるひとに限って存在理由に悩むひとはいないように見えます。

  6. 内田氏のような勘違いはある種「人間バイアス」みたいなものではないでしょうか・・・。

    上手く文章に出来ませんが、
    横暴な金持ちを愛の力で倒す物語は山ほどありますよね。
    でも金銭のシステムを精密に描くストーリーはその1千万分の1もありません。

    私は創作者の端くれですが、
    芸術家は徹底的に人間の感情を肯定する事によって
    受け手に共感してもらおうとします。
    音楽や文学は特にこの傾向が強い。
    アーティストって先駆的な人種だと勘違いされやすいけど、
    実は「古い人間(人間らしい、と感じられる表現が多い)」の方が、
    遥かに万人に受け入れられるんです。

    ですから直感に反する経済を取り扱う人間は、
    相当積極的な宣伝活動が必要ではないでしょうか。
    「経済学者はパンフレットを書け」というケインズの言葉はとても重要なものであるように思います。

  7. alphaさんはじめまして。

    >でも金銭のシステムを精密に描くストーリーはその1千万分の1もありません。

    これについては「金儲け=悪」の話を絵で説明してみるで書きましたが、倫理観が時代の変化に追いついていないためだと思います。アメリカやシンガポールのように比較的新しい国や、中国のように共産主義が強かった地域ではお金に対する反感は薄いように思います。

    >ですから直感に反する経済を取り扱う人間は、相当積極的な宣伝活動が必要ではないでしょうか。

    これは本当に重要なことですね。ただ間違ったことを言って共感を得てもしょうがないので、分かりやすく繰り返し説明するしかないように思います。中学生・高校生への教育も鍵になりそうです。

  8. >信じたい人々が非合理的な価値観を社会に押し付けるせいで、様々な弊害が生じています。

    いや、そう信じたい人達が進歩を促進してきた側面もあります。我執がなければ困難な事を乗り越えるエネルギーは湧きません。

    >合理性という概念自体が嫌いな人もいますね。
    >人間ではないと主張しているような気がして意味が分からない

    合理性を嫌うことに合理性がある事があり得るはずです。非合理のメタレベルでの合理性です。その意味で僕は単純に「合理」を信奉し「非合理」を鼻で笑う人間が目糞に見えます。

  9. Yasさん、荒れるような言葉遣いは避けてください。

    >合理性を嫌うことに合理性がある事があり得るはずです。

    メタレベルで「非合理」を合理化できることとそれが正当化できることとは違うことです。

    犯罪者の行動は合理化できますが正当化できません。

  10. 正直、

    >犯罪者の行動は合理化できますが正当化できません。

    こう考えることこそが「人間が特別なもの」と考える要因ですよね。経済や合理性とかって後付けの理由でしかないです。
    そう考えると、こういった文章が存在する理由もはっきりします。

  11. Ladyus Soppさん:

    意味が分かりません。何を考えてどうはっきりしたのでしょう。

  12. む、すいません。言葉遣いが確かに挑発的でした。侮蔑の意図はないです。以後、気をつけます・・。

  13. Yasさん:

    いえいえ。またお気軽にコメントくださいませ。まったりいきましょう。

  14. この記事のタイトルも興味深かったので、ここにもコメントさせて頂きます。

    「人間=所詮、生物」という主旨だと思いますが、《労働》よりはるかに《老人(身体的・経済的弱者も含め)》の存在が人間社会が抱えている異質性ですよね?

    生殖能力を失った存在を「お年寄りを大切に」というスローガンや、「年金」というシステムで、ホモサピエンスの繁栄の足かせになっているのは事実ですよね?

    経済学的見地から、老人の価値っておるのでしょうか?

    • >「人間=所詮、生物」という主旨だと思いますが、

      このポストの趣旨は内田さんの言っていることがおかしいということです。

      >生殖能力を失った存在を「お年寄りを大切に」というスローガンや、「年金」というシステムで、ホモサピエンスの繁栄の足かせになっているのは事実ですよね?

      そういう道徳が古来からある(と思いますが)以上何らかの機能はあるでしょうね。どちらにしろ優生学的な見方を社会に訴えるのは現状不可能だと思います。

      >経済学的見地から、老人の価値っておるのでしょうか?

      誰にとっての価値かによります。本人にとっての老人の統計的な価値を測定すると当然低くなります。

  15. いつもお返事ありがとうございます。

    ここでのコメントなさっている方も含め「人間は特別じゃない」と思っている人も多いと思いますし「人間社会だけが老人(その他弱者)を抱えているのか?」という疑問を僕も以前から持っているのでこの質問をさせて頂きました。
    当然、原因は宗教観・倫理観等にまして個人的な親に対する愛情のようなものでしょうが…

    〉優生学的な見方を社会に訴えるのは現状不可能
    僕もそう思います。弱者切り捨ても政治家や学者は「反社会的」で存在がなりたたないでしょう…

    その上で、ご質問させて頂きたいのは、他の記事への僕のご質問にも繋がるのですが、いわゆる新自由主義的な経済合理性を追求する論理に基づく政策は、他の生物社会では必要とされない弱者を許容する論理なのか?否か?
    質問の仕方を変えれば、市場が弱者を守るのか?国が弱者を守れるのか?自己責任なのか?

    竹中平蔵氏等の新自由主義と言われる方々の「強者が弱者を引っ張る」「足りない部分は政府のセーフティーネットを」という論理は分かり易いのですが、現実には弱者は増大するばかりで、セーフティーネットの原資たる税収も減るばかりで、疑問を感じざるを得ない現状です。

    僕自身は、お気楽に市場の旨みを享受して暮らしておりますが、こうした疑問を専門家にお答え頂ける機会などは通常ありませんので…度々で恐縮ですが、お答え願えたらホントに有り難い事だと思います。

  16. >当然、原因は宗教観・倫理観等にまして個人的な親に対する愛情のようなものでしょうが…

    進化論的に説明できると思いますよ。実際にできているのが人間なだけで。

    >いわゆる新自由主義的な経済合理性を追求する論理に基づく政策は、他の生物社会では必要とされない弱者を許容する論理なのか?否か?

    新自由主義は日本だと定義が曖昧なので避けた方がよろしいかと思います(参考:http://rionaoki.net/2009/11/1449)

    一般的な経済学的見方は社会余剰・厚生の最大化です。再配分がない限り、政策の効果はパレート改善、つまり誰にとってもプラスなので生き残りという観点と矛盾するわけではありません。

    >竹中平蔵氏等の新自由主義と言われる方々の「強者が弱者を引っ張る」「足りない部分は政府のセーフティーネットを」という論理は分かり易いのですが、現実には弱者は増大するばかりで、セーフティーネットの原資たる税収も減るばかりで、疑問を感じざるを得ない現状です。

    弱者と強者を分けて考えると誤解しやすいかと思います。問題は、結果的にうまくいかなかった人々を守ると、事前に頑張るインセンティブがなくなることです。

    税収については税制や景気の影響が大きいので経済政策とはそこまで関係ないように思います。

  17. Rionさんありがとうございます

    >進化論的に説明できる
    全く予想しない回答でした。
    日本人の江戸時代の平均寿命が40歳弱・大正時代後期でも40最強だったらしいので、論理的に進化論から説明できるとしても、進化とは関係がないような気がします。日本では楢山節考的なシステムもあったようですし…如何でしょうか?

    「新自由主義」という言葉の定義や共通認識を知らないので「いわゆる」という言葉を付して便宜的に(Rionさんのお言葉を借用するとラベル)使わせて頂きました。Rionさんが紹介して頂いた記事を読み、その趣旨は誠に正論だと僕ですら理解できます。日本では、逆に規制強化や環境重視の政策に「社会主義」というレッテルも「市場原理主義」というレッテル同様に多く見受けられるし、経済に関する言葉に限らず、便宜的に使われる事や、いわゆる「レッテル貼り」でむしろ議論の妨げになる事も多いので…「その言葉」自体を対象とした議論でない限り、便宜的に使われている言葉に目くじらを立てるのも非生産的かとも思います。(「愛」とは何なんだ?とか言い出したら恋愛も進展しないでしょうし;)

    >インセンティブ
    あらゆる経済人・法人・国家にとってもインセンティブが行動の動機づけになる事は自然な事だと思います。(驚く事に、そうならない人々も意外なほど多く存在しますが;)

    >税制
    表現が適切でないかもしれませんが…グローバル経済下では税制も個人・企業の合理性を追求する重要な要素になりますので、こうした視点からは「税率を下げろ!」という意見が生じ、その主張の行きつく先は「各国の減税合戦」となり、結果的にはどの国も税収減となってしまうと思うのですが…

    ちょっと、経済学素人の僕の暴論を聞いて頂きたいのですが;
    僕は市場が成り立つ為には、その経済主体がリターンに相応するリスクを負う事が必然だと考えています。
    この思考上、会社更生法などの倒産の仕組み(敢えて言えば、再チャレンジのインセンティブを与える有限責任の仕組み)や、08年に起きたR者の破綻は、正に社員や企業がインセンティブを享受するばかりでリスクを負わない結果、第三者に負担を背負わせてしまっている(世界的不況の元凶)と考えています。

    Rionさんの「完全な自由競争で経済問題は解決しない。ましてや社会問題は解決しない。しかしそれは自由競争・規制緩和が間違っていることも意味しない。単に市場の管理はある程度必要であり、何でも規制緩和すべきというわけではない」というコメントには当然僕も同意です。

    その前提で、RionさんはR社の破綻のどこに問題があったとお考えになるのか?僕の理解ではR者が特段特別の事をしていた訳ではなく、各国の各企業も利益の最大化を同様に目指しているのだと思いますので、法制度等システムの問題点を挙げて頂けたら有り難いと思います。

    • >日本人の江戸時代の平均寿命が40歳弱・大正時代後期でも40最強だったらしいので、論理的に進化論から説明できるとしても、進化とは関係がないような気がします

      むしろ寿命が短かったために問題起きなかったのでは。それが変わったので弊害が発生していると思います。

      >行きつく先は「各国の減税合戦」となり、結果的にはどの国も税収減となってしまうと思うのですが…

      それは課税方法によるかと。例えば消費税しかなければどうでしょう。

      >僕は市場が成り立つ為には、その経済主体がリターンに相応するリスクを負う事が必然だと考えています。

      リスク以外にも希少資源を所有していればリターン(レント)が生じます。

      >R社の破綻のどこに問題があったとお考えになるのか?

      リーマンのことですか?Lですが。

      この問題についてはWillyさんの記事がお勧めです(http://wofwof.blog60.fc2.com/blog-entry-253.html)。基本的にはリスクの一部を政府などに押し付けていたということです。

      • あけましておめでとうございます。
        ここに至っても、親切にコメントをお返し頂けて本当に有り難く思っています。僕のコメントも散在していますので、ここに統一させて頂きます。

        >むしろ寿命が短かったために問題起きなかった
        勿論、その通りと思うので、わずか100~200年後の現代において老人を年金という制度で保護している事は、進化論で語るのは不可能では?という趣旨のご質問です。

        >例えば消費税しかなければどうでしょう。
        いわゆる「合理性の追求競争」の究極的な行く末は、消費税すらなくなり、「労働者を受け入れてくれるだけでも有り難い」みたいなマイナスの世界での競争すら考えられると思うのですが。さすがに、そこまでいけば誰も得をしないのは明白な訳で…現在の法人税・所得税の税率値下げ合戦はどこかで終わるはずで、現在でも米国の所得税の最高税率の引き上げが行われているような話も聞いた記憶があります。すなわち、ここでの僕の疑問は、グローバル下の市場の合理性とは違う理論・論理で各国政府は市場の合理性に反する政策を行わなければならないのでは?という事です。

        >Willyさんの記事
        個人的には違った問題意識もありますが…「規制当局の側にある」というお言葉の範疇ですので割愛します。

        >老人は弱者ではありません
        一概に弱者でないのは当然だと僕も思います。年金システムの基本的理念は弱者保護だと思いますし、「老人≒弱者(=ではなく≒)」という論理で、「市場の合理性・政府の政策が老人(弱者)を救えるのか?救うべきなのか?」という命題から外れてしまうとしたら残念に思います。

        >金融政策がメイン…
        結果としては(僕は感覚的にですが;)、恐らく、僕の認識もRionさんのお話とあまりあまり違わないと思うので、景気を政府の政策批判に即決する論調には違和感があります。

        >企業の収支とは異なります(クルーグマンが啓蒙書)
        有り難いご指摘です。僕は終始、企業の論理の延長線上でしか考えられていないと自覚してますので…

        >もう豊か過ぎるので働く必要がないという状況でなければ…
        この概念が消化しきれないのですが、世界第1位第2位の経済大国でもそのような状況ではないという事でしょうか?
        私見では、現在の北欧の国民満足度の高い社会や、「一億総中流」「最も成功した社会主義国家」と揶揄された過去の日本などのモデルが、実現可能な理想的な社会だと思ってしまうのですが…。

        >失業によるテロなどのリスクは非常に低いでしょう
        経済学者のおっしゃる「保護貿易否定」は戦争(確率×機会損失を含む被害額)のリスクはテロ以上に高いとお考えなのか?
        それとも「戦争のリスク」は想定外で、「全体的な効率性が低下する」事のみを否定の根拠とされているのか?御教示願えたら有り難いです。

        蛇足であれば、幸いですが…
        このRionさんのブログに訪れる大半の方々や当然僕も、それぞれの経歴を経て、それぞれの職を持って、あるいは家庭を持って…Rionさんのご提供して頂いているような問題に接し、思索・勉強できる時間は、あまった時間(趣味の範疇)しかないと思います。失礼ながら、僕などは、ここに訪れる時は例外なく、お酒のグラスがキーボードの傍らにある状態です。そんな状態でも学べる事は誠に有意義ですし、Rionさんのような方に接する機会が現実には稀であるので、お聞きしたい事が溢れてしまう現状です。真剣みや知識の不足でここのコメントに相応しくないとお思いになったら、このコメントはスルーして頂いて結構です。今まででも、十分御迷惑・お手数をおかけしている事は承知しており、感謝もしておりますので…。

        • >景気を政府の政策批判に即決する

          即決⇒直結 に訂正^^;

      • >年金という制度で保護している事は、進化論で語るのは不可能では?という趣旨のご質問です。

        敬老精神みたいなものは進化論や道徳の起源論で説明できると思います。それが時代に適応していないというのは当然ありえます。

        >いわゆる「合理性の追求競争」の究極的な行く末は、消費税すらなくなり、「労働者を受け入れてくれるだけでも有り難い」みたいなマイナスの世界での競争すら考えられると思うのですが。

        そうはならないでしょう。日本で商売をしたいなら税金を支払う必要があります。

        >グローバル下の市場の合理性とは違う理論・論理で各国政府は市場の合理性に反する政策を行わなければならないのでは?という事です。

        各国の最適戦略がグローバルな最適戦略と異なることはありえます。そのために協調して政策とるかどうかは、政治的な可能性や協調に伴う費用の増加との相談です。

        >年金システムの基本的理念は弱者保護だ

        年金は強制的な貯蓄と長生きしてしまうリスクへの保険では。

        >「市場の合理性・政府の政策が老人(弱者)を救えるのか?救うべきなのか?」という命題から外れてしまうとしたら残念に思います。

        問題が貧困なら貧困として対処すべきで、老人だけを別扱いするのは望ましくないと思います。

        >世界第1位第2位の経済大国でもそのような状況ではないという事でしょうか?

        少なくとも労働者はそう思っていないようです。もしこれ以上の生産は必要ないと思っているのであれば数字上の失業率は下がりますし、それは望ましいことになります。

        >経済学者のおっしゃる「保護貿易否定」は戦争(確率×機会損失を含む被害額)のリスクはテロ以上に高いとお考えなのか?

        自由貿易は分業の利益があるので効率的です。また保護貿易は単なる業界保護・利益誘導の隠れ蓑に過ぎないケースが多いということもあります。

        保護貿易の方が戦争を招きやすいと思います。

        • コメントを頂けて有り難く思います。お互いの表情や語調を読みとれる現実の世界ですら、相互の信頼がなければ、議論はおろか通常の会話すら、相手の揚げ足取りに終始し、建設的なコミュニケーションにならないばかりか、双方にとってマイナスの結果に至る事も多いと思います。ましてや、誹謗中傷の占める割合が格段に大きく、文面のみに頼らざるを得ないネットの世界では、信頼に基づき、敬意を持ってコミュニケーションを計る事は一層ハードルが高くなります。僕も、以前HPを持っていた事があり、掲示板上での対応に苦慮した経験もありますので、逐次コメントに対応する煩わしさは理解しているつもりですし、Rionさんのような専門家、ましてや親切な方だし、経歴を見れば平伏さざるを得ない方に、五分の議論を求められない事は自分が一番自覚していますので、僕の表現の至らない部分などは斟酌して頂いて、結果として、有意義なコミュニケーションになる事を切に願いたい気持ちです。勿論、思考停止・努力放棄でRionさんにすべて「斟酌して頂きたい」とも思っておりませんし、僕の能力の最大限で、より誤解の起こらないようにコメントを書きたいと思っております。

          >それが時代に適応していないというのは当然ありえます
          時代という尺度でいうと、正に現代は実質的に人類史上初めて年金制度を始めたばかりだと思います。この認識、また「人間は特別じゃない」という観点からも、「現代の年金制度」が果たして成り立つものなのか?逆にホモサピエンスの繁栄の足かせになっているのでは?というご質問です。

          >そうはならないでしょう。日本で商売をしたいなら税金を支払う必要があります。
          前段に関しては、既述の通り僕もそう思います。後段の主旨が、「郷に入っては郷に従え」という論理であるとしたら、だとしたらですが…論理的・合理的「正解」や「真理」を追求されていると思われる学者のお答えに相応しくないと思います。正解・真理=現実ではないはずですので…

          >各国の最適戦略…相談です。
          僕の認識の域を超えないお応えで残念です。
          「相談」の結果、「市場の合理性」をどこから制限すべきかの理論や答えが伺いたかったのですが、Rionさんのおっしゃる「個別の政策の是非を問えばいいだけだ」というお言葉に準じれば、残念ながらこれ以上のお答えを望めないと思います…。

          >年金は強制的な貯蓄と長生きしてしまうリスクへの保険では。
          年金は世代間扶助(老人は肉体的に働けない弱者であるから、若者が助けるべきという画一的な論理)のシステムであり、貯蓄や保険ではないのではありませんか?

          >問題が貧困なら…望ましくない
          この論理は、現代の画一的な年金制度を否定するものと解釈してよろしいでしょうか?

          >…労働者はそう思っていない…。もし…失業率は下がり…
          まず、率直にRionさんがどうお考えになっておられるのかお伺いしたいです。「現実は大多数の論理で選択されている」という論理だと思いますが、僕は「大多数」ではなく「大資本」の論理で動いていると思います。民主主義を声高に唱える米国の政策や選挙すら資本の論理が支配していますよね?ウォール街の規制緩和⇒放置の例を挙げずとも…

          >自由貿易は…ケース…
          全く異論はありません。
          但し、そのメリット・デメリットを当然「テロ&革命&クーデターvs戦争」の観点を含めて、判断する必要があると思います。過去に一度、保護貿易の結果戦争が起きたから、保護貿易は良くない!と思考停止してしまうのは望ましくないと思います。

          >保護貿易の方が戦争を招きやすいと思います
          これは、何らかの理論・論理に裏付けられたお言葉なのか?感覚的な物なのか?お聞かせ願いたいと思います。
          僕個人としては、感覚的に!ここまで相互依存の進んだグローバル経済下・また国境を超えるメディアが存在する現代に至っては、戦争のリスクは低いと思いますが…。

          • 誤解のないように、加筆させて頂きます。

            >保護貿易の方が戦争を招きやすいと思います
            僕は、自由貿易と保護貿易とどちらが戦争を招きやすいかをおたずねしている訳ではございません。
            自由貿易の利点&欠点・保護貿易の利点&欠点から合理的に政策を判断すべきではないか?という当たり前の問題提起です。
            その観点から、「補助金誘導・保護貿易」という言葉を根拠に政策を否定する論調に違和感があったので、掘り下げたく思った訳です。即ち、ここでは、「保護貿易下の戦争のリスク」と「自由貿易下のテロ・革命・クーデターのリスク」との比較や、補助金政策によるメリットvsデメリットの観点を論じることなく「補助金・保護貿易」の負の部分だけを根拠に政策批判をなさっておられると文面上感じたので、掘り下げてご説明願えたら有り難いと思っているわけです。

            「保護貿易=戦争への道」が正しいのであれば、「保護貿易をする政府は戦争を望んでいる」という解釈すらできると思います。そんな政策判断を平気で行えるのは米国以外あり得ないと思ってしまいますが…。

  18. すいません。ちょっと補足を…

    >弱者と強者を分けて考えると誤解しやすいかと思います。問題は、結果的にうまくいかなかった人々を守ると、事前に頑張るインセンティブがなくなることです

    弱者に関して…ここのコメントの僕の文脈上、弱者≒老人(年金受給者)と読み変えて頂いた方が良かったのかもしれません。欲を出してその他の社会的弱者を混在させたのは、失敗でした…年金受給者に社会貢献を求めるインセンティブは、統計上労働人口とされる方々に比べかなり難しいと思うので、老人とインセンティブは相関関係が薄いものとして考える事も合理的だと思います。

    >税収については税制や景気の影響が大きいので経済政策とはそこまで関係ない

    この論理だと、《景気》と《経済政策》もそこまで関係ないような感じになってしましまいそうですが…どうなのでしょうか?

    日本では、新年が明けました…
    越年でRionさんにお尋ねばかりで大変申し訳なく思います。せめて…
    2010年も、Rionさんにとって良い年である事を祈らせて頂きます^^

    • >弱者≒老人(年金受給者)と読み変えて頂いた方が良かったのかもしれません。

      老人は弱者ではありません。長く生きていると貧富の差が開くだけです。

      >老人とインセンティブは相関関係が薄いものとして考える事も合理的だと思います。

      事後的な保障は事前のインセンティブに影響を与えるので話はかわりません。

      >この論理だと、《景気》と《経済政策》もそこまで関係ないような感じになってしましまいそうですが…どうなのでしょうか?

      金融政策がメインで政府が行う経済政策はあまり景気と関係ないでしょう。不景気の時に財政出動しろという話はありますが、その場合でもどんな政策を打つべきかは景気への影響を目的に決定すべきものとは思っていません。

      こちらはようやく大晦日本番というところですが、oil_kingさんもよいお年を。

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