Posts Tagged ‘Marriage’

少子化とハンバーガー

December 5th, 2009

追記:ハンバーガーの例えがメインな気がしてきたので題名変更。Topsyのほうが変わってません。

昨夜に引き続き日本のニュースに軽いツッコミを:

4割が「子ども必要ない」20〜30歳代は6割−内閣府調査 (1/2ページ) – MSN産経ニュース

結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はないと考える人が42・8%に上ることが5日、内閣府がまとめた男女共同参画に関する世論調査で分かった。

男女共同参画社会に関する世論調査のことだろう。過去の調査結果は内閣府男女共同参画局にある。ここで報じられている最新の調査結果はまだウェブで公開されていないのだが、新聞各社にだけ一定期間独占的に供給しているのかと疑ってしまう(まあ出所をリンクしないのは日本の新聞ではいつものことだが)。

子どもを持つ必要はないとした人は、男性が38・7%、女性が46・4%だった。年齢別では20歳代が63・0%、30歳代が59・0%と高く、若い世代ほど子どもを持つことにこだわらない傾向が顕著になった。

確かに二十代では「結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はない」と考えている人が六割いるが、「子ども必要ない」と意味が全然違うような気がするのは私だけだろうか。私は子供をを持つ必要はないと考える人間の一人だが、個人として子供がいらないと言っているわけではない。

結婚についても「結婚は個人の自由であるから,結婚してもしなくてもどちらでもよいか」という質問になっており、

少子化の背景に、国民の家庭に対する意識の変化があることを示した結果と言え、内閣府の担当者は「個人の生き方の多様化が進んでいる」としている。

内閣府の担当者が言う通り、日本人が結婚・出産についてリベラルになってきているということだろう。

しかし、これを「少子化の背景に、国民の家庭に対する意識の変化があることを示した」と結論づけるのは早急だ。前述のように、結婚・子供が必要かと実際に結婚するか・子供をつくるかとは別のことだからだ。「ハンバーガーは必要か」と聞かれたら、そりゃ別に必要はないという人がほとんどだが、それはハンバーガーの消費量とはあまり関係ない

晩婚化や少子化といった現象はかなりの部分が経済学的に説明できる(参考:結婚と市場)。もちろん価値観・意識の変化もあるだろうが、それらを政府が変えるというのは難しいし、そもそも政府にそんな権限があるとは思えない。また価値観・意識の変化自体が技術進歩からくる経済状況の変化によって内生的に生じている部分もある。

ハンバーガーの消費が増えるのが心配なら、アメリカ文化に対する日本人の意識の変化なんか考えるよりもハンバーガーの価格を見たほうがいい。安いから消費は増えるのだ。もちろんみんながアメリカ文化が好きならハンバーガー消費も増えるが、それに文句をつけてもしょうがないし、安いハンバーガーを食べてるうちにアメリカの食事が好きになっただけかもしれない。

子どものDNA鑑定

November 19th, 2009

父親が子どもの生物学上の親である割合についてのニュースがあったが(参考:DNA鑑定と親子関係)、関連ニュース:

How DNA Testing Is Changing Fatherhood – NYTimes.com

DNA鑑定で生物学上の親ではないと分かった父親のストーリーがいくつか挙げられている。基本的流れは次のような感じだ:

  1. 子どもがそれなりに育ってから何らかの機会(浮気の発覚、養育費の割増要求)などで疑念を抱く
  2. DNA鑑定で遺伝的なつながりがないことが発覚
  3. 婚姻中であれば離婚
  4. (A)完全に親子関係を絶つ、(B)親子関係を維持する=養育費を払う
  5. 元妻が子どもの生物学上の父親と再婚ないし同棲
  6. (B) なら元夫が親子関係の不存在を求めて訴訟して負ける

問題は6だ。4で親子関係を維持している場合(B)、法律上の父親は元夫であるため養育権(custody)がなくとも養育費(child support)を支払う義務が生じる。この場合元夫は生物学上の家族へ養育費を支払うという非常に不自然な形になる。

そもそも(B)を選択しているのは何故か。それは養育費を支払う義務を免れるには遺伝上のつながりがないと判明した時点で親子関係を完全に解消しなければ(A)ならないからだ。そこまで踏みきれない男性が多い。

このような複雑な制度が作られているのは、子どもと親との利害関係を調整するためだ。親子関係を解消するのであれば早い方が子どもにとって望ましいという理由から(A)を選択しない限り法律上の親子関係は固定される。

Several suggested that DNA paternity tests should be routine at birth, or at least before every paternity acknowledgment is signed and every default order entered.

この問題を簡単に解決する方法はDNA鑑定を義務付けることだ。DNA鑑定のコストは下がっており、法律で導入を進めればさらに安価になるのは間違いない。

Mandatory DNA testing for everyone would be a radical, not to mention costly, shift in policy. Some advocates propose a somewhat more practical solution: that men who waive the DNA test at a child’s birth should be informed quite clearly that refusing the test will prohibit them from challenging paternity later.

鑑定のための費用を削減するために、義務付けるのではなく、鑑定を行わなかった場合には後で親子関係の不存在を訴えることを認めないという案もある。しかし、子どもとの生物学的つながりに自信を持つ父親でさえ2%は実際にはつながりがないという調査結果を考えれば、それなりに裕福な国では義務付けも止むないだろう。後で問題が発覚した場合の被害は父親・子ども両者ともに甚大だ。いくら法律で親子関係を義務付けても、発覚してしまえば被害は避けられない。

鑑定によって遺伝的つながりがないと判定された場合の子どもの扶養を問題にする指摘もあるが、遺伝上の父親を同様の鑑定によって発見するのは容易い。また片親の家庭はこういったケースに限られるわけではなく、通常の福祉政策によってカバーできる。

P.S. しかし女性が子どもが男性のものだと欺いているわけだから単なる詐欺として処理すればうまく回るような気がするんだけど。。。子どもは善意の第三者ってことでいいし。

DNA鑑定と親子関係

November 16th, 2009

DNA鑑定に関する技術の発展は、避妊技術がそうであったように、社会の仕組みを変えていく可能性がある:

Who’s Your Daddy? Global Nonpaternity Rates. | Psychology Today

The threat of being cuckolded is one of the most evolutionarily important threats faced by men especially in light of the fact that humans are a bi-parental species (i.e., children require great parental care from both parents).

二親性(biparental)の種にとって、他人の子供を育ててしまうことは進化論的な自殺だ。不貞(cuckoldry)に対する男性の反感 はこれにより説明される。

ここでは、DNA鑑定によって父親が子供の生物学的父親ではない割合のサーベイ(メタアナリシス)が紹介されている。

The standard nonpaternity rate that is most commonly mentioned across cultural settings is 10%.

その割合は一割ほどだ。これが多いと感じるかは人によるだろう。さらに、父親が生物学上の親子関係に持っている場合とそうでない場合に関する比較も行われている:

北米 ヨーロッパ その他
自信あり 1.9 1.6 2.9
自信なし 29.4 29.8 30.5

地域・文化によらず、前者の場合は2%前後、後者の場合には30%前後となっている。もしDNA鑑定が早期に可能であった場合に、他人の子供を育てる男性はどの程度存在するのだろう。

人間の心理は生物学的に固定されている部分があるので、親子関係を確定できる世の中になっても社会規範が完全に変わることはない。しかし、大きな影響があるのは確実であるし、法律面でも技術発展への対応が必要だ。

現状では父親の親子関係の認定は非常に複雑な制度になっている。嫡出・非嫡出の区別、婚姻関係による推定、内縁関係による嫡出扱い、非嫡出児の認知などいろんなケースがあるし、父親が自分の子でないと主張する方法も嫡出否認と親子関係不存在があり婚姻関係による推定を受けるか否かできまる。

しかし、父子関係の推定規定は親子関係を確定できないという物理的な制約からきたものだ。技術進歩により確定ができるようになった以上これを変える必要がある。

例えば、推定嫡子に対する嫡子否認が一年間に制限されていることの立法趣旨は家族・親子関係の安定だろう。できちゃった婚のように推定はされないが嫡子扱いのケースで、親子関係不存在を期限なく訴えられるのはこれと反する。なぜなら親子関係不存在はもともと利害関係にある第三者(相続人など)を想定して作られている。よって誰でも訴えることができ、期限が制限がない。新しい現実に対応できていないのは明らかだろう。

代理出産の問題も根は同じだ。今まで単に技術的に不可能であるから法律で規定されていなかったことについて(起きもしないことに規定を作る必要はない)、社会としての立場を法律という形で明らかにする必要がだろう

結婚と市場

November 12th, 2009

以前、「認知能力の重要性と社会の変化」というポストでBetsey StevensonとJustin Wolfersによる結婚と市場との関係についての議論に触れた。今回は、その議論を紹介してみる。

ちなみにこのブログにおける、その他の結婚に関するポストはこちらでタグされている。ジェンダーに関するポストはこちらだ。

Cato Unbound » Blog Archive » Marriage and the Market

恋愛や結婚を市場の取引に例えることは今や何も珍しいことではない。希少な財が取引されているという意味では自然なことだ。分析は二つの段階に分けて行われる:

  1. 異性から何が評価されるのかを示す
  2. それをもとに恋愛・結婚に関する現象を説明する

しかし、多くの分析は1の段階であまり説得力を持たない。それは評価される基準についてそれが何故評価されるかについて事実としてそうだということ以上の説明をしないためだ。ここで紹介する議論は、結婚市場において評価される性質を結婚という社会制度の役割を通じて明らかにする。恋愛市場での価値基準については進化論的な説明が適切だろう(こちらのポスト参照)。結婚相手を探す際にはもちろん恋愛相手としての価値が重要な部分を占めるがここでは結婚に特有な要素を扱う。

Stephanie Coontzの著作の紹介から始まる:

While Coontz describes the variety of forms of family life through history, the commonality uniting them is particularly significant: families have always played a role in “filling in” where incomplete market institutions would otherwise have hindered economic development.

人類史を通じて、様々な形の結婚が存在したがその全てに共通するのは、家族というものは市場の不完全性を埋め合わせてきたことだという。

For example, even in the absence of well-functioning contract law, families found ways to enforce agreements among kin.

その一つ例が契約の執行だ。法制度・警察制度が未発達な社会においては、社会的に望ましい契約が成立しない。しかし血縁は契約法の成立以前からその代わりを果たしてきた。

This naturally gave the family a role as an organizing device for economic activity, and the limits of the firm often coincided with the limits of the family.

これは家族経営の会社が多かったことを説明する。契約を簡単に結べるのが家族内に限られるため、それが経済活動の仕切りとなるのは自然なことだ。

Similarly, prior to the expansion of the welfare state, the family had been a key provider of insurance, as spouses agreed not only to support each other “through richer, through poorer, in sickness and in health,” but also extended this guarantee to parents, children, and siblings.

また社会保障制度のない時代、血縁関係が保険の役割を果たしてきた。

A number of goods and services, such as freshly-cooked meals, or childcare, were historically not sold in the market sector. Thus, the family became the firm producing these household services.

食事や子供の世話もまた市場では取引されていなかった時代には全て家族内で供給された。その供給においては家族内での分業が効率的であり、性に基づく役割分担がなされる。

この結婚が市場の不完備を埋める存在であるという考え方を受け入れるならば、市場経済の発達により結婚の存在意義が変わっていくことが分かるだろう。

The forces shaping family life have changed with the development of the market economy. An increasingly sophisticated system of contract law has made possible enormous economic benefits, but in the process the modern corporation has come to supplant the family firm as the key unit of production. The development of social insurance has spread greater security to many but has reduced the role of the family as a provider of insurance. Most recently, technological, social, and legal changes have reduced the value of specialization within households.

契約法が完備されることにより、家族経営の必要性はなくなる。社会保険の発達は保険提供者としての家族の役割を小さくする。市場取引の拡大や技術発展は家庭内での分業の価値を減らす。

While the political emancipation of women is surely a key factor in their movement from the home to the market, deeper economic forces are also at play.

女性の社会的地位の変化は、家族内での分業の価値低減から説明できる。食事も衣服も家庭内で生産する必要はなく、家事労働もまた技術発展により大きく軽減された。

While the benefits of one member of a family specializing in the home have fallen, the costs of being such a specialist have risen.

逆に、女性が家事労働に特化する機会費用は大きくなった。避妊技術の発展で女性への人的投資の効率が上がり、労働市場における女性の給与水準も高まった。

Rising life expectancy also reduces the centrality of children to married life, as couples now expect to live together for decades after children have left the nest. [...] Only 41% of married couples currently have their own children present in their household (down from 75% in 1880).

また平均寿命の上昇は結婚生活にとっての子供の占める割合を減らした。現在、子供のいる夫婦は41%に過ぎないそうだ。

では、契約執行・保険・社会保障・家事に関する専門化・子育てという伝統的な結婚・家族の役割が失われる中、結婚の意味はどうかわったのだろう。次の一節がこの問いへの回答だ:

So what drives modern marriage? We believe that the answer lies in a shift from the family as a forum for shared production, to shared consumption.

家族の中心的機能は共同生産から共同消費に移ったという。

Most things in life are simply better shared with another person: this ranges from the simple pleasures such as enjoying a movie or a hobby together, to shared social ties such as attending the same church, and finally, to the joint project of bringing up children.

共同消費というのは、一緒に映画を見たり、趣味に興じたり、教会にいったり、子供を育てたりすることを指す。

Returning to the language of economics, the key today is consumption complementarities — activities that are not only enjoyable, but are more enjoyable when shared with a spouse.

経済学の用語を使えば、現代の結婚においては補完的な消費活動が重要な意味を占めるということだ。

Today, it is more important that we share similar values, enjoy similar activities, and find each other intellectually stimulating. Hedonic marriage leads people to be more likely to marry someone of their similar age, educational background, and even occupation.

共同消費が重要になると当然、結婚において価値観が近く、趣味が合い、面白い相手を選ぶ傾向が生まれる。これは年齢・学歴・職業などが近いカップルが増えることを意味する。

Yet the high divorce rates among those marrying in the 1970s reflected a transition, as many married the right partner for the old specialization model of marriage, only to find that pairing hopelessly inadequate in the modern hedonic marriage.

これは離婚率の推移も説明する。離婚率は一時急激に上昇したがこの三十年ほどは下がる傾向にある。これは、結婚の機能が変わったことによる影響と捉えられる。

認知能力の重要性と社会の変化

November 1st, 2009

Arnold Klingによる、この三十年間の社会変化の分析がおもしろい:

The State of the Economy, I, Arnold Kling | EconLog | Library of Economics and Liberty

I think that perhaps the most important trend of the past thirty years is the increased importance of cognitive skills relative to physical labor.

彼が指摘する、この三十年間で最も重要な変化は肉体労働に対する認知的能力(cognitive skill)の上昇だ。具体的に「認知的能力」が何を意味するかについては説明されていないが、文字通り解釈するなら情報処理能力のことだろうか。

1. It changed the role of women. Their comparative advantage went from housework to market work.

認知能力が重要になることで、女性の労働市場での価値が相対的に上昇した。男女の認知能力の比較ついては各論あるだろうが、女性が肉体労働よりも認知能力を必要とする仕事を得意とするのは明らかだろう。

ただ、この因果関係は一方的ではないだろう。女性の労働市場への参加が進むことで、男性にとっての認知能力の価値も上がる

何故認知能力が重要になったのか、女性の労働市場への参加が進んだのかということについては技術の変化が最も大きな貢献をしたと考えられる。前者の場合は製造業の生産性上昇に伴うサービス産業へのシフト、後者の場合は家事労働を軽減する家電の発達がある。

フェミニズムのような思想の発展の寄与も無視できないが、それは根本的な原因というよりも結果に近いだろう。もし思想的に労働市場で働くという考え方が浸透したとしても、女性の労働市場での生産性上昇・(家事の軽減による)機会費用の減少がなければ、その流れが定着することはない。雇う側は生産性に見合った給料しか出せないし、家事労働は誰かが負担する必要があるため経済的に持続しないからだ。

2. This in turn, as Wolfers and Stevenson have pointed out, changed the nature of marriage. Men and women look for complementarity in consumption rather than in production.

女性の所得向上は、結婚において生産面での補完性ではなく、消費における補完性を求める傾向につながる。Betsey StevensonとJustin Wolfersの議論についてはそのうち紹介するとして、概要を述べよう。女性の50年前、結婚の最大の機能は分業であって。男性が市場で外貨を獲得し、女性が家事・育児を行うというものだった。しかし家事労働の減少と女性の労働市場の地位向上はこのアレンジメントの必要性を激減させた。育児についてはその手間は家事ほどには軽減されていないが、育児には消費という側面もある。また、平均寿命の増進により育児の結婚における重要性は減った。

代わりに、重要となるのが消費の補完性である。これは男女が同時に行った方が効用の高い消費行動があるためだ。生産面での分業が必要なければ結婚の意味は協調的な消費に移る。例えば、現代社会において男女が個別に食費を稼ぐのは容易だ、しかしこれは個別に食事を採ることが望ましいことを意味しない。さらにわかりやすいのは消費としてのセックスだろう。医療の発展による避妊技術の普及は性行為から生殖としての意味を取り除いた。

3. This in turn leads to more assortive mating, with achievement-oriented men looking for interesting mates rather than for good maids.

この補完性の変化により、男性の相手探しは家事能力の有無から興味を惹かれるかどうかということに焦点が移った。書かれていないが女性であれば所得獲得能力からということになろうだろう。

このことは未婚率の上昇にもつながるだろう。五十年前、生産面での補完性は程度の差はあれ多くの男女のペアについて成立した。女性の労働市場での所得獲得能力がない以上、働ける男性との組み合わせはほぼ常にプラスだ。それに比べて消費面での補完性は普遍性がない。例えば、財政について考えない場合、女性が望ましいと思う男性の割合は100%よりもかなり低いだろう。男性には同様の傾向がないとすればこの割合が結婚率に近くなるはずだ。

4. This in turn leads to greater inequality across households. It also fosters greater inequality among children. The children of two affluent parents are likely to have much better genetic and environmental endowments than the children of two (likely unmarried) low-income parents.

結婚のあり方の変化は家計所得の不平等に繋がる。消費の補完性は社会経済的なステータスが近いほうが高いと考えられ、高所得カップルと低所得カップルといった分離が進む。当然この傾向は遺伝的・環境的に次の世代にも引き継がれる。

5. Inequality is exacerbated by globalization and technological change. If your comparative advantage is basic physical labor, you have to compete with machines as well is with workers from the Third World.

肉体労働の価値の低下は結婚市場を通じて不平等を進めるだけでなく、そによって生じた低所得の家計の所得を一段と減らしていくことを意味する。

The net result is an economy that has improved considerably for people with high cognitive skills, but which has improved only somewhat for people with relatively low cognitive skills.

結果は認知能力の高い人々にとっては大きな改善となるがそうでない人には改善が見られないことになる。

認知的能力という言葉はこれから大きなキーワードになっていくかもしれない。