ベジタリアンはいなくなる?

ベジタリアン思想の根底にある動物の権利については前に書いたけど(参考:どうして鯨漁は無くならないか)、そんな問題はまるっきりなくなっちゃうかもしれない:

Meat grown in laboratory in world first – Telegraph

Researchers in the Netherlands created what was described as soggy pork and are now investigating ways to improve the muscle tissue in the hope that people will one day want to eat it.

SFではお馴染みかもしれないけど、人工の肉が作られたそうだ。

The scientists extracted cells from the muscle of a live pig and then put them in a broth of other animal products. The cells then multiplied and created muscle tissue. They believe that it can be turned into something like steak if they can find a way to artificially “exercise” the muscle.

細胞を培養したものなので、クローンした動物を屠殺するわけではない。

Animal rights group Peta said: “As far as we’re concerned, if meat is no longer a piece of a dead animal there’s no ethical objection.”

PETAですらこうして製造された肉を食用にすることには異存ないようだ。

まだ実際に人間が口にするところまでは辿りついてはいないが、こうした技術が発展し、価格面で通常の畜産を凌駕するのは時間の問題だろう。

肉を生産するためにはの数倍から数十倍の穀物が必要であることや、肥育牛による温暖化ガス(メタン)の発生を考えても望ましい流れかもしれない。

どうして三世の所得が低いか

移民で三世、つまり祖父母が移民した世代の所得は親である二世より下がる。これは何故か:

Economic Logic: Why third generation immigrants earn less

こちらが元記事の論文だ。以下概要から。メキシコからの移民の人的資本を推定している。

there is a significant one time loss of human capital faced by immigrants upon migration that is not transmitted to their children.

第一世代は移民のために人的資本を犠牲にする。

Also parents with larger amounts of human capital tend to migrate more and tend to choose to remain high school educated.

能力のある人間が移民するが、彼らは高卒に留まる。

However, given the better educational opportunities offered in the US, they migrate with the expectation of their children becoming college educated.

しかし、子供の教育には熱心で第二世代は大学教育を受ける。

Therefore, measures that rely on the earnings performance and educational attainment of immigrants underestimate the amount of human capital they bring into the host country.

そのため第一世代の所得や教育レベルは彼らの本当の能力にくらべ低いものとなり、そういった指標で移民の価値を図ることは実際の価値を低く推定してしまうという。

さらに面白いのは第三世代は第二世代よりも所得が落ちるという傾向だ。これについてリンク先では次のように説明している。

The way I understand it is that there is selection in migration decisions: only those with higher than average abilities (not necessarily realized human capital) go. Their children inherit some of those traits, and thus have higher than average abilities and human capital. While the first generation was not able to fully exploit this, while the second does, wages go up. But abilities of the third generation continue regressing to the mean, and the selection effect erodes.

移住を決意する外国人は平均的に能力が高い。しかし、彼ら自身は移民に伴いそれを完全に生かすことができない。その子供である第二世代はその高い能力を受け継ぐ一方、高度の教育を受け高い所得を得る第三世代になると、遺伝的能力は平均に回帰していくため、集団としてのアドバンテージは消えていく

こういった考え方は優性学的側面を持つため表立って議論されることはあまりないが、移民の多い国の大きなアドバンテージになっていることは間違いないだろう。例えばアメリカでは高校までの教育水準は平均的にいって著しく低い。しかし大学レベルになると留学生が入ることでレベルが上がり、アメリカ人も必死で勉強するようになる。大学院に至っては留学生が大半を占める学科もある(うちの学校では60%-70%は留学生だ)。またアメリカ国籍を持っていて両親ともに留学生としてアメリカに来たという例も珍しくない。

実はアメリカの移民政策は一般に思われているほど移民にやさしくないが、イギリス・カナダ・オーストラリアなどでは能力の高い外国人が永住権を取得するのは簡単にしている英語が通じない日本で同じようなことが可能かは分からないが、できないとしても代わりに教育システムで補償するなど真剣な議論が必要だ

大学教育と油田開発

バークレーを含めカリフォルニア大学の各キャンパスで授業料値上げに対するデモ行進などが起こっている。一つの主張は、授業料が上がると誰もが大学教育受けるという機会が失われるというものだ。しかし、なぜ大学の学費を政府が援助する必要があるのだろうか

UC Tuition: The Revolt of the Will-Haves, David Henderson | EconLog | Library of Economics and Liberty

大学教育への政府支出に対する最も有名な批判はフリードマン(Milton Friedman)のそれだろう:

Milton Friedman used to remark that the California government, with its state funding of higher education, taxed the residents of Watts to pay for the residents of Beverly Hills.

カリフォルニア政府は大学に財政支出を行うことで貧しい人々から豊かな人々へ再配分をしているというものだ。日本なら総合大学で最も親の平均所得が高いのは東大だろう(外れ値にもよるので実際どうだかは知らない)。仮に教育費の問題がなくとも、遺伝で説明できる(東大生の親は東大生という奴だ)。東大の学費を政府が補助することはみんなから集めたお金をお金を持っている家の子供に還元することになる

Even though the California’s tax system relies heavily on sales taxes, which probably makes the state tax system on net somewhat regressive, it’s still the case that a given Beverly Hills family pays much more in taxes than a given family in Watts.

もちろん裕福な家庭の方が多くの税金を払っていることを考えれば一概に逆進的な所得の再配分が行われているとは言えないが、そういう傾向があるのは確かだろう。

アルキアン(Armen Alchian)はさらに家庭の所得ではなく個人の潜在的な所得獲得能力に注目した:

All college calibre students are rich in both a monetary and non-monetary sense. Their inherited superior mental talent–human capital–is great wealth.

大学の学費を援助することの逆進的な再配分を説明するのに家庭を持ち出す必要はない。大学へ進学する人間というのは、将来多くの所得を稼ぐことのできる、潜在的には裕福な人間だからだ

また東大の例を出せば東大の卒業生が平均的に高所得なのは明らかだ。例え家が貧しかったとしても結論は変わらない。学生の本当の豊かさというのは潜在的な所得獲得能力で決まる。現在の稼ぎ、親の稼ぎ、将来実際に稼ぐかとも関係ない。

College calibre students with low current earnings are not poor. Subsidized higher education, whether by zero tuition, scholarships, or zero interest loans, grants the college student a second windfall–a subsidy to exploit his initial windfall inheritance of talent. This is equivalent to subsidizing drilling costs for owners of oil-bearing lands in Texas.

ここでは油田の開発と比べられている。学生というのは油田地域の保有者のようなものだ。教育というのはその採掘だ。学費の支援は油田採掘へ補助金を出すことだ

Nothing in the provision of full educational opportunity implies that students who are financed during college should not later repay out of their enhanced earnings those who financed that education.

教育機会の平等というのは、誰もが自分の油田を開発できる環境を提供することだそのために必要なのは採掘費用を貸し出すことであって、費用をみんなが負担することではない

では大学への政府支出が必要ないのかというとそんなことはない。油田の開発を考えれば分かる。油田の存在が国家にとって必要なら税金を使って開発するのは理にかなっている。また例えば大油田が日本のある場所に眠っているとして、その土地の持ち主が政府に採掘費援助を要求しても不思議はないだろう。土地であれば国が接収したり、開発を強制したりもできるが、人間の能力ではそれは無理だ。

また人間は油田とは異なり国際的に移動できる。もしある国が教育費を補助しなければ優秀な人間がさっさと国外に移動することは十分に考えられる。大学レベルでも同じだ。大学が授業料を免除したり、奨学金をだしたりするのは機会の平等のためではなく優秀な学生を捕まえるためだ。だから大学経営が商業的なアメリカのほうが授業料免除や奨学金は遥に多い。

政府は、大学教育への補助を機会の平等のためだと主張するのを止めるべきだ。機会の平等には学費の貸与で対応し、社会のために必要な補助に関してはそうと明らかにした上で適切に行っていく必要がある。

追加:FreakonomicsにもBlogにも関連記事がでている。ポイントは授業料が高いことではない。お金がない学生に対する奨学金が足りないことだ。大学の高い授業料と奨学金は価格差別の一種だ:

Financial aid is, at its core, a price-discrimination scheme. Consumers pay different prices (net of financial aid) for the same service. Higher education is the very rare market where the seller says “Tell me in detail about your ability to pay, and I’ll tell you what your (net) price will be.”

そして価格差別によって、それなくしてはその財を購入できない消費者の手に財が提供されるなら、価格差別は社会的に望ましい。

子どものDNA鑑定

父親が子どもの生物学上の親である割合についてのニュースがあったが(参考:DNA鑑定と親子関係)、関連ニュース:

How DNA Testing Is Changing Fatherhood – NYTimes.com

DNA鑑定で生物学上の親ではないと分かった父親のストーリーがいくつか挙げられている。基本的流れは次のような感じだ:

  1. 子どもがそれなりに育ってから何らかの機会(浮気の発覚、養育費の割増要求)などで疑念を抱く
  2. DNA鑑定で遺伝的なつながりがないことが発覚
  3. 婚姻中であれば離婚
  4. (A)完全に親子関係を絶つ、(B)親子関係を維持する=養育費を払う
  5. 元妻が子どもの生物学上の父親と再婚ないし同棲
  6. (B) なら元夫が親子関係の不存在を求めて訴訟して負ける

問題は6だ。4で親子関係を維持している場合(B)、法律上の父親は元夫であるため養育権(custody)がなくとも養育費(child support)を支払う義務が生じる。この場合元夫は生物学上の家族へ養育費を支払うという非常に不自然な形になる。

そもそも(B)を選択しているのは何故か。それは養育費を支払う義務を免れるには遺伝上のつながりがないと判明した時点で親子関係を完全に解消しなければ(A)ならないからだ。そこまで踏みきれない男性が多い。

このような複雑な制度が作られているのは、子どもと親との利害関係を調整するためだ。親子関係を解消するのであれば早い方が子どもにとって望ましいという理由から(A)を選択しない限り法律上の親子関係は固定される。

Several suggested that DNA paternity tests should be routine at birth, or at least before every paternity acknowledgment is signed and every default order entered.

この問題を簡単に解決する方法はDNA鑑定を義務付けることだ。DNA鑑定のコストは下がっており、法律で導入を進めればさらに安価になるのは間違いない。

Mandatory DNA testing for everyone would be a radical, not to mention costly, shift in policy. Some advocates propose a somewhat more practical solution: that men who waive the DNA test at a child’s birth should be informed quite clearly that refusing the test will prohibit them from challenging paternity later.

鑑定のための費用を削減するために、義務付けるのではなく、鑑定を行わなかった場合には後で親子関係の不存在を訴えることを認めないという案もある。しかし、子どもとの生物学的つながりに自信を持つ父親でさえ2%は実際にはつながりがないという調査結果を考えれば、それなりに裕福な国では義務付けも止むないだろう。後で問題が発覚した場合の被害は父親・子ども両者ともに甚大だ。いくら法律で親子関係を義務付けても、発覚してしまえば被害は避けられない。

鑑定によって遺伝的つながりがないと判定された場合の子どもの扶養を問題にする指摘もあるが、遺伝上の父親を同様の鑑定によって発見するのは容易い。また片親の家庭はこういったケースに限られるわけではなく、通常の福祉政策によってカバーできる。

P.S. しかし女性が子どもが男性のものだと欺いているわけだから単なる詐欺として処理すればうまく回るような気がするんだけど。。。子どもは善意の第三者ってことでいいし。