バークレーを含めカリフォルニア大学の各キャンパスで授業料値上げに対するデモ行進などが起こっている。一つの主張は、授業料が上がると誰もが大学教育受けるという機会が失われるというものだ。しかし、なぜ大学の学費を政府が援助する必要があるのだろうか:
大学教育への政府支出に対する最も有名な批判はフリードマン(Milton Friedman)のそれだろう:
Milton Friedman used to remark that the California government, with its state funding of higher education, taxed the residents of Watts to pay for the residents of Beverly Hills.
カリフォルニア政府は大学に財政支出を行うことで貧しい人々から豊かな人々へ再配分をしているというものだ。日本なら総合大学で最も親の平均所得が高いのは東大だろう(外れ値にもよるので実際どうだかは知らない)。仮に教育費の問題がなくとも、遺伝で説明できる(東大生の親は東大生という奴だ)。東大の学費を政府が補助することはみんなから集めたお金をお金を持っている家の子供に還元することになる。
Even though the California’s tax system relies heavily on sales taxes, which probably makes the state tax system on net somewhat regressive, it’s still the case that a given Beverly Hills family pays much more in taxes than a given family in Watts.
もちろん裕福な家庭の方が多くの税金を払っていることを考えれば一概に逆進的な所得の再配分が行われているとは言えないが、そういう傾向があるのは確かだろう。
アルキアン(Armen Alchian)はさらに家庭の所得ではなく個人の潜在的な所得獲得能力に注目した:
All college calibre students are rich in both a monetary and non-monetary sense. Their inherited superior mental talent–human capital–is great wealth.
大学の学費を援助することの逆進的な再配分を説明するのに家庭を持ち出す必要はない。大学へ進学する人間というのは、将来多くの所得を稼ぐことのできる、潜在的には裕福な人間だからだ。
また東大の例を出せば東大の卒業生が平均的に高所得なのは明らかだ。例え家が貧しかったとしても結論は変わらない。学生の本当の豊かさというのは潜在的な所得獲得能力で決まる。現在の稼ぎ、親の稼ぎ、将来実際に稼ぐかとも関係ない。
College calibre students with low current earnings are not poor. Subsidized higher education, whether by zero tuition, scholarships, or zero interest loans, grants the college student a second windfall–a subsidy to exploit his initial windfall inheritance of talent. This is equivalent to subsidizing drilling costs for owners of oil-bearing lands in Texas.
ここでは油田の開発と比べられている。学生というのは油田地域の保有者のようなものだ。教育というのはその採掘だ。学費の支援は油田採掘へ補助金を出すことだ。
Nothing in the provision of full educational opportunity implies that students who are financed during college should not later repay out of their enhanced earnings those who financed that education.
教育機会の平等というのは、誰もが自分の油田を開発できる環境を提供することだ。そのために必要なのは採掘費用を貸し出すことであって、費用をみんなが負担することではない。
では大学への政府支出が必要ないのかというとそんなことはない。油田の開発を考えれば分かる。油田の存在が国家にとって必要なら税金を使って開発するのは理にかなっている。また例えば大油田が日本のある場所に眠っているとして、その土地の持ち主が政府に採掘費援助を要求しても不思議はないだろう。土地であれば国が接収したり、開発を強制したりもできるが、人間の能力ではそれは無理だ。
また人間は油田とは異なり国際的に移動できる。もしある国が教育費を補助しなければ優秀な人間がさっさと国外に移動することは十分に考えられる。大学レベルでも同じだ。大学が授業料を免除したり、奨学金をだしたりするのは機会の平等のためではなく優秀な学生を捕まえるためだ。だから大学経営が商業的なアメリカのほうが授業料免除や奨学金は遥に多い。
政府は、大学教育への補助を機会の平等のためだと主張するのを止めるべきだ。機会の平等には学費の貸与で対応し、社会のために必要な補助に関してはそうと明らかにした上で適切に行っていく必要がある。
追加:FreakonomicsにもBlogにも関連記事がでている。ポイントは授業料が高いことではない。お金がない学生に対する奨学金が足りないことだ。大学の高い授業料と奨学金は価格差別の一種だ:
Financial aid is, at its core, a price-discrimination scheme. Consumers pay different prices (net of financial aid) for the same service. Higher education is the very rare market where the seller says “Tell me in detail about your ability to pay, and I’ll tell you what your (net) price will be.”
そして価格差別によって、それなくしてはその財を購入できない消費者の手に財が提供されるなら、価格差別は社会的に望ましい。
同意です。大学の授業料を免除することに関しては前から同じことを考えていました。私は教育の機会の平等はとても大事だと思いますが、それに対する補助金はもっと早い段階で投入しないと逆効果だと思います。デトロイト都市圏では優秀な中学生を選抜制の公立高校に集めて無料でみっちり教育しようという流れのようです。アメリカは、大学入学までの教育環境が貧富の格差によってかなり違うのでこれはある程度の社会的価値があるように思います。
教育の機会平等は再分配政策とは少し違うのでしょうね。油田開発とのアナロジーでいけば、政府が補助金を出したいのは貧しい開発業者ではなくて良い油田を見つけてくれる業者でしょう。
>私は教育の機会の平等はとても大事だと思いますが、それに対する補助金はもっと早い段階で投入しないと逆効果だと思います。
ごもっとも。大学の段階ではもう遅いですよね。アメリカに関しては大学の学費貸与は徹底しているようですが、初等教育がどうしようもないそうです。とりあえず学校のために引っ越すのが当然という状況を何とかしないと。。。
>政府が補助金を出したいのは貧しい開発業者ではなくて良い油田を見つけてくれる業者でしょう。
そういうことです。それを平等のためとか貧しい家庭の子供のためとか言うから紛らわしいことになっていると思います。
>平等のためとか貧しい家庭の子供の
>ためとか言うから紛らわしい
全くその通りです。地域にもよりますが、アメリカの高校以下は無茶苦茶のようですね。地方財政は悪化しているのでこれから数年はますますひどくなるでしょう。日本も受験勉強で質を維持しているだけで公教育自体は相当やばいと思いますが。
>アメリカの高校以下は無茶苦茶のようです
日本人でこちらで子供を育てている知り合いはみんな驚いてますね。。。数学とか自分で教えてたり、補習校に入れたりと頑張っているみたいです。
このまえイベントでGifted専門の幼稚園(?)の先生って人に会いました。学費が有名私立大学を越えていて企業重役の子弟ばかりとのこと。。。