結婚と市場

以前、「認知能力の重要性と社会の変化」というポストでBetsey StevensonとJustin Wolfersによる結婚と市場との関係についての議論に触れた。今回は、その議論を紹介してみる。

ちなみにこのブログにおける、その他の結婚に関するポストはこちらでタグされている。ジェンダーに関するポストはこちらだ。

Cato Unbound » Blog Archive » Marriage and the Market

恋愛や結婚を市場の取引に例えることは今や何も珍しいことではない。希少な財が取引されているという意味では自然なことだ。分析は二つの段階に分けて行われる:

  1. 異性から何が評価されるのかを示す
  2. それをもとに恋愛・結婚に関する現象を説明する

しかし、多くの分析は1の段階であまり説得力を持たない。それは評価される基準についてそれが何故評価されるかについて事実としてそうだということ以上の説明をしないためだ。ここで紹介する議論は、結婚市場において評価される性質を結婚という社会制度の役割を通じて明らかにする。恋愛市場での価値基準については進化論的な説明が適切だろう(こちらのポスト参照)。結婚相手を探す際にはもちろん恋愛相手としての価値が重要な部分を占めるがここでは結婚に特有な要素を扱う。

Stephanie Coontzの著作の紹介から始まる:

While Coontz describes the variety of forms of family life through history, the commonality uniting them is particularly significant: families have always played a role in “filling in” where incomplete market institutions would otherwise have hindered economic development.

人類史を通じて、様々な形の結婚が存在したがその全てに共通するのは、家族というものは市場の不完全性を埋め合わせてきたことだという。

For example, even in the absence of well-functioning contract law, families found ways to enforce agreements among kin.

その一つ例が契約の執行だ。法制度・警察制度が未発達な社会においては、社会的に望ましい契約が成立しない。しかし血縁は契約法の成立以前からその代わりを果たしてきた。

This naturally gave the family a role as an organizing device for economic activity, and the limits of the firm often coincided with the limits of the family.

これは家族経営の会社が多かったことを説明する。契約を簡単に結べるのが家族内に限られるため、それが経済活動の仕切りとなるのは自然なことだ。

Similarly, prior to the expansion of the welfare state, the family had been a key provider of insurance, as spouses agreed not only to support each other “through richer, through poorer, in sickness and in health,” but also extended this guarantee to parents, children, and siblings.

また社会保障制度のない時代、血縁関係が保険の役割を果たしてきた。

A number of goods and services, such as freshly-cooked meals, or childcare, were historically not sold in the market sector. Thus, the family became the firm producing these household services.

食事や子供の世話もまた市場では取引されていなかった時代には全て家族内で供給された。その供給においては家族内での分業が効率的であり、性に基づく役割分担がなされる。

この結婚が市場の不完備を埋める存在であるという考え方を受け入れるならば、市場経済の発達により結婚の存在意義が変わっていくことが分かるだろう。

The forces shaping family life have changed with the development of the market economy. An increasingly sophisticated system of contract law has made possible enormous economic benefits, but in the process the modern corporation has come to supplant the family firm as the key unit of production. The development of social insurance has spread greater security to many but has reduced the role of the family as a provider of insurance. Most recently, technological, social, and legal changes have reduced the value of specialization within households.

契約法が完備されることにより、家族経営の必要性はなくなる。社会保険の発達は保険提供者としての家族の役割を小さくする。市場取引の拡大や技術発展は家庭内での分業の価値を減らす。

While the political emancipation of women is surely a key factor in their movement from the home to the market, deeper economic forces are also at play.

女性の社会的地位の変化は、家族内での分業の価値低減から説明できる。食事も衣服も家庭内で生産する必要はなく、家事労働もまた技術発展により大きく軽減された。

While the benefits of one member of a family specializing in the home have fallen, the costs of being such a specialist have risen.

逆に、女性が家事労働に特化する機会費用は大きくなった。避妊技術の発展で女性への人的投資の効率が上がり、労働市場における女性の給与水準も高まった。

Rising life expectancy also reduces the centrality of children to married life, as couples now expect to live together for decades after children have left the nest. […] Only 41% of married couples currently have their own children present in their household (down from 75% in 1880).

また平均寿命の上昇は結婚生活にとっての子供の占める割合を減らした。現在、子供のいる夫婦は41%に過ぎないそうだ。

では、契約執行・保険・社会保障・家事に関する専門化・子育てという伝統的な結婚・家族の役割が失われる中、結婚の意味はどうかわったのだろう。次の一節がこの問いへの回答だ:

So what drives modern marriage? We believe that the answer lies in a shift from the family as a forum for shared production, to shared consumption.

家族の中心的機能は共同生産から共同消費に移ったという。

Most things in life are simply better shared with another person: this ranges from the simple pleasures such as enjoying a movie or a hobby together, to shared social ties such as attending the same church, and finally, to the joint project of bringing up children.

共同消費というのは、一緒に映画を見たり、趣味に興じたり、教会にいったり、子供を育てたりすることを指す。

Returning to the language of economics, the key today is consumption complementarities — activities that are not only enjoyable, but are more enjoyable when shared with a spouse.

経済学の用語を使えば、現代の結婚においては補完的な消費活動が重要な意味を占めるということだ。

Today, it is more important that we share similar values, enjoy similar activities, and find each other intellectually stimulating. Hedonic marriage leads people to be more likely to marry someone of their similar age, educational background, and even occupation.

共同消費が重要になると当然、結婚において価値観が近く、趣味が合い、面白い相手を選ぶ傾向が生まれる。これは年齢・学歴・職業などが近いカップルが増えることを意味する。

Yet the high divorce rates among those marrying in the 1970s reflected a transition, as many married the right partner for the old specialization model of marriage, only to find that pairing hopelessly inadequate in the modern hedonic marriage.

これは離婚率の推移も説明する。離婚率は一時急激に上昇したがこの三十年ほどは下がる傾向にある。これは、結婚の機能が変わったことによる影響と捉えられる。

認知能力の重要性と社会の変化

Arnold Klingによる、この三十年間の社会変化の分析がおもしろい:

The State of the Economy, I, Arnold Kling | EconLog | Library of Economics and Liberty

I think that perhaps the most important trend of the past thirty years is the increased importance of cognitive skills relative to physical labor.

彼が指摘する、この三十年間で最も重要な変化は肉体労働に対する認知的能力(cognitive skill)の上昇だ。具体的に「認知的能力」が何を意味するかについては説明されていないが、文字通り解釈するなら情報処理能力のことだろうか。

1. It changed the role of women. Their comparative advantage went from housework to market work.

認知能力が重要になることで、女性の労働市場での価値が相対的に上昇した。男女の認知能力の比較ついては各論あるだろうが、女性が肉体労働よりも認知能力を必要とする仕事を得意とするのは明らかだろう。

ただ、この因果関係は一方的ではないだろう。女性の労働市場への参加が進むことで、男性にとっての認知能力の価値も上がる

何故認知能力が重要になったのか、女性の労働市場への参加が進んだのかということについては技術の変化が最も大きな貢献をしたと考えられる。前者の場合は製造業の生産性上昇に伴うサービス産業へのシフト、後者の場合は家事労働を軽減する家電の発達がある。

フェミニズムのような思想の発展の寄与も無視できないが、それは根本的な原因というよりも結果に近いだろう。もし思想的に労働市場で働くという考え方が浸透したとしても、女性の労働市場での生産性上昇・(家事の軽減による)機会費用の減少がなければ、その流れが定着することはない。雇う側は生産性に見合った給料しか出せないし、家事労働は誰かが負担する必要があるため経済的に持続しないからだ。

2. This in turn, as Wolfers and Stevenson have pointed out, changed the nature of marriage. Men and women look for complementarity in consumption rather than in production.

女性の所得向上は、結婚において生産面での補完性ではなく、消費における補完性を求める傾向につながる。Betsey StevensonとJustin Wolfersの議論についてはそのうち紹介するとして、概要を述べよう。女性の50年前、結婚の最大の機能は分業であって。男性が市場で外貨を獲得し、女性が家事・育児を行うというものだった。しかし家事労働の減少と女性の労働市場の地位向上はこのアレンジメントの必要性を激減させた。育児についてはその手間は家事ほどには軽減されていないが、育児には消費という側面もある。また、平均寿命の増進により育児の結婚における重要性は減った。

代わりに、重要となるのが消費の補完性である。これは男女が同時に行った方が効用の高い消費行動があるためだ。生産面での分業が必要なければ結婚の意味は協調的な消費に移る。例えば、現代社会において男女が個別に食費を稼ぐのは容易だ、しかしこれは個別に食事を採ることが望ましいことを意味しない。さらにわかりやすいのは消費としてのセックスだろう。医療の発展による避妊技術の普及は性行為から生殖としての意味を取り除いた。

3. This in turn leads to more assortive mating, with achievement-oriented men looking for interesting mates rather than for good maids.

この補完性の変化により、男性の相手探しは家事能力の有無から興味を惹かれるかどうかということに焦点が移った。書かれていないが女性であれば所得獲得能力からということになろうだろう。

このことは未婚率の上昇にもつながるだろう。五十年前、生産面での補完性は程度の差はあれ多くの男女のペアについて成立した。女性の労働市場での所得獲得能力がない以上、働ける男性との組み合わせはほぼ常にプラスだ。それに比べて消費面での補完性は普遍性がない。例えば、財政について考えない場合、女性が望ましいと思う男性の割合は100%よりもかなり低いだろう。男性には同様の傾向がないとすればこの割合が結婚率に近くなるはずだ。

4. This in turn leads to greater inequality across households. It also fosters greater inequality among children. The children of two affluent parents are likely to have much better genetic and environmental endowments than the children of two (likely unmarried) low-income parents.

結婚のあり方の変化は家計所得の不平等に繋がる。消費の補完性は社会経済的なステータスが近いほうが高いと考えられ、高所得カップルと低所得カップルといった分離が進む。当然この傾向は遺伝的・環境的に次の世代にも引き継がれる。

5. Inequality is exacerbated by globalization and technological change. If your comparative advantage is basic physical labor, you have to compete with machines as well is with workers from the Third World.

肉体労働の価値の低下は結婚市場を通じて不平等を進めるだけでなく、そによって生じた低所得の家計の所得を一段と減らしていくことを意味する。

The net result is an economy that has improved considerably for people with high cognitive skills, but which has improved only somewhat for people with relatively low cognitive skills.

結果は認知能力の高い人々にとっては大きな改善となるがそうでない人には改善が見られないことになる。

認知的能力という言葉はこれから大きなキーワードになっていくかもしれない。

計算された暴力

Science Dailyでドメスティック・バイオレンス(DV)に関する研究が紹介されている:
Violence Between Couples Is Usually Calculated, And Does Not Result From Loss Of Control, Study Suggests

Violence between couples is usually the result of a calculated decision-making process and the partner inflicting violence will do so only as long as the price to be paid is not too high.

多くの場合、カップル間(但しDVはカップル間のそれである必要はない)の暴力は計算された意思決定の結果だということだ。

The violent partner might conceive his or her behavior as a ‘loss of control’, but the same individual, unsurprisingly, would not lose control in this way with a boss or friends

本人は衝動的にやってしまったと主張するが、同じ人間が上司や友人の前で同じように「衝動的」な行動をとることはないそうだ。DVを暴力をふるう側のほとんどが精神病だとする向きもあるようだが、病気だと考えるよりも合理的な行動として解釈する方が方法論的に健全かつ生産的だろう。

上の主張についていえば、上司や友人の前では暴力的でないが身内に暴力的なタイプの精神病だと言うことはできるが、それは過剰な拡大解釈だ。全てを病気だと解釈することは一種の反証不可能仮説だ。何でも説明できるだろうが予測力がない。

記事によれば、DVは理性的な意思決定の結果(the result of a calculated decision-making process)とされているが、そのように解釈できることは必ずしも行為者が理性的でよく考えて行動していることを意味しないことにも注意が必要だろう。単に、理性的な意思決定の結果として理解できるのであれば主観の解釈は必要ない。もちろん本人が自分の行動をどう説明するかも関係ない。

Neither of the couple sits down and plans when he or she will swear or lash out at the other, but there is a sort of silent agreement standing between the two on what limits of violent behavior are ‘ok’, where the red line is drawn, and where behavior beyond that could be dangerous

この発言は暴力を伴う人間関係が一種の均衡になっていることを如実にしめしている。許容される暴力の限度についての同意(agreement)があるように見えるそうだ。

when speaking of one-sided physical violence, most often carried out by men, the violent side understands that for a slap, say, he will not pay a very heavy price, but for harsher violence that is not included in the ‘normative’ dynamic between them, he might well have to pay a higher price and will therefore keep himself from such behavior.

一定限度内の暴力は許容されるが、一線を越えた場合に別離や外部への通報というペナルティが発生するため暴力をふるう側もそこで止まるとのこと。

この状況は一種のゲームの(パレート)非効率な解として理解できる。両者にとって暴力を伴わない関係が望ましいにも関わらず、暴力を伴う均衡が選択されているためだ。

解決策としては刑罰などでペナルティを大きくすることが考えられるだろう。しかしこの方法が効果的かは疑わしい。ペナルティが暴力をふるう側の行動に影響を及ぼすためには、ペナルティに訴える可能性が現実的でなければならない。しかし、ペナルティが加害者への罰則に過ぎなければこれはうまくいかない。いくら加害者が損をしても、被害者が得するわけではない。むしろ、両者が関係を続けていることから、被害者にとってその関係は一応プラスの利得を持っていると推定できるためペナルティによって別れるのであれば被害者にとってマイナスだ。最終的に被害者がペナルティに訴えないと分かっているかぎり、加害者へのペナルティの大きさは加害者の行動に影響しない。通報した場合に被害者に報酬を与えればいいが、虚偽の通報などより大きな問題が発生するだろう。

もう一つの方法は二人で話合うか第三者が相談にのりコーディネーションを行う=均衡を選択することだ。この方法にも大きな課題がある。それは、暴力のない状態が必ずしも暴力を伴う状態にくらべ(パレート)改善とは限らないことだ。暴力をふるう側にとって暴力を伴う状態のほうがない状態よりも望ましいなら、さあ暴力をなくそうといっても合意は得られない。通常の交渉であればこれは補償により解決される。両者にとっての余剰の和が大きければそれを暴力をふるう側に配分することで合意が得られるからだ(そして「暴力をふるう」側は結果的に暴力をふるわない)。しかし現代社会であからさまに不平等の存在する男女関係は許容されないためこのような交渉は成立しないだろう。

P.S. 逆に言えば、フェミニズム以前の社会においてはパートナー間の不平等は存在したが、実際に暴力が発生する可能性は低かったかもしれない(実際の数字は分からないが、最初から亭主関白な家庭において妻への暴力が多いとは思えない)。

追記:亭主関白な家庭でもDVはあるという指摘があった。これは結婚しない場合の女性の利得=アウトサイドオプションが非常に低い場合にはありうる。この場合、不平等な関係であっても女性には、最悪の場合とくらべて、余剰が残っているので交渉力の関係によっては暴力がない関係にならないことが考えられる。これは女性のアウトサイドオプションが大きくなるにつれ解消される(男性は最低でもそれだけの利得を女性に割り当てなければ交渉が成立しない)。また、現実にはパートナーの暴力に対する選好に関して不確実性が存在するため、期待値的に大丈夫だと思って結婚したがそこから抜けられないというパターンもありうる。

カップルのためのファイナンシャル・プラニング

New York Timesでこれから結婚する前にお金の使い方に話合うべきだというストーリーが紹介されている。

Your Money – Four Talks About Money to Have Before Marriage – NYTimes.com

何故、カップルがお金の使い方についてよく考える必要があるのか。一つ目の理由は離婚率の高さだ。

The risk that any marriage will end in divorce is about 45 percent

離婚率は半分近く、弁護士費用は引越し費用などは大きな財政負担になる。そして離婚の原因の多くがお金にまつわるものであるのは言うまでもない。

It’s almost impossible to be hooked up to somebody who has the same balance of spender and saver as you, or expansiveness versus conservativeness or financial circumstances

そしてお金の使い方について同じような考えを持っている相手と合う可能性はそれほど高くない

He adds that the mix gets even more volatile with second marriages, when couples may have children, ingrained financial habits and savings or other assets that necessitate the discussion of a prenuptial agreement.

さらに、二度めの結婚ともなれば連れ子がいる場合もあるし、消費パターンも固定してしまっている。大きな資産があればプレナップ(婚前取り決め)も必要になる。

ここでは再婚の事例が挙げられているが、必ずしも再婚である必要はないだろう。結婚時点での年齢があがるにつれ、消費パターンの固定化や重要な資産・債務の額は上昇していく。これには会計上現れない人的資本なども含まれよう。

When Lisa J. B. Peterson started her Boston-based financial planning firm, Lantern Financial, she knew she wanted to focus her practice on young professionals. She quickly realized that many of them could use premarital financial counseling and built a program called Harmoney around their needs.

カップルに絞ってファイナンシャル・プラニングを行うサービスが紹介されている。これは晩婚化・女性の社会進出によって大きな市場の拡大が見込める分野だ。晩婚化の影響については既に述べた。

女性の社会進出は、さらにビジネスチャンスを呼び込む。何故なら、女性が男性と大差ない貨幣所得を得るという事態は新しい現象であり、既存の婚姻制度ではうまく対処できないためである。

二十年・三十年前であれば、男性が稼ぎ頭で女性は家にいるというのがごく普通の家庭であった。そのような環境であれば、例えば離婚時に女性が財産分与・親権割り当てにおいて優位に立つことは合理だっただろう

しかし、男女ともに働く世の中ではそのような傾向は、本来両者にとって望ましい結婚がうまくいかなくなる可能性があるという意味において、マイナスに働く。男性にとって結婚があまりにもリスキーになりすぎるからだ。また晩婚化は結婚した時点で主に女性が生物学的なピークを越えていることも意味するため、さらに結婚へのインセンティブは弱まるだろう。

これが大きなビジネスチャンスであるのは言うまでもない。当事者が望ましいと思っている結婚が社会制度によって達成されないという非効率が存在する以上、それをファイナンシャル・プラニングであれプレナップであれ解決できるのであれば、効率的になった部分の分け前を利益としてあげることができる

もちろん社会の変化についていけないのは制度だけではない。文化もそうである。最近よくニュースなどで見る、デートでの勘定は誰が払うべきかという話がそれだ。根本にあるのは男女の所得の均等化とそれに対応しきれない文化だろう(特に婚前にあたる若年層においてほとんどなくなってきている)。

追記:これらの議論は全て期待値的な話であり、例外はいくらでも存在する。

バイアグラ効果

ブラジルではバイアグラ効果によって年金制度に問題が生じているそうだ。

AFP: ‘Viagra effect’ undermining Brazil’s pension system: study

バイアグラ効果というのは、

a trend of men in their 60s marrying women half their age was leaving a big pool of young widows collecting benefits for much longer than anticipated.

60代の男性が自分の半分くらいの歳の女性と結婚することにより、比較的若い未亡人が長期間に渡り年金を受給する現象のことを言うそうだ。元々、夫に先立たれた妻が夫の年金を受給するこの制度は15年程度の支給を想定しているため、何十年間も支給することを考えて設計されていない。

Under current laws, when a retired man dies, his wife continues to receive his full pension until her own death.

しかもブラジルでは夫の年金全額を妻が受給できるそうで深刻な問題であるようだ。年金を個人単位に変えていくことが必要なのは明らかだろう。

追記:日本語訳発見。