クリーピー

アメリカでおそらく最も有名なオンラインコミックxkcdから:

xkcd – A Webcomic – Creepy

電車で気になる女性を見つけた男性が声を掛けようとするが、一人で最悪の事態を想定して何もしない。でも女性も実は興味を持ってるというプロット。

ここの四コマは割合いつも面白い。今回は二点ほど考えることがある。一つはこの場合の男女マッチングがうまくいかない理由は情報が不完全であるためだということ。この場合両者が興味を明らかにすれば共に得するはずだ。しかし、均衡において情報は隠れたままだ。登場人物の男性は失敗した場合の損失=恐怖が大きすぎるので相手から明らかなシグナルがなければ声を掛けない。それに対して女性から明らかなシグナルを送ることは相手が女性のことを軽い女だと誤解してしまう(ないし知ってしまう)可能性がある。よって両者ともに何もしないことが均衡になる。この問題については、複数回の接触による情報のやりとり、お見合いのようなシステムが解決策になる。しかしこれらはどれも現代社会では役に立たない。見知らぬ人間が出会いをし続けるという状況自体がごく近代の産物であるためだ。

それに加え進化心理学的な問題がある。上のような解決策はどれも両者の選好を所与としたうえで情報問題をどのようなメカニズムで解決するかということだが、冷静に考えればそもそも両者の選好はあまり合理的とは言えない。例えば男性が声を掛けて失敗することを恐れるのは合理的なのか。現実には、この四コマに出てくるようにfacebookを通じて失敗が知れ渡ることはない。最悪彼女の友達のネタになってもそれ以上の何かがあることではない。よって男性が失敗それ自体を恐れるのはあまり賢いようには思われない。

これは進化論的に説明できる。人間は通常のリスク(特に非常に小さな確率で生じる現象)についてはしばしばリスク愛好的であるのに対し、社会的なリスクについては極めてリスク回避的である。猿が自分の遺伝子を広めるためには子孫が繁栄する必要がある。ある猿にとって森を離れて歩き出すことはその猿自身にとって期待値に言えば自殺行為だが、成功した場合には子孫が繁栄する。その猿の人生にとってはマイナスでも進化論的には非常に適切な行動なのだ。そして我々はみなそういう猿の末裔である。これにより人間が極めて小さな確率を過大評価すること、例えば期待値が価格の半分でも宝くじを買うという行動、が説明できる。それに対し、社会的なリスクは猿にとって致命的だ。二十匹の群れにおいて村八分にされることは個体の死を意味する。そのため社会的行動においては非常に慎重になるのが望ましい。

しかしこれらは何れも現代社会においては当てはまらない。宝くじが自分だけ当たるかもしれないと思うことも、アイドルをみて自分もなれるんじゃないかと思うことも本人の人生にとって期待値的にプラスにはならない(大抵の人が家庭を持って子孫を残せる世の中では進化論的にさえ有利でない)。同じように社会関係における過剰なリスク回避行動も本人の得にならない。この四コマの場合であれば男性が失敗を気にするのは不合理だ。失敗してもまたその女性と会うことはおそらくない。バーであれば次のバーに行けばいいだけだ。最悪違う街にでも引っ越せば何も分かりはしない。

女性にとって同様だ。噂が広まらずほぼ確実に避妊が可能な社会において女性が実際に貞淑であろうとするインセンティブはない。但し、男性には、少なくとも長期的な関係においては、そういう女性を望む強い選好がある点だけは多少違う。男性は子供が本当に自分の遺伝子を引いているかを確認できないからだ。そのため女性は貞淑である必要はないが、そうである振りをする必要がある。具体的には、会話が始まっても簡単に関心を明らかにせず、時間を掛けるということになる。それに対し男性は相手に合わせて待つか、時間を掛けずとも身持ちが悪いということにはならないと説得することになる。この構造は子供に対するDNA鑑定が一般化し、そのことに適合した制度ができれば多少変わるだろうが当分はこのままだろう。

クリーピー」への5件のフィードバック

  1. この4コマ面白い!!
    そして深いRIonさんの考え方も面白いです・・・確かに合理的じゃないかもしれないけど、単独で実際にそう割り切って行動できる人ってきっと少ないんですよね。
    やっぱり女性から声かけるのは軽いと思われるんでしょうかね。

  2. >単独で実際にそう割り切って行動できる人ってきっと少ないんですよね。

    結構難しい。だからこうやって割り切って行動したほうがいいと論理的に自分を説得するわけさw。

    >やっぱり女性から声かけるのは軽いと思われるんでしょうかね。

    それもあるけどもう一つ理由がある。女性は自分から声を掛けるのではなく、声を掛けられるのを待つことで男性の社会での地位を推定することができる。何故なら、自信をもって声を掛けられるのは望ましい男性である可能性が高いから。猿の例でいえば、群れのボス猿は社会的に抹殺される心配がないから積極的な行動を取れるわけ。

    もちろん、逆に言えば、相手の価値を理解していて、なおかつ相手が自分のことを(軽くないと)理解している限りにおいては声を掛けるのは合理的だと言えるかな。

  3. 社会的なリスクって、現代でも人が回避したい!
    と思うリスクな気がします。
    一方で、社会的リスクをとることが、ある種アミューズメント的なものかもしれないとも思います。

    例えば、大学とか会社とかで付き合ったり性交したりすることを避けたいのは、うわさ(=村八分?)を避けたいから。
    でもしちゃうのは、その人が好みとか、いろいろ要因はあるけど、「ばれたらやばいかも」っていうリスクがあるからこそ楽しいというアミューズメント的要素も大きいのではないでしょうか。
    ギャンブルみたいな感じなのかなあ。

    また、
    >男性には、少なくとも長期的な関係においては、そういう女性を望む強い選好がある点だけは多少違う。

    っていうのは、
    >男性は子供が本当に自分の遺伝子を引いているかを確認できないから

    ということですが、
    男性がバージンが好きとか、あんまり性行為の回数ではなく人数が多い人を嫌がるっていうのは、
    貞淑ではない=穢れっていう迷信があるからで、
    その穢れっていうイメージ、生理的な感覚がどこからくるかっていうと性教育だったり迷信だったりするのかなと思っていたのですが、
    そういった性教育だったり迷信は生物学的なところからもきているのかーって思いました。

    全然関係ないですが、男は性交後、女の過去の経験人数聞くことが多いのですが、これは貞淑度の確認なんでしょうか。
    ちなみにこういう場合、人数は言わない(忘れたとか)もしくは1~2人(初めてというと嫌がる男も2人中1人くらいいる。さすがに年齢的に初めてとすればうそがばれる)と答えるのが最も相手を喜ばせる応答と思っていますがどうなのでしょうか。

  4. コメントどうも。DCのアドレスですね:D

    >社会的なリスクって、現代でも人が回避したい!と思うリスクな気がします。

    その通りです。でもそれが現代では合理的な選好ではないことが多いって話です。

    >一方で、社会的リスクをとることが、ある種アミューズメント的なものかもしれないとも思います。

    これは解釈が難しいですね。おそらく自分が強者だという認識があるからでしょう。集団の中で優位であれば社会的リスクはかなり抑えられるはずですから。

    >そういった性教育だったり迷信は生物学的なところからもきているのかーって思いました。

    これはかなりの部分が生物学的なものだと思います。男性のこの傾向はほぼ全ての文化で観察されているはずです。

    >全然関係ないですが、男は性交後、女の過去の経験人数聞くことが多いのですが、これは貞淑度の確認なんでしょうか。

    これは聞いたところでそれが正しいか確認する方法がないのでかなり無意味な質問でしょう。

    もし聞かれたら、かなり少ない数で回答するのが支配的な戦略ですね。聞く側は本当は二倍・三倍だろうと解釈するでしょうから。「忘れた」は無駄な勘ぐりを呼びそうなので避けた方がよさそう。

    まあ、本当の正しい対応はそんなアホな質問をする男は避けるってところでしょうか。

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