追記:Twitterを通じてMarkovianさんから
自閉症教育やってる妹に確認取りましたが、「自閉症患者」とは言わないそうです。「自閉症児」「自閉症者」と言うらしい。自閉症は病気ではないというのが基本概念とのことです。
というご指摘をいただきました。「病気」の定義に関わる問題ですが、ごもっともな指摘だと思います。単に修正するよりも多くの方にこの話を知っていただくほうがいいと思うので、本文中の表現は変更しないことにします。
最近、ビジネスをして利益を出すことの意義について書いたが、ちょうどよい具体例があったので取り上げたい:
自閉症患者をソフトウェアのテスターとして育成する試み – スラッシュドット・ジャパン(本家/.記事)
米国シカゴの非営利企業Aspiritechが、高機能自閉症をソフトウェアのテスターとして育成するプログラムを立ち上げたそうだ。
紹介されているのはAspiritechという企業で、自閉症患者をソフトウェアテスターとし雇用するそうだ。非営利とは言え、単なる慈善事業ではない:
Aspiritechによると自閉症患者は不完全さや欠陥を見つける才能があり、予測可能で変化の少ない仕事を好むという。デンマークの Specialisterneも自閉症患者の就労プログラムを組んでいる企業の一つだそうだ。データ入力や組み立て作業など、他の人であれば退屈に感じる 反復作業などに派遣しているとのことで、データ入力に関しては8倍の正確さであるという。
あくまで自閉症患者の長所をいかして利益を挙げるためのビジネスだ。これがビジネスと成立しており、社会的にも望ましいことは明らかだ。自閉症患者はこの仕事を他の人よりもうまくこなせるのでより多くの賃金を得られる。顧客は相対的に安いサービスを受けられ、これは消費者にもプラスとなる。そしてもちろん企業は利益をあげる。これらのプラスがどのように配分されるかは競争相手の数などによって変わるが、みんな何かしら得をする。
ところで何故この企業は非営利企業なのだろうか。非営利企業が慈善団体と異なることについは以前「非営利と営利との違い」で述べた:
どんな場合に非営利団体という形態をとるのか。それは特定の目的を達成する上でそうすることが効果的な場合だ。
ではこのケースではどうか。それは障害者を使う=搾取するという世間の嫌悪感(repugnance)を避けるためだろう。障害者の人権が保障されていない状況では、障害者を使うことはしばしば彼らからの搾取を意味したと考えられ、これに対する反感が社会に醸成されるのは不思議ではない。ここでも道徳は社会の変化についていっていない。
非営利であれば、搾取により利益を出してもそれを社外に出すのが難しくなる。搾取するインセンティブが減れば、搾取は行われないと考える人が増え、このビジネスはよりスムーズに進むだろう。もちろん非営利であれば政府の支援を受けやすいこともある。
このビジネスが動き始めているのはアメリカだけではない。このストーリーはTwitter経由で見つけたが、それに対して徐勝徹さんからご自身が経営に参加しているKaienという会社を紹介して頂いた。
Kaienは3つのことが重ならなければ、私にはとても考えもつかないことでした。
1つ目は、息子が、自閉症と診断されたこと。
2つ目は、起業精神が旺盛なアメリカのビジネススクールで学べたこと。
3つ目は、スペシャリステルネというデンマークの企業を「発見」できたことです。
これは代表者である鈴木慶太さんのメッセージだ。Kaienは株式会社だが、その目的は単純な利益目的ではないことが分かる。こういう言い方はしたくないが、この点を強調することは上記の反感を防ぐ上で重要なことであり、ビジネスとしてうまくいくかを大きく左右する。障害者から搾取を防ぐ道徳感情は、障害者に直接関係する人であればあまり働かないからだ。
社会のためになるビジネスの足を引っ張るような道徳は早くなくなるべきであり、こういったビジネスがちゃんと成功するかどうかは社会の試金石となるだろう。障害者が活躍するビジネスを誰でも堂々と運営できる世の中になってほしい。
コメントについての追記
おたきちさんから次のようなコメントを頂きました:
神戸にある社会福祉法人 プロップステーション が以前からそういう事業をやっていますよ。
こういった事業を手がけている団体が既にあるのは素晴らしいことだと思います。ここに新しい会社が入ってくるのは、競争を通じて消費者も雇用される自閉症者もより大きな利益をあげることにつながります。
また、KaienのようにアメリカのトップMBAプログラムでビジネスを学んだ人々が加わることで、この事業分野のさらなる発展が見込まれます。企業と社会福祉法人との対立という見方ではなく、競争でより社会のためになるという視点が必要です。普通の財・サービスの世界では当たり前のことですが、その当たり前の見方が障害に関する事業においても適用されるようになることが重要でしょう。