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言ってみる人と空気を読む人

世の中には、とりあえず聞いてみる人(Asker)と空気を読む人(Guesser)がいるという話。日本人には馴染み深い話題だ。

This column will change your life: Are you an Asker or a Guesser?

The advice of etiquette experts on dealing with unwanted invitations, or overly demanding requests for favours, has always been the same: just say no. […] “I’m afraid that won’t be possible” – remains the gold standard

エチケットの専門家(?)は誰でも、いやな要求にはノーを勧めるとのこと。どうやってノーというかみたいな本が多いのは御存知の通り。”I’m afraid that won’t be possible”というのは便利なフレーズだ。

In Ask culture, people grow up believing they can ask for anything – a favour, a pay rise– fully realising the answer may be no. In Guess culture, by contrast, you avoid “putting a request into words unless you’re pretty sure the answer will be yes…

このような問題が生じるのは二つの文化が存在するからとのこと。言ってみる文化では答えはノーでもとりあえず聞いてみることが普通とされ、空気を読む文化では答えがイエスだとほぼ確信できる場合にしか頼まない。

Neither’s “wrong”, but when an Asker meets a Guesser, unpleasantness results.

もちろんどちらかが悪いという話ではない。単にコミュニケーションの取り方が違うだけだ。問題が起きるのは二種類の人が出会った時だ。

An Asker won’t think it’s rude to request two weeks in your spare room, but a Guess culture person will hear it as presumptuous and resent the agony involved in saying no.

例えばとりあえず言ってみる文化の人は二週間泊めてくれと平気で頼んでくる。聞いている本人は別に断られても何とも思わないのだが、空気を読むのが普通の人はこれを遠慮が無いと感じつつ、断ることに苦痛を感じる。

This is a spectrum, not a dichotomy, and it explains cross-cultural awkwardnesses, too: Brits and Americans get discombobulated doing business in Japan, because it’s a Guess culture, yet experience Russians as rude, because they’re diehard Askers.

どちらかにくっきり別れるわけではなく、日本に比べると英米はとりあえず聞いてみる風潮が強いが、ロシア人に比べればまだまだということ。何か東欧系の知り合いの顔がぱっと浮かんだのも気のせいではあるまい。

Self-help seeks to make us all Askers, training us to both ask and refuse with relish; the mediation expert William Ury recommends memorising “anchor phrases” such as “that doesn’t work for me”.

この問題に対しては冒頭にあったように、自分がとりあえず言ってみる人間になるように勧められることが多い。ダメもとで頼みごとをし、さくっと断る技術を身につけるということだ。ここでは”that doesn’t work for me”という決まり文句を使うという方法が紹介されている。

But Guessers can take solace in logic: in many social situations (though perhaps not at work) the very fact that you’re receiving an anxiety-inducing request is proof the person asking is an Asker.

もちろん別に自分が違う文化に染まる必要もない。仕事のように命令系統があるのが前提でなければ、断りたくなるような頼みごとをされること自体が、相手がとりあえず聞いてみる文化の人だといういい証拠になる。そう考えれば断っても何も気にする必要はないと頭で理解できる。

「ツイッター7つの仮説」について

Twitterの話題で■グロービス堀義人ブログ: ■ツイッター7つの仮説とそれに対する堀さんがtwitterに関する面白い記事を書いてたので突っ込みなど|堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」が面白かったのでここでも同じフォーマットでやってみよう。

仮説1:ITの進化に伴い、議論の質が下がる。

ニフティの時代から議論の質が下がったという話。私はニフティにあまりアクセスしたことがないので直接の比較はできないことを先に断っておく。質をどう定義するかにもよるが、平均的な「質」は下がるだろう。では堀さんが問題にされているであろうトップレベルでの質はどうか。

これは何についての議論かによるだろう。話題が明確に決まっている場合、その内容によって分けられている空間のほうが優位だ。極端な話、特定の狭い分野で質の高い議論が必要なら、その分野の研究者を集めて会議室にでも閉じ込めておけば良い。Twitterなどという誰が聞いてるかもわからない代物を使う必要はない。逆に話題が設定されていない場合、看板で仕切られた空間は大変都合が悪い。そのようなケースではTwitterが議論の質を上げる(例えばNPOの経営話はNPOの人だけが集まって議論するよりもいろいろな人が目にするTwitterでやったほうが効果的だろう)。

Twitterのハッシュタグはある意味いいとこ取りを狙った仕組みとも言えるが、管理者の不在は多人数での議論を困難にする。ニフティであればシスオペがフォーラムを適切に管理する(金銭を含めた)インセンティブを持っているが、ハッシュタグの場合は何のコントロールもない。通常のTwitter上のやり取りであれば、あくまで人間(アカウント)ベースなのでそこを押さえていれば生産的な議論が可能だが、ハッシュタグの場合はトピックベースなので難しいだろう。

結論としては、技術によってどのような議論が効率的に行えるかは異なるのであって、単純に上がる下がるという話ではないと考えられる。

仮説2:一方では、訴求力・リアルタイム性が抜群に上がる。ツイッター(SNS)、ブログ、動画などの組み合わせにより、よりパワフルな発信力を個人が持つようになる。

発言力は聞いてくれる人がいないと意味がない。大きな発言力を持ちうるようになれば、それを活用するために受け手を増やすインセンティブが増す(どんな頑張ったって10人しか聞いてくれないなら大した努力はしないが、1,000人なら努力するかもしれない)。受け手を増やす一番まっとうな方法は価値を提供することで、これは議論の質の向上につながる。Twitterは日本において実名の利用が広がっているという意味でIDにより個人が特定可能なパソコン通信と似ている。

仮説3:知のインプットの時間が減るので、人々は扇動されやすくなる。

これは間違っていると思う。まず、多くの人は時間を最大限に活用して知のインプットをしているわけではない。Twitterで30分使うとして、その代わりに削られるものが知のインプットとは限らない(そもそも一日30分知のインプットをしていない人なんて山ほどいるだろう)。

次に、Twitterを通じて普段目にしない分野の知識を得ることは多い。私はTwitterを始めるまでBI・BOP・社会起業とかいう言葉とは無縁だった(というと驚かれる)。そもそも聞いたことのない事柄に関してインプットするのは難しい。Twitterを含めたソーシャルメディアは検索エンジンやRSSを代替こそしないが、それに並ぶ新しい情報のアグリゲーターとなっている。これは知のインプットそのものだ。

最後に、知識をインプットだけで身につけるのは非効率的ということが挙げられる。アウトプットとインプットを繰り返すことでより効率的な学習が可能だろう。

普段から周りに多彩な興味を持った人がいて議論することができるのであれば(もしくは幅広い知識が不要なら)Twitterのメリットは少ないかもしれない。しかし、大抵の場合そんなことはないので、やはりTwitterは知のインプットにむしろ貢献するように思われる。

仮説4:パーソナルな情報がマスメディアを凌駕する。

凌駕するというよりも、マスメディアという概念が分解すると言った方がいいだろうか。

今後は、「日経新聞によると」よりも、「○○さんによると」の方が信憑性を持つ時代が来るであろう。

既にオンラインで記事を読むときには、どのサイトで読んでいるかよりも誰が書いているかを調べるようになっている。ちょっと検索すれば良いだけなので簡単だ。流通段階を押さえていない限り、旧来のビジネスモデルは維持出きない。

仮説5:コミュニケーション依存症(ジャンキー)が増え、物理的交流の機会が減る。

これは間違っている(タイガー・ウッズがセックス依存症というのと同じぐらい間違っている)。「Twitterでは「つぶやく」な」で述べたようにTwitterの特徴は新しいコネクションを作ることだ。物理的交流をすることの価値は、交流する相手が増えることで上がる(多くのネットや携帯を通じたコミュニケーションはそもそも物理的交流を増やすために存在している)。もちろん物理的交流なしに同等のコミュニケーションができるなら必要ないかもしれないが、現状ではそうではない。ましてや140文字のTwitterでは無理だ。私はTwitterでやり取りする人と会ってみたいと思う。Twitterがなければ会いようがないのでこれは物理的交流の増加だ。

仮説6:ツイッターのフォロワーは、共感、情報、知恵などの全人格的な面白み(エンターテインメント性)を求める。

YesでありNoだ。Twitterでどのような面白みを提供するかは本人の選択だ。特定のニュースを提供してくれる人は貴重だし、極端な話ボットだって面白いものは面白い。しかし、他のチャンネルに比べて全人格的な面白みを発信するのに向いている面はあり、そのような利用をする・期待する人が多いのも事実だろう。

仮説7:最終的には、ツイッターも駆逐される。

Twitterが本当に生き残るためには、完全にプラットフォーム化する必要があるだろうが、それでも永遠に続くことはない。問題はどのくらい存続するかと最終的に社会や後続の技術にどんな影響を残すかだ。

理系のための会話の楽しみ方

昨日Twitterで、結論のない(主に女性の)会話の話題が出て面白かったが(この辺)、関連するDilbertコミックがあった:

Dilbert comic strip for 12/23/2009 from the official Dilbert comic strips archive

Dilbert.com

You’ve made a number of inaccurate statements during the course of this date.

デートに限らず不正確で内容のない発言というのは多い。適当に相槌をうちながら、結論が出てくるまでの時間を数えていると面白い。結論が出てこない(!)こともある。伝えることがないなら他人の時間を使うなと言いたくもなるがぐっとこらえよう。

II don’t want to break the romantic mood, so I’ll send you and e-mail with links that you can review on your own time.

しかしDilbertもそれをそのまま批判するとうまくいかないことを学んだようでそれをメールで伝えるというが、それもやはりうまくいかないというおちだ。これは日本人が思う典型的な理系思考だ(MBTIのINTJ的というほうが正確かもしれない)。

でもよく考えると意味のない会話をする理由もない。もし無意識に無意味な会話をしているとしてもそんな習性が残る理由が(進化論的に)ない。よって一見意味がなさそうな会話にも機能があるはずであり、それは相手のスクリーニングだ。

その内容についてはここでは取り上げないが(参考:レイプのパターンを考えるクリーピー)、意味のない会話と切り捨てず、どういうメカニズムが動いているのかを考えれば理系頭の人にも楽しめるはずだ。Dilbertもまたその場では相手が如何に意味のない会話しているかを解説しないことで、その一歩を踏み出している。次はメールで指摘するとは言わないだろう。相手の行動に説明がつかなければモデルを修正し次の会話=実験に臨めばいいのだ。