実は金持ちほど共働き

様々な統計を可視化して公開されているfut573さんのページから:

Willyさんから日本の保育園の実状を踏まえた素晴らしいコメントを頂いたの参照ください。

実は金持ちほど共働き率が高い? 収入階級別妻の有職率 – 情報の海の漂流者

以下のグラフは(世帯の)収入階級と妻の有職率とを比べたものだ。これは前々から見てみたいと思っていたグラフの一つだ:

income_spouse_work2002年から2008年のデータが使われているが期間の問題化トレンドは見えない。世帯収入あが上がるにつれ共働きの度合いが上がっている傾向は明らかだ(追記:共働き⇒世帯収入増という因果関係があるのは確かだがそれだけでは説明できないと感じたのでこの記事を書いた)。これは「結婚と市場」で書いたことと整合的だ。技術革新・市場の整備により、結婚の経済的性質は様変わりした。家事労働の負担は激減し、女性の市場での所得獲得能力は飛躍的に伸びたことで、女性が働かないことの機会費用は昔に比べ遥に高くなった。これは稼ぎの多い女性ほど高い。

ではそのような女性はどんな男性と結婚するか。それは同じような社会経済バックグラウンドを持った男性だろう。生産面での分業が必要ない以上結婚の価値は消費に移るからだ。もちろん、高所得の男性が理想的な女性と結婚して働くのを止めてもらうことは今でも当然あるだろう(注)。ただそのための費用は上がったのでそういう数は減るというだけだ。おそらく現在の所得階級区分の一番上は家計所得1500万以上だと思うがその程度だとまだ共働きで1000/750みたいなパターンが一般的なのだろう。該当する世帯が多く居住していると思われる都市部では1000万の収入でもう十分だから一人働けばいいとはいかないだろう。。3000万当たりまで区分を作って見れば有職率はまた下がっていくだろう。

ちなみに出典に挙げられている馬場さんの仮説は次のように要約されている:

  1. 労働市場において企業サイドが高学歴・フルタイムを優先して雇用している結果、低所得層の妻は働く場を制限されている
  2. 保育園が不足している。運良く保育園に入れたとしても妻が働いた分の大半が保育料に消えていく(働いても生活が楽にならない)

この仮説の面白いのは「制限」「不足」というネガティブな形容がなされているが、言っていること自体は悪いことでもなんでもないことだ。企業がより生産性の高い女性を雇用するのは当たり前だし、社会的にも望ましい。また保育園に入ったときに妻の所得が保育料に消えていくというのは、普通に解釈すれば妻の生産性が低いということであり、子供を保育園にいれるより自分で面倒をみるほうが効率的だということだ。自分の子供の面倒を見るのと他人の子供の面倒を見ることの差を考えれば不思議なことではない。

結婚と市場

本当の失業率

失業率ってのは結構当てにならない統計なんだけど、もし知らない人がいたら次のビデオをどうぞ:

Mintが本当の失業率は(10.0でなく)17.2%だと主張するビデオを作った

四種類のありがちな「失業者」が実は失業率にはカウントされないってのを面白おかしく説明している。元データは労働統計局(Bureau of Labor Statistics)のこちらにある。以下が六種類の失業率だ。公式な失業率はU3で10.0%となっている。

  • U1: 5.9%
  • U2: 6.6%
  • U3: 10.0%
  • U4: 10.5%
  • U5: 11.3%
  • U6: 17.2%

これらの定義はBLS introduces new range of alternative unemployment measuresにあり、BLSは1995年から六種類の数値を公開している。簡単に要約すると:

  • U1: 長期求職者(15週間以上)の労働人口に対する割合
  • U2: 解雇された求職者の労働人口に対する割合
  • U3: 25歳以上の求職者の労働人口に対する割合
  • U4: フルタイムの求職者のフルタイム労働人口に対する割合
  • U5: 16歳以上の求職者の労働人口に対する割合
  • U6: パートタイムの労働者・求職者を考慮
  • U7: 仕事がみつからないので職探しを止めた人を考慮

U6, U7はU5に足し算する形で作られているがU1-U4は全く違う指標と考えられる。但し、アメリカでは景気悪いから大学院に通うという人もいるのでこれでもどれだけ実態がつかめているか分からない。日本のデータは統計局にある。

ちなみに個人財務管理サービスを提供するMint.comが公開したビデオだ。もちろんこれは自社のプロモーション活動の一環であり、経済的な動機に基づいている。このクオリティのビデオを作るのは趣味・ボランティアでは難しく、やはりウェブのコンテンツが充実するためにはこういった経済利益に基づく行動が重要なように思われる(参考:日本のウェブが残念なのは当然)。

就活のやり方

「就活」採用者の視点:「走れ!プロジェクトマネージャー!」

最終的なアドバイスは、

これは、本人のやる気とか、意気込みといった感覚的なものでしかないように思っています。「この会社で働きたい!」「絶対就職する!」といった、強い意志のようなものだと感じています。

ということだがこれはいくら何でも役に立たないだろう。大抵のひとは既にそれほどやる気がなくてもある振りぐらいしている。本当の答えは実はこの最後のアドバイス以外の部分にすべて書いてある。

新卒はポテンシャルで採用するしかないので、卒業校や成績以外に明確なものはないんですよね。

まず卒業校と成績がだけが明確(で確認できる)ものなのだからそこを改善すればよい。もちろん就活間際になってからじゃ遅い。逆に、だからこそ企業にとっては重要な情報なわけだ。

では、もう大学半分終わっている人はどうすべきか:

僕自身、最初に働いた会社は誘われて入社したので、いわゆる就活をしたことがありません。

そう、ネットワーキングで誘ってくれる人を探せばいいのだ。人付き合いが得意でなければ自分でプログラムやウェブサービスを公開したり、ブログを書いたりして名前を売ればいい。ちなみに、著者の大木豊成さんはシンガポール大学を卒業されているそうだが、留学するというのも手だ。選択肢は広がるし、ブランディング上もとても有利だろう。

ちなみに、

例えば僕が携わっている、神田外語学院のグローバルコミュニケーション科の卒業要件はTOEIC700点以上です。これは分かりやすい と思うんですよね。

とあるが、TOEIC700点では実務的には意味がないだろう。TOEICは英語の試験としては簡単過ぎるので満点近くても実際に使えるかは分からない。TOEFLであってもアメリカの大学院で要求するレベルは何とか生きてはいける程度のものだ

英語の資格というのはよく考えると非常に不思議なものだ。どの資格であっても実際に英語を運用できるかについてはさっぱり分からないが、資格がなくとも面接で簡単に分かる。私が採用活動で英語能力を見たいならその場で適当な話題について説明させる(電話でもいい)。

英語の話せる面接官が必要だが英語のできる社員がいない会社に英語の能力が必要なようにも思えない。そうすると英語能力を見るのは英語ができるなら他もできるはずというシグナリングに過ぎなくなる。その場合、英語に力を入れている学校の出身であることはマイナスに働く。なぜなら英語と他の能力の相関が明らかに期待できないからだ。

夢の仕事とクソ会社

昨日書いた「好きなことを仕事にするな」では、好きなことを仕事にするべきだという風潮の弊害について論じた。その流れで「キャリアパス」の絵については、

一番上を目指すも、端っこで避けるも、他の木に飛び移るもいいけれど、やっぱり前回の「好きなことを仕事にするな」よろしく、頑張って大きな組織を支える役割の重要性を社会が認めることが必要でしょう。

と書いた。これは、好きなことばかり追い求めても夢の仕事は手に入らないのだから、好きなことではない=お金をもらわなければやらない仕事はやはり重要だという趣旨だ。これを書いた時はこの説明に特に疑問は覚えなかった。少なくともアメリカの状況はこれに近い。若者は好きなことを仕事をしようとして悩んでいて社会にとって必要だけど大変な仕事を率先してやろうという人すくない。そういった苦労事は移民によってなんとか賄われている

しかし、Willyさんの「キャリアパス」への次のコメントを読んでこの構図は日本にはあまり当てはまらないことに気づいた(いつも的確なコメントに感謝)。

特定の木に乗ろうとしている人が多すぎるのが一番問題のような気もします。

確かに日本を振り返ると長時間のサービス労働が常態化しているという現実がある。好きなことを追い求めて悩んでいる人は少数派なのかもしれない。これは「好きなことを仕事にするな」でのコメントで指摘されていることだろう:

日本人をみる限り、(1)好きなことはあるけど、(2)それを仕事にするかどうかは別、というところまで辿り着いている人は数少ない気がします。(1)に すら辿り着いていない人に「好きなことをやれ」というのは正しい面もあるでしょう。主体的に目的を持って動くということは能力開発面でも精神面でも良い影 響があると思います。もちろん、「社会に役立つことのなかで好きなことをやれ」という程度の意味ですが。

アメリカでは「頑張って大きな組織を支える役割の重要性」を見直すべきときに来ているが、日本ではむしろそういう部分が強調されすぎているのかもしれない。例えば、ニートの海外就職日記の最新のポスト「クソ会社に「愛」を語る資格などないw。 」はそのいい例だろう。愛社精神という名のもとにひどい労働環境が押し付けられている。これは「キャリアパス」の絵で言えば組織の下でクソまみれになることを強制する文化と言える。ニートの海外就職日記の副題が「仕事なんてクソだろう」となっているのとまさに対応している。

しかしだからといって「好きなことを仕事にすべき」という風潮がないわけではない。少なくとも子供はそう思っているだろう。では一体この二つのまったく異なる考え方が同時に存在しているのは何故だろうそれは学校教育と世間との隔離だと思われる。

日本社会は子供に対しては「自分がやりたいことをやらなきゃ」というような教育をしている。アメリカと変わらない。だから、中学生や高校生は自分に何ができるかではなく、何が自分のやりたいことなのかを考えている。若者が自分探しの旅なんかに出かけるのはその象徴だろう。

しかし、実際社会に出ると大分様相が異なる。日本では打って変わって社会・会社の歯車として動けという凄まじいプレッシャーが支配的になる。これはアメリカの状況よりも悲惨かもれしない。好きなことをすべきだと教えられてきた人々が突然歯車としての役割を押し付けられ、板ばさみになるわけだ。

その結果が、「ニート」の「海外就職」日記だろう。「自分が好きなことを仕事にする」と育てられてきた人間が会社の言うことは何でも聞けみたいな環境に放り出されたら働く気がなくなるのは当たり前だ。そして、そこから飛び立つ先が海外になるのも自然だ。だからニートの海外就職日記は非常に説得力があ。

この状況を改善するためには、二方向からの対策が必要だ。一つは、「自分が好きなことを仕事にする」と子供に唱えるのを控えることだ。好きなことを見つけるのはいい。でもそれを必ずしも仕事にしなくてもいいと教えるべきだ。もう一つは、過剰な滅私奉公的価値観を是正することだ。自分が好きなことを仕事にしなくてもいいと同時に仕事を自分の好きなことにする必要もないはずだ。もちろん二つが重なるならそれはそれでいい。でも必ずしもそうでなくてもいいという余裕があってもいいんじゃないだろうか。

いつ専攻を決めるべきか

学生がいつ専攻を決めたかで将来の職業と大学での専攻との関連性がどう変わるかについて:

News: When to Specialize? – Inside Higher Ed

紹介されているのはOfer MalamudのDiscovering One’s Talent: Learning from Academic Specializationという研究。

To try to answer that question, Malamud compared entering college students in England, who apply for a specific field of university study while in high school, with those in Scotland, who enter a broad “faculty” for their first two years and typically specialize in a single discipline only for the second half of their time at a university.

彼は、大学入学時に専攻を決めるイングランドの大学生と後半になって決めるスコットランドの大学生を比較した。アメリカの大学は一般的に後者だ。進みたい学科が要求している単位・点数を満たした学生が途中で専攻を決める(declare major)。日本は前者の大学が多いが、東大のように最初の二年間は教養教育に当てるところもある。上にあるスコットランドのケースはそれに極めて近い。

In fact, the data showed that students who emerged from the English institutions were about 20 percent more likely than their peers in Scotland to end up in careers that were not aligned with their university majors.

結果は、入学時に専攻を決めるイングランドでは20%ほど専攻とは関係のない仕事に従事する割合が高かったとのことだ。

これは面白い結果だ。早く専攻を決めるということは卒業時により専門化されていることを意味する(はずだ)。よって賃金面で言えば、他の条件が同じなら、専攻に関係する仕事に就くのが望ましくなる。

The students at Scottish institutions, by contrast, seem more likely to have chosen to study fields that successfully aligned with their career interests, says Malamud, success that he attributes to the time and freedom they’re given to experiment with a broad range of fields, and to learn both what they like and what they’re good at.

これについて、スコットランドの学生の方がいろんな分野を試すことで自分がやりたいことや自分が得意なことを発見しているからだと説明している。

もう一つの説明は、専門化を遅らせることでちゃんと仕事が存在する分野を勉強するというものだろう。大体から言って自分が好きなことをすべきというのは最悪のアドバイスだ。そういった変な教育を辞めれば仕事のミスマッチとかいう問題は消えてなくなるような気もする。