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教養教育の終わり

January 24th, 2010

学位の価値は落ちる一方だ。授業料の高いアメリカでは、一足先に価格に見合う価値があるのかという疑いが広がっている。

How to manage a college education | Penelope Trunk’s Brazen Careerist

大学の機能は主に二つある。一つは実際の学習、もう一つは能力を示すという意味でのシグナリングだ。

The idea of paying for a liberal arts education is over. It is elitist and a rip off and the Internet has democratized access to information and communication skills to the point that paying $30K a year to get them is insane.

しかし、教養教育を受ける場所としての大学の機能は消滅の瀬戸際だ。いまや多くの学問分野は自学自習が可能だ。インターネットにはリソースが溢れているし、勉強したい者同士集まることも可能だろう(そういう場所をもっと作れればよいとは思う)。そもそも現在の大学生のどれだけが「教養」を身につけているかだって疑わしい。

経済学にしたって社会人として必要なレベルの学習に大学という(機会費用を含めた)莫大な投資が必要だとは到底思えない。本当の専門教育以外、大学で勉強する必要は見つからない。そして、それだけの教育が社会的に必要な人間の数は現在大学に通う学生の数より遥かに少ないのではないだろうか。

これは教養教育の価値を否定するものではない。私自身、教養学部に四年間も在籍したし、文理問わず色々なことを勉強した。しかし、大学がなければ出来ないことではなかったし、大学で他の専攻にいたとしても同時に勉強することは出来ただろう。しかも私は教育の真の社会的費用を負担していたわけではない。国立大学の費用の多くは税金によりカバーされている。本当の費用を負担してなお、教養教育に何年間もかけようという人はどれくらいいるのだろう。

しばらく前にWillyさんが教養教育に関するポストを書かれていた。そこでは次のような一節がある。

これに対するレスは様々だが「教養賛成派」からは、
「意味がないからこそ面白い」
「教養こそが人間の価値」
といった、私からすれば驚愕の意見が並べられている。

教養学部卒の私としては耳の痛い話だが、こういった反論は間違っている。「意味が無いからこそ面白い」、「教養こそが人間の価値」だとしても、それを大学でやらなければならない理由にはならないし、それほど価値があるなら政府の支援は必要ないはずだ。教養がある市民が多いことが社会にとってプラスだという議論は可能だろうが、それなら一部の人間に限られた大学教育ではなく、幅広い教育にお金をかけるべきだ。私は、教養教育の価値が下がっているのは事実であって、それに反対するのは自分の教育の価値が下がることに対する反感に過ぎないと思う。

Ben Casnocha has one of the most thorough, self-examined discussions about the value of college on his blog. He went to college, probably, because so many people told him to.
Ben left college. Early. And he’s fascinating, and he’s educating himself through experience, which is what the Internet does not provide. The Internet provides books and discussion, so why would you need to go to school for those things?

それどころが大学に行くことの価値自体への疑いもある。これは大学へ通う人間のほとんどが「専門」教育を受けるつもりではないことからして明らかだろう。私は上に挙げられているBen Casnochaの本もブログも読んでいるが、非常に洞察に富んでいる。教養が不必要なのではなく、教養のための大学が必要なくなっているのだ。これは「教養学部」や「リベラルアーツ大学」のことだけを指しているのではない。本当の専門教育を受けている学生の少ない(ほぼ全ての)大学に当てはまる。

また、この例は大学のもう一つの機能であるシグナリングもまた崩壊しつつあることを示している。大学入試に簡単になることによる学歴自体のインフレもあるが、もう一つの脅威は他のシグナリングデバイスの登場だ。今の時代、若者が自分の能力を示す方法はいい大学にいく以外にもいくらでもある。事業を自分で始めるのもそのひとつだろうし、様々な話題についてブログを書くこともそうだ。大学のシグナリング効果が一朝一夕になくなることはないだろうが、どれだけの費用・苦労を支払う価値があるかという観点で評価すれば大学の価値は薄らいでいる。

Students today don’t need teachers who don’t know how to write a blog post to teach them how to persuade people. Because the bar for communication is high, and it’s in the blogosphere, and if you can write a blog post that gets a decent conversation started, then you already know how to write a persuasive, engaging argument.

また教養教育の最も重要な要素の一つは論旨の一貫した説得力のある文章を書く能力だが、それはむしろブログを書いて人に読んでもらうことによって大学のクラスよりも効果的に身につく。先生からいい成績をもらう努力をするよりも、実際に読者になってもらう方が余程効率的だ。先生は仕事なのでどんな文章でも読んでくれるが、ネットで長い文章を読んでもらうためには事前にそれなりの価値があるという信用・評判を築く必要がある。どちらが難しいかは明らかだろう。

就活のやり方

December 2nd, 2009

「就活」採用者の視点:「走れ!プロジェクトマネージャー!」

最終的なアドバイスは、

これは、本人のやる気とか、意気込みといった感覚的なものでしかないように思っています。「この会社で働きたい!」「絶対就職する!」といった、強い意志のようなものだと感じています。

ということだがこれはいくら何でも役に立たないだろう。大抵のひとは既にそれほどやる気がなくてもある振りぐらいしている。本当の答えは実はこの最後のアドバイス以外の部分にすべて書いてある。

新卒はポテンシャルで採用するしかないので、卒業校や成績以外に明確なものはないんですよね。

まず卒業校と成績がだけが明確(で確認できる)ものなのだからそこを改善すればよい。もちろん就活間際になってからじゃ遅い。逆に、だからこそ企業にとっては重要な情報なわけだ。

では、もう大学半分終わっている人はどうすべきか:

僕自身、最初に働いた会社は誘われて入社したので、いわゆる就活をしたことがありません。

そう、ネットワーキングで誘ってくれる人を探せばいいのだ。人付き合いが得意でなければ自分でプログラムやウェブサービスを公開したり、ブログを書いたりして名前を売ればいい。ちなみに、著者の大木豊成さんはシンガポール大学を卒業されているそうだが、留学するというのも手だ。選択肢は広がるし、ブランディング上もとても有利だろう。

ちなみに、

例えば僕が携わっている、神田外語学院のグローバルコミュニケーション科の卒業要件はTOEIC700点以上です。これは分かりやすい と思うんですよね。

とあるが、TOEIC700点では実務的には意味がないだろう。TOEICは英語の試験としては簡単過ぎるので満点近くても実際に使えるかは分からない。TOEFLであってもアメリカの大学院で要求するレベルは何とか生きてはいける程度のものだ

英語の資格というのはよく考えると非常に不思議なものだ。どの資格であっても実際に英語を運用できるかについてはさっぱり分からないが、資格がなくとも面接で簡単に分かる。私が採用活動で英語能力を見たいならその場で適当な話題について説明させる(電話でもいい)。

英語の話せる面接官が必要だが英語のできる社員がいない会社に英語の能力が必要なようにも思えない。そうすると英語能力を見るのは英語ができるなら他もできるはずというシグナリングに過ぎなくなる。その場合、英語に力を入れている学校の出身であることはマイナスに働く。なぜなら英語と他の能力の相関が明らかに期待できないからだ。

ミニスカとシグナリング

December 2nd, 2009

前回「ミニスカートが悪いのか」に引き続き、ミニスカの話:

ミニスカ論争 – キリンが逆立ちしたピアス

セクシュシャリティを研究されているそうだ。

曽根さんの文章は、主語があいまいで、何をいわんとしているのかがよくわからない。たぶん、フェミニズムをバッシングしたいのだろう。だが、もってまわった言い方をしているので意味がわからない。

とあるが、曽根さんの文章は言っていることがおかしいだけで、別に分かりにくくはない。

曽根さんは、女性がミニスカートをはくのは、男性をセックスに誘うためだと考えているのだろう。そして、そういう女性は性犯罪にあってもしかたがない、と訴えているのだろう。

と解釈されているが、その通りだろう。誰もがそう読んだと思う。

私自身は、意識や深層心理はともかくとして、少なくとも10代のうちにこうした論文アクセスすることができた。それは、「<私>を見ている男性」を見る、ための視座を獲得できたということだ。私は「見られる」という女性の位置にありながら、その視線に抵抗したり、利用したりしようとする、女性の置かれた位置を俯瞰しようとしてきた。要するに、見られながら、見る主体を確立してきたのである。

これは単なるシグナリングの話だろう(但し、私はレイプについてそれがシグナリングの問題だとは考えていない:ミニスカートが悪いのか)。自分が外からどう見られているかを考えること、それを利用することは何も女性に限った話ではない

「<私>を見ている企業の面接官」でもいい。もう勉強していい大学にいって面接官の目を欺いてもいいし、変わったの色のスーツを着ていって抵抗してもいい。

私たちは、なにもない真っ白な状態で、ものごとを「見る」ことはできいない。ミニスカートをはく人に対しても、すでに作られた枠組みを通して見ている。

人間は本当に知りたい情報が見えない場合に観察可能な情報に基づいて推論を行う。男性は相手の女性がどんな人間であるか分からないから、ミニスカートをはいているという情報から推論する。これは善悪の問題ではなく、合理的な行動にすぎない(参照:人種差別の現実)。そして人間は大抵の合理的行動を自然に行う。意図的にしか合理的行動を取れないのは進化論上不利だからだ。

そして、その相手が見ているだろう視線を内面化して、「見られる私」を自分自身で構築する。そして、「その構築された枠組みがある」ことを知ったとき、ものの見方はまた変わる。

そんな大げさなことではないだろう。自分が観察される対象であり、観察可能な自分に関する情報を他人がどう利用するかというのは世の中のほとんどの人が毎日行っていることだ。

そして「その構築された枠組み」というのは誰かが意図的に構築したものではないことにも注意が必要だ。例えば、新卒の学生について企業はほとんど何も知らない。もしある男子学生が大量のピアスをして面接に現れたらどう思うか。他の状況が同じなら採用を控えるだろう。これはピアスをしている男性がどのような人間である可能性が一番高いかを考えれば妥当な戦略だ。別にピアス自体には何も考えを持っていなくても同じだ。

女性がミニスカートをはくことをやめる必要はない。仮に、男性がミニスカートを はく女性に対して欲情すると感じるとしよう。さらには、欲情すると、レイプという行動にでることも仮定しよう。だとすれば、男性が見方を変えればいいので ある。前者は無理だとしても、後者は可能である。

コメント欄でも指摘されているがこれは論理の飛躍だ。「女性がミニスカートはく」ことを止めることも「男性が欲情した時にレイプという行動にでる」のを止めることも共に可能であるなら、後者が必要だというためにはそれなりの根拠が必要だ。妥当な理由は「ミニスカートが悪いのか」で述べたように、後者のほうが圧倒的にコストが低いということだろう。

就職の例で言えば、男子学生が面接にピアスをしていくのを止める必要はない、企業が見方をかえてピアスをしていても学生を採用すべきだと言うようなものだ。「男子学生が面接にピアスをしていく」のを止めることも「企業が見方をかえる」ことも共に可能だ。

一世代では無理かもしれない。でも、時間をかけてでも変えていきたい。そして、すでに少しずつ変わってい る、と私は信じたい。

これは信じるまでもないだろう。職場でのピアスも女性なら問題ない。ミニスカートをセックスに誘うために着用する女性が減っている以上(というかそもそも存在するのか?)、男性がミニスカートをそのためのシグナルとして利用することもなくなっていく。

付録

ただ、男女の場合に複雑なのは女性がセクシャリティを出す場合、それをシグナルではなくスクリーニングの手段として使っていることが多いことだろう。つまり、男性が自分のシグナル、例えば興味をみせるモーション、にどう対応するかを観察することで男性の質を推定するということだ。

この場合男性があるシグナルを観察したときにそれを無視するのは難しい。もしそれがスクリーニングのためのシグナルであった場合積極的に行動しないことは、自分の質が低いことを示してしまうからだ。「ちょっと誘ってみたけど何もしなかったのよ、あきれちゃったー」みたいなのがそれだ(参考:クリーピー)。

逆にこれはいかに「つい」レイプしてしまうかがありえないことかも示している。男性は社会的に拒絶されることを恐れており、つい積極的に行動してしまうことはない(でなければ誘ってみるなんて行動がスクリーニングに使えるわけがない)。ミニスカをみて欲情しレイプしてしまうかもしれないと悩んでいる男性はいないが、家に誘うタイミングを逃したと悩む男性はいくらでもいるだろう。

追記:家庭内暴力のケースについては計算された暴力をどうぞ。

大学院に関する変な記事

November 30th, 2009

微妙な記事にコメントするのは非生産的なので避けたいが、これはあまりにあまりなので:

「大学院卒」は「東大卒」をも凌駕する学歴だ | ビジネスマンのための 大学・大学院の歩き方 | ダイヤモンド・オンライン

すなわち「いかなる大学院も、全ての大学の上位にあること」、いいかえれば最終学歴として書かれるべき学校は大学院、という時代が来はじめている、ということだ。

学歴主義というのが学歴というシグナルに基づく差別的扱いであることがまるで理解されていない。雇用が流動化すれば対外的にスキルを示すことのできる大学院は一般化していく。それに伴い、いい大学を出ているが大学院を出ていない学生の市場価値が低下することは当然ある。しかし、それもまたシグナリングに過ぎない。そしてシングナリングはネガティブなこともありえる。この程度の大学(院)にしかいかなかったということは、他の事情がなければ平均的にいって、能力が低いと判断されうるということだ。

これはアメリカのMBAでは既に現実化しており、例えばVCにいくならトップスクールでMBAを取ったのでなければ、持っていないほうが就職できる可能性は高いだろう。

本当は、その上に博士課程があり、おそらくは、現在の学歴社会の最終ゴールはそこだ。

博士課程が最終ゴールなんて発想がどこから出てくるのかさっぱり分からない。シグナリングという意味ではよほど勉強が得意でなければ非効率だし、そもそも社会人学生なんて相手にしていない。

すでに「MBAホルダー」である人間も、その上(DMAもしくはPh.D)を目指すのにはどういう戦略が有効かを考えるのである。

MBAがPh.D.を取りにいってどうするのか分からないし、そもそも入学できる可能性自体低い。著者はPh.D.が何か全く知らないようだ。

P.S. というかDMAって一体何だろう。Doctor of Musical Artsしか該当しないのだが。。。

脱オタを経済学的に考える

November 24th, 2009

力を入れる箇所を間違えている『脱オタクファッションガイド改』を見たらちょっとネタっぽい記事を書こうと思い立った:

脱オタって何?

脱オタというのはオタクに見られない工夫のことだ。別におしゃれになることではない。もちろんおしゃれなオタクはいそうにないから、おしゃれなことはいいことだろう。しかし、それは別に必要でもない。どうしようもない恰好の非オタクなんて珍しくもなんともない。

ではどうするのが効率的か。単にオタクが絶対に取らない=オタクにとってはコストが高すぎる行動を取ればよい(考え方としては、「人種差別の現実」で紹介したまともな黒人がどう自分を差別化するかという話と同じだ)。基本的には:

  1. オタクは知らないもの=情報コストが高い
  2. 機能性が低いもの=使用コストが高い
  3. 値段が高いもの=金銭コストが高い
  4. (オタク的)常識でないもの=心理コストが高い

というあたりだ。ただし、いくつか注意点がある。まずオタクは情報収集能力が高いので1の効果には限界がある高収入オタクも多いので3も、特に社会人の場合は微妙だ4は2と比べて心の持ち様なので苦労もなく一番効果的だろう

もちろん、どれもやりすぎると効率が落ちるし(収穫逓減)、一つが突出していると不自然なので組み合わせる必要がある(そもそも四つは排他的な定義でもないが)。

ファッション編

流行

オタクはファッションに気を使わない故に知識がないので流行を知っているような恰好をするのは一つの手だろう(情報コスト)。これについてはよく議論されている。しかしこれは言うほど簡単ではないことには注意が必要だ。なぜならファッションの知識を身につけるのは単純な話、大変なことだからだ。ただ、オタクは情報収集自体は好きだろうから、ファッションについて調べるのが苦じゃないひとにはいい方法だ。

単にオタクに見られないだけなら最低限の常識を身につけ、まわりのオタクが愛用しているアイテムを避ければ十分だろう。やりすぎると単なるファッションオタクになる。むしろダサくてもぼろぼろのジーンズに超でかいシャツとか黒人風にすればオタクには見えない(心理コスト)。

コーディネーション

色彩感覚も必要ない。ある程度の常識の領域は知っているべきだろうが(情報コスト)、色彩感覚の欠如したファッション好きなんていくらでも歩いているからあまり気にすることはない。むしろオタクが着ているのを見たことがない色、大抵派手目な色とか白、を選べばいいだろう(心理コスト)。どんな色合わせだよと思われるかもしれないが、オタクだとは思われない。

金額

お金に余裕があればファッションにもっと使うというのもよい(金銭コスト)。オタクは当然ファッションにお金を注がないからいいシグナルになる。ただ、それなりの年齢になるとある程度のお金が自由になるのは当たり前なのでこの方法は効果が薄くなる。社会人が数万円服にかけたところで誰も驚かないし、他の部分と不整合があれば逆に疑われるだろう。あと、おかしなものにお金をかけるという危険性がある。

髪型

髪型も単純にオタがやらないものにすれば良い。やはり流行りのもの(情報コスト)かお金(金銭コスト)のかかるものであればいいが、上述の理由で効率的でないかもしれない。知識もいらず手間もかからないものとしてはモヒカンとかがいいかもしれない(心理コスト)。ファッション的にツッコミは入りそうだが、少なくともオタクには見えない。坊主も似合えばいいだろうが、場合によっては僧侶に見えたり、貧弱に見えるので注意。ヒゲの有無や体型と相談だろう。

バッグ

他のファッションと同じだがとりあえずデパートにでもいって機能性を捨てたものを選べばいいだろう(使用コスト)。オタクの機能性への愛情は異常なので、おしゃれで高いものなら多少機能性を追求してもよい、ないし重視して当然と思うだろうが徹底的に避けるほうが安全だろう。これは靴も同じだ。

アクセサリ

ネックレスや指輪などはセンスの問題があるだけでなく、買うだけでよくしかも安くすませられるのでオタクではないシグナルにはなりにくいだろう。アクセサリなら一押しはピアスだオタクは肉体的な脅威に弱いため、ピアスをすることは非常に考えにくい(心理コスト)。装着の煩わしさも軽微で、小さいものなら趣味も問われない。耳以外の場所のほうが非オタアピールは強いだろうが、社会的な弊害も凄いので見える場所ならどこでもいいだろう。同様にタトゥーも効果的だろうがセンスが問われるので難しいそうだ。

小物

アクセサリ以外の小物では流行りものを選べば良い(情報コスト)。音楽プレーヤーならiPodが無難だ。iPod以外のプレーヤーを持っていてもいいが、間違ってもどうして買ったかを聞かれたときに、「こっちのほうがバッテリーが長持ちで…」などと答えてはならない。「安かったから」と言っておけばいい。

その他ファッション

香水はオタクが使わないアイテムだ。買うだけでいいが、売っている場所がオタクには入りがたいためだろう(心理コスト)。そもそも香水の意義が見出せないのかもしれない(使用コスト)。選択については女に聞くのがいいだろうが、ピアス同様非オタシグナルが強いので別にどれでもいいだろう。脱オタとは関係ないが付けすぎにだけ注意。

行動編、ないし何故脱オタとモテが違うか

本当はこれが一番重要だろう。オタとそうでない人の最大の違いは見た目ではなく、対人経験の差であり、人間関係における自信だ(心理コスト)。恰好が典型的なオタクでなくても、ここが解決できなければ社会的に重要性の低い人間にみえる。モテないといってもいい(逆に大抵の芸人はファッショナブルではないがモテるだろう)。ではどんな行動を避けるべきか。

イベント

パーティーなどで端っこに立っている人間は人間関係で下にいる人間だ。イベントの中心になったり、自由にテーブルを回って知らない人間にしゃべりかける自信が必要だ(オタクはしない)。

対人関係

受身な人間は他人からの拒絶を恐れている弱者だ常に攻撃的でいるのを意識するぐらいがいいだろう。同じ理由で他人を褒めるのは程々にすべきだろう。異性に対して弱気なのは特に対人経験の欠如、社会的な評価の低さを表すので脱オタクをするなら改善する必要がある。

肉体面

ピアスのところでも述べたが、オタクは肉体的な脅威に弱い。これは立ち居振る舞いにも現れるし、肉体的接触を避けることにつながる。積極的に他人にタッチすることで改善できるが、迷いがあると逆効果になる恐れがある。立ち居振る舞いについては実際に筋トレでもするのがいいだろう。

グループ

は一番簡単にオタクに見えなくなる方法は、明らかにオタクでない人間と行動することだ。自分が集団のリーダーであればなおよい。どう考えてもオタクなはずがない異性(≠に)くっつているのが最も効果的だろうが、それができれば既に脱オタは終了しているという気もする。

おまけ

高学歴だったり社会的地位の高かったりするオタクは基本的にこぎれいでファッショナブルな恰好を目指すのではなくバカっぽい、ないしDQN(死語?)ぽい恰好をすれば良い。実際にバカではなくDQNでもないことは後で簡単に示せるからだ。

P.S. 下らないポストが大作になってしまった。。。

(心理コスト)