大学院に関する変な記事

微妙な記事にコメントするのは非生産的なので避けたいが、これはあまりにあまりなので:

「大学院卒」は「東大卒」をも凌駕する学歴だ | ビジネスマンのための 大学・大学院の歩き方 | ダイヤモンド・オンライン

すなわち「いかなる大学院も、全ての大学の上位にあること」、いいかえれば最終学歴として書かれるべき学校は大学院、という時代が来はじめている、ということだ。

学歴主義というのが学歴というシグナルに基づく差別的扱いであることがまるで理解されていない。雇用が流動化すれば対外的にスキルを示すことのできる大学院は一般化していく。それに伴い、いい大学を出ているが大学院を出ていない学生の市場価値が低下することは当然ある。しかし、それもまたシグナリングに過ぎない。そしてシングナリングはネガティブなこともありえる。この程度の大学(院)にしかいかなかったということは、他の事情がなければ平均的にいって、能力が低いと判断されうるということだ。

これはアメリカのMBAでは既に現実化しており、例えばVCにいくならトップスクールでMBAを取ったのでなければ、持っていないほうが就職できる可能性は高いだろう。

本当は、その上に博士課程があり、おそらくは、現在の学歴社会の最終ゴールはそこだ。

博士課程が最終ゴールなんて発想がどこから出てくるのかさっぱり分からない。シグナリングという意味ではよほど勉強が得意でなければ非効率だし、そもそも社会人学生なんて相手にしていない。

すでに「MBAホルダー」である人間も、その上(DMAもしくはPh.D)を目指すのにはどういう戦略が有効かを考えるのである。

MBAがPh.D.を取りにいってどうするのか分からないし、そもそも入学できる可能性自体低い。著者はPh.D.が何か全く知らないようだ。

P.S. というかDMAって一体何だろう。Doctor of Musical Artsしか該当しないのだが。。。

脱オタを経済学的に考える

力を入れる箇所を間違えている『脱オタクファッションガイド改』を見たらちょっとネタっぽい記事を書こうと思い立った:

脱オタって何?

脱オタというのはオタクに見られない工夫のことだ。別におしゃれになることではない。もちろんおしゃれなオタクはいそうにないから、おしゃれなことはいいことだろう。しかし、それは別に必要でもない。どうしようもない恰好の非オタクなんて珍しくもなんともない。

ではどうするのが効率的か。単にオタクが絶対に取らない=オタクにとってはコストが高すぎる行動を取ればよい(考え方としては、「人種差別の現実」で紹介したまともな黒人がどう自分を差別化するかという話と同じだ)。基本的には:

  1. オタクは知らないもの=情報コストが高い
  2. 機能性が低いもの=使用コストが高い
  3. 値段が高いもの=金銭コストが高い
  4. (オタク的)常識でないもの=心理コストが高い

というあたりだ。ただし、いくつか注意点がある。まずオタクは情報収集能力が高いので1の効果には限界がある高収入オタクも多いので3も、特に社会人の場合は微妙だ4は2と比べて心の持ち様なので苦労もなく一番効果的だろう

もちろん、どれもやりすぎると効率が落ちるし(収穫逓減)、一つが突出していると不自然なので組み合わせる必要がある(そもそも四つは排他的な定義でもないが)。

ファッション編

流行

オタクはファッションに気を使わない故に知識がないので流行を知っているような恰好をするのは一つの手だろう(情報コスト)。これについてはよく議論されている。しかしこれは言うほど簡単ではないことには注意が必要だ。なぜならファッションの知識を身につけるのは単純な話、大変なことだからだ。ただ、オタクは情報収集自体は好きだろうから、ファッションについて調べるのが苦じゃないひとにはいい方法だ。

単にオタクに見られないだけなら最低限の常識を身につけ、まわりのオタクが愛用しているアイテムを避ければ十分だろう。やりすぎると単なるファッションオタクになる。むしろダサくてもぼろぼろのジーンズに超でかいシャツとか黒人風にすればオタクには見えない(心理コスト)。

コーディネーション

色彩感覚も必要ない。ある程度の常識の領域は知っているべきだろうが(情報コスト)、色彩感覚の欠如したファッション好きなんていくらでも歩いているからあまり気にすることはない。むしろオタクが着ているのを見たことがない色、大抵派手目な色とか白、を選べばいいだろう(心理コスト)。どんな色合わせだよと思われるかもしれないが、オタクだとは思われない。

金額

お金に余裕があればファッションにもっと使うというのもよい(金銭コスト)。オタクは当然ファッションにお金を注がないからいいシグナルになる。ただ、それなりの年齢になるとある程度のお金が自由になるのは当たり前なのでこの方法は効果が薄くなる。社会人が数万円服にかけたところで誰も驚かないし、他の部分と不整合があれば逆に疑われるだろう。あと、おかしなものにお金をかけるという危険性がある。

髪型

髪型も単純にオタがやらないものにすれば良い。やはり流行りのもの(情報コスト)かお金(金銭コスト)のかかるものであればいいが、上述の理由で効率的でないかもしれない。知識もいらず手間もかからないものとしてはモヒカンとかがいいかもしれない(心理コスト)。ファッション的にツッコミは入りそうだが、少なくともオタクには見えない。坊主も似合えばいいだろうが、場合によっては僧侶に見えたり、貧弱に見えるので注意。ヒゲの有無や体型と相談だろう。

バッグ

他のファッションと同じだがとりあえずデパートにでもいって機能性を捨てたものを選べばいいだろう(使用コスト)。オタクの機能性への愛情は異常なので、おしゃれで高いものなら多少機能性を追求してもよい、ないし重視して当然と思うだろうが徹底的に避けるほうが安全だろう。これは靴も同じだ。

アクセサリ

ネックレスや指輪などはセンスの問題があるだけでなく、買うだけでよくしかも安くすませられるのでオタクではないシグナルにはなりにくいだろう。アクセサリなら一押しはピアスだオタクは肉体的な脅威に弱いため、ピアスをすることは非常に考えにくい(心理コスト)。装着の煩わしさも軽微で、小さいものなら趣味も問われない。耳以外の場所のほうが非オタアピールは強いだろうが、社会的な弊害も凄いので見える場所ならどこでもいいだろう。同様にタトゥーも効果的だろうがセンスが問われるので難しいそうだ。

小物

アクセサリ以外の小物では流行りものを選べば良い(情報コスト)。音楽プレーヤーならiPodが無難だ。iPod以外のプレーヤーを持っていてもいいが、間違ってもどうして買ったかを聞かれたときに、「こっちのほうがバッテリーが長持ちで…」などと答えてはならない。「安かったから」と言っておけばいい。

その他ファッション

香水はオタクが使わないアイテムだ。買うだけでいいが、売っている場所がオタクには入りがたいためだろう(心理コスト)。そもそも香水の意義が見出せないのかもしれない(使用コスト)。選択については女に聞くのがいいだろうが、ピアス同様非オタシグナルが強いので別にどれでもいいだろう。脱オタとは関係ないが付けすぎにだけ注意。

行動編、ないし何故脱オタとモテが違うか

本当はこれが一番重要だろう。オタとそうでない人の最大の違いは見た目ではなく、対人経験の差であり、人間関係における自信だ(心理コスト)。恰好が典型的なオタクでなくても、ここが解決できなければ社会的に重要性の低い人間にみえる。モテないといってもいい(逆に大抵の芸人はファッショナブルではないがモテるだろう)。ではどんな行動を避けるべきか。

イベント

パーティーなどで端っこに立っている人間は人間関係で下にいる人間だ。イベントの中心になったり、自由にテーブルを回って知らない人間にしゃべりかける自信が必要だ(オタクはしない)。

対人関係

受身な人間は他人からの拒絶を恐れている弱者だ常に攻撃的でいるのを意識するぐらいがいいだろう。同じ理由で他人を褒めるのは程々にすべきだろう。異性に対して弱気なのは特に対人経験の欠如、社会的な評価の低さを表すので脱オタクをするなら改善する必要がある。

肉体面

ピアスのところでも述べたが、オタクは肉体的な脅威に弱い。これは立ち居振る舞いにも現れるし、肉体的接触を避けることにつながる。積極的に他人にタッチすることで改善できるが、迷いがあると逆効果になる恐れがある。立ち居振る舞いについては実際に筋トレでもするのがいいだろう。

グループ

は一番簡単にオタクに見えなくなる方法は、明らかにオタクでない人間と行動することだ。自分が集団のリーダーであればなおよい。どう考えてもオタクなはずがない異性(≠に)くっつているのが最も効果的だろうが、それができれば既に脱オタは終了しているという気もする。

おまけ

高学歴だったり社会的地位の高かったりするオタクは基本的にこぎれいでファッショナブルな恰好を目指すのではなくバカっぽい、ないしDQN(死語?)ぽい恰好をすれば良い。実際にバカではなくDQNでもないことは後で簡単に示せるからだ。

P.S. 下らないポストが大作になってしまった。。。

(心理コスト)

体育会系優遇って何?

いつもコメントいただいているWillyさんのブログから(もとはこちらへのコメント):

統計学+ε: 米国留学・研究生活  「体育会系優遇」は優遇ではない

就職したことのない私がコメントするのもなんだが、「体育会系優遇」というのはどの程度真実なのだろう。発端となった記事によると、

同じ大学でも体育会の学生とそうでない学生では印象が違ってくることもあり、ある意味で、体育会というのは資格に近いと思います。

とある。しかし、これは「体育会学生の就職支援を行っているアスリートプランニング(東京都千代田区)」の担当者が言っているだけだ。

体育会学生採用の意向を知らせてきたのは、三井住友銀行、ソニー、パナソニック、伊藤忠商事、JR東日本、同西日本、JTB、富士フイルム、ジョンソン・ エンド・ジョンソン、資生堂、カネボウ化粧品、博報堂といった大企業。中小ベンチャーにも多い。採用の結果、文系総合職の半数以上を体育会学生が占めたと いう企業も複数あるそうだ。

客観的な情報はこれしかない(それでも上記就職支援会社の報告だが)。しかし体育会系の学生に一定の特徴があるなら適材適所という意味で採用しようと思うのは当然だろう。これは別に上に挙げられている企業が体育会系を優先しているということではない。もちろん文系総合職の半数が体育会系だということも体育会系の優位を説明しない。Willyさんの指摘するとおり:

「適性を活かした職種」として
不条理で根性主義の営業等をやらされるだけだ。

単なる最適な配置だろう。

「体育会系優遇」という「常識」は古典的なシンプソンのパラドックスにみえる。Wikipediaの数値例をそのまま利用させて頂くと次のような表で表される:

職種 \ 学生 体育会系 非体育会系
営業など 500人応募250人合格(50%) 10人応募9人合格(90%)
研究など 10人応募1人合格(10%) 500人応募100人合格(20%)
合計 510人応募251人合格(49.2%合格) 510人応募109人合格(21.4%合格)

この例では非体育会系の学生の方がどちらの職種においても合格率が高いにも関わらず、合計だけ見ると合格率が低いように見える。このような現象をシンプソンのパラドックスという。もちろん実際には矛盾でもなんでもない。単に、体育会系の方が合格率の高い職種を受験しているだけだ。合格率を受験者数で重み付けして平均を取っているためにこういう現象が起きる。よく考えればおかしな話だというのは分かるだろう。

とはいえ、

職種より勤務先が賃金の決定要因になる日本企業
では金銭的には優遇されてきた。

仕事よりも会社が重視されるのであれば確かに上の数値例であっても体育会系の学生が得をしていると言うことはできるかもしれない。しかしこのような不均衡は将来的には続かない平均的に優秀な学生にそうでない学生と同じ待遇をしていると、他の会社が優秀な学生だけを引き抜いたり学生が自ら正当な評価を得られる職場を求めたりするからだ。これが

今後、人材が流動化すれば職種による賃金格差が拡大し
体育会系の社員が賃金面で優遇されることはなくなっていくだろう。

という結論に当たる。逆に体育会系の社員が賃金面で(相対的に)優遇される状況がなくなれば、体育会系の人が有名企業に入りやすいという傾向は安定的なものになる。賃金面での不均衡さえなければ上の表にある状況は別に何の矛盾もないからだ。

こんなことを世の中の人がずっと信じているなんてことがありうるかという問いに関しては十分にありうるとというのが答えだ。Wikipediaにもあるがバークレーは実際にこの問題(誤解)で訴えられたことがある。大学院の選考が男女差別的だという訴訟だ。

Applicants % admitted
Men 8442 44%
Women 4321 35%

この表はWikipediaから取ってきたものだが、男女の合格率(1973年)に差があることが分かる。しかし、学部別の統計をみるとだいぶ様子が異なる:

Department Men Women
Applicants % admitted Applicants % admitted
A 825 62% 108 82%
B 560 63% 25 68%
C 325 37% 593 34%
D 417 33% 375 35%
E 191 28% 393 24%
F 272 6% 341 7%

多くの学部では実際に女性のほうが合格率が高い。単に女性のほうが合格率の低い学科に出願する傾向が高いというだけのはなしだ。

ここでの議論は、体育会系にメリットがあることを否定するものではないし、上に挙げた数値例には何の根拠もないしかし、よく聞く「体育会系優遇」という学生の「常識」が実際には何を意味しているのかに注意する必要がある

大学生は多すぎるのか

大学に進学する学生は多すぎるんじゃないかということについて様々な専門家が意見を出している:

Are Too Many Students Going to College? – The Chronicle Review – The Chronicle of Higher Education

中でも面白いと思ったのは次の二つだ。

Charles Murray: It has been empirically demonstrated that doing well (B average or better) in a traditional college major in the arts and sciences requires levels of linguistic and logical/mathematical ability that only 10 to 15 percent of the nation’s youth possess. That doesn’t mean that only 10 to 15 percent should get more than a high-school education. It does mean that the four-year residential program leading to a B.A. is the wrong model for a large majority of young people.

実証研究によれば、普通の専攻でそれなりの成績(平均B以上)を取れるだけの言語・論理・数理能力を持っている人間は10-15%に過ぎないという。もしこれが正しければ過半数の若者が大学に進学するのは非常に非効率ということになる。

Bryan Caplan: There are two ways to read this question. One is: “Who gets a good financial and/or personal return from college?” My answer: people in the top 25 percent of academic ability who also have the work ethic to actually finish college. The other way to read this is: “For whom is college attendance socially beneficial?” My answer: no more than 5 percent of high-school graduates, because college is mostly what economists call a “signaling game.” Most college courses teach few useful job skills; their main function is to signal to employers that students are smart, hard-working, and conformist. The upshot: Going to college is a lot like standing up at a concert to see better. Selfishly speaking, it works, but from a social point of view, we shouldn’t encourage it.

こちらは経済学者だ。個人レベルでは大学へ進学することがプラスになるのは25%だという。しかし、大学進学の個人へのリターンの多くがシグナリングに過ぎないことを計算にいれれば社会的な望ましい水準は5%だという。何故なら大学の授業は現実社会で役に立たないからだ。また進学者が少ないほうがシグナリングの効果は高いだろう。

彼は大学進学をコンサートで立ち上がることに例えている。これはとてもわかりやすい例えだ。四分の三の人が立ち上がっていたらもうどうせ前は見えないので立ち上がるのを辞めるだろう(現実進学率<75%)。しかし立ち上がっている人が四分の一なら立ち上がることは個人的にメリットがある(現実進学率>25%)。しかし、社会的に望ましいのは特別に背が低いなどを除き全員座っている状態だ(最適進学率=5%)。

これは日本にも当てはまる。どちらにしろ大学進学率が50%を越えるような水準で大学への資金援助・進学費用の補助などを行うことは正当化しにくいだろう(注)。

(注)教育が民主主義のために必要だと考えることはできるが、大学が学習を強制しない以上あまり有効な批判とは言い難いだろう。