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大学生は多すぎるのか

大学に進学する学生は多すぎるんじゃないかということについて様々な専門家が意見を出している:

Are Too Many Students Going to College? – The Chronicle Review – The Chronicle of Higher Education

中でも面白いと思ったのは次の二つだ。

Charles Murray: It has been empirically demonstrated that doing well (B average or better) in a traditional college major in the arts and sciences requires levels of linguistic and logical/mathematical ability that only 10 to 15 percent of the nation’s youth possess. That doesn’t mean that only 10 to 15 percent should get more than a high-school education. It does mean that the four-year residential program leading to a B.A. is the wrong model for a large majority of young people.

実証研究によれば、普通の専攻でそれなりの成績(平均B以上)を取れるだけの言語・論理・数理能力を持っている人間は10-15%に過ぎないという。もしこれが正しければ過半数の若者が大学に進学するのは非常に非効率ということになる。

Bryan Caplan: There are two ways to read this question. One is: “Who gets a good financial and/or personal return from college?” My answer: people in the top 25 percent of academic ability who also have the work ethic to actually finish college. The other way to read this is: “For whom is college attendance socially beneficial?” My answer: no more than 5 percent of high-school graduates, because college is mostly what economists call a “signaling game.” Most college courses teach few useful job skills; their main function is to signal to employers that students are smart, hard-working, and conformist. The upshot: Going to college is a lot like standing up at a concert to see better. Selfishly speaking, it works, but from a social point of view, we shouldn’t encourage it.

こちらは経済学者だ。個人レベルでは大学へ進学することがプラスになるのは25%だという。しかし、大学進学の個人へのリターンの多くがシグナリングに過ぎないことを計算にいれれば社会的な望ましい水準は5%だという。何故なら大学の授業は現実社会で役に立たないからだ。また進学者が少ないほうがシグナリングの効果は高いだろう。

彼は大学進学をコンサートで立ち上がることに例えている。これはとてもわかりやすい例えだ。四分の三の人が立ち上がっていたらもうどうせ前は見えないので立ち上がるのを辞めるだろう(現実進学率<75%)。しかし立ち上がっている人が四分の一なら立ち上がることは個人的にメリットがある(現実進学率>25%)。しかし、社会的に望ましいのは特別に背が低いなどを除き全員座っている状態だ(最適進学率=5%)。

これは日本にも当てはまる。どちらにしろ大学進学率が50%を越えるような水準で大学への資金援助・進学費用の補助などを行うことは正当化しにくいだろう(注)。

(注)教育が民主主義のために必要だと考えることはできるが、大学が学習を強制しない以上あまり有効な批判とは言い難いだろう。

大学生は多すぎるのか」への10件のフィードバック

  1. 法曹人口の増加が議論されているときに、レベルが低い弁護士が増えるという議論の一方で、裾野が広い方が山は高くなる(トップ層のレベルは上がる)という議論も一部あッ多様に記憶してます。大学生の場合はどうでしょうかね。例えば日本の国立大学の定員を3分の1位にした場合、トップの大学(典型的には東大・京大)のレベルは上がるのでしょうか、下がるのでしょうか。大学の定員の問題ではなく、子供全体の数の問題でしょうか。あるいは、トップの大学の定員の問題でしょうか。
    そういった考え方は経済学的に的を射ているのですか。

  2. >例えば日本の国立大学の定員を3分の1位にした場合、トップの大学(典型的には東大・京大)のレベルは上がるのでしょうか、下がるのでしょうか。

    人数を減らせば、筆記試験で測られるところのレベルは上がります。大学の機能がシグナリングであるならば、これは社会的に望ましいことです。学生のランクづけが細かくなるのは情報が増えることですから。

    もちろん競争は激しくなるので、もし試験勉強の内容が将来役に立たないなら無駄も増えます(大学受験の場合、これはあまり問題ではないと思いますが)。

    >法曹人口の増加が議論されているときに、レベルが低い弁護士が増えるという議論の一方で、裾野が広い方が山は高くなる(トップ層のレベルは上がる)

    むしろこちらの方が難しい問題です。そもそも司法試験が何故必要かということです。

    一つの根拠としては、司法サービス市場では情報の非対称があって弁護士の質が事前に分からない、よって最低限の質を政府が保障するというものです。これはレモンの市場と言われ、中古車の車検などがこれにあたります。これがなければ買い手は質の低いものばかりが売りに出されていると考えるため市場が縮小します。

    しかし、仮に弁護士の質が観察できなくても、個々の弁護士には評判を維持する必要があるため本当に政府の最低保障が必要かと言われると疑問が残ります。例えば美容院の質は切ってもらうまで分かりませんが、質が低ければそういう評判が立ち市場から退出します。政府の関与は必要ありません。中古車市場であれば売り手が第三者の質の保障をしてもらうこともあります。やはり国が規制する必要性は低くなります。

    また、最低限の品質を保障するという意味であれば試験をやることは正当化できても定員を設ける必要はありません。品質保障であれば一定の成績を収めた人間は合格させるというのが合理的です。

    逆に定員を作るということは司法サービスの供給を減らすということなので、弁護士には独占利潤が入ります。また価格は高騰し一部の需要者にはサービスが供給されません。

    また競争がないということはサービス提供者が努力するインセンティブが少ないということです。どうも弁護士の質というと頭のよさのことを言っているように聞こえますが、弁護士が提供するサービスの質は本人の頭のよさよりもちゃんと努力しているかが大きいのではないでしょうか。

    一定の知識を持っていれば全員合格という試験を作り、あとは競争させるという政策が望ましいように思います。

  3. 司法試験等に関して言えば資格を取るためのコストが問題ではないでしょうか。多大なコストをかけてもリターンが小さかったりリスクが大きかったりすれば、参入する人が減って全体のレベルが下がることが予想されます。リターンがコストに比例したり、リスクがコストに反比例するとは限らないので、一概に試験をどの程度難しくするべきかは決められないような気もします。

  4. リターンは総コストに平均的には比例しますよ。司法試験のためのコストや弁護士資格のメリットはよく知られている(情報の非対称ははない)ので、リターンとコストに不均衡があれが受験者の増減で調整されるはずです。

    >全体のレベルが下がる

    この「レベル」という言葉の意味が鍵だと思います。

    普通、美容店やレストランの「レベル」を規制にしよう話はあまり出てきません。むしろ、人数が増えて競争が増せば質も上がるというのが普通です。

    なぜ弁護士にだけ「レベル」という言葉が使われるかですね。

  5. >リターンとコストに不均衡があれば
    >受験者の増減で調整されるはずです。

    この調整に社会的な損失があるような気がしました。コストパフォーマンスが低下すると受験者が減少。合格者の質が低下。一方、受験を取りやめた人が他の分野で質の高い労働者になるかどうかは分からない。
    うーん、でもたくさん仮定が必要になりますね。個人的には潰しが効かない業界で競争のステップが複数あるとうまくいかない気がしています。例えば将棋のプロとかです。アカデミックも似たところがあると思います。
    個人的には法曹界はもっと試験を簡単にして自由に競争させた方が良いと思っていますが。

  6. >この調整に社会的な損失があるような気がしました。

    社会的損失だらけです。物理学者と同じで、弁護士に向いていて他に向いていないひとを選ぶのが最適ですがなかなか難しいですね。

    司法試験への勉強に汎用性がなければ試験に受からない人はみんな資源の無駄遣いをしていることになります。

    この問題は規制されている業界ではどこでも起きます。儲かるところには人が集まってしまいその儲けが消えてしまうわけです。どうせならタクシーのメダリオンのように売買してしまえば政府の収入になるのでいいかもしれません(人数を規制する際の規制が外生的な変数に基づいている場合には競争は起きません)。

    >うーん、でもたくさん仮定が必要になりますね。

    モデルをつくろうとすると結構面倒です。

    >個人的には潰しが効かない業界で競争のステップが複数あるとうまくいかない気がしています。

    逆にステップがあることによって徐々に選別していうという側面もあります。

    >個人的には法曹界はもっと試験を簡単にして自由に競争させた方が良いと思っていますが。

    これには大賛成です。基本的にサービス業なので市場に任せてまずい部分は殆どありません。

  7. 司法試験は最低限の質保証ですが、最近始まった新司法試験では、(確か定員制ではないはずですが)毎年2000人くらいが合格するという慣例になりつつあります。それ以下の人は最低限の質を満たしていないという建前のもとで、実質的に定員制が採用されていると言えるのでしょう。
    もっと簡単にして、合格者を増やして自由に競争させた方がいいという議論は常にありますが、最低限の質保証という試験制度を維持する場合、最低限の質のラインをどこに引くのかは、非常に難しいですね。
    今の合格数が少ないのか多いのかを評価するのも難しいと思ってます。今の数は少なくて、もっと増やせばよいと評価する根拠はどこにありますか。

    ところで、自由に競争させた方がいいという議論だと、最低限の質保証も不要で、試験をなくせばよい(能力のないものは淘汰される)とも思いますが、それとも弁護士、医者、会計士、税理士などの職種は、無能なものが淘汰されるまでの社会的コストが高いので、最低限の質保証としての試験は正当化されると考えればよいでしょうか。

  8. >司法試験は最低限の質保証

    司法試験を最低限の「質」保障と捉えると合格者「数」を決めている点に大きな疑問が残ります。

    「質」の保障であれば試験の難易度に応じて必要な点数を決めてそれ以上は全員合格とするのが整合的です。

    そうすれば受験者にとっても合否の不確実性が減り、社会的にも効率的です。

    人数にばかり焦点を当てていると、やはり業界が司法試験を参入障壁として使い利潤を上げようとしていると取られてもしょうがないと思います。

    >自由に競争させた方がいいという議論だと、最低限の質保証も不要で、試験をなくせばよい

    これは正しくありません。最低限の品質保障を行った上で競争させることはできます。

    例えばアメリカの会計士は決まった点数を取れば合格です。このような制度が正当化されるのは、多くの消費者にとって税務サービス(とりあえず監査は置いといて)を頻繁に利用することがないからです。別の言い方をすると、「質」について学習する機会がありません。このような環境では評判による競争が働かないので品質保障が重要になります。

    企業相手であればこの問題は生じません。企業はこれらの専門職を継続して利用するためダメな人がいれば分かるからです(そしてそれを専門職側も理解しているためダメな人間を送ること自体がありません)。

    ただこの問題はインターネットによってだいぶ緩和されています。ある弁護士の「質」に関する情報を消費者同士が共有できるためです。

    ある程度の「質」を確保するための試験が必要だと考えますが、後は競争に任せてしまっても問題はないと思います。

    淘汰されるまでのコストが非常に高いものとしてはパイロットや医師などがあります。逆にこういった職業の場合には試験の難易度を上げるというよりも、学校での教育を直接義務付けて「質」を確保するというのが自然な対応です。

  9. ピンバック: なぜ資格試験や教育が必要なのか » 経済学101

  10. ピンバック: 博士人材活用の攻めの姿勢 » 経済学101

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