https://leaderpharma.co.uk/ dogwalkinginlondon.co.uk

博士人材活用の攻めの姿勢

民主党の「仕分け」で盛り上がっている博士の人材活用について:

「博士および博士級人材」の能力 – akoblog@はてな

「科学技術と企業家の精神—新しい産業革命のために」という本の紹介だが、次の本文が気になった:

先日のエントリで私が書いたことは、どうも個人的な待ちの姿勢と読まれた方も少なくなかったが、この本は強くお勧めしたいと思う。

本から引用されているのは次の一節だ:

(人材送出側の大学、本人、および企業側の)相互理解の不足問題の本質は、「博士および博士級人材」の能力は専門知識ではなく問題解決力、特に問題設定力 であることが、社会の共通認識となっていないことである。個別の企業に高度知的人材の活用法を委ねるだけでなく、国策としての方策も併せて検討すべきであ る。(「科学技術と企業家の精神」p184 より)

しかし、これもまた「待ちの姿勢」に過ぎないだろう。逆に考えればわかりやすい。何が博士人材を活用する上での「攻めの姿勢」だろうか

それは、博士人材の問題解決・設定能力が社会に認識されていないうちに彼らを優先的に雇用することで大きな利益をあげることだ(とりあえず博士人材の能力については上の主張が正しいとする)。もし博士号を持っている人間の本当の価値が他の人間に知られていないことが問題の本質であるなら、それに気づいて彼らを雇う会社は優位に立てる。単純な裁定取引に過ぎない。

では何故そういう行動に出る企業が存在しないのか。博士人材の過剰供給が取り沙汰されるようになって以来ずっと誰もこの(裁定)機会に気づかなかったのだろうか。それは俄には信じがたい。企業はパート労働者が割安だと気づけば雇用するし、派遣労働者が人件費削減に資すると分かれば世間から非難されようと大々的に導入する。やはり、単に企業が「博士および博士級人材」の能力は専門知識ではなく問題解決力、特に問題設定力 であることを知らなかったと考えるのは無理があるだろう。企業はそうだと分かっていながら合理的な判断として博士人材を雇用してこなかったはずだ

問題解決・設定能力が企業活動にとって重要であることは言うまでもないし、そういった人材が余っているという話も聞かない。よって潜在的な需要はあるだろう。ではなぜ企業は博士を雇用しないのか。まず検討すべきなのは情報の非対称だろう

企業からみて博士の人間の能力を判定するのは非常に難しい。問題解決・設定能力はどうやって測るのだろう。言うまでもなく、論文を読んで判断するというのは費用が掛かりすぎる。また、同業者と比べて明らかに学術業績がある人間はほぼ確実にアカデミアに残るため、企業が採用とする人間のプールだけを考えれば素人が見て業績に差があるようなケースもほとんどないだろう。自分がアカデミアにいる人は、違う専攻の博士をどう評価すべきかを考えればすぐに分かるだろう。例えば、他分野のトップジャーナルが何かなんて普通は知らない、ましてやある人がやっているその分野のごく狭い部分で重要なジャーナルが何かなんて業界の人に聞かないと分からないだろう。博士を取ったばかりの人間であれば参考にすべき情報もあまりない。

企業が学生の資質を測るのに苦労しているのは学部の新卒採用でも同じだ。何度も面接を行うのはその現れだ。しかし、面接をうまくこなせる能力や完璧なレジュメを書く能力よりも重要なことがある。それは出身大学だ。企業は学生の資質を測る最も簡単な方法としてどこの大学の学生かという情報を利用している。この場合、一流大学に入るということが能力が低い学生にとって比較的困難なため、シグナリングとして作用している(大学のシグナリングについて)。

こう考えると博士の就職がうまくいかない理由は簡単に分かる。それは大学というシグナリングの装置がうまく働かないからだ。企業は出身大学という情報を使って学生の質を推定することができず、採用をとりやめる。博士の就職問題を解決したいなら、この状況を変えればいい。まず、各大学(特にトップ大学)の定員を削減する必要がある。学部卒で考えれば分かる。誰でも入れる大学の卒業生を雇いたい企業がいるだろうか。その大学にも優秀な人はいるといくらいっても無理な話だ。

これは全体としての大学院の定員を減らせというわけではない。総数が同じであっても内部でランクがつけばよい。中程度の能力ならそうと分かればいいだけの話だ。それによって企業が学生を判断する手がかりが与えられる。学生の選考は難しくなるが、大学教授のほうが博士課程に進む学生の質を判断する能力には秀でている。特に国立大学はシグナリング機能を学生に提供しようという金銭的なインセンティブを持たないので政府の関与が必要だろう。

この場合でも何故学生がこのような状況でも進学するのかという疑問は残るかもしれない。しかし、それは学生がアカデミアに強い選好を持っていることで説明できる。また、実際学生が最適でない行動を取っているとしても、企業が最適でない行動をとっているよりはよっぽど自然なことだ。

シグナリングは社会的な費用になるのではないかという指摘についてはその通りだ。しかし他に効率的な手段がない以上必要だろう。アメリカでは大学院のランク付けは当たり前だ。また個々のプログラムは小規模でランクが上がるほどセレクティブになる。シグナリングはアカデミックな就職市場でも有効だ。業績が殆どない博士の能力を測る手段として大学院のランクが使われる。これには大学内の他の学部に対して採用決定の正当化に役立つという面もあるだろう。

おまけ:

もし自分には見分けがつくというのなら、就職支援・採用支援でビジネスを始められる。これはシグナリングなんていうコストリーな仕組みを使わない分社会的に望ましい。

見分けはつくがそれを信頼できる形で示せないというなら、自らビジネスを始めてできる博士だけを雇えばよい。優秀な問題解決・設定能力を持った人材を比較的低コストで雇えるのだから何をやっても利益を出せるはずだ。

博士人材活用の攻めの姿勢」への4件のフィードバック

  1. >まず、各大学(特にトップ大学)の定員を削減する必要がある。

    内部での競争を高め、入学後も熱心に勉強するインセンティブを与えるという点では、入学の段階では絞らず、博士号の授与認定を厳格にする方が良いように思われますがどうでしょうか(博士号が取れなかった人はどうなるのかという問題は出てきますが)。

    >総数が同じであっても内部でランクがつけばよい。
    >アメリカでは大学院のランク付けは当たり前だ。

    なぜ日本では、アメリカのようなランク付けがない(or少ない)のですかね。アメリカのランキングはUSNEWSとか大学や政府でもない私的機関がやっているように思われますが(間違ってたらすいません)、日本では政府関与が必要ですかね。
    ただ、世界の大学ランキングというのがあるので、全くないわけではなさそうですが(物理とか化学ならば日本の大学も上位に入ってますね)。

    それから、ランク付けのあるアメリカのPHDホルダーは、日本の(ビジネスの)就職市場で価値が高いのでしょうか。母数は少なそうですが、ちょっと気になります。

    個人的には、日本企業の伝統的な給与・人事システムからして若い年齢で企業に入った方が有利であり、(アカデミックだけでなくビジネス分野でも活躍できる)優秀な人材は修士取得までの段階で、多くが就職してしまう、という事情があるように思います。
    なので問題は、博士号保持者が、同年齢の学卒・修士卒の社員に比べて、能力高いことを示さないと解決しないように思われますが、簡単ではなさそうですね。

  2. コメントありがとうございます。

    >内部での競争を高め、入学後も熱心に勉強するインセンティブを与えるという点では、入学の段階では絞らず、博士号の授与認定を厳格にする方が良い

    これは入学時点でどの程度学生の選抜が可能かによります。学生はリスク回避的なので十分な選定が可能なら、学位授与段階でリスクを与えることは(社会的にも)望ましくありません。もちろん学生の質を入学時に判定するのが非常に困難であれば出口で選定するのもありえます。

    学部であれば日本の大学は前者の立場、アメリカの大学は後者の立場をとっていますが、大学院では逆になっています。

    大学院選考の方が学部選考よりも受験者について多くの情報を利用できるため、アメリカの大学の方が利にかなった行動をとっているように思えます。

    >なぜ日本では、アメリカのようなランク付けがない(or少ない)のですかね。

    単純な話、院試の難易度が低すぎるからだと思います。東大に入るのが難しくないならランキングに意味はありません。

    本来、大学は学生をサポートする費用や卒業生の質の担保を考えて入学者を制限します。しかし日本の大学では学生の生活サポートをあまり行いませんし、大学院重点化政策によって院生の人数を増やすインセンティブが与えられたため定員が多くなり入学が容易になりました。

    >それから、ランク付けのあるアメリカのPHDホルダーは、日本の(ビジネスの)就職市場で価値が高いのでしょうか。

    ご指摘のとおり母数が少なすぎてよく分かりません。またアメリカでPh.D.をとる学生と日本で大学院を修了する学生にはセレクションによる質的な差があるため比較してもあまり意味はないでしょう。少なくとも就職に困るということはないように思います。

    >個人的には、日本企業の伝統的な給与・人事システムからして若い年齢で企業に入った方が有利であり、(アカデミックだけでなくビジネス分野でも活躍できる)優秀な人材は修士取得までの段階で、多くが就職してしまう、という事情があるように思います。

    これは鶏が先か卵が先かという問題です。優秀な人材が早く卒業するのは博士の就職がうまくいかないからですが、博士の就職がうまくいかないのは優秀な人材が早く卒業することを企業が知っているからです。問題は優秀な人材が修士までで卒業するのと博士号まで所得するのとどちらが社会的に望ましいかです。後者が望ましいのであれば現状を変える必要があります。

    >博士号保持者が、同年齢の学卒・修士卒の社員に比べて、能力高いことを示さないと解決しない

    能力が高いことを示しうるような環境を作る制度的な方法が定員の削減によるシグナリングの活用です。上の議論と重複しますが、「能力が高いことを示しうるような環境」を作ることで「実際に博士人材の平均的な能力」は向上するはずです。

  3. どうもありがとうございます。1つ疑問なのは、全体としての大学院の定員を削減せず、上位校の定員を削減してランク付けをする場合、下位にランク付けされた大学の博士の人々は負のシグナリングでますます就職できなくなるように思われ、そうなると(真に困っている人を助けられないので)まあり問題解決にならないように思われます。
    これに対しては、下位校の人々は、ランク付けで客観的な評価が与えられるので、高望みしなくなり、適正な就職を求めるので採用・就職活動の効率は良くなると考えればよいのでしょうか。

  4. >下位校の人々は、ランク付けで客観的な評価が与えられるので、高望みしなくなり、適正な就職を求めるので採用・就職活動の効率は良くなると考えればよいのでしょうか。

    基本的にはそういうことです。シングナリングがないと、買い手は平均的な質しか分からない、質のよい売り手は逃げる、よって平均的な質が下がる、一段と質のよい売り手が逃げるという繰り返しで最低の質のものしか売れなくなれます(それに需要があるとして)。

    基本的には学部の場合と同じだと考えて頂ければ大丈夫です。

コメントは停止中です。