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グレード・インフレーション

アメリカの大学の平均成績が話題になったのでご紹介。

National Trends in Grade Inflation, American Colleges and Universities

アメリカでは大学の成績が、少なくとも日本に比べると、重視されるというのは有名な話だ。特にコミュニティカレッジからのトランスファーや、メジャーの選択においては平均成績=GPA (Grade Point Average)が主な判断基準となる。就職活動の時にも履歴書(resume)にGPAを記載するし、足切りに使われることもある。

就職活動で使われるとなると、当然問題になるのが学校ごとの違いだ。特によく指摘されるのは公立と私立の差だ。上のグラフは一世紀近くに及ぶGPAの推移だが、どの大学も戦後急激にGPAが上昇し、それから徐々に上がっていっているのが分かる。特に私立と公立との差は開く一方だ。有名な大学を例にとると、Harvard 3.45 (2005), Yale 3.51 (2008), Stanford 3.55 (2005)に大して、Berkeley 3.27 (2006), UCLA 3.22 (2008) となっている。

ちなみに日本の大学を卒業するとやたらと低いGPAになってたり、成績の付け方がアメリカと異なっていたりする場合もあるがアメリカの大学はそのことを知っているので無闇に心配することはない。

ミニスカとシグナリング

前回「ミニスカートが悪いのか」に引き続き、ミニスカの話:

ミニスカ論争 – キリンが逆立ちしたピアス

セクシュシャリティを研究されているそうだ。

曽根さんの文章は、主語があいまいで、何をいわんとしているのかがよくわからない。たぶん、フェミニズムをバッシングしたいのだろう。だが、もってまわった言い方をしているので意味がわからない。

とあるが、曽根さんの文章は言っていることがおかしいだけで、別に分かりにくくはない。

曽根さんは、女性がミニスカートをはくのは、男性をセックスに誘うためだと考えているのだろう。そして、そういう女性は性犯罪にあってもしかたがない、と訴えているのだろう。

と解釈されているが、その通りだろう。誰もがそう読んだと思う。

私自身は、意識や深層心理はともかくとして、少なくとも10代のうちにこうした論文アクセスすることができた。それは、「<私>を見ている男性」を見る、ための視座を獲得できたということだ。私は「見られる」という女性の位置にありながら、その視線に抵抗したり、利用したりしようとする、女性の置かれた位置を俯瞰しようとしてきた。要するに、見られながら、見る主体を確立してきたのである。

これは単なるシグナリングの話だろう(但し、私はレイプについてそれがシグナリングの問題だとは考えていない:ミニスカートが悪いのか)。自分が外からどう見られているかを考えること、それを利用することは何も女性に限った話ではない

「<私>を見ている企業の面接官」でもいい。もう勉強していい大学にいって面接官の目を欺いてもいいし、変わったの色のスーツを着ていって抵抗してもいい。

私たちは、なにもない真っ白な状態で、ものごとを「見る」ことはできいない。ミニスカートをはく人に対しても、すでに作られた枠組みを通して見ている。

人間は本当に知りたい情報が見えない場合に観察可能な情報に基づいて推論を行う。男性は相手の女性がどんな人間であるか分からないから、ミニスカートをはいているという情報から推論する。これは善悪の問題ではなく、合理的な行動にすぎない(参照:人種差別の現実)。そして人間は大抵の合理的行動を自然に行う。意図的にしか合理的行動を取れないのは進化論上不利だからだ。

そして、その相手が見ているだろう視線を内面化して、「見られる私」を自分自身で構築する。そして、「その構築された枠組みがある」ことを知ったとき、ものの見方はまた変わる。

そんな大げさなことではないだろう。自分が観察される対象であり、観察可能な自分に関する情報を他人がどう利用するかというのは世の中のほとんどの人が毎日行っていることだ。

そして「その構築された枠組み」というのは誰かが意図的に構築したものではないことにも注意が必要だ。例えば、新卒の学生について企業はほとんど何も知らない。もしある男子学生が大量のピアスをして面接に現れたらどう思うか。他の状況が同じなら採用を控えるだろう。これはピアスをしている男性がどのような人間である可能性が一番高いかを考えれば妥当な戦略だ。別にピアス自体には何も考えを持っていなくても同じだ。

女性がミニスカートをはくことをやめる必要はない。仮に、男性がミニスカートを はく女性に対して欲情すると感じるとしよう。さらには、欲情すると、レイプという行動にでることも仮定しよう。だとすれば、男性が見方を変えればいいので ある。前者は無理だとしても、後者は可能である。

コメント欄でも指摘されているがこれは論理の飛躍だ。「女性がミニスカートはく」ことを止めることも「男性が欲情した時にレイプという行動にでる」のを止めることも共に可能であるなら、後者が必要だというためにはそれなりの根拠が必要だ。妥当な理由は「ミニスカートが悪いのか」で述べたように、後者のほうが圧倒的にコストが低いということだろう。

就職の例で言えば、男子学生が面接にピアスをしていくのを止める必要はない、企業が見方をかえてピアスをしていても学生を採用すべきだと言うようなものだ。「男子学生が面接にピアスをしていく」のを止めることも「企業が見方をかえる」ことも共に可能だ。

一世代では無理かもしれない。でも、時間をかけてでも変えていきたい。そして、すでに少しずつ変わってい る、と私は信じたい。

これは信じるまでもないだろう。職場でのピアスも女性なら問題ない。ミニスカートをセックスに誘うために着用する女性が減っている以上(というかそもそも存在するのか?)、男性がミニスカートをそのためのシグナルとして利用することもなくなっていく。

付録

ただ、男女の場合に複雑なのは女性がセクシャリティを出す場合、それをシグナルではなくスクリーニングの手段として使っていることが多いことだろう。つまり、男性が自分のシグナル、例えば興味をみせるモーション、にどう対応するかを観察することで男性の質を推定するということだ。

この場合男性があるシグナルを観察したときにそれを無視するのは難しい。もしそれがスクリーニングのためのシグナルであった場合積極的に行動しないことは、自分の質が低いことを示してしまうからだ。「ちょっと誘ってみたけど何もしなかったのよ、あきれちゃったー」みたいなのがそれだ(参考:クリーピー)。

逆にこれはいかに「つい」レイプしてしまうかがありえないことかも示している。男性は社会的に拒絶されることを恐れており、つい積極的に行動してしまうことはない(でなければ誘ってみるなんて行動がスクリーニングに使えるわけがない)。ミニスカをみて欲情しレイプしてしまうかもしれないと悩んでいる男性はいないが、家に誘うタイミングを逃したと悩む男性はいくらでもいるだろう。

追記:家庭内暴力のケースについては計算された暴力をどうぞ。