教養教育の終わり

学位の価値は落ちる一方だ。授業料の高いアメリカでは、一足先に価格に見合う価値があるのかという疑いが広がっている。

How to manage a college education | Penelope Trunk’s Brazen Careerist

大学の機能は主に二つある。一つは実際の学習、もう一つは能力を示すという意味でのシグナリングだ。

The idea of paying for a liberal arts education is over. It is elitist and a rip off and the Internet has democratized access to information and communication skills to the point that paying $30K a year to get them is insane.

しかし、教養教育を受ける場所としての大学の機能は消滅の瀬戸際だ。いまや多くの学問分野は自学自習が可能だ。インターネットにはリソースが溢れているし、勉強したい者同士集まることも可能だろう(そういう場所をもっと作れればよいとは思う)。そもそも現在の大学生のどれだけが「教養」を身につけているかだって疑わしい。

経済学にしたって社会人として必要なレベルの学習に大学という(機会費用を含めた)莫大な投資が必要だとは到底思えない。本当の専門教育以外、大学で勉強する必要は見つからない。そして、それだけの教育が社会的に必要な人間の数は現在大学に通う学生の数より遥かに少ないのではないだろうか。

これは教養教育の価値を否定するものではない。私自身、教養学部に四年間も在籍したし、文理問わず色々なことを勉強した。しかし、大学がなければ出来ないことではなかったし、大学で他の専攻にいたとしても同時に勉強することは出来ただろう。しかも私は教育の真の社会的費用を負担していたわけではない。国立大学の費用の多くは税金によりカバーされている。本当の費用を負担してなお、教養教育に何年間もかけようという人はどれくらいいるのだろう。

しばらく前にWillyさんが教養教育に関するポストを書かれていた。そこでは次のような一節がある。

これに対するレスは様々だが「教養賛成派」からは、
「意味がないからこそ面白い」
「教養こそが人間の価値」
といった、私からすれば驚愕の意見が並べられている。

教養学部卒の私としては耳の痛い話だが、こういった反論は間違っている。「意味が無いからこそ面白い」、「教養こそが人間の価値」だとしても、それを大学でやらなければならない理由にはならないし、それほど価値があるなら政府の支援は必要ないはずだ。教養がある市民が多いことが社会にとってプラスだという議論は可能だろうが、それなら一部の人間に限られた大学教育ではなく、幅広い教育にお金をかけるべきだ。私は、教養教育の価値が下がっているのは事実であって、それに反対するのは自分の教育の価値が下がることに対する反感に過ぎないと思う。

Ben Casnocha has one of the most thorough, self-examined discussions about the value of college on his blog. He went to college, probably, because so many people told him to.
Ben left college. Early. And he’s fascinating, and he’s educating himself through experience, which is what the Internet does not provide. The Internet provides books and discussion, so why would you need to go to school for those things?

それどころが大学に行くことの価値自体への疑いもある。これは大学へ通う人間のほとんどが「専門」教育を受けるつもりではないことからして明らかだろう。私は上に挙げられているBen Casnochaの本もブログも読んでいるが、非常に洞察に富んでいる。教養が不必要なのではなく、教養のための大学が必要なくなっているのだ。これは「教養学部」や「リベラルアーツ大学」のことだけを指しているのではない。本当の専門教育を受けている学生の少ない(ほぼ全ての)大学に当てはまる。

また、この例は大学のもう一つの機能であるシグナリングもまた崩壊しつつあることを示している。大学入試に簡単になることによる学歴自体のインフレもあるが、もう一つの脅威は他のシグナリングデバイスの登場だ。今の時代、若者が自分の能力を示す方法はいい大学にいく以外にもいくらでもある。事業を自分で始めるのもそのひとつだろうし、様々な話題についてブログを書くこともそうだ。大学のシグナリング効果が一朝一夕になくなることはないだろうが、どれだけの費用・苦労を支払う価値があるかという観点で評価すれば大学の価値は薄らいでいる。

Students today don’t need teachers who don’t know how to write a blog post to teach them how to persuade people. Because the bar for communication is high, and it’s in the blogosphere, and if you can write a blog post that gets a decent conversation started, then you already know how to write a persuasive, engaging argument.

また教養教育の最も重要な要素の一つは論旨の一貫した説得力のある文章を書く能力だが、それはむしろブログを書いて人に読んでもらうことによって大学のクラスよりも効果的に身につく。先生からいい成績をもらう努力をするよりも、実際に読者になってもらう方が余程効率的だ。先生は仕事なのでどんな文章でも読んでくれるが、ネットで長い文章を読んでもらうためには事前にそれなりの価値があるという信用・評判を築く必要がある。どちらが難しいかは明らかだろう。

教養教育の終わり” への30件のコメント

  1. リンクありがとうございます。

    大学入学時に具体的な目標を持っている必要はないと思いますが、環境を活かして専門知識を身につけようという意欲は必要でしょうね。入学時に目的が明確な人は、能力や興味が偏っている人なのだと思います。

    例えば、私の兄は工学のある分野に進みましたが、子供の頃から周りの人と感覚が全然違いました。例えば兄が中学生くらいの頃には、買い物に行って鞄なり財布なり工業製品を手にとるとどこが最初に壊れるか、ものの10秒くらいで解るようになってました。よく私が買った新品の物を取り上げて「あ、これは良くないよ。ここが最初に壊れる。」とケチをつける。そんな兄が嫌いでしたが、半年か1年経つとやっぱりそこが壊れる(笑)。ただ逆に言うと、そんな兄がいたから自分が工学に向いてないことは簡単に分かったわけで、いろんな才能に恵まれた人に囲まれるというのは大事なんでしょうね。

    • うちは、芸術系の人々に囲まれていたので職業意識は皆無でした。。。普通に会社勤めしている人が周りにいませんでしたね。今思えば不思議な環境です。

      何事も極端な例に触れることの重要性は最近よく感じます。何か極まった人を見るだけでいろんなことがわかるなぁと思います。

      一人っ子なのも関係ありそうです。

  2. ・日本では成績がシグナリングに成りえていないので、
    出身校によるシグナリング(足切り)が重宝されているように感じます。
    長い間学歴以外の基準が叫ばれていますが、未だこれにとってかわる基準がありません。
    理由はおそらく客観性と企業側のコストの安さでしょうか。

    ブログはいちいちチェックするくらいならstatement of purposeや作文させればいいし、
    事業を始める学生は全体の1%もいるのでしょうか。
    むしろ日本の企業には腰掛けととらえられてマイナスにとる企業もでてくると思います。

    ・Berkeleyはyoutubeで100番台の授業流してますね。
    大学側は人件費削減して研究に資源集中したいんですかね。
    他の多くの大学がclosedで授業のオンライン化をやってるのに、
    youtubeで超一流大が無料で流すのは同業を志望する側からは脅威です。

    授業のオンライン化を突き進めていくと講師が激減して、
    研究職の競争が厳しさをまし、
    その過程で学生側も大学の存在意義についてより厳しくなりそう。

    • >出身校によるシグナリング(足切り)が重宝されているように感じます。

      ごもっとも。まあアメリカでも大学が一番重要なのは代わりありません。

      >長い間学歴以外の基準が叫ばれていますが、未だこれにとってかわる基準がありません。

      他にcredibleな情報がないんですよね。microbloggingがこれを変えそうです。

      >ブログはいちいちチェックするくらいならstatement of purposeや作文させればいいし、

      別に読まなくても評判だけ掴めば十分でしょう。

      >事業を始める学生は全体の1%もいるのでしょうか。

      もともとそれなりの能力がある層を考えています。中位層以下では現状でも学歴のシグナリング効果自体あやしいように思います。

      >・Berkeleyはyoutubeで100番台の授業流してますね。

      100番台なんて実際に講義受けたって数百人単位の授業ですし、受講者にとっても便利ですから。

      >授業のオンライン化を突き進めていくと講師が激減して、研究職の競争が厳しさをまし、

      これは避けられませんね。社会的な価値から考えて止める理由も見当たりません。

      >その過程で学生側も大学の存在意義についてより厳しくなりそう。

      日本ではまだ学費が安いのでいいですが、アメリカの後を追う日も近そうです。

  3. 大学の機能の1つに、シグナリング機能があるという点が、私としては気づきでした。

    日本人は、自分の地位や頭の良さや主張を、自分の口で言うのを歓迎しない文化が比較的ありますよね。
    だから学歴というのは、書面に書いてあるだけで自己シグナリングできる点で日本人に都合がよく、重視されてきたのかもしれないですね。

    • アメリカでも学歴のシグナリング効果はあります。アメリカ人は誰もが自分をアピールするので、そのアピールの情報量がなくなってしまいます。ポイントは高い学歴をとるのが比較的能力の低い人間にとって大きな費用になることですね。

  4. Willyさんの同趣旨のBlogにコメントしてから少し考えたんですけど、大学で言う「教養教育」って何をさすんでしょうか?
    WikiPediaを見る限り、基本学科全部って感じで、単に各専門過程に入る前の段階っていう事になってますね。とすると、主専攻を持たずに学士号を取得する場合の知識の事でしょうか?僕の大学にはTripleMinorってのが可能でしたけど。
    学士号で止まる人ってそもそも専門家ではないので、学部教育が教養教育でしょうか?

    • 定義は難しいですね。しかし現実に多くの人が大学で学んでいる内容は教養教育だと思います。仕事に直結していないというのが定義かもしれません。

      エンジニアはほとんど専門教育だと思います。

  5. >大学の機能は主に二つある。一つは実際の学習、もう一つは能力を示すという意味でのシグナリングだ。

    潜在機能ではありますが、もうひとつ無視できないのが人脈へのアクセスですね(うちの職場の学生新聞をちら見していたら、18そこらの新入生がはっきりこれを口にしていて驚いた記憶があります)。政治・経済等各分野のパワーエリートがトップスクールの同窓ネットワークで構築され(=彼らはナンだカンダ言って顔見知りのダチ同士で結束が固い)そういうインナーサークルはpersistent であることはよく指摘されるところです。だから、そういう大学に入ることがすなわち、そういうサークルへの距離を縮めることにつながる。
    一般論としても、アメリカは(外から抱かれているメージ以上に)「コネ社会」なので、中位層以上なら、大学で築いたネットワーク経由で hidden job market にあるチャンスにアクセスできるという例は結構多いんじゃないかなと思います。

    新規参入の難しい市場を形成してしまうことの弊害はあっても(いや、実は「中の人」は弊害とは思ってないかも、笑)、信用度をスクリーンする方法としては有効だったのでしょうね。
    ただ、オンライン上でそれまではアクセスの不可能だった人々とのつながりを作ることが容易になってくると、ネットワーキングの場としての大学の価値も相対的に低下するかもしれません。

    • それは重要ですね。ただそこまでのネットワークは余程名門に行かない限り存在しないので、普通のぢあがくの価値としては微妙かなぁと思います。

      アメリカがコネ社会なのは知られてませんね。かつ学歴社会ですし。ただ仰る通りこの機能もsocial mediaの発達によって10,20年前から比べると大きく後退してますね。

  6. 教養と言うのは、「文明を担う精神」と
    「感覚知覚を文字列に変換する技術を蓄積する力」を養うことです。
    3Dは視覚を数学などを利用して文字列に変換したものでしょう。文字列はまた視覚に戻すこともできます。音楽は聴覚を文字列に変換します。
    こうしたことを推し進める精神と技術の基礎を養うのが教養でしょう。

    • 定義されるだけではどうしようもないのですが。それを今の大学が担っているということでしょうか?

  7. ごく一部の「本当の専門教育」にのみ意味がある(=ほとんどの人には大学で教育を受けることに社会的実益がない)なら、経済学的観点からは次のことが言えるはずです。

    1. もし大多数にとって大学で学ぶことに社会的実益がなく、シグナリング機能も失われつつあるとすれば、自然に大学入学率は縮小して妥当なレベルで均衡するはず。
    2. もし大多数にとって大学で学ぶことに社会的実益がなく、シグナリング機能のみが残っているとすれば、大学中退(or 合格するだけで行かない)が合理的な選択になっているはず。

    さて、第一の点について言えば、大学入学率は伸びつづけていますし、第二の点についてもそのような選択肢が一般化していないことはご存知のとおりです。

    また、投資効率的な観点からしても、大学教育の収益率は下がっているとはいえ、5%台である以上、超低金利時代を背景にすれば、なおここに資金を投入することは合理的な選択でしょう。

    • >1. もし大多数にとって大学で学ぶことに社会的実益がなく、シグナリング機能も失われつつあるとすれば、自然に大学入学率は縮小して妥当なレベルで均衡するはず。

      将来的には十分ありうると思います。ただ、自然に縮小するのにどれだけの時間がかかるかは分かりませんし、政府の補助があるため妥当なレベルにはならないでしょう。

      >2. もし大多数にとって大学で学ぶことに社会的実益がなく、シグナリング機能のみが残っているとすれば、大学中退(or 合格するだけで行かない)が合理的な選択になっているはず。

      例で挙げられているBen Casnochaはそうですね。他にも多くの例が見つかると思います。

      ただ、シグナリングは入学だけでなく卒業にも働くので、必ずしも中退が望ましいという結論にはなりません。

      >さて、第一の点について言えば、大学入学率は伸びつづけていますし、第二の点についてもそのような選択肢が一般化していないことはご存知のとおりです。

      将来的な話です。またシグナリングに関しては、ある程度能力のある層に限られるでしょうね。

      >また、投資効率的な観点からしても、大学教育の収益率は下がっているとはいえ、5%台である以上、超低金利時代を背景にすれば、なおここに資金を投入することは合理的な選択でしょう

      5%という数字はどこから出てきたのでしょうか?補助金が入っているので個人のレベルでの収益性は社会的なそれとは一致しませんし、シグナリングはみんながやめたほうが望ましいということもあります。

      • それもまた奇妙な話です。

        第一、「これから合格率が下がる」というのが正しければ(タイムラグを考慮しても)、つい最近発生した事由で大学の価値が損なわれたはずです。じゃあその原因とは何でしょう? 例えばこれを「インターネット」に求めることはできないでしょう。既に普及してから10年以上が経過しているのに入学率は増加しつづけているからです。また、大学以外でも自首学習できるという点に原因を求めるなら、書籍が普及した時点で大学の価値は下がっているはずです。

        第二、純粋にシグナリング理論にしたがうならば、卒業は「二回目の試験」以外のなんでもないはずです。それに実費+最低四年間の機会費用に見合うだけの選別機能が存在するという論拠は何でしょう?

        第三、シグナリング機能が一部の層にしか存しないならば、現在の約半数が大学にいくという現状を、人的資本の形成以外の理論でこれを説明するのはますます困難になります。

        さて、お尋ねの件ですが、Webには良い資料が無いので、一応こちらの
        > http://www.meti.go.jp/committee/materials/downloadfiles/g51124e05j.pdf. (pdf)
        「人的資本投資の収益率」のページをどうぞ(できれば、お手持ちの教育経済学の教科書をご覧になってください)。

        上の資料によれば、2002年の段階で社会的収益率が大体6%前後、私的収益率が7%台というところですね。(ちなみに、日本の私立大学を計測すると伝統的に社会的収益率の方が高くなってます。詳しくは、矢野 真和「高等教育の経済分析と政策」などをどうぞ)

      • 入学率と合格率は違います。

        書籍とネットの効用もまた違うと思いますよ。

        卒業にもシグナルはあるでしょう。逆に機会費用に見合わないなら何故みなさん卒業されるのでしょうか。

        純粋な能力に関するシグナルとは違うと思います。

        一つのポストのために論文まで見ている暇がないので、できればブログなどで解説して頂けませんか。主旨が分からないのでお話を理解しにくいのですが。

        • 要するに、御説は端的に事実にも理論にも即していないのです。経済学と銘打ったブログで勇ましく教育について議論しておいでですが、その割にまったく(教育)経済学の知見を活用していらっしゃらないというのは少々奇妙に思われます。そしてその分をどうやら「大学は役に立たない」という信念と、多分の曖昧さでおぎなっておられるようです。

          さて、以上の私のコメントの大意は、「大学が人的資本形成に有意義」と仮定しないと現状を説明できないというものです。先に述べましたように、もし大学にシグナリング効果だけがあるならばなぜ退学こそ合理的な選択なはずです。その上で、大多数の学生が(実費)+(機会費用)を犠牲にしてまで、実益無きはずの大学に四年間通いつづけていることを説明しようとすれば、「卒業にそれに見合うだけのシグナリング機能がある」という変な結論になります。この結論を避けようとすれば、大学は人的資本育成に有意義だという前提を受け入れざるをえません。

          また、大学の機能(人的資本形成機能とシグナリング機能)が落ちつつあるという議論は、進学率が増加し続けているという単純極まる事実を説明できません。進学率が落ちるのはこれからだとご説明なされましたが、これもかなり根拠レスな議論です(短大の衰退を見れば分かるように、進学率はそんなに硬直的ではないはずです)。

          最後に、大学への支出を減らせという議論は大学の社会的収益率がかなり高いという事実に明らかに反していますが、これをどう「経済学的」にご説明なさるのか、非常に興味深うございます。しかも、私立大学の私的収益率が社会的収益率より低いならば、むしろ「私立大学にもっと補助金を投入すべき」という議論が説得力が持つということになりませんか。

          いずれにせよ、私を単なる皮肉屋として片付けてしまわないことを願います。以上の論点にきちんと反論できるなら(もちろんできることと思いますが)、教育経済学的に非常に重要な知見が得られることでしょうから。

        • 教育経済学については存じ上げません。経済学部では開講もされていません。労働経済の一分野でしょうか。専門家の方でしたらまとめて頂ければ掲載しますのでどうぞ。

          私のブログを書く上でのポリシーはこう考えることもできるのではないかと思ったら書くということです。また大学が役に立たないというのは信念ではなくて、観察です。多くの大学生が勉強していないというのはごく一般に共有されている感覚ではないでしょうか。これが説明できなければ、説得力はないと思いますが。

          >もし大学にシグナリング効果だけがあるならばなぜ退学こそ合理的な選択なはずです。

          中退する人が平均的に素行が悪いとか、社会に馴染めないとかいう属性があるのなら中退は悪いシグナリングなるでしょう。これは能力のシグナリングとは別です。

          採用する側が中退者を避ける傾向があるのは、中退者は大学での勉強をしていないため人的資本が少ないからでしょうか?そもそも卒業生に関しても大学での勉強の程度を重視しない日本企業が中退者を大学での資本育成が足りないという理由避けるとは思えません。

          よって、中退者が少ないという事実は大学の人的資本育成を示すものではないと思いますがいかがでしょう。

          >また、大学の機能(人的資本形成機能とシグナリング機能)が落ちつつあるという議論は、進学率が増加し続けているという単純極まる事実を説明できません。

          これから大学の重要性が落ちるというのとこれまで進学率が増加してきているということのどこに矛盾があるのでしょうか。シグナリングであれば違う均衡に移ることもあるでしょう。

          また有効な大学以外のシグナルがごく一部の集団にのみ活用可能であるなら、全体の動向には関係しないでしょう。

          >最後に、大学への支出を減らせという議論は大学の社会的収益率がかなり高いという事実に明らかに反していますが、

          社会的収益率の計測方法を詳しく説明していただけますか?大学教育の効果がそこまで高いというのは一般的な感覚に反していると思います。

          実際に私的収益率が社会的収益率よりも低く、その差が課税による死荷重損失よりを含めてもなお大きいのであれば大学に補助金を出すのは正当化できますね。それが現在の水準と比べてどちらが大きいかで増やすべきか減らすべきは決まるでしょう。

          社会的収益率の測定方法がキーだと思います。

          • >多くの大学生が勉強していないというのはごく一般に共有されている感覚ではないでしょうか。これが説明できなければ、説得力はないと思いますが。

            信念で補ってらっしゃるというのはまさしくそこでございます。
            本文において、青木さんは次のように(強調付きで)仰いました。
            >教養教育を受ける場所としての大学の機能は消滅の瀬戸際だ

            これを見たら普通はこの主張には何か客観的な裏付けがあるものと思うでしょう。例えば、「大卒の年収が高卒の年収と変わらなくなった」というデータがあれば大学教育が社会的要求と合致していないという有力な根拠になりますし、「進学にかかる家計負担が変わらないのに進学率が落ちた」という事実があるなら大学に通うメリットが小さくなったことがそこから推察できます。しかし、青木さんは「大学生は勉強していない(=人的資本を形成していない)」などという個人的「観察」(あるいは「一般通念」)なるものを持ち出して証拠となさいます。しかも、確実な事実やデータの面から言えば、進学率は増加の一途で、なお大学の年収と高校の年収には開きがあるのにも関わらずです。

            もちろん、これらの事実はシグナリング理論を使えばある程度説明可能です(現に一時期はかなり流行りました)。しかし、純粋にシグナリング理論で考えれば、中退(もっと言えば入学辞退)+雇用が企業にとっても生徒にとっても望ましい戦略になってしまいます。青木さんは「中退は悪いシグナリングになる」などと御反論なさいますが、それこそシグナリング理論で説明すべきことです。シグナリング理論が正しいのなら、中退が悪いシグナリングになるような社会状態がなぜ生じるのですか(むしろ実益が無いのに大学にとどまっているのはマヌケという評価を受けるはずですね)。

            結局、その「観察」ないしは「一般通念」を前提とすると説明に無理がでてくるわけです。じゃあ、そもそもそれらの「観察」や「一般通念」ってどれほど正しいものなんですか?

            さらに、ここで終わればまだしも、今度は「シグナリング機能は一部の層にしか存しない」などといった面妖なことを仰います。人的資本も形成できず、シグナリング機能もない(はずの)大学にこれほど多くの人が私財を投じて通っているのは、たぶん世界的な集団ヒステリーか何かなのでしょう。

            以上で述べたことはおおよそ他の部分にも当てはまるものとお見受けします。まず学問的審査には耐えないような「観察」や「一般通念」を一揃いお持ちになっていて、それを前提に物事を論じる(そりゃ大学はダメだという前提から出発すれば、大学はダメだという結論になりますな)。「教養教育の価値が下がっている」という主張しかり、つい今しがた飛び出した「大学での勉強の程度を重視しない日本企業」という御発言しかりです。そして、多少突っ込むと、今度はとんでもないことを仰る。(「有効な大学以外のシグナルがごく一部の集団にのみ活用可能である」って何ですか? もし代替手段が一部の集団だけしか活用できないなら、そもそも大学のシグナリング効果は「崩壊しつつある」んですか?)

            >私のブログを書く上でのポリシーはこう考えることもできるのではないかと思ったら書くということです
            最後に、とりたてて根拠の無い思いつきをブログに書いて悪いとは申しませんが、仮にも「経済学的考え方を学ぶ」と銘打って複雑な問題を勇ましく論じようとするなら、その問題について最低限の経済学的知識ぐらいはあってほしいと存じます。もちろん、そうでないからといって私がどうこう言うべきことではありませんが、大学の代替として賞賛しておられる「ブログ」なるものの品質がどの程度のものなのか露わにしているようで、非常にキナ臭い思いが致します。

            なお、収益率については、一橋の小塩先生の説明が一番わかりやすいと思うので:
            http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis070/e_dis069a.pdf
            の6ページ目をご覧ください。

        • あと専門教育の価値を否定するものではありませんよ。

          私は普通の大学生が何を勉強しているかについては感覚で物を言っています。ご存知でしたらどうぞ。

  8. アカデミズムを追求したい学生と実践的なスキルを身につけたい学生が同じ場所(大学)にいるというのが間違いの元かもしれませんね。

    実際、大学の授業で学んだ「会計原理」よりも本屋で買った「簿記三級講座」の方が役に立ってます。

    • アカデミズムを追求したい学生なんて全体から見ると無視できる数かもしれません。。。

      大学は研究機関であって教育機関としてはかなりお粗末ですね。授業がうまい先生ってのは、偶然でいるに過ぎませんね。。

  9. この記事を読んで、自分の息子(まだ中学)の大学をどうすべきか考えてしまいますね。ずっとインター校にいるし、日系企業は環境も待遇が悪いので、帰国子女枠で日本の大学を受けさすつもりはありませんが。(笑

    シグナリングについてですが、IT業界には、業界大手(MS、Cisco、SAP、
    Oracle等)が出している、就職に有利な資格がたくさんあって、みんな利用していますね。

    • 大学のシグナリングは未だに根強いですが、卒業してしばらくすればそれこそ民間の資格や履歴書の方が重要ですよね。

      日本の国立大学は授業料が安いので実は悪くはない気もします。どこの国も外国人の授業料はかなり高いですから。

      香港の大学はいかがでしょう。なかなかレベルの高い印象があります。正直専門教育を受けるのでなければ大学もそれほど大事なものではないと思いますが。

      • 前のポストが失敗したか、スパームへ入ったようなので、再度書きます。

        >香港の大学はいかがでしょう。なかなかレベルの高い印象があります。

        香港大学は世界大学ランキングで東大に次いで25位、アジア大学ランキングで1位の評価だそうです。で、修学コスト(学費)ですが外国人で年間USD12800、香港人ならUSD5400とかなり魅力的な料金のようです。ちなみに授業は基本的に英語です。

      • どうも、香港からのアクセスからなのかスパムに放り込まれがちです。すいません。

        非常によさそうに聞こえますね。特にビジネスに興味のある人であれば東大なんかよりはるかによさそうです。ついでに英語と中国語を勉強すれば完璧ですね。

        • >ついでに英語と中国語を勉強すれば完璧ですね。

          香港の中文大学は、うちの妻も1年ほど在籍していましたが、留学生のための中国語(北京語・広東語)コースがあります。しかし学費がかなり高いので経済効率を考えるなら深圳大学が良いと思います。

          英語習得のための留学なら、費用対効果からフィリピンが最適ではないでしょうか。大学が非常にたくさんあり、日本の大学と姉妹関係を結んでいる大学もあります。うちの会社がセブにあります。

        • それもよさそうですね。香港の方がビジネスに近いのでいいかなと思いましたが、フィリピンにはいったことがないので比較は控えます。面白いお話どうも。

  10. コメント失礼いたします! m(_ _)m

    私は滅多にコメントを残しませんが、貴方のサイトの完成度が高いのに感動いたしました!

    私もアメリカの大学で勉強させて頂いた一人ですが、日本やアメリカに限らず、「大学教育が(金銭的や時間的な)価値に見合うのか?」と言うのは、長い間疑問に思っていました。

    アメリカでは、高校などでも「小論文」の宿題が出された際に、インターネットから自分が気に入った論文(文章)を引っぱって来て、そこそこ自分の文字に置き換えて先生に提出する生徒が急増していると聞きました。

    その宿題の意義を考えれず、ただただ良い点数さえを先生から頂けば、「奨学金をもらえて優秀な大学に行ける」と言う安易な発想が多いようです。

    本当の意味での「自分の力で考える」教育が失われていっているのは、先生様方のせいでは決してなく社会全体が「大卒」と言う肩書きにこだわっている為だと私は考えています。

    グーグル等、発想の豊かな(もちろん彼らにも欠点はありましょうが・・・^o^;)会社は、社員を募集する際の広告に計算問題などの、自ら考えないと(しかも、発想を豊かに!)絶対に解けない問題を載せたりしています。 そのような会社は、単なる「〇〇大卒」と言う肩書きを信じず「会社自ら考え」どのようにして優秀な人材を発掘するのかを考えています。 そして、その様な会社がこれからのネット社会

    余談ですが、NTTもいずれ機密性の高い自社回線で社員同士を結びつけ、「自社ビル」と言う物理的な会社の共有空間をなくしていく発想があるそうです。 そのような時代が訪れれば、社員たちは、喫茶店を利用してミーティングを行うとか、大きな会合の際だけ公共施設を利用すると言った、いわば「空間的アウトソーシング」を実現してくれると思います。

    「ネット社会」という新たなツールを利用して、発想豊かに考えれる人材が増えると良いな・・・と望みます。 自分自身で考えれる人々であれば、ネットからの材料を自分なりにアレンジするのはアリだと思います。

    乱文失礼いたしました! (^0^;) 

    これからも、お元気で楽しいタメになる発想を教えてください! m(_ _)m 応援していますので!!          馬渡 明良

    • コメントありがとうございます。

      >その宿題の意義を考えれず、ただただ良い点数さえを先生から頂けば、「奨学金をもらえて優秀な大学に行ける」と言う安易な発想が多いようです。

      アメリカの大学生はこの傾向は非常に強いですね。教養教育を重視しているはずなんですが。。。

      >本当の意味での「自分の力で考える」教育が失われていっているのは、先生様方のせいでは決してなく社会全体が「大卒」と言う肩書きにこだわっている為だと私は考えています。

      これがそもそも大学で教える(?)ことなのかという問題もあるように感じます。

      NTTのお話面白いですね。企業は社員を「教育」するインセンティブがあるので、新しい学び方を発明する可能性が十分にあると思います。経営学を研究されている方がこういうものを分析して教育現場にフィードバックできるとよさそうです。

      これからも御覧いただける方に貢献するような内容にしていきたいと思います。よろしくお願いします。

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