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効率的な寄付のしかた

タイトルが過激なために結構批判が多い記事だが、内容はまともな次の記事:

Don’t give money to Haiti | Analysis & Opinion | Reuters

For one thing, right now there’s very little that can be done with the money. There are myriad bottlenecks and obstacles involved in getting help to the Haitians who need it, but lack of funds is not one of them.

目下、援助のボトルネックは資金ではないという。これはハイチの政府機能がほぼ停止状態であることを考えれば頷ける(参考:Haiti: Rescue, Recovery, and Effective Development Aid)。資金があってもそれが救済相手までのチャンネルがなければ届かない。

What’s more, charities raising money for Haiti right now are going to have to earmark that money to be spent in Haiti and in Haiti only.

もちろん援助資金が増えて困ることはないのだが、その寄付の使用目的が限定されている(earmark)というのは問題だ。しかし、寄付の目的が固定されているのは偶然ではない。寄付というのは、お金を支払う人とその対価を受け取る人が異なる取引だこういう取引においては対価が正当であることを信頼出来る形で示せなければ取引が成立しない

災害援助の場合には両者には面識もないため寄付する側が自分でそれを確認できる方法がないので、援助団体への信頼が極めて重要になる。それを助けるのが、目的の限定であり、非営利団体の設立だ(参考:非営利と営利との違い)。目的が限定されていればどれだけ非効率だったとしても一応狙った相手には届くし、非営利であれば無駄が多くとも経営者にそのまま巻き上げられることはなくなる

But as The Smoking Gun shows, Yele is not the soundest of charitable institutions […]

信頼が揺らいでいる支援団体もあり、最近The Smoking Gunでも話題になったYeleが上げられている。この団体はハイチ専門の支援団体だが不明瞭な会計が疑われている。

It will therefore earmark that money for Haiti, and try to spend it there over the coming years, even as other missions, elsewhere in the world, are still in desperate need of resources.

極めて信頼性の高い団体とされる国境なき医師団(MSF)の例が挙げられている。MSFもまたここ数日の寄付をハイチへ向けられたものとして用途を限定しているそうだ。これは彼らが自ら信頼性を高めるための試みであるが、他の地域で資金が必要な場合でも転用できないことを意味する

Do give money to MSF, then, but if you do, make sure that your donation is unrestricted. The charity will do its very best in Haiti either way, but by allowing your money to be spent anywhere, you will help people in dire need all over the world, not just in Haiti. Here’s the message on MSF’s website:

できるだけ効果的な援助を行うためには、寄付を使用目的を限定しない形で行うのがよい。もちろん、そのためには寄付先が非常に信頼できる必要がある。非営利団体は出来る限り寄付者への信頼を高める努力をする必要があるし、その信頼を担保できるような第三者機関や政府の取り組みが必要だろう

フランチャイズの問題点

フランチャイズについての話題が盛り上がっているようなので少し取り上げよう:

フランチャイズシステムについて現場のオーナーがなんかゆってみた – G.A.W.

元ネタとなっているのは「セブンイレブンの罠」という本のようだ。リンク先の記事は実際にコンビニの店長をやっている方が執筆されていて分かりやすい。関連する他の記事(「コンビニ。バブル後の夢を食らって」や「映画化希望 ビジネスホラーの傑作「セブンイレブンの罠」」)に比べてバランスがとれている。

つまり、俺には勝算があった。本部の言うことを鵜呑みにしないという前提で。

とあるが、まさにフランチャイズまわりの経済システムへの深い理解が読み取れる(ロスチャージの部分は意味がよくわからないので割愛する)。

まずコンビニ業界特有の単語の解説が並んでいる。

問題となってるドミナントだが、これはチェーン本部が、ある地域を独占するために、まとめて出店することを言う。

これは非常に妥当な戦略だ。たとえある市場(地域)を独占したとしても、大きな利潤を挙げて入れば新規参入が起きる。事前に自社で複数の店舗を出すことで、参入が起きた場合の利益を減らし、参入自体を抑制できる

問題はこの戦略によるメリットがどのように配分されているかだ。チェーン全体としてこちらの方が利益が上がるが、個々の店舗にとっては短期的には共食いに見える。長期的にいってもフランチャイズ側と店舗側との利害が一致しないこともある。

店作ることそのものには大したコストがかからない。加盟金その他でプラスが出る状況で、次から次へと店作って、ダメな店は淘汰して、ってやりかたはまちがってない。スクラップ&ビルドだわね。

フランチャイズは店舗同士を競争させることで利益を得るが、この利益を事後的に店舗に戻すインセンティブがない。競争して勝った店舗にはまた競争さえた方が得だからだ。加盟店がこの仕組みに気づいていなければ店舗には損だし、気づいて入れば加盟店は同チェーン内での競争のおそれのある地域への出店を渋る。

また、ドミナントにはもうひとつの側面がある。配送センターや米飯の工場など、ひとつだけ離れた店舗があっては効率が落ちる。

コンビニのような商売では、地域ごとの規模の経済が大きい。一定の地域ないに十分な店舗がなければ効率的な在庫管理が行えないからだ。ここでも問題はフランチャイズ側と加盟店側の利害対立だ。複数の店舗を集中出店することで規模の経済が得られるが、その利得を加盟店側に戻す仕組みがなければうまくいかない。フランチャイズフィーの支払い形態にもよるが、固定費や仕入れ値を通じた支払いではこの手の外部性は内部化されない。

次にオープンアカウントについて。これは、要するに毎日の売上をみんな本部に送金しやがれ、というもので、実際の仕入れとかの金の動きについては、すべて本部が代行してくれる、というものだ。

これも一長一短。一つにはリンク先にあるとおり単なるアウトソーシングとしての価値。個人のお店でも税金を含め会計・帳簿まわりを外注するのはよくあることだ。小さなお店で専門知識を取得したり、人を雇うのは割に合わない。

問題は、その業務をフランチャイズ側が兼任するという利害対立だ。フランチャイズへの支払いが会計上の数字に依存している以上、それを支払われる側が行うというのは本来望ましくない。計算が正しく行われているという担保がなければ成立しないはずだ。

個人的には「現状そうなってるし、その状況で商売が不可能かっていうと、やりようによっては儲かりまっせ」と思ってるので、とりたてて現状否定することはしない。

これらの制度について元記事では上のように述べているが、その通りだろう。「詐欺」という言葉の定義にもよるが、儲かる可能性があり、フランチャイズと加盟店が合意している以上詐欺と捉えるのは困難だろう。非難されている慣行についてもそれなりの合理性がある。逆に合理性が全くない契約を強制するフランチャイズは他社と競争することができない

誰にとっても1万円の価値のない絵を10万円で売るのは詐欺だが、1万円と評価するひとも20万円だと評価するひともいる絵を10万円で得るのは詐欺とはいえない。ひとによって評価が違うので普通に考えれば購入した人は10万円以上の価値を認めたと見做すほかない。

コンビニの場合事後的な価値に事前の不確実性があるため話は若干複雑にはなる。平均して100万円で売れると思って仕入れたものが結果として80万円しか売れなかったようなケースだ。しかし、事後的に損失を出していることは事前の判断が間違っていたことを意味しないし、当然100万円で卸した側が詐欺だということにはならない。単に運が悪かったということだ。

フランチャイズ契約が強制されたものでないのは明らかだ。だれもコンビニを始めなければならないとはいっていないし、チェーン同士だって競争している。高いフィーを請求しているチェーンはより大きな利益を約束する必要がある。

では儲かる可能性があり、合意があるにも関わらず詐欺的だと考えられるのはどういう場合だろうか。それは財・サービスの価値を間違って伝えていた場合だ。意図的に誤った情報を信じ込ませ利益を得るのは詐欺に該当する。これは上のコンビニのケースに当てはまるだろうか。

この問いへの答えはビジネス的に考えればノーだ。フランチャイズ側が加盟店に何をするかは契約で決められており、それを破っているとは考えられない。きちんとした説明がなされているかという問題はあるが、ビジネスにおいて最終的にそれは契約により担保される。企業が他社に発注をかけるとき、説明が足りなかったでは反故にはできない。

ではなぜコンビニで問題が起きるのか。それは加盟店側が素人のことが多いからだ。元記事では、フランチャイズというビジネスモデルを理解した上で経営をしているためきちんと利益を出せている。逆に土地があって多少お金があるからコンビニを開けばお金が入るなんて思っている加盟店はうまくいかない

そのためにも、最初から「ああ、このチェーンで店やってよかった」って思われるだけの手厚い初期教育してきましょうよ、って俺はゆってます。単純に利害だけで考えるんであっても、そのほうがよっぽど本部としてはやりやすいでしょうに。

しかし、何も知らない経営者がいる限り、フランチャイズには彼らを利用する強いインセンティブがありなかなか問題は解決しない必要なのは、フランチャイズ側を責めることではなく、チェーンに加盟しようとする一般人がフランチャイズのビジネスモデルや一般的な経済の動きについて理解することだろう。経営者がコンビニのモデルを理解し、不利なシステムを受け入れなければフランチャイズ側の行動はかわる。コンビニをやろうと思う人は、フランチャイズがどれだけ簡単だといっていても、それが一つの確固たるビジネスで自分は経営者になるんだと自覚する必要がある。もちろん仕組みを理解せずにコンビニを始めて大変な目に合った方もいるし、亡くなった方には冥福を祈りたい。しかし加盟店の経営者の無知を前提とした上でフランチャイズの責任を問うたり、加盟店の保護を訴えたりしても根本的な解決にはならない

追記

ロスチャージの説明がよくわからないことについては(非常に言葉遣いが悪いが)こちらで指摘されている。仕訳を書かずに伝えるのは無理だろう。しかし、オープンアカウントであれば説明されているところのロスチャージは問題にはならないので結論は変わらない。逆に元記事の著者もビジネスモデルは理解していたが会計処理は把握していないであろうことが推測される。

テニュアの経済学

最近、アメリカのアカデミックな労働市場についての「ポスドクとは アカデミアに仕事が少ない!編」を読んだ。当事者の目から説明されている良い記事だが、テニュア制度の存在意義についてはちょっと単純化しすぎなので補足したい:

The Economics of Tenure

まずテニュア(Tenure)というのは教授の終身雇用のことだ。ポスドクや助教授(Assistant Professor)は任期付きのポストで、研究実績がたまってきたらテニュアの審査を受ける。うまくいけば終身雇用が約束され、だめなら他の大学に移る。この制度は日本での導入も進んでいる。

元はといえばテニュア制は、学問的にメインストリームでなく、リスキーで過激な主張をする学者さんを、政治的な糾弾、弾劾から守り、学問の自由を保証するために存在した制度です。現在では、かなり形骸化し、雇用の安定を保証する以上あまり存在価値のない制度とも言えます。

ではこの制度はなぜ存在するのか。一つは学問の自由の保証だ。しかし、エコノミストの認識はそうでもない:

The economists who have analyzed tenure have seen it as a solution to the problems created by the special nature of academic employment instead of a protection for academic freedom.

テニュア制度は学問の自由というよりも特別な労働関係に対応するための仕組みだという。いくつかの問題が挙げられているが最も重要なのは以下だろう:

Carmichael (1988) argues that tenure exists within academic environments because worker-professors are called upon to select new members.

テニュア制度は既存の教授が新任の教授を選ぶという仕組みのためにあるという。どういうことか。

When the university has full information about the abilities and alternatives of incumbents and candidates, tenure is not part of the optimal solution. The least productive and most expensive professors will be fired and replaced by new candidates. However, when the university does not have full knowledge and incumbents have better information, the university will have problems getting incumbents to identify the best candidates if it plans to follow an optimal hiring and firing strategy. An incumbent cannot rule out the possibility that he or she will be fired in the future to make room for a candidate. Thus, if the university expects its incumbents to tell it who the good candidates are, the incumbent’s signals about candidates must not affect he incumbent’s probability of being retained.

根底にあるのは、研究者を採用することの難しさだ。例えば数学者を雇うとしてどの候補者を採用するか決めるのは数学者に任せるのが最適だろう。実際、大学教授は大学教授によって選任される。しかし、もし既存の教授の雇用が守られていなければ、彼らに公平な選出を期待するのは難しい優秀な若手を採用すれば自分の雇用が脅かされるからだ

同じことは高度に専門化された他の分野でも当てはまるだろう。例えば弁護士事務所であれば出世するとパートナーになる。弁護士事務所がパートナーシップを利用する理由は法律以外にもいろいろあるだろうが、ベテランに実質的な終身雇用を与えるという機能もあるだろう。

もちろん終身雇用を約束することは、働くインセンティブを失わせるが、そこはトレードオフだろう。インセンティブの低下には、学部全体を解散することでも対応できる。学部全体のパフォーマンスが低い場合に解雇されうることは、優秀な若手を避けることにはつながらない(むしろ採用するだろう)が、仕事をするインセンティブになる。

非営利と営利との違い

最近、日本語の経済ブログを探して歩いている。今回はついさっきみつけたMediaSaborというサイトから:

「非営利が営利より上」なんて誰が決めた | 専門家や海外ジャーナリストのブログネットワーク【MediaSabor メディアサボール 】

タイトルに関してはよく分からない。「非営利が営利より上」だと主張している人に(幸い)会ったことはない。

就職についての希望を聞くと、「ボランティア団体」と答える学生がいる。[…]人の役に立ちたいという真摯な願いは尊いと思う。ただ、どうもこうした学生の少なからぬ一部が、「非営利団体で働くことは営利企業で働くことよりも価値がある」と考えているように思われて、懸念している。

しかし、大学の先生がそういっているのだからそういう大学生は多数いるのだろう。私が大学の面接官だったら非営利団体と営利団体どちらで働きたいか是非聞いてみたい。「非営利です」と答えたら不合格。「営利です」と答えたら不合格だ。そんな頭のネジの外れた学生はいらない。

なぜこの二つの回答、よって質問が、不適当なのか(*)。それは非営利・営利の区別は単に組織が計上した利益を出資者に分配するかという差だからだ(**)。その組織が何を目的として活動しているかとは直接関係しない。もちろん政府が非営利団体を優遇する関係上、非営利団体の活動内容が何らかの視点からみて公益に適うものであることが多いがそれは本質的ではない。創業者・出資者・社員がみな社会のためを目指して活動しながらそれが効率的であるという理由で営利形態を取ることは可能だ(それどころか利益を出せば多くの税金を収める)。正しい返答は、「非営利であっても営利であっても、世の中を変えてみたい」といったものだ。

ではどんな場合に非営利団体という形態をとるのか。それは特定の目的を達成する上でそうすることが効果的な場合だ。特定の目的が社会的に望ましい場合にはそれを推奨するために税金上の優遇もあるかもしれないが、個人・一組織の立場としてはそれを考慮したうえで最善の組織(法人)形態を取ればよい(法人を設立する必要さえないこともある)。

非営利団体は利益を分配しないという所有者=残余請求者(residual claimant)の存在しない特殊な組織形態だ。通常の組織においては意思決定を行うものと、最終的な利益を受け取る人間が多くの場合一致することが望ましい。自分の利益が掛かっていれば望ましい意思決定を行うと考えられるからだ(個人事業主など)。しかし、複数の出資者が存在する場合にはその誰かが全員を代表するのは困難になる。複数の人間が意思決定に関わることも可能だ(パートナーシップ)。しかし、これは出資者の数が比較的少なく、出資者同士の利害対立がない場合にしかうまくいかない。よって大規模な組織では出資者は経営にあまり口出しをせず、専門の経営者を労働契約でコントロールする(株式会社)。

では何故非営利団体なんてものが存在するのか。それを説明する前に生活協同組合の構造を見るとわかりやすい。生協は実態はともあれ、市民=顧客が組織の意思決定ならびに出資を行う。これは別にそれほど驚くべきことではない。株式会社では外部の専門家が意思決定を行うわけで、組織の事業と大きな関係を持つ顧客が組織を所有するのは自然だ。これが通常行われないのは、顧客という集団の利害はあまり一致しておらず、しかも人数が多くなりがちなためだ。民主主義的な制度で意思決定を行うことの非効率は政治をみれば明らかだろう。

残余請求者のいない非営利団体はこの延長で理解できる。非営利団体とは、残余請求者が存在することが事業の推進に支障をきたすような組織だ。典型的な例は寄付によって成り立つ途上国支援団体だ。これを営利形態で行うことも原理的には可能だ。単に人を雇って寄付を募り、それを支援に使い、寄付者に報告すればいい。しかしこのビジネスはうまくいかない。何故ならば寄付をした人々=顧客は支援が適切に実行されたかを確認する手段を持たないからだ。支援額を減らせば簡単に利益を上げられる。

非営利という法律上の制度を使えばこの問題を解決できる。残余請求者がいないということは企業が会計上の利益を上げたとしてもそれを組織の外に出すことができないということだ。よって留保金はいつか定款の定める事業目的に使われるし、そもそも過剰に留保を出すインセンティブがない。よって非営利団体は同じ事業を行う営利団体よりも多くの顧客=寄付を集め、よりよく目的を達成できる。この結果には非営利団体が営利団体よりも崇高な目的を持っているという仮定は必要はない。営利団体の運営者・出資者が横領紛いの行動を全くする気がなくても結果は同じだ。

では何故もっと多くの組織が非営利ではないか。それは議論の流れから簡単に分かるだろう。利益を上げてもそれを受け取れる人間が存在しないということは、事業を効率的に推進するもっとも簡単なインセンティブを持つ人間が組織に存在しないということだ。非営利が有利なのは上に述べたようなメカニズムの有用性がデメリットを上回るほどに高い場合だけだ。多くの営利企業はこのような問題が存在しない分野=非営利であるメリットのほとんどない分野で社会のためになる事業を効率的に推進して莫大な貢献をしている。絶対的な貢献ではこちらの遥に大きい。非営利を選ぶのは、それが優位であるごく限られた分野・事業での貢献をしたい場合だけだ。

より詳細な説明・具体例についてはHenry Hansmannの著作などを参照されたい。

(*)もともと利害が対立する人間同士のやりとりは明確な答えのないものばかりだろう。

(**)非営利団体を狭義のNPOとして解釈すれば、特定非営利活動促進法における特定非営利活動法人と捉えることもできるが、非営利・営利と対比されている以上その解釈は当たらないのは明らかだろう。

ファイナンスとホールドアップ

ファイナンス業界の給与の問題を今話題の組織の経済学から説明している記事があった:

The Goldman Bonuses: I’m Shocked, Shocked – Conversation Starter – HarvardBusiness.org

They are looking at the size of the potential bonuses and, in the wake of the $10 billion of bailout money Goldman received in the darkest hours of the financial crisis, asking, “How could they?”

問題となっているのはゴールドマンサックスのボーナスだ。金融安定化のために政府から支援を受けながら多額のボーナスを支払うことの是非が議論されている。しかし、是非以前にどうしてそんなことが可能なのか。これは企業の所有形態から説明できる。

The natural form of business organization for a professional service firm, such as an investment bank, law firm, consulting firm or ad agency, is a partnership rather than a public company.

投資銀行を始めプロフェッショナルサービスを提供する組織の多くはパートナーシップを採用している。これには理由がある。

The key supplied input in a professional services firm is a group of talented professionals and their supplier power is immense. They have the power to extract a disproportionate amount of the profitability out of the enterprise by pushing up their own compensation.

そのような業界では業務に必要な最も限られた資源が人間である。ローファームなら弁護士でコンサルティングならコンサルタントだ。他の投入要素は限定的で代替の効くものだ。そのため、企業が労働者から多額の報酬を要求されることが当然予想される。

The way to do that is structure the enterprise as a partnership.

その一番の対策が労働者に所有権を移すことだ。会社自体を労働者が保有していれば、会社と労働者との間の利害対立は自動的に消滅する。これは自動車会社と部品製造会社の関係と同じだ。特殊な部品を製造している会社は自動車会社に多額の補償を要求できる。これに対して自動車会社はそのような重要な部品は自社生産でまかなうことをまず考える。

さらに、プロフェッショナルサービスの場合、プロフェッショナルの数は限られていて利害も一致しやすいため集団意思決定における費用も比較的小さいことが予想される。パートナーシップは非常に適切な所有形態と言える。

しかしゴールドマンに関して言えばそのような所有形態は成り立っていない。140年間の歴史のうち130年間は成り立っていた。しかし十年前に株式市場への上場を果たすことでゴールドマンの法的な所有者は株主となった。そして今、政府の支援も加わり、ついに通常の商業銀行へと転換した。この流れは上の議論とは整合しない。Roger Martinはそれを次のように説明している:

But in due course, these partnerships recognized that if they could convince naïve external capital to give them more resources, they would have a brand new pool of capital from which to extract value.

もし実質的な経営をパートナーの間で続けると同時に外部のナイーブな投資家から資金を集められればより多くの利益を上げられるということだ。この流れを止めるには投資家がインセンティブ構造を見極めて投資を行う必要がある。

Even Goldman saw its share price fall to $52 in November 2008, in the middle of the Lehman Brothers/Bear Stearns crisis, a dollar less than its $53/share IPO price in May 1999. It wasn’t much of a return for shareholders over ten years, though the Goldman bankers during that period earned wonderful compensation. But thankfully for those Goldman bankers, the taxpayers stepped in and stabilized the financial markets with a huge infusion of their current and future tax dollars and Goldman shares traded above $190/share within a year. Life is good again and it is time for the bonuses to flow, as they always have.

上場以来10年、株主へリターンは高くなかったがパートナーは多額の利益を挙げた。今回政府が支援を行ったことで株価は上昇し株主も利益をあげ、その結果パートナーはさらに多くのボーナスを手にしている。

この構造は外部から資本を注入する人がいる限り変わらない。自動車部品でいえば、自動車工場が多額のプレミアムを払いつづけてくれる限り何も問題はない。しかも今回融資しているのは政府であり、いくら払いすぎても競合企業がいるわけでもない。投資銀行は他人の資本でギャンブルが打てるようになっただけではなくそこで挙げた利益の多くを手にする事ができる。