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農作物価格と貧困

農作物の国際市場での価格が下がると発展途上国にどんな影響があるのか。簡単な答えはその国がその農作物の(ネットで)消費者なのか生産者なのかで決まるということだが、それだけでは終わらない。

Are High Agricultural Prices Good or Bad for Poverty? » TripleCrisis

They conclude: “Adverse agricultural price shocks can have negative effects on poor urban households through labor market transmission, which can offset the gains they might realize as net consumers of agricultural products.”

農作物の価格低下は農家にマイナスであるが、消費者である都市労働者にとってはプラスというのが単純な分析だが、労働市場の動きを含めて考えると必ずしもそうはならない。農業労働への需要が減ると仕事のなくなった農業従事者が都市の労働者と仕事を奪い合うことになる。通常、離農する労働者と競合するのは都市部の比較的貧しい労働者であるため、これは逆進的な効果を持つ。

Conversely, they find that when rice prices go up the overall impact is progressive. The demand for unskilled labor in agriculture goes up, which raises incomes, and raises wages not just in agriculture but generally across unskilled labor markets.

逆に農作物の価格上昇は農家にプラスであるだけでなく、農業従事者と潜在的に競争関係にある貧しい労働者にとっても賃金上昇が食糧の価格上昇を上回る可能性がある。もちろん都市部の多くの労働者にとってはマイナスであるが、影響が貧しい層に出るのか豊かな層に出るのかは政策上重要なポイントだ。

先進国の(自国農家への)補助金は交易条件の低下を通じて開発途上国をさらに貧しくしているが、その負の効果はそのなかでも特に貧しい人に強く現れるということになる。

移民の効果

アメリカにおける移民の効果について、大変常識的なレポート

The Economics of Immigration Are Not What You Think

more than one-third of recent immigrants come from Europe and Asia, while less than 57 percent have come from Mexico and other Latin American nations.

まずは、アメリカ人が抱きがちな移民に関するステレオタイプを否定する。最近の移民のうち1/3はヨーロッパとアジア出身で、メキシコやラテンアメリカからの移民は57%以下だという。これでも非常に多いように思われるが、背景には(主に移民に反対する)アメリカ人にとっての移民=メキシコ人という認識がある。

While more immigrants than native-born Americans lack high school diplomas, equivalent shares of both groups have college or post-college degrees

移民は教育を受けていないというのも正しくなく、高校を出ていない人は移民の方が(割合的に)多いものの、大学や院の学位を取得している率はネイティブと変わらない。

these undocumented people, who account for 30 percent of all recent immigrants, embody some traditional values much more than native-born American

特に問題視される不法移民は30%程だがネイティブ以上に伝統的な価値観を持っているという。特に勤労意欲が高く、パートナーと子供を育ている割り合いが高いとのこと。

there’s simply no evidence that the recent waves of immigration have slowed the wage progress of average, native-born American workers.

経済的影響についてだが、まず雇用に対する影響は全く見られない。移民も消費するし、そもそも雇用は基本的に金融政策によって決まる(これが全然うまく行っていない場合は別だが…)。

Overall, in fact, the studies show that immigration has increased the average wage of Americans modestly in the short-run, and by more over the long-term as capital investment rises to take account of the larger number of workers.

平均所得は上がる。分業が進むので短期的にも生産性は上がるし、長期では一人当たり資本も新たな人口規模に合わせて増えるためさらに生産性が向上する。

Among workers, the winners are generally higher-skilled Americans […] The losers are generally the lower-skilled workers who have to compete for jobs with recent immigrants.

標準的な貿易理論通り、高スキルのの労働者がその恩恵を受ける一方で、競争に晒される低スキルの労働者の賃金には負の影響がでる(前者の方が大きいので平均生産性は上昇する)。

[…] recent research also shows a strong entrepreneurial streak, with immigrants being 30 percent more likely than native-born Americans to start their own businesses

また、移民は自ら事業をおこす確率は30%も高い。長期的には財政に対する影響もプラスと考えられる。

移民については「移民が必要な本当の理由」、「失敗を責めない社会」、「逆頭脳流出」もどうぞ。

1000ページの温暖化対策法案

温暖化対策の法案であるAmerican Power ActKerry-Lieberman climate change bill)が987ページもあるのは何故か。

Making the Simple Complicated

経済学入門レベルでの温暖化対策は実に単純だ。温暖化が起きてしまうのは、大気汚染同様に、温暖化ガスを排出している主体=生産者が排出の本当のコストを負担していないからだ。二酸化炭素を出しても温暖化の分だけ罰金がかかるわけではないので出しすぎてしまう。

これを是正するのは簡単だ。生産者が排出の本当のコストを全て負担するように税金をかければいい。このような税金をピグー税という。税方式は、直接排出を規制するのに比べて多くの利点がある。以下はその例だ:

  • 経済主体が各自最適化するので情報面での政府の負担が少ない
  • 投資に関するインセンティブを歪めることなく税収が得られる

では、この法案はどうして1000ページ近くなってしまったのか。

First, it tries to do far more than just charge for carbon emissions.

一つ目の理由は二酸化炭素排出抑制以上のことに手を伸ばしすぎていることだ。

Standard economics suggests that many of these interventions would be unnecessary if we had the right tax on carbon emissions; if companies pay the full social costs of their actions, they have the right incentives to invest in greener technologies without any further help from Uncle Sam.

上に述べたように、適切な税(ないし排出権取引市場)を整備すればこうした政府によるマイクロマネジメントは本来必要ない。省エネ技術を直接補助しなくても、エネルギーが高くなれば投資・開発・利用は進むということだ。

The second reason that the bill is so big is that it uses a complicated cap-and-trade system rather than a simple Pigouvian tax.

二つ目の理由は、この法案が税方式ではなく排出権取引を利用していることだ。税方式であれば排出量さえ分かればあとは単に課税するだけだが、排出権取引の場合には権利の割り当てから取引市場の整備など制度的な負担は大きくなる。

In theory, a permit system can be identical to a tax.

排出権が税金に理論上劣っているということではない。どちらにしろ最適な水準を計算して、それだけの排出権を割り当てるかそれを実現するのに適切な税率を設定することになる。

Fixing the number of permits may actually be the right thing to do. As my colleague Martin Weitzman wrote almost 40 years ago, quantity controls are better than prices if we are more certain about the right quantity than we are about the right tax.

排出権という形で量を先に固定することは、税率よりも排出量に関する不確実性が大きい場合には(社会厚生的)に有利な政策となる。温暖化の場合でいえば、どれだけ温暖化ガス排出を抑えるべきかの方が単位当たりの費用を考える方がらくであれば排出権のほうが望ましいということになる。

Giving away permits rather than selling them is often defended as a means of ensuring that global warming doesn’t become an excuse for higher taxes.

排出権を無償で割り当てることは、温暖化対策を新たな税源とするのを防ぐという効果がある。これは税金に対する反感が根強いアメリカでは政治的に重要だろう。しかし、ピグー税による課税のメリットを享受できなくなる。

制度が複雑になる社会的な費用も考えればどちらが望ましいかは微妙なところだろう。

International trade is a third reason that this bill is so complicated, because we are trying to use domestic legislation to handle a global externality.

三つ目の理由は国際貿易だ。温暖化対策は国際的な枠組みで行わなければ効果がないが、現状では各国の国内法と条約を組み合わせていくしかなく、これによって制度が複雑になるのは避けられない。

If such treaties fail to materialize, the United States may start charging imports for the carbon used in their production.

ちなみに法案によれば貿易相手国が条約を遵守しない場合には、炭素量に応じて関税をかけるとのことだ。

While I understand the economic and political logic behind this approach, it is a distinctly dangerous path. Our trading partners will argue that these charges are tariffs in disguise.

これは、水掛け論から貿易戦争に突入する危険を孕んでいる。

フェアトレード・コーヒー

追記:このポストに関する議論をTogetterにまとめていただきました。

フェアトレードと聞くとどこか胡散臭いと思ってしまうが、その理由が分かりやすく説明されている。

Libertarians and Fair Trade coffee

The simplest reason to object to Fair Trade coffee is that it’s just a stupid name. It suggests that all other coffee is unfair and exploitative.

これは今まで聞いた理由で最も説得力がある。「フェアトレード」という言葉が指し示す経済活動の是非以前に、「フェアトレード」という表現に抵抗を感じる。自由な取引が当事者双方にとって基本的にプラスであるという見方からすれば、ある取引がフェアである取引はフェアでないという議論は、新しい価値観を導入することだ

もちろん取引によって生じる余剰の殆どを一方が享受するような取引よりも、山分けする方が「フェア」だとはいえるかもしれない。しかし、それではこからどこまでがフェアなのかは定義できないし、例え一割であっても本人に利益がある取引を「アンフェア」だといって否定してしまうことになりかねない

This could have been avoided if we labeled Fair Trade as something like “Charity Coffee” instead, which would be more accurate and avoid disparaging any economic theories.

これを解決する一番いい方法は「フェアトレード」という名前を変えることだ。生産者のためにプレミアムを払うのだから「チャリティー・コーヒー」なんていうのもいい(プレミアムだと品質が違うことをサジェストするので不正確だろう)。これなら名前が内容をきちんと表し、経済を勉強していても違和感なく使えるだろう。

But then it might not have caught on as well because buying it wouldn’t let people signal their opposition to globalization, which brings us back to why so many libertarians dislike Fair Trade in the first place.

もちろん「チャリティー・コーヒー」ではなくて、「フェアトレード・コーヒー」なのには理由がある。「フェア」という単語を使うことで、自由貿易=グローバリゼーションを否定するコノテーションがあるのだ。だからこそ、自由貿易を支持する人(ここではリバタリアンが特に挙げられているがそれには限らない)にとっては疑わしいものに映る。しかしそれでいて、実際に批判しようとするとフェアトレードが単に価格が高いだけの自由取引の一種であるが故に捉えどころが無い

But if you’re actually into coffee, you know that some of the smartest critiques of Fair Trade are coming from good-hearted liberals working in the industry.

しかし、フェアトレード・コーヒーを批判するのは何もリバタリアンばかりではなくて、コーヒー好きのリベラルもまたフェアトレードに批判的だ。

Even worse, by mandating a co-op model of production, Fair Trade can reduce incentives for individual farmers to improve their crops.

その理由は簡単で、フェアトレード・コーヒーは価格に見合って質が上がるようにはできていない。むしろ組合方式での生産は個々の生産者が質を高めるインセンティブを弱める

The Fair Trade minimum of $1.26 per green pound is often higher than commodity coffee prices but well below what premium coffee roasters will pay.

洗練された消費者はコーヒーに高い品質を求めており、もはや生産者にとってもフェアトレードが一番いい売り手というわけでもない。ごく普通のコーヒーよりは高い買取価格も、プレミアムコーヒーの価格に比べるとかなり低い。

Sometimes I could engage them and explain that what we were offering was better than Fair Trade, that farmers got more money for the beans and the quality of the coffee was outstanding.

生産者が努力し、コーヒーの品質を高め、結果としてフェアトレードよりも高い収益を上げるのであればそれが誰にとってもフェアトレードより望ましいのは明らかだろう。しかし、フェアトレードのコーヒーを飲むことが「フェア」であると考える消費者は「フェアトレード」でない故に高品質のコーヒーを避けてしまうこともあるそうだ。これは高品質のコーヒーの需要を下げることに繋がる。

However if you want to pass the maximum of your purchase price onto coffee farmers, your best bet is to buy the highest quality coffee you can from roasters like Counter Culture, Intelligentsia, or Stumptown (to name the usual three, though there are many others).

フェアトレードのコーヒーを飲むことがそれ自体としてマイナスというケースはないとしても、一番よいのは自分が払っていいと思う金額で買える一番質の高いコーヒーを買うことだろう。高いコーヒーを買えば多くのお金が生産者に流れるし、質の高いコーヒーを作るための努力がなされる。中間業者の存在を懸念する声もあるだろうが、それは市場が拡大し参入がおきることによって解決される。特定の業者や特定の生産者組合が善意で行動することを信じるよりも生産的に思えるがどうだろう(もちろん組織を非営利で運営するといった努力はなされている)。

資本家の反資本主義

ダボス会議に関連してDon BoudreauxがThe Washington Postに送ったレターがCafe Hayekに掲載されている。

Don’t Throw Me Into that Briar Patch!

題材となったのはこちらの記事の以下の部分だ:

When Sarkozy had finished his anti-capitalist rant, he got a standing ovation from an audience made up mostly of wealthy capitalists.

サルコジ仏大統領が反資本主義的な演説をし、まさに裕福な資本主義者であるはずの参加者がスタンディングオベーションをしたという。サルコジ氏の演説内容は以下のように記述されている。

The leading rabble-rouser was French President Nicolas Sarkozy, who opened the conference with a speech urging global citizens to reform the system. “From the moment we accepted the idea that the market was always right,” he said, “globalization skidded out of control.” An overemphasis on free trade had “weakened democracy,” he argued. Human values had been undermined by soulless speculators for whom “the present was all that mattered.”

市場原理主義(!)を受け入れたときからグローバリゼーションは手が付けられなくなったとか、自由貿易は民主主義を弱体化を招いたとか、さらには今現在しか見ない魂のない投機家が人間の価値を蝕んでいるとか、なかなか香ばしい内容だ。どうしてこのような内容に名だたる経営者が賛成するのか。リンク先ではそれを明快に説明している。

Nothing is surprising about this fact. To the extent that trade – both national and international – is restricted, incumbent capitalists are shielded from what Joseph Schumpeter called the “gale of creative destruction.”

既存の企業にとって交易が制限されることはシュンペーター的な創造的破壊を免れることになる。これは既に成功している企業にとっては現状を維持する素晴らしい手段だ。

Such “anti-capitalist” protection harms not only upstart entrepreneurs; most importantly, it hurts the countless unseen and unrepresented consumers who are denied the gains they would have enjoyed from the innovation and competition that are squelched by the “anti-capitalist” restrictive policies that seem so in vogue today at Davos.

しかも、そういった「反資本主義」的な保護政策はこれから企業を作る起業家への逆風となるだけでなく、新しい企業がもたらすはずだったイノベーションや競争の利益がなくなることで消費者を害する