農作物価格と貧困

農作物の国際市場での価格が下がると発展途上国にどんな影響があるのか。簡単な答えはその国がその農作物の(ネットで)消費者なのか生産者なのかで決まるということだが、それだけでは終わらない。

Are High Agricultural Prices Good or Bad for Poverty? » TripleCrisis

They conclude: “Adverse agricultural price shocks can have negative effects on poor urban households through labor market transmission, which can offset the gains they might realize as net consumers of agricultural products.”

農作物の価格低下は農家にマイナスであるが、消費者である都市労働者にとってはプラスというのが単純な分析だが、労働市場の動きを含めて考えると必ずしもそうはならない。農業労働への需要が減ると仕事のなくなった農業従事者が都市の労働者と仕事を奪い合うことになる。通常、離農する労働者と競合するのは都市部の比較的貧しい労働者であるため、これは逆進的な効果を持つ。

Conversely, they find that when rice prices go up the overall impact is progressive. The demand for unskilled labor in agriculture goes up, which raises incomes, and raises wages not just in agriculture but generally across unskilled labor markets.

逆に農作物の価格上昇は農家にプラスであるだけでなく、農業従事者と潜在的に競争関係にある貧しい労働者にとっても賃金上昇が食糧の価格上昇を上回る可能性がある。もちろん都市部の多くの労働者にとってはマイナスであるが、影響が貧しい層に出るのか豊かな層に出るのかは政策上重要なポイントだ。

先進国の(自国農家への)補助金は交易条件の低下を通じて開発途上国をさらに貧しくしているが、その負の効果はそのなかでも特に貧しい人に強く現れるということになる。

「自分が悪い」の何が悪いのか

どうも最近首を傾げるような記事が増えていて残念なアゴラから:

アゴラ : 自分が悪い 助けてといわない若者 – 原淳二郎(ジャーナリスト)

自分が悪いと考えてしまう若者が増えているという問題(?)が取り上げられている。20代後半の私も「若者」に含まれるだろう(しかしいつから「三十代の若者」などという概念が登場したのだろう)。

現在の不遇な環境、不幸は社会の責任ではないし、まして親の責任でもない。だからいくら困窮しても助けてといえないのだそうだ。30代の若者の現象らしい のだが、日ごろ学生を見ていて同じように感じることがある。

実際、問題に直面する原因の最も大きなものは自分の行動だろう。また、他人のせいにしたところで問題が解決するわけではないので、そういう考え方を持たない方が本人にとってもいいはずだ。

心優しいのか、誰が悪い、社会が悪い、教師が悪いなどといわない。毎日の生活に被害者意識が薄 い。

そしてそれは「心が優しい」からではない。単に、頑張ればもっといい状況にできたという事実認識と、被害者意識を持つより自分のせいだと考えた方が生産的だと知っているだけだろう。このような認識の何が問題なのかよくわからない。

毎日の生活に被害者意識が薄い。私の子どものころは、毎日食うものに困り、親からは家業にこき使われ、何もいいことがなかった。なぜこんなに自分は不幸な のか、と思うと同時に、自分が悪いから不幸なわけではない、周りが悪いのだと考えた。事実社会はまだ貧しかった。家業は二度も倒産した。社会への関心政治 への関心はそのころから生まれた。

確かに、貧しい社会でそういう育ちかたをすれば、社会や親が悪いと考えるのは分かる。しかし、現代の社会はそこまで貧しくないし、そういう環境で育つ人は昔に比べて相当減ったはずだ。

だからテレビがいうところの自分が悪いという若者の論理がよく分からなかった。大不況になってもストライキひとつ起きない。デモもない。ネットでぶつぶつ不平をつぶやくらいだ。

現代社会において、多くの人の成功は自分の努力にかかっている。他の要因もあるが、自分が一番重要な要素だと多くの人が認識しているだけだろう。そしてその認識は基本的に正しい。

もうデモやストだけが社会的表現手段だった時代ではない。ネットなどでいくらでも表現できる。

まさにその通りで、不況でもストライキやデモのような非生産的な行動はしない。そんなことをしなくても「ネットでぶつぶつ不平をつぶやく」だけで、不平を世間に知らせることができるのだから当たり前だろう。不平が社会に流れていくチャンネルが変わったのだ。

日本には彼らが貧しいのは自己責任だという風潮がある。いつからこんな風潮が広まったのかは知らないが、不当に弱者に追いやられた人々が不満の声をあげられない社会をわれわれはいつの間にか作り上げてしまった。

これは風潮というよりも、時代が変わっただけのことだ。個人の努力ではどうにでもならない貧困がはびこる社会では貧しいことは主に社会の問題だが、努力すれば成功できる社会においては貧しいことが一義的には個人の問題となる。日本は大方前者から後者へと移行した。そしてそれは喜ぶべきことだろう。ご自身で指摘されているように、「不満の声」はネットを利用して簡単にあげられる。

もちろん、このことはより個人が努力によって成功できるように仕組みを改善していくことを妨げるものでは全くない。しかし何でもかんでも親のせい、社会のせいと言っている社会には未来がない。勉強ができないのは親や環境のせいだと文句をいっていた子供が成功しているだろうか。

追記:困っている人がそのことを社会に伝えるのは重要だが、本人が自分の問題だと認識していなければ援助しても効果がないとも言えるか。

P.S.

母親から毎月1500万円も贈られながら「知らなかった」人には、貧しくて声もあげられない人たちの心情などとても想像できないことだろう。

結局この一文を言いたかっただけのような気もする。しかしそういう政治家を選んだのは有権者であることも事実だ。

「貧困ビジネス」の行き過ぎ

「貧困ビジネス」という言葉が流行っているらしい。とりあえずWikipediaを見ると次のような定義になっている:

貧困ビジネス(ひんこんビジネス)とは、貧困層や社会的弱者等といった弱い立場の人々から社会通念に反して不当な利益を得るビジネス形態を指す造語である。

これによれば「貧困ビジネス」は定義上悪いものとなるが、「社会通念」というのがまた何か分かりにくい。

先ほど新手の貧困ビジネスを報じる記事を読んだ:

新手の貧困ビジネス、「過払い請求」が台頭 過大な成功報酬、弱者につけ入るハイエナ集団 JBpress(日本ビジネスプレス)

多重債務者などから金融業者に対し支払い過ぎた利息(過払い金)の返還を求める動きが一気に広がった。

槍玉に挙げられているのは、「グレーゾーン金利」に関する過払い請求だ。

あおっているのは弁護士や司法書士事務所だ。電車やバスの車内広告で「過払い請求します」という広告を見かけたことはないだろうか。

弁護士・司法書士事務所が過払い請求を「あおっている」というが、これは悪いことなのだろうか。法的トラブルを解消するのが彼らの仕事であり、「過払い請求します」というのはごく普通の広告だ。

弁護士や司法書士などの専門家に頼めば、簡単な手続きだけで過払い金を請求することができる。

専門家である彼らが間に入ることで請求費用が節約でき、その一部が彼らの報酬となる。独占業務でなければ、専門家の仕事というのはそういうものだ。別に経営者が自分で仕訳をしてもいいが、それは効率が悪いから会計士・税理士を雇うのと同じだ。

弁護士の報酬は2004年に日弁連の報酬基準が廃止されてから、統一基準がない。そのせいでもないだろうが、簡単な作業にもかかわらず取り戻した過払い金の2~3割を成功報酬として受け取るケースが目立つ。

では何が問題か。元記事によると成功報酬の額だというが、その判断基準は「簡単な作業」ということだけだ。しかし、成功報酬というのは成功した場合にのみ払われるものなのである程度のプレミアムがのるのは当然だし、専門家の時間の価値を素人がそれは簡単だから安くするべきというのはどうだろう。

報酬基準がなくなったことは成功報酬の額とは直接関係しない。基準が人為的に低く抑えられれば過払い請求をやってくれる弁護士の数が減るし、逆に基準を高く設定することで利益を増やす可能性もある。

報酬が高すぎるというのなら、必要なことは価格のコントロールや広告の規制ではなく、サービス提供者間の競争だろう

だが、過払い請求の広がりとともに債務者と過払い請求を請け負う弁護士や司法書士との間のトラブルも増えている。

トラブルに対しては、実際に違法な行為であれば取り締まり、情報不足による問題ならそれを解消するような策を打つのが良い。例えば、サービス内容について雛形を公開したり、一定の説明義務を作ったり、個々の弁護士・司法書士についての情報をより積極的に共有できる仕組みを作ったりすればよいだろう。

大事なことは、「弁護士・司法書士に依頼すれば、全て解決」と任せっぱなしにしないことだ。この相談者は騙しやすそうだと思わせないこと。

これは正しい。消費者が態度を改めるのも重要だ。弁護士・司法書士もまた純粋な善意でビジネスをしているわけではない他のサービスを買う場合と同じように慎重になる必要がある

不況の深刻化で、いわゆる「貧困ビジネス」の裾野は広がる一方だ。貧困層に高金利でカネを貸す消費者金融やヤミ金融のような伝統的な貧困ビジネスばかりではない。

貧困層を騙す人間が存在するのは事実だが、貧困層へサービス・財を提供するビジネスを何でも「貧困ビジネス」と呼んでしまうのはまずい信用力のない人間にサービスを提供する際に価格が上がること自体は不正ではない

返す当てのない人間にお金を貸すためにはそれなりのリターンが必要だ。高金利でカネを貸すこと自体を非難するのは間違いだ。それをいったらノーベル賞の対象となったグラミン銀行だって高利貸しだ(ht kazemachiroman)。

例えば「敷金、礼金、仲介手数料ゼロ」を謳い文句にまとまった引っ越し資金を用意できない貧困層を引き寄せるゼロゼロ物件。家賃の支払いが1日でも遅れれば鍵を替えられて締め出される。

まとまった引越し資金も用意できない人々が家賃を滞納すれば、回収の見込みが薄いと考えるのは自然だ。締め出しを規制すれば、それによって生じる滞納の費用は家賃に跳ね返る。

ネットカフェは実質的には家を失った人が泊まる無許可の簡易宿泊施設と化しているが、ゆっくり休めないうえに割高な料金を取られてしまう。

これも誰が割高かを判定するのだろう。少なくとも他のオプションよりはましだから利用者がいるはずだ。自分で家を借りた方が一日当たりの支払いが少なくて済むことは誰でも知っている。

貧困層を相手にしてビジネスをするだけで、不当な利益を得ている悪い奴だと指差されては、貧困層にサービス・財を提供する人がいなくなってしまう。本当に不正な商売をやっている人を見つけ、対処することで世の中は改善していく(参考:「金儲け=悪」の話を絵で説明してみる)。何でも不正だと言ってしまっては前に進まない。「貧困ビジネス」という言葉が一人歩きしないことを望む。

追記:リンク先記事中の「貧困ビジネス」の定義もWikipediaと変わらない。

ホームレスや派遣・請負労働者など社会的弱者をターゲットに稼ぐ商売のことだ。弱者の味方を装いながら、実は彼らを食い物にするハイエナの仲間に「過払い請求」という新手が台頭し始めている。

小額クーポン

メール・イン・リベートに引き続き、日本では見られないアメリカの価格戦略としてクーポンを見てみよう。

これはドラッグストア(でいいのかな?)のWalgreensのクーポンだ。チラシにこういった割引情報が乗っていて、店の中や郵便ポストを見ると大抵見つかる。ここまでは日本と変わらない。

しかし、上の画像には点線の枠とバーコードがあるのに注目して欲しい。そう、この値引きはそのチラシにハサミを入れて切り取り、購入時にスーパーに持っていかなければ有効ではないのだ。日本でいえばマクドナルドのクーポンと同じだが、それがそこら中のスーパーに存在する。

ファーストフードのそれとは異なりこれはお得情報ということですらない。まず第一にクーポンが含まれるチラシは店の入り口に山積みされており、別に誰でもその場で手に取れる。また、割引額もかなりしょぼいことが多く、50¢割引でしかないクーポンもざらだ。それを切り取って、レジに持っていき、しかも時間がかかるので店員や他の客から若干冷たい視線を浴びることを考えるとなんのためにあるんだ、これ??と思うのも無理はない代物だ(注)。

ではなぜ、こんなシステムがあるのか。これもまた価格戦略の一つだクーポンを切り取って、わざわざレジにもっていって店員に説明するという行動を取る人にだけ割引を提供する手段なのだ。わざわざクーポンにせずに割引するのでは割引前の価格を払ってもいい客にまで割引を提供してしまうからこういうことをする。

日本でこれがあまりないのは、MIRの場合と同様、教育・所得水準の格差が比較的小さいためだろう。クーポンは利用者の手間を増やすし、レジの進みを遅くするので、効果が薄ければわりに合わない。しかし、格差が開いていくのであればこういった販売手法を導入する企業が出てきても不思議ではない。

(注)ちなみにアメリカのサービスの質は想像を絶する低さなので自分が不器用なのにいらいらして客を睨んでいるレジ係なんて珍しくもない。そもそもレジのスピードは日本の三分の一以下だ。

メール・イン・リベート

チェック廃止の話が在米の方々を中心に好評だったので、もう一つの消えてなくなって欲しいものであるメール・イン・リベート(MIR)を取り上げる。

まず、馴染みのない人にMIRが何かを説明しよう。MIRとは割引の一種で、商品を購入したときにレシートやバーコードと所定の書類を郵送すると忘れたころに(運がよければ)小切手(!)が送り返されてくるというものだ。実店舗でもネットでもよくみかけるが、便利なのでneweggから一例とってきた:

mir赤く囲った部分がMIRだ。10ドルの小切手が送ってくるということを意味する。ちょっと考えればこれが恐ろしく非効率なことが分かるだろう。客はリベートの申請書類を郵送する必要があるし、企業側はそれを処理して(正規の購入者かを確認する必要がある)、さらに小切手を郵送しなければならない。10ドルの割引をするのになんでこんな手間を掛けるのか。そのまま値引きすればいいじゃないかという話だ。

これは、典型的な価格差別戦略だ価格差別とは同じ製品・サービスを相手によって違う値段でうることだ。たくさん支払う気のある客には高値で売って、そうでない客には割引して売ることだ。こういうと当然のように思えるが実際にやるのは結構難しい。対面で値段交渉をするなら簡単だろうが、量販店の棚に並ぶような製品では特別な仕組みがないとできない。同じものが違う値段で並んでいれば誰でも安い方を買うからだ。

ではこのMIRはどうやってそれをクリアするか。リベートの申請に手間がかかるようにすることで、時間のない人には実質割引をせず、暇な人には割引を適用するのだ。通常忙しい人の方がお金も持っているし、いろいろ比較して製品を買うこともない。こういった人は比較的多めのお金を払えるのでこの方法で利益が上がる可能性がある。

もちろん、この方法には大きな無駄があるのでうまくいくとは限らない。無駄というのは、リベートを送るための費用だ。なるべくリベートを受け取るのを難しくするため、電話して催促しないと小切手を送ってこないなんてケースもざらだ。

リベートを使わない人がリベートが存在するがゆえにその商品を購入しないこともある。アメリカでもMIRには反感が強く、事務費用などの負担もあり量販店ではMIRを撤廃しているところもある。

また、そもそも人によって時間の価値に大きな差がなければ機能しない。日本でMIRを見かけない理由の一つはここにあるだろう。所得格差が広がればこういったリベートも普及する可能性がある。