失敗を責めない社会

起業家はリスク愛好的な、ちょっとおかしな人々がやるようなことだという認識はないだろうか。しかし、起業をするのにリスク愛好的である必要はないし、ビジネスをする上で慎重に計画を練って行動することは必要だろう。

失敗する可能性はあるが社会的に有益な事業を増やすためには、起業に伴うリスクを下げることが必要であり、その一番重要なステップは失敗を責めるのをやめることだ。

Entrepreneurs and Risk « The Baseline Scenario

I’m inclined against the conventional wisdom because I co-founded a company, it’s done pretty well, and I’m about the most risk-averse person I know. (Want proof? I even worked at McKinsey, the world’s epicenter of risk aversion; two of the other founders were also former management consultants.)

まず筆者は自らを引き合いに出して、起業家がリスク愛好的であることを否定する。これはちょっと考えれば正しいように思う。世の中にはリスクをとる方法でも幾らでもあり、自分でビジネスを始めることがその中で取り分けリスキーというわけではない。ただ単にリスクがほしいならギャンブルをすればよく、起業なんて面倒なことはしないはずだ。

[…] to start a successful company you need to have a solid plan, a realistic assessment of your chances, the willingness to take on a modest amount of financial risk […], and the belief that the non-monetary satisfaction you get along the way will more than compensate for the financial disadvantages.

では起業に必要な要素は何か。四つほど挙げられている。

  1. まともな計画
  2. 成功に対する現実的な評価
  3. それなりの金銭面でのリスク
  4. 金銭以外の満足感が費用を上回るという信念

リスクをとることがはその一つに過ぎない。そしてそれはむしろ必要悪として捉えられている。

The best encouragements to productive risk-taking are measures that limit the cost of failure for people who are actually creating something new, and this is one reason why Silicon Valley has been so successful.

では、リスクがあるが有益な行動を後押しするのに一番必要なことは何か。それは新しいことに取り組む人間にとっての失敗のコストを下げることであり、シリコンバレーがここまで成功してきたのはその文化にあるという。

The financial risks of starting a company aren’t that big, for most people. High-tech companies are typically started by people who could pull in low-six-figure salaries working for other companies, so they’re giving up a couple of hundred thousand dollars in opportunity cost; the rest is typically angel investor or venture capital money.

起業の直接的な費用は、その間ほかの会社で働くことができないという機会費用ぐらいだ。これは(少なくともアメリカでは)それほど大きくない。労働市場が流動的であれば仕事を変えることのデメリットは少ない。

More importantly, there is (historically, at least), little stigma attached to failure, so there’s little reputational downside to a failed startup.

そして、社会が失敗に対してスティグマを与えないことが重要だ。起業に失敗することに悪い評判がつかないのであれば、再び起業することも可能だ(既に一度起業した人間にとっては労働市場の硬直性に関するコストは既にサンクしており関係ない)。起業を重ねて行うことは経験を活用とするという面で有益なだけではなく、起業のリスクを軽減する。株式にちょっと手をだすのは危ないかもしれないが、たくさんの株を買えばリスクは減るのと同じだ。

In a world full of risk-averse people, that’s very important.

最後の一文は特に印象的だ。起業をリスク愛好的な人だけのものとするのではなく、リスク回避的な人間がほとんどであるということを受け入れた上で、彼らが失敗の可能性が高いが社会にとって必要な事業に取り組むことをできるだけ容易にする。こういう考えは労働市場が未だに硬直的で、移民の受け入れの目処も立たない今の日本にとって非常に重要だろう(参考:移民が必要な本当の理由)。

失敗を責めない社会」への12件のフィードバック

  1. ピンバック: おたきち雑記帳

  2. 経済ド素人なんですが青木さんの記事にはいつもシンパシーを感じます。

    失敗を肯定しろ、って良く聞きますしみんな言いますけど
    実際の所なかなか実行はされませんよね。

    >社会が失敗に対してスティグマを与えないことが重要
    というこの一行に深く同意しますし、そうであってほしいんですが、
    今の雇用形態のような長期的関係でfixされている人が多い場合は
    かなり難しいんじゃないかなぁと思います。
    日本中フォーク定理みたいな状態じゃ裏切り的行動だと
    判断されてしまうようなアクションははなかなか取れません。
    だから組織に属そうとしない人は常識というガバナンスを乱す
    トリックスターだとでも思われてるのかも。

    でもなんだか不健全な気もします。起業の失敗を白眼視してる人は沢山いますけど、
    彼らがしてる事って愛国教育の為に日本を叩く中国と変わらないなぁ、と思ってしまいます。

    • >今の雇用形態のような長期的関係でfixされている人が多い場合は
      かなり難しいんじゃないかなぁと思います。

      むしろ雇用関係がfixされている人が多いと起業のための機会費用は大きくなります。そこにさらに社会的スティグマまで加わるそれこそ普通の人には難しくなってしまいます。せめて後者だけでもどうにかできれば日本にとっていいことになると思います。

      まあ中長期的には、現在の雇用を企業が続けることは不可能だと思われるので勝手に解決する面もありますが、できるだけ早く変わっていけばいいです。

  3. 日本での問題は失敗に対する許容度の低さが社員だけでなく、金融界全体にもあるからだと思います。銀行が金融市場のほとんどを抑えている上に、それ以外の方法では資本調達が難しいことが、起業や中小の事業拡大の足かせになっている気がするのですが、どうでしょう?

    • もちろん資金調達が難しいのも大きな原因です。元記事でも自分の機会費用(稼げたはずの給料)以外の費用は外部調達することが低リスクであることの根拠になっています。

      ただ、労働市場や金融界の問題を変えるのは難しいですが、社会的スティグマみたいなものなら多少は変えやすいかなという希望があります。

  4. 日本は未だに士農工商の価値観が残っているのではないかと思います。「士」、つまり相手が大企業であろうと役所であろうと何者かに「仕える」ことが至上の価値であり、「商」つまり独立した商人は忌むべき存在であるという呪いが残っている気がしてなりません。「Samurai Japan」とかのように妙に「武士的」なものが持て囃されたりもしてますよね。武士なんて人口比で言えば1割にも満たない階級だったのに、日本がみんな武士であった、もしくは武士のようでなければならないかのような風潮な何なんでしょう?

    • >日本は未だに士農工商の価値観が残っているのではないかと思います。

      ありますね。これ。

      >日本がみんな武士であった、もしくは武士のようでなければならないかのような風潮な何なんでしょう?

      おそらく、日本が近代的な主権国家として成立する過程で、「武士的」なものを国家としてのアイデンティティとして採用したのだと思います。そのとき、日本はみんな武士であったという風に認識が書き換えられたのではないでしょうか。

      • >おそらく、日本が近代的な主権国家として成立する過程で、「武士的」なものを国家としてのアイデンティティとして採用したのだと思います。

        確かに戦前は国家への「忠義」が半ば強制されてましたね。本来、武士階級限定のものであった「忠義」の価値観を国民全体に植え付けることで国作りに役立てたのでしょう。その過程で「商」を軽んじる風潮も植え付けられたのかも知れません。

  5. 失敗に対する社会的スティグマという部分に反応しまして、必ずしも起業には限らない話なんですけど、昨秋に読んで思わずブックマークしたブログエントリーご紹介します。

    http://blogs.harvardbusiness.org/bregman/2009/09/how-to-escape-perfectionism.html

    The Geography of Bliss は、いちお~読書リストに入れているのですが、まだそこまで行き着いていない(ツン読)状態で・・・(汗)。

    「ただ、労働市場や金融界の問題を変えるのは難しいですが、社会的スティグマみたいなものなら多少は変えやすいかなという希望があります。」

    の点については、両者は必ずしも独立の関係ではなくnon-recursiveである可能性もあり、片方だけが意味がある程度に変わることにどこまで希望が持てるだろうか、という疑問はあります。
    起業している間他で働けないという機会費用のみならず、起業に失敗したあとの機会までリスクにかけざるを得ない構造的な(←シグナリングだけにとどまらない)コストがある場合、「存在が意識を規定しない」(笑)というのはどうすれば可能なのだろうかと。

    卵と鶏の輪廻転生はなかなか手ごわい感じがあります。

    • これはいいエントリーですね。The Geography of Blissはただ今ショッピングカートに放り込まれました(笑)。うちも積まれた本が結構多いです…。やっぱ読むのが遅いかも。

      確かに労働・金融の話と文化的な話は相互に影響していますね。どっちだけで解決はできませんが、両方とも変えていくように推し進めていきたいものです。

  6. はじめまして。とても面白いブログだと思います。

    「失敗を責めない」ということに関しては、自殺と関連して、The Economist でも記事が書かれたそうです。

    以下のページの、日本に関する注記のところに書いてありました。

    図録▽自殺率の国際比較
    http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html
    <引用>
    英エコノミスト誌(2008.5.3)は(…)「日本社会は失敗や破産の恥をさらすことから立ち直ることをめったに許容しない。自殺は運命に直面して逃げない行為として承認されることさえある。サムライは自殺を気高いものと見なす(…)一生の恥と思わせずにセカンドチャンスを許すよう社会が変われば、自殺は普通のことではなくなるであろう。」
    <引用終わり>

    他にも、「自殺率が低い国は、他殺率が高い」みたいなことも書いてあって、おもしろいです。

    失礼しました。

    • どうも、ありがとうございます。

      自殺に関しての経済学的な研究もあります。やはり生命保険の仕組みや破産に係る法制度による影響が大きいようです。

      ぜひまたお気軽にコメントくださいませ。

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